国の頽廃と王の決意
翌日の正午、デンガハクは約束の通り玉座の間に現れた。
リョーガイが用意した100万金両の受け渡しは粛々と行われ、その取引に造反を起こす諸侯は誰もいなかった。
ボヘミティリア王国の使者たちがその大金を数え終わるとデンガハクは大きく頷き、そして人の背丈ほどもある鉄の金両箱を自らの肩に乗せる。その重い棺のような箱を担ぎ上げたデンガハクは身を翻し、どしどしと玉座の間を歩き去っていく。そして玉座の間の出口の前に立った時、デンガハクは大仰に振り返りユーグリッドを指差した。
「ユーグリッド王! 1月の始まりに、もう100万金両我がボヘミティリア王国に持ってこい!」
それだけ告げると、デンガハクは宮廷の階段を降りていった。
覇王の使者たちが去った後、玉座の間の諸侯たちは一斉に怒りに震え出す。再三に渡る絶望的で横暴な要求に、諸侯たちの誰もが屈辱を感じていたのだった。
時は流れ6日後の8月8日、アルポート王国では婚約を祝した行進式が開催されていた。これはアルポート王国の領民に向けた政治的な喧伝活動であり、王と王妃の権勢を世間的に誇示するためのものである。
だが、その行進式の始まりの地点となる玉座の間にユーグリッドが到着すると、王はすぐに謁見間の異様な光景に気がついた。
妻のキョウナンもその異変に気づいており、夫にその印象を伝える。
「ユーグリッド様、今日の祝典は人が空いておりますね。婚姻式の時よりも人が少のうございます」
「・・・・・・ああ、そうだなおキョウ」
白い和服姿に身を包んだキョウナンに生返事をしながら、ユーグリッドはその閑散とした景色を眉を
(式典を欠席している諸侯が多いな。いつもなら玉座の間は満杯になるほど臣下たちが集まってくるというのに。この式典はアルポート王国の全諸侯に出席を義務付けていたはずだが・・・・・・)
ユーグリッドはそこで今の自分の立場について振り返る。
覇王への100万金両の上納を決定して以降、ユーグリッドの求心力は明らかに落ちていた。諸侯会議の時も出席者がまばらであり、活発な王への進言もなされていない。皆やる気をなくし、落ち込んでおり、もはやこの国の将来のことなど考えられずにいた。
この国は覇王に金をむしり取られるだけ取られ続け、近い内に滅びを迎えてしまう。諸侯たちの誰もがそう考えており、中にはその先のない国を見捨て、アルポート王国を出ていく一族さえいた。
王が夢想に浸りボーっとしていると、王家の重鎮ソキンが怪訝そうな顔をして近づいてきた。
「陛下、わかっていますね? これは王の威信を世に示す大切な式典。例え今諸侯たちの信任を失っていようとも、これはやり遂げなければならない王家の
王の衣服の乱れを、執事のように整えながら正装姿のソキンは告げた。
「ああ、わかっている。諸侯らにもアルポート王国の繁栄がまだ続いていると言うことを見せつけねばな」
ユーグリッドは佇まいを正しながら重鎮に言葉を返す。
「ええ、せっかく一度統一しかけたこの国にまた離心が生まれるのはまずい。今一度陛下の権勢をアルポート王国に示し、この国がレグラス王家の国家であることを知らしめるのです」
「わかっておる。俺はアルポート王国に君臨する現国王、ユーグリッド・レグラスだ」
王とその一族は内密のように式の目的を確認し合う。
その夫と父の後ろで控えていたキョウナンは、ただじっとその会話が終わるのを待っていた。王妃は政治的な事情に関しては一切口を挟まなかったのである。
しばらくして時間が経ち、玉座の間には御輿隊と雅楽隊が到着する。そこに既に玉座の間にいた近衛兵も加わり、行進式の時間が目前に迫った。
「ユーグリッド様、おキョウはあまり目立つのは苦手でございます。おキョウは少々恥ずかしゅうございます」
「ああ、実を言うと俺もあまり好きではない。だがこれも大事な王としての務めだ。わかってくれおキョウ」
「はい、わかりました。ユーグリッド様」
夫婦の会話が二言三言交わされた後、行事の主催人に合図され二人は御輿の台座に座る。若い夫婦の黒い服と白い服が並び雛人形のようであった。
こうして行進式が始まった。
城門を抜けて城下町に降り、2つの列に分かれて並ぶ領民たちの間を、王の御輿隊が行進する。御輿隊の隣では雅楽隊が笛や太鼓、鈴を鳴らして賑やかな演奏をする。そして先頭に立つ王の一族ソキンは粛々と歩を進め、アルポート王国の全土を渡り歩く案内役を務めていた。
「へいっ! そこの人どうだい! これは西海の海で取れた”うなぎ”という魚だよっ!! 栄養たっぷりの魚だよっ!! うまいようまいよぉっ!!」
その道中、意気盛んな大きな声が聞こえてくる。どうやら出店の主が売り子をしているようだ。
