ユーグリッドの大農園

ユーグリッドは商人から四季咲米しきさかまいの種を大量に購入した翌日、アルポート王国の外れにある南の小山に訪れていた。


その小山は凡そ馬を走らせて半日ほどのところにあり、山の森林を抜けると広い平野が目に広がる。昨日のうちに屯田兵500人の部隊を集めて移住させており、本格的な開拓作業が今行われていた。


「陛下! おいでになさられましたか!」


灰色の馬に乗ってやってきた主君に、テンテイイが駆け寄ってくる。彼の者はこの農園計画の監督者を務めていた。


「おう、テンテイイ。土地の開発は進んでおるか?」


「はい、今ちょうど雑草の除草や立木の伐採を終えたところで、田んぼの土作りをしているところです」


テンテイイの振り返りに合わせてユーグリッドも辺りを見渡す。


そこには屯田兵たちが畦道あぜみちすきで堀り、田んぼの土を鍬で耕し、そして居住のための掘っ建て小屋を建てていた。秋空の涼しい山風がそよぐ中、皆額に汗を流しながら懸命に作業している。


「この平山は以前調査したことがあるのですが、土も肥沃で柔らかく、小石などの余計な成分も混じっていません。近くには川が流れており水源の確保もできています。日差しの当たりもよく天候も安定しており、近くには特に害獣や山賊などもおりません。まさに農業を始めるにはうってつけの土地と言えます」


「なるほど、まさに天の恵みというやつだな。これでデンガダイ様に美味い米を献上できる」


テンテイイの説明に満足そうにユーグリッドは頷く。


だがテンテイイは主君の言葉に心配を覚えていた。


「・・・・・・陛下。恐れながら申し上げたいことがございます」


「何だ? 申してみよ」


「その、陛下がお考えになっている覇王への米の上納についてなんですが・・・・・・」


テンテイイは続きを言いにくそうにして、自信なさそうにしながら言葉を紡いだ。


「果たして、本当に上手くいくのでしょうか? 確かにこの農業自体は上手くいくと思います。でも、兵糧を覇王に贈ったからと言って、金の要求を取り下げてくれますでしょうか?


戦争は金がかかるもの。今の覇王にとって一番欲しいものは金です。だからその、いくら米を贈っても金の代わりになるとは思えません」


恐る恐るテンテイイは反対意見を述べる。


だがユーグリッドは笑いながら臣下に尋ね返した。


「テンテイイ、戦争で一番必要なものは何だと思う?」


「兵、でございましょうか?」


「いや違う。食料だ。その軍がどれだけ兵力があったとしても、食料を持っていなければいずれ兵たちは皆脱走してしまう。まず兵は自分の命の確保ができねば誰にも従おうとしない。


転じて考えれば、兵の命を保つために絶対に必要なもの、つまり食料がある場所にこそ初めて兵たちは集まってくるのだ」


ユーグリッドの持論にテンテイイも頷くが、まだ得心できなかった。


「は、はい確かに戦に食料は必須でございます。ですが何度も外征の経験がある覇王とて、それは既にわかっているでしょう。ですからこそ覇王も遠征の際には十分な兵糧を蓄え、補給の確保も抜かりなくやっているはずです。


その兵糧の備えも完璧なはずの覇王に今更我々が米など贈っても、覇王は喜ばしく思うでしょうか?」


テンテイイは疑問を呈したが、ユーグリッドは快活に答えた。


「テンテイイ、今ではデンガダイ様の国際関係も一変している。デンガダイ様は戦争を起こすことによってアーシュマハ大陸の国際法に抵触し、今他国との関係を絶たれている。つまり貿易ができず、金があっても物資の確保ができなくなっているのだ。


だから俺はそれを先読みして、デンガダイ様が将来必要とする米を育てている。いずれデンガダイ様もアルポート王国に金ではなく食料をお求めするようになるはずだ。俺はボヘミティリア王国の友好国として、デンガダイ様をご支援するためにこの農園を開いているのだ」


ユーグリッドはスラスラと自分の先見を披露する。


だがテンテイイの懸念はますます強まっていた。


(ユーグリッド陛下が覇王の属国として平和の道をお選びになったのならば仕方がない。私はアルポート王国の臣下として主にお仕えするだけだ。


だが問題は、陛下の作戦が本当に上手くいくかどうかだ。確かに覇王と諸国との関係は不和を極めているが、ボヘミティリア王国自体も大国だ。食料の自給の備えだって十分なされている可能性のほうが高い。


やはり覇王に米など贈っても、我々への金の要求は終わらないのではないか?)


