覇王の軍会議
年を越した1月の始まりの日、アルポート王国はボヘミティリア王国に約束通り100万金両を上納した。
使者であるテンテイイは覇王の玉座の間にいる間、極寒の中の乞食のように平伏して震え続けていた。
だが覇王デンガダイはそんな弱虫な男のことなど気にも止めず、100万金両の金がきちんと届けられているかどうかを部下に命じて確認させた。そして確かに100万金両が金両箱に入っていることを確認し終えるとただ一言、
「4月には100万金両を持ってこい」
と覇王は当然の権利であるかのようにテンテイイに命じた。
テンテイイは4月の50万であった上納金が更に上乗せされたことに異議を唱えることすらできなかった。あたふたと足をばたつかせながら、ボヘミティリア王国から脱兎の如く逃げ去ったのだった。
虫けらを踏み潰したかのような視線で覇王がアルポートの宰相を見送ると、早速ボヘミティリア王国の全諸侯を集めて軍会議を開いた。その会議が始まるな否や覇王は稲妻のように王命を下す。
「諸侯どもよ、時は来た! いよいよ我々ボヘミティリア王国はモンテニ王国との再戦に臨む! 1月5日、10万の兵を率いて、このボヘミティリア王国を覇王の軍が発つ!!」
覇王が玉座の間で大斧を振り上げ、高らかに宣言する。
その覇王の一喝のような開戦布告に、諸侯たちは大いに湧き上がった。諸侯たちは一斉に武器を大きく天井に掲げ、猛獣の大群のような雄叫びを上げる。
3ヶ月の長い雌伏の時を経て、ついにボヘミティリア王国の仇敵、山守王ケングを討ち破る決戦の時が来たのだ。何度となく繰り返されたモンテニ王国への遠征の中、自分の一族や戦友を失った者たちも多くいた。その怨恨と殺意の熱気はもう誰にも止められない。覇王とて今、その大勢の諸侯たちの叫びの渦中に飲み込まれていたのだ。
「・・・・・・レンよ。これでやっとお前の仇を取れる。次こそは山守王ケングの首を取り、お前の墓前にその亡骸を捧げることができるのだ」
覇王の一族、バウワー家の三男であるデンガレンの名を口にし、覇王はしみじみと感慨に耽る。覇王とて人、大切な弟を失った悲しみはいつまで経っても癒えることがないのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
だが、その諸侯たちの熱狂の中に、一人心の中に疑念を抱いている者がいた。その人は覇王デンガダイの次弟、三剣のデンガハクである。彼の者はテレパイジ地方最西端にあるアルポート王国にも幾度か使者として赴いたことがあり、その国の素性についてもよく知っている。そしてデンガハクはそのアルポート王国が保有する3万5000の軍を警戒していたのだ。
「お待ち下さい兄上ッ!! そのモンテニ王国への10万の軍の遠征、もう少し考えてはいただけませぬか!?」
デンガハクは隣で玉座に座る覇王に思い切って話を切り出した。
その忠告の声に、諸侯たちの熱気が一斉に冷え返り沈静する。
覇王は弟に向かってゆっくりと振り返り、その心配そうな顔つきを玉座から見上げた。
「どうしたのだ、ハクよ? この覇王の決定に何か不服でもあるのか? モンテニ王国は農業大国。その地を我らボヘミティリア王国が支配するということは、我ら覇王軍が弱点である長期戦の克服に繋がるのだぞ。