この町は財務大臣リョーガイが治める西地区。そこは港が近隣にあり漁業も盛んであり、商人たちの行き交いも活発な商業地帯である。今日は王の祝祭日ということもあり、大勢の通行人を相手に一稼ぎしようと考えるあきんども多くいた。
「へいらっしゃい! 何匹にします? ちょっとお値は張りますが一匹1金両になります。へいっ、へいっ、ありがとございやしたぁっ!」
店主の声が雅楽隊の演奏よりも高く響く。
その御輿隊の元には香ばしい匂いが漂ってくる。
キョウナンはそっと夫の袖を引いた。
「ユーグリッド様、おキョウはあの”うなぎ”という魚を食べとうございます」
ユーグリッドは妻のねだる声を聞き首を横に向ける。
だがそれよりも素早く機敏にソキンが反応して振り返った。
「・・・・・・キョウナン。今は大切な王の式典の日だ。遊びに来たわけではないのだぞ。控えなさい」
「でも、お父様・・・・・・」
「良い、良い」
ユーグリッドがソキンに手を広げて寛大に宥める。
「祭りの日だからこそ盛大に祝わねばならぬというものだ。民草に混じって祭りを楽しもうぞ、ソキンよ! それに俺も、その”うなぎ”という魚に興味が出たわ」
ユーグリッドが
ソキンはやれやれといった調子でため息を吐く。
「・・・・・・まあ、陛下がそう仰るのでしたら」
御輿隊は行進の進路から外れ、うなぎを売る店主の前へ移動する。
その仰々しい一団の登場に店主は驚く。
「こ、これはこれはユーグリッド陛下っ! お目にかかれて光栄でございますっ! ウチに何の御用でございましょうか?」
「ああ、その”うなぎ”を買いたいのだ」
「へへえっ! かしこまりましたっ!」
店主は頭を下げながらうなぎを焼き始める。
「何匹にいたしましょう?」
店主が調理をしながら一行に尋ねる。
ソキンが娘に振り返る。
「キョウナン、いくつほしいのだ?」
「3匹ばかり欲しゅうございます」
「・・・・・・そんなに食べるのか?」
ソキンは娘の答えに呆れ返る。だがその熱のこもった期待の眼差しで見つめ続けられると、諦めて店主の前に立った。
「店主、いくらだ?」
「はい、3匹で三金両になりやすっ!」
「・・・・・・・・・・・・」
ソキンは黙って懐から三金両取り出すと店主に手渡す。そして串の刺されたうなぎの蒲焼きを三本受け取った。
「ありがとございやすっ!」
店主は勢いよく礼を述べる。
ソキンは両手にいっぱいになったうなぎの蒲焼きの一本をキョウナンに差し出す。
「キョウナン、ここで全部食べてしまいなさい。お前は王妃なのだ。粗相のないようにな」
ソキンは念を押すように娘に忠告した。
だがキョウナンは目の前の焼き物に夢中になっており耳に入っていない。
「・・・・・・おいしゅうございます」
キョウナンは上品に蒲焼きを口に運ぶと、にこりと顔を綻ばせた。
それを見ていた周りの男衆はドキリと胸を高鳴らせる。
「もう一本はユーグリッド様に、もう一本はお父様に」
半分ほど食べ終えたところで、キョウナンは食事を止め家族に勧める。
ソキンは黙って義理の息子に蒲焼きを差し出す。
「・・・・・・どうぞ、陛下」
「ああ、いただくとしよう」
ユーグリッドは片手で串を持ちながらパクついた。だがその勢いで服の膝の上にタレが落ちてしまう。
キョウナンはそれに気づいて、そっと汚れを持参した手拭きで拭いた。
ソキンは飲み下すようにさっさと食べてしまう。
そして一族がうなぎを食事をしている最中だった。
「これはこれはユーグリッド陛下ではありませんか。おはようございます。こんな大事な式典の日に陛下も
王の御輿隊に不躾に声をかける者がいた。ユーグリッドがそちらを見遣ると、それは財務大臣のリョーガイだった。その格好は薄着であり気楽な格好をしている。その後ろには娘のリョーキもいた。
「いやぁ、やはり王族というのはいいご身分なのですなぁ。式典の最中に一族揃って買い食いとは。いやまさにこれは家族の思い出作りにはうってつけの日だというわけですなぁ。実に仲が良くてようございます」
リョーガイが皮肉たっぷりに大声を上げる。その目には明らかに王の道楽を非難する色があった。
「・・・・・・控えよリョーガイ。王と王妃に対して無礼であるぞ。それ以上へらず口を叩くつもりなら、この場からつまみ出すぞ」
「ソキン殿、つまみ出すも何もここは私の領地でしょ? それともアルポート王国の土地は全部陛下のものなのですかぁ? あ、いや覇王のものか」
ソキンの睨みに対して、リョーガイは全くひるまずふざけた態度を取る。
領民たちもその王族と豪族の喧嘩に野次馬的に視線を向ける。
リョーガイはそれにも気にも止めず、御輿隊の前を通り過ぎてうなぎ屋に声をかける。
「おい店主、俺にも2本くれ」
「へ、へえこれはリョーガイ様。いつもご贔屓にしてくださってありがとごぜぇやす。今焼きますので少々お待ちを」
「いや、焼いた奴でいい。そこにあるのをくれ」
