タイイケンとの対峙
「ユーグリッドが俺の屋敷を訪ねてきただと!?」
東地区の自分の屋敷で、鎧姿のまま真剣を振るっていたタイイケンは驚きの声を出す。左右両手に握られた2つの両手剣が無数の岩を粉々になるまで切り裂いた後だった。
「はい、陛下が武装して一人で訪ねて来ております」
部下の一人がタイイケンに跪き伝言する。
「・・・・・・帰らせろ。俺が奴と会う理由はない」
だがタイイケンが無下に王の訪問を拒絶する。
「い、いえ、それが、タイイケン将軍にこの紙を渡して欲しいと陛下から言伝を受けました」
跪いたまま部下が丸められた紙切れを両手に乗せて、タイイケンの前に差し出す。
その紙をタイイケンは無造作に取り上げ、くしゃくしゃと音を立てて広げた。
「!?」
その紙の文面を見た瞬間、タイイケンは目をを
”覇王との戦いについての戦略を練りたい。この件は内密で頼む”
簡潔な文章の中に、王の決意が込められていた。
(・・・・・・ユーグリッド)
タイイケンは岩のように静止しながら、王の意図を探る。そしてその紙を再びぐしゃりと拳で握りしめた。
「・・・・・・いいだろう。ユーグリッドを呼べ」
タイイケンの命令に部下がその場から立ち去っていった。
しばらくして後、ユーグリッドとタイイケンは和室の狭い一室で相対していた。その部屋にはただ六畳の畳だけがあり、客を迎える茶も敷物も用意されていない。二人は鎧姿で相対したまま、しばらく沈黙がする。
「・・・・・・要件を言え。何をしにきた?」
夏の日差しが当たらぬ部屋の中、タイイケンがまず口を開いた。
「ああ、伝言の紙は読んでくれたか?」
「読んだ。その後微塵切りにして捨ててやったわ」
ユーグリッドは薄暗い部屋の中で一拍置き、頷きを見せる。
「・・・・・・ああ、それでいい。この部屋の隣に誰かいるか?」
「おらん。この部屋には俺以外誰も寄りつかん」
ユーグリッドは辺りを見渡し、人の気配がないことを確認する。そして鎧姿の若き王は本題を切り出した。
「タイイケン。俺は決心した。俺は覇王と戦うことにする」
ユーグリッドは決然とした声で宣戦を大将軍に言い渡した。
だがタイイケンは、ハの字に正座して腕を組んだまま動じない。アルポート王国最強の男は、王の真意を疑っていたのである。
「・・・・・・それが俺を調略するための口説き文句か? 貴様のくだらん王の権勢のために、俺を利用しようとしているのか?」
大将軍の見透かしたかのような疑念に対し、王は実直に返答した。
「ああ、そうだ、俺は自分の権勢を守るためにここへ来た。そのためにはまずお主の信用を得なければならない」
ユーグリッドが姿勢を崩さず目的を告げる。
タイイケンはその厳しい顔に鋭い視線を宿す。
「今、諸侯たちは俺が覇王に服従する道を選んだと思い込み、アルポート王国の属国としての地位を嘆いている。臣下たちは皆俺に離心しており、もはや王の権勢など今となっては頼りないものとなっている。俺は再び弱小な王となったわけだ。
だが、だからこそ俺はその王としての地位を復権させたい。レグラス家をアルポート王国の王家の一族として繁栄させ、子孫代々に渡って名を馳せるような名門にしたい。俺にも子供という者が欲しくなったのだ。俺には今月、キョウナンという妻もできた」
ユーグリッドは
だがタイイケンが反応を示したのは、ユーグリッドが言葉尻で語った王妃のことだけだった。
「・・・・・・キョウナン、ソキンの娘か」
タイイケンは首を横に捻って畳を見つめ、何事かを思う。
「・・・・・・憐れな女だ。ソキンと貴様の名声欲に振り回され、くだらん王族の
タイイケンは唾棄するように言い捨てる。