テンテイイは顔を下げ考え込み、再度それを王に伝えようとする。だが王の少年のようなキラキラした目を見ると、水を差すことにためらいが生じた。


「さて、そろそろ俺は昨日買った四季咲米の種の様子を見てみたい。テンテイイ、種籾たねもみの発芽作業はどこでやっている?」


「は、はい。あちらの大きな家屋でございます」


テンテイイは慌てて夢想を解き王を案内する。


そしてその広い掘っ立て小屋の中に入ると、屯田兵たちが机の前に並んで作業をしていた。


塩水に種をつけて、沈んだ種だけを取り出す良種の選別作業。

熱い温水につけて、種を清潔にする消毒作業。

そして種に吸水をさせるべく、種袋を水槽に沈める水漬け作業。


その一連の細やかな手作業が、熟練の農夫たちによってひたすら一心に行われていた。


「おーい! 皆の衆! よく聞け! キィネの果実の水槽のほうはどうなっておる?」


黙々としていた木の小屋にユーグリッドの大声が響く。


すると小屋の中の農夫の一人がとことこと近づいてきた。


「へえ、陛下。今ちょうど種の水漬けも半分くらい終わったところでごぜぇやす。言われた通り、普通の水だけの水槽とキィネの実の水槽を分けておきやした」


「どれどれ?」


ユーグリッドはキィネの水槽に案内され近づく。


見るとそこには水と違わぬ透明なキィネの実の絞り汁が混ざった水槽があった。水槽には普通の水槽と見分けが付けられるように名札がついている。


「ほう、なるほどなるほど、たくさん四季咲米の種袋が沈んでおるわ。これがいずれ稲穂になるのか。冬の収穫の日が楽しみだな」


身を屈めて覗き込み、王はその大量にある将来の恵みに興奮する。


テンテイイも主の傍まで来て覗き込む。


「おや、これがキィネという果実の絞り汁でございますか? 私も初めて見ました。陛下、これは一体どのようなものなのでしょう?」


「ああ、テンテイイ。まずは一口舐めてみよ」


テンテイイは人指し指を水槽に入れ、それをそっと舐めてみる。


ユーグリッドも同じようにしてキィネの果汁を舐めた。


「これ、味がしませんね。てっきり果実だと言うからもっと甘い味だと想像してました」


「ああ、キィネの実は食用品ではない。海外では今やっているように作物の肥料として使われているのだ。俺は先日この農業を始めるために、予めキィネの実を大量に輸入しておいたのだ」


「へえ、そうなのでございますか? 果物を肥料に使うとは、中々珍しい農法ですね。私も昔はアルポート王国の農務大臣でしたが初めて知りました」


テンテイイが元農民としての性か、興味津々にユーグリッドの話に聞き入っている。


ユーグリッドも喜々として説明を続けた。


「ああ、このキィネの実は無味無臭であるが栄養たっぷりの果実であると聞く。裏を返して考えれば、作物の味を損なうことなく種子を大きく実らせることができるということだ。


成長促進の効果もあり、四季咲米の収穫時期の早さも相まって、より素早く収穫の効率を上げることができる。文献によると四季咲米の場合一ヶ月ほど成長が早まるそうだ」


「なるほど! それは非常に興味深いですね! もしそれが実現できれば、2ヶ月に1回の周期で、1年間で合計六回米の収穫ができる計算になりますね!」


テンテイイは相槌を打ちながら、かつて貧しく食料にも困っていた頃を思い出す。その当時の己の境遇を思えば、米がいくらでも収穫できるという言葉は魅力的だった。


しかしふと気になることに思い当たり、テンテイイはユーグリッドに疑問を口にする。


「ですが陛下、それなら何故水槽を2つに分けているのですか? キィネの実がそれほどすごい肥料なら、種籾を全部こちらの水槽につけてしまえばいいのに」


「ああ、実を言うとキィネの実を使った栽培は難しいらしくてな。あまりやりすぎると作物が枯れてしまうこともあるのだ。だから万が一キィネの実の農作が失敗した時のことを考えて、普通の農作も同時進行でやっておるのだ。


だがもしこのキィネの実の米作りに成功すれば、俺はこの平山を全てキィネの肥料で作った大農園に変える予定だ」


「なるほど、確かに米の栽培は失敗の影響が大きいものです。慎重に事を運ぶに越したことはありませんね」


「ああそうだ。何事も慎重に慎重を重ねることが大事なのだ・・・・・・」


ユーグリッドは忍びやかに笑い、どんどんとキィネの肥料液に漬けられていく種袋を見遣っていた。王は静かにその作業が終わる頃を待ち焦がれている。


こうしてユーグリッドは、覇王に米を献上すべく四季咲米の大農園を開いたのである。

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