リョーガイが二金両渡すと蒲焼き2本を受け取る。そして尼のように後ろで控えていた娘のリョーキに一本差し出した。
だがリョーキは黙って首を横に振る。さっきからずっと王に対して顔を伏せたままだった。
リョーガイはその断りを見遣るとまた王の一行の前へと戻る。そして当てつけるように、王の目の前でバクバクと2つの串焼きを食べながら愚痴をこぼす。
「まあでも、この国が誰のものかは知りませんけど、どの道全部なくなっちまいますよ。私だってどうせ誰かさんのせいで全部金をスッちまいますからねぇ。こうなりゃ、どこかの諸侯みたいに夜逃げでもしちまいましょうかねぇ」
リョーガイが食い終わった串で歯の残りカスをほじくり出す。それをブッと地面にふいた。
そのあまりの下品な振る舞いにソキンはとうとう激怒してしまった。
「・・・・・・近衛兵、この無礼な男をつまみ出せ」
王族の号令とともに御輿隊に付き従っていた近衛兵がリョーガイを取り囲む。
だがリョーガイは慌てた様子もなく手を大仰に振ってみせる。
「ああ、わかったわかった。もう行く、行くって。自分の足で歩ける。別に俺は酔ってるわけじゃない。シラフだ。本音しか言ってない。全く、兵に囲まれるってのは相変わらず嫌なもんだ」
リョーガイがぶつくさ言いながら兵士に連れて行かれる。
その様子を見ていたリョーキはちらっと王の方を見たが、すぐに父の元へと駆け寄っていった。
「・・・・・・陛下、そろそろ行きましょう。キョウナン、もううなぎは食べ終わったな」
「はいお父様、おキョウはもう食べ終わりました」
串を店主に渡して一行は去る。
その移動中ユーグリッドはリョーガイのことを考えていた。
(リョーガイ、明らかに俺に不満を抱いていたな。ここまで露骨だともはや苦笑するしかない)
デンガハクに100万金両を受け渡すことが決まった時にも、リョーガイは明らかに嫌そうな顔をしていた。だが金を渡さねば覇王が攻めてくる可能性が高いこともわかっており、渋々金を用意したのだった。
リョーガイは明らかにユーグリッドに離心を抱いている。近頃の財務の仕事もやる気がなく、政務室でも酒ばかり飲んでいた。もはやかつての反逆者としての侮れない風格すらなく、アルポート王国に反乱する意志さえ見られない。
(リョーガイほど露骨でないにしても、今日式典に出席した諸侯たちも似たようなものだ。皆だらだらとしており、王である俺の話も禄に聞いていなかった)
雅楽隊の音楽や領民の歓声は相変わらず騒がしく城下町に響いている。だが王は思考の渦の中に入っており何も耳に入っていなかった。
(アルポート王国は今宮廷の風紀が乱れ、国の政務にも支障を来している。このままそれを放っておけば、いずれ臣下たちは誰も国のために働かなくなるだろう。王に忠義を尽くそうと思う家臣はいなくなり、王はただの飾りとなる。そうなれば、俺は元の弱小の王に成り下がってしまう)
町の砂利道を進む御輿隊に揺られながら、ユーグリッドは更に思考する。
(だが、今の俺に諸侯たちを統べられるほどの求心力はない。偏にそれは、覇王との戦いを望んでいた臣下たちの意志とは、全く真逆の服従の道を選んでしまったからだ。覇王の属国であり、いずれ滅びを迎える国。臣下たちは今アルポート王国をそんな風に認識している。
もはや今王に仕える豪族たちは、ただの自暴自棄になった烏合の衆でしかない。この散り散りになった臣下たちの心を再び結集させる。それが王としての俺の急務だ)
そこでユーグリッドは御輿の台座から顔を上げる。そこには赤い太陽があった。
王の面差しには
だがユーグリッドはその灼熱の試練を堂々とその身に受け止め、次の一手を考える。
(アルポート王国の臣下たちの再結束、それにはアルポート王国の者たち全てを惹き付ける大義名分が必要だ。それはつまり、かつての偉大なる海城王の遺志を継ぎ、覇王デンガダイと戦うという現王の決断だ。この国が覇王の属国でないことを世に示し、そして覇王の軍と対峙できる力があることを証明する。その不可分の王の誓いを立てること、それこそがこの国を存続させるために不可欠な唯一の道筋だ)
ユーグリッドは太陽に手を伸ばし
その影の向こう側にある栄光は遥か遠くにあり、断崖を登らなければ到達できない。
それでもユーグリッドは手を伸ばし掴み取ろうとする。斜陽の逆光を浴び続ける日々から脱却し、白日が天上の頂点へ達する日を夢見ている。
かつてただの弱き王だった己と決別し、海城王への償いを果たす。その栄誉と贖罪の両輪を以て、若き王は己が理想とする。
8月8日、その日その時を境として、ユーグリッドは覇王デンガダイと戦うことを決意した。
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