その蔑みの声にもユーグリッドは正座したまま動かない。
タイイケンはそこで顔を元の位置に戻し、ソキンについて語り始めた。
「ソキンも始めはただの一介の武将だった。
だが、アルポート王国で自分の位が上がると伴にどんどんと権勢に目がくらむようになっていった。
ソキンは海城王様までも巻き込んで自分の地位をあげようとしていたのだ。自分の娘と海城王様を結婚させて王族になる。奴はその野心のために海城王様の隣で甘言を吐き続けていたのだ」
「・・・・・・ソキンが海城王との婚約を画策していたことは知っている。キョウナンから直接聞いた話だ。
だがソキンとて人間、権力が欲しいと思うことは特段おかしなことではないだろう」
ユーグリッドは義理の父を弁護する。今ではソキンに対する情愛も湧いていた。
だがタイイケンは鼻を鳴らしユーグリッドの
「権力が欲しい? フン、馬鹿な話だ。俺も14の時から色々な主君に仕えてきたが、どれも貴様やソキンのような輩ばかりだったわ。権勢などという中身のないものに溺れ、地位などという偽りの力に縋り付く。王族という奴は四六時中世の中からの評判に振り回され、自分を着飾ることにしか頭が働かない。
その外面の保身や顕示欲のために、貴様のように自分の一族を殺す者も珍しくなかったわ。俺は権力などというものを追っておかしくなった奴を嫌というほど見てきたのだ」
タイイケンは王族に対する嫌悪を王に露わにする。タイイケンがユーグリッドを憎む理由、それは敬慕していた海城王が殺された復讐心だけではなかったようだ。
「なら、ここでお主に一つ聞かせてもらおう。お主は王族というものを嫌っているようだが、ならば何故海城王は特別なのだ? 海城王とて皇帝から王の称号を賜り、アルポート王国の統治者という絶大な権力を握った王族ではないか」
王の言葉に、タイイケンはピクリと片眉を釣り上げる。その目にはかつてユーグリッドに斬りかかった時と同じ殺意の念が生まれていた。今タイイケンの腰には2つの剣が携えられており、王をいつでも殺すことができる。
「・・・・・・海城王様は他の奴らとは違う。あの御方は誇り高く慎み深く、そして己が主君である皇帝への忠義を果たすために、一身を捧げてきた武家の鏡だ。王の権力などというものに目が眩むような御方では断じてない。あの御方こそ時代の名君と呼ぶにふさわしい武家の王と言えるだろう」
タイイケンは殺意を抑えながら海城王の人物像を評する。その人徳ある海城王の人格はタイイケン自身の誇りと魂の写し鏡でもあった。いつも海城王への尊敬と憧れの念を胸の内に宿していたのである。
だがユーグリッドはそんなタイイケンの敬愛の念を冷笑した。
「権力に目が眩んでなかった? 俺はそうとは思えんな。海城王は確かに権力に溺れていたぞ。俺はそんな父の姿を目の当たりにしたのだからな」
ユーグリッドは足を崩しながらタイイケンに挑発的に笑う。
タイイケンはそんな海城王を虚仮にした態度に思わず柄に手が伸びそうになる。
ユーグリッドはそして海城王について語り始めた。
「海城王は最期の時愚行を犯していた。覇王との圧倒的戦力差と兵器を目の前にしても、覇王との開戦を望んでいたのだ。臣下たちの誰もが開戦を否定しており、敗北が誰の目にも明らかだというその状勢の最中、海城王はそれを無視して一人無謀な戦いを強行しようとしていたのだ。
これは臣下たちの命を蔑ろにした横暴な玉砕命令であり、王の権力が暴走していたという他ないのではないか?」
ユーグリッドはかつての海城王の決断を愚弄する。
タイイケンの体が震え出す。
「・・・・・・黙れ。海城王様の判断は間違っていない」