その無限とも言える兵糧を手に入れることは、このテレパイジ地方を出て、アーシュマハ大陸の各国々へと遠征するためには必須であるということは、お前も重々わかっているであろう?」
「ええ、俺も兄上の天下統一の達成のためには、軍事戦略的にもモンテニ王国を征服する必要があることは理解しています。ですが、俺が懸念しているのは我々覇王軍がモンテニ王国に大軍を出兵している最中に、アルポート王国がこのボヘミティリア王国に攻め入ってくるのではないかということです」
兄の厚い肉に囲まれた楕円の双眸を見ながら、デンガハクは顔を強張らせて説明を続ける。
「兄上は先程モンテニ王国に10万の軍を遠征させると仰りました。ですがもしそうすると、このボヘミティリア王国に残る兵力は1万程度しかありません。ここにもしアルポート王国の全軍3万5000の兵が侵攻して来たとしたら、例え我々の城が堅牢と言えど、兵力的に圧倒的に不利な防衛戦を我々は強いられることになります。
ここは万が一奴らが攻めて来た時のことを考えて、ボヘミティリア王国に2万の兵を残すことはできないでしょうか?」
デンガハクは慎重に覇王に進言する。
だが兄はその弟の疑り深さを霧を晴らすかのように笑い飛ばしたのだ。
「フハハハハッ!! 安心せい、ハクよ。我とてアルポート王国の軍事力については知っている。我とて初めは警戒してアルポート王国に内偵を送っていたのだ。だが、その情報を聞けば聞くほど奴らが攻めてくる可能性はなくなっていった。
王であるユーグリッドは暗愚の極み。毎日遊んでばかりいてアルポートの王政は義理の父である軍人のソキンに任せっきりであると聞く。そんな腑抜けの王が万が一にでも、この覇王の城を攻める決断など下せるものか!!」
破顔一笑、覇王はユーグリッドの馬鹿さ加減を笑い飛ばす。もはや覇王にとってのユーグリッドの印象は、昨年の4月に父の首を持って覇王軍に降伏した時の姿から全く変わっていない。
ユーグリッドは臆病者で保身的。挙げ句の果てに政治のことも
だがそんな兄のユーグリッドへの侮りを見て、デンガハクは冷静になってますます疑念を深めていく。
(ユーグリッド。確かに3ヶ月前の10月から急に奴の愚かな話を聞かされるようになった。その与太話は落語の10本でも20本でも作れるほど枚挙に暇がない。そんな奴への皮肉が俺が放った内偵の内ですら笑い話として囁かれている。
だが、俺は奴を知っている。奴はへらへらとした顔の裏に、とんでもないドス黒い本性を隠しているのだと言うことを)
諸侯たちが兄弟たちの会話を見守る中、デンガハクは回想をより掘り進める。
(10月に俺がアルポートに反意があるのではないかと警告しに行った時、奴は海賊王との戦争状態について話をしていた。アルポートは今海賊王と不和であり、宣戦布告まで受けたのだとまことしやかに語っていた。
だが、3ヶ月後の今日の1月になっても、特にアルポートが海賊王に攻められたという報告は入っていない。海の向こうにいる海賊王については我々も調べることができない。
だが奴が狂言回しのようにスラスラと喋った海賊王の逸話についてはどうにも胡散臭さを拭えない。あの小男が話した海賊王との冷戦の話は果たして真実だったのだろうか?)
デンガハクは思考の袋小路に迷い込む。
「どうしたのだ、ハクよ? 急に黙り込みおって。まだ何かユーグリッドについて不安を持っているのか? フハハ、お前は子供の頃から心配性だなぁ。
だがそれはお前の悪い癖でもある。戦というのは常に即断即決が求められるもの。お前もバウワー家より出生した将として、きちんとそれを理解せねばならんぞ」
覇王は弟に優しい笑みを浮かべながら宥め、その心配を取り除こうとする。
だがデンガハクはなおも、あのユーグリッドの薄ら寒い狐のような微笑みが忘れられなかった。
「・・・・・・兄上、アルポート王国にはタイイケンがいます」
そこでデンガハクは、別の切り口から兄の説得を試みる。
「かつてタイイケンが朝廷に仕えていた頃、奴は海城王と共に数々の武名を上げてきました。その剣術の腕は名だたる猛将たちを討ち取り、そして更には軍略においても名采配を誇っていたと聞きます。
もし奴がユーグリッドに知恵を送り、ボヘミティリア王国への侵攻を進言したとしたらどうなるでしょう? 現にユーグリッドはタイイケンの屋敷で剣の腕を磨き、覇王への敵意があったことが疑われます。兄上、このことについてどうかご一考ください」
デンガハクは丁寧な態度で兄に願い入る。
だがそれに対しても覇王は
「フハハハハッ! それこそあり得ない話よ。確かに我もユーグリッドが剣闘士の真似事をしていたことは知っている。だがそれとて父親の武名にあやかりたかっただけだ。決して覇王を倒すためのものではない。仮にそうだったとしても、所詮奴一人が強くなった所で覇王軍の足元にも及ばぬわ。
そして何より、ユーグリッドは軍事的な戦略において致命的な失敗を犯している」
覇王はデンガハクにその巨大な人指し指を一本立てて向け、
「奴らアルポートの小国が我々覇王軍の大軍を倒せる唯一の勝機、それは我々が大軍を率いることによって発生する食料の消耗の激しさだ。アルポート王国は侵攻する我らの大軍を、その兵糧が尽きるまでひたすら守りに徹して耐え、我らが飢えて自滅するのを待つ。そんな基本的な兵法の戦略は既にタイイケンとて気づいているだろう。
だがあの愚昧なユーグリッドはそんな唯一の勝算すらも自ら捨てているのだ」
覇王はデンガハクに相槌を促すように、自らも大きく頷く仕草を見せる。
「ハク、お前ももう気づいているだろう? そう、この覇王に米を献上するためだとか抜かして、せっせと
仮にタイイケンがユーグリッドに、覇王軍を自滅させる戦略を入れ知恵していたとしよう。だが決してユーグリッドはその作戦を聞き入れてはいない。もし我々と本気で戦って勝利する気があるのならば、敵である覇王軍が無闇に延命できるような大量の米を、絶対にアルポート王国の外に置いたりはしない。奴らが唯一勝てる見込みがある覇王軍への兵糧攻めができなくなってしまうのだからな。
つまりあのアルポートの外れにあるユーグリッドの農園は、奴が我々覇王軍と決戦を迎えることを全く想定していない証左に他ならないのだ。あの愚昧な王はもはや覇王の属国としての地位を完全に受け入れており、覇王に楯突くことすら既に諦めている軟弱者でしかない。もはやユーグリッドなど、我々覇王軍の眼中に入れる必要がないということだ。
ハク、我の理論に何か
覇王の穏やかな論の展開に、けれど絶対に有無を言わせまいとする威厳のある言葉に、デンガハクは首を横に振らざるを得なかった。
「・・・・・・い、いえ兄上。間違いなくユーグリッドは腑抜けであり覇王に逆らう気もありません。例えアルポート王国に3万5000の兵がいたとしても、このボヘミティリア王国に攻め入ってくる心配もありません。10万の軍を率いてモンテニ王国に侵攻するという兄上の考えは正しいものです」
「ならばよい。やっとお前もわかってくれたか。我ら覇王軍は今モンテニ王国との決戦に全力を注ぎたいのだ。ユーグリッドなんぞに心を奪われている場合ではない。
ハク、これ以上我の決定を反対してくれるな」
覇王は静かにその巨大な右手首を上下にひらひらさせてデンガハクの意見を牽制する。
だがなおも、デンガハクの懸念は拭えなかった。