タイイケンは拳を握り王の言葉に不快を募らせる。溢れる自身の怒りを必死に抑えようとしている。
その静かな怒気を表すタイイケンに、ユーグリッドは弁舌を続けた。
「タイイケン、俺はお主に少し不思議に思うことがある。8月の始めにデンガハクが上納金を求めてきた時、臣下たちは一様に覇王との戦いを望んだ。だがお主は冷静に覇王と戦うことの無謀さを説き、俺に金を上納しろとまで進言をした。
その冷静に戦局や情勢を判断できるお主が、何故春の覇王軍の襲来の時には海城王に開戦を進言していたのだ? よもやお主も本気で覇王に勝てると思っていたわけではあるまいな?」
ユーグリッドは問い詰める。
タイイケンは一瞬、言葉を詰まらせる。だがすぐに口を開いた。
「・・・・・・確かに俺は、海城王様に覇王との開戦を進言した。そして覇王と戦っても勝てぬこともわかっていた。
だが俺は、海城王様が皇帝への忠義を果たすために、あえて海城王様を奮い立たせたのだ。海城王様は誰よりも忠義を重んじる御方。その忠義のためなら自分の死すら厭わない高尚な御方なのだ。
俺はその時、その武人として誇り高い海城王様の意志を尊重しようと考えたのだ」
「なるほど、つまりお主は自分が海城王に抱いていた理想像を守るために、主君に死ねと申したのだな?」
「!!」
ユーグリッドの抉るような図星に、タイイケンの岩のように動じなかった体がビクリと動く。だがタイイケンは気丈に振る舞ってそれを見せまいと全身に力を込めて抑えた。
しかしユーグリッドはタイイケンの、前王に対する歪んだ敬愛を見逃さなかった。
「タイイケン、お主が海城王を慕っていることは知っている。その忠義心はこのアルポート王国で随一のものだ。
だがお主は海城王への理想が高すぎる。お主は海城王が完全で高潔な存在だと思っており、武人としての一本義な魂を持っていると思い込んでいる。お主は自分が仕えていた海城王を、絶対的な主君として神格化すらしているのだ。
お主の忠義とは、その
「・・・・・・黙れ。海城王様は偶像などではない」
再びユーグリッドに心の脆さを指摘され、タイイケンが低く声を響かせる。だが、先程までの頑とした忠義の固さが揺らいでいた。ユーグリッドに本心と言う巣を付かれ、虎の赤子のように吠えている。
「タイイケン、俺は海城王の息子だ。海城王のことはよく知っている。
かつて俺が5つぐらいの幼い子供だった頃、父は自分の武家の再興のために奔走していた。何人もの商人から借金を借り、いくつもの屋敷を尋ねて主を探し求め、そして返せぬ金の猶予のために土下座を繰り返していた。
父は家に返ると飲めもせぬ酒に溺れ、泣いては泣いては亡くなった俺の母の名を口にしていた。その時の父はただの惨めな男だった。武家の主としての威厳など全くなかったのだ」
「・・・・・・黙れ。海城王様を愚弄するな」
タイイケンは再び王の述懐を止めようとする。だが先程までの王に対して向けられた真っ直ぐな視線は俯いており、海城王の忠臣としての存在理由は崩れかかっていた。
ユーグリッドは父の思い出を淡々と語り続ける。
「そしてもう一つ、父に纏わる思い出話がある。父が皇帝マーレジアに見初められ、朝廷の臣下になったばかりの頃の話だ。
父はそこで武人として勲功を上げ続け、それによりどんどん昇格もしていった。
だが父はその生まれの貧しさから朝廷の者たちから蔑まれ、差別的な扱いを受けていたという。よくない噂が立ち、戦の時には救援も出されず、諸侯会議では父を貶めるような
父が珍しく家に帰るといつも、『位が欲しい。位が欲しい』と言って悔し涙を流していたのだ