(もはや、兄上の10万の軍の遠征の意志は覆すことができない。兄上とて焦っているのだ。モンテニ王国の侵攻に何度も失敗し、そして弟のレンすら殺されてしまったことに。恐らく兄上は、この遠征を最後に山守王との決着をつける算段なのだろう)
しかしその兄の思いへの気付きとは裏腹に、デンガハクはそれでも覇王の決定への抵抗を試みる。
「な、なら兄上、アルポート王国の兵力を今からでも徴収するというのはどうでしょう? 奴らから2万ほどの兵を我が軍に従軍させて、モンテニ王国攻略のための斥候として使うのです。
そうすれば我ら覇王軍も12万の大軍に増大し、そして何より万が一アルポート王国がボヘミティリア王国に侵攻したとしても、それはたった1万5000の軍隊でしかない。1万の兵しか残っていないボヘミティリア王国でも十分城を防衛することが可能となるでしょう」
「いや、そんなことは絶対にできん! ハク、お前の考えはあまりにも下策すぎるぞ! 西海の海賊王のことを忘れたのか!?」
だが覇王はデンガハクの再三の意見に対しても強く首を振って否定する。
「ハク、お前ほどの将がどうしたと言うのだ? アルポート王国と海賊王との不和の疑惑については、お前自身が我に報告したことであろう? アルポート王国の後ろには海賊王の8万の軍が控えておる。奴がアルポート王国を侵略し国を乗っ取ったとならば、忽ち覇王軍は海賊王8万の軍と戦わねばならなくなるのだ!」
覇王が大声を上げて弟の意見に反論する。覇王とて海賊王エルフラッドの名を恐れていたのだ。
「アルポート王国には今3万5000の兵がいる。8万の海賊王の侵攻に対する防衛戦となったとしても、決して有利になる数ではない。だが、だからこそこれ以上アルポート王国の兵力を削ぐわけにはいかんのだ。
例え今アルポートの兵が腑抜けの軍隊だとしても海賊王への牽制にはなる。奴らには何としてでも海賊王の上陸の防波堤となってもらわねばならぬ。海賊王がテレパイジ地方に上陸してしまえば、我々はモンテニ王国を攻略するどころの騒ぎではなくなってしまうのだぞ!」
覇王は一喝のようにデンガハクに海賊王の恐ろしさを力説する。
その海賊王の名を覇王が口にした時、百戦錬磨の覇王軍の諸侯たちですら浮足立ってしまったのだ。
もはやデンガハクには弁論を返せる余地はない。
「・・・・・・デンガハクよ、もうやめよ。これ以上の発言は例え弟のお前と言えどこの覇王が許さぬ。今は諸侯たちのモンテニ王国との決戦への士気を高めねばならぬ時なのだ。諸侯たちの戦意が削がれれば、それだけモンテニ王国攻略の勝機すら逃してしまうことになる。
これ以上何か口を開くつもりなら、お前をこの覇王の玉座の間から今すぐ追い出す。もう下がれ」
覇王は冷厳な視線をデンガハクに送る。その王の眼光は例え血を分けた兄弟といえど、ゾクリと背筋の凍るものであった。
デンガハクは覇王のその怪物の威圧に気圧されて、そのまま黙って引き下がる。
デンガハクが大人しくなった様子を見遣ると、覇王は改めて玉座の間の諸侯たちに怒号を発した。
「諸侯どもよ、改めて我が宣告しよう!! 我々覇王軍10万の軍は1月5日の朝7時、このボヘミティリア王国を発ちモンテニ王国を侵攻する!! 各軍モンテニ王国の攻略に備え、5日の朝までに軍備を可能な限り整えておけ!! この聖戦を制することが、この未来皇帝デンガダイ・バウワーの、アーシュマハ大陸天下統一への架け橋となるのだッ!!!」
わあああああああああッ!!!
諸侯たちは再び一瞬で湧き上がる。皆武器を天高く振り上げ、山守王打倒を叫び続けている。覇王の天下統一の野望の号令に皆一様に心酔していたのだ。覇王の広い玉座の間は歓声と怒声で溢れかえる。この一戦でモンテニ王国との因縁に決着がつく。誰もが心の底からそう信じていたのだ。たった一人、覇王の弟であるデンガハクを除いては。
彼の者は一人、冬の寒さを吹き飛ばすほどの熱気に包まれる中、ポツンと首を捻って佇んでいた。
こうして、1月5日の朝7時、覇王の10万の軍はボヘミティリア王国を出発し、山守王ケングが君臨するモンテニ王国へと遠征を始めたのである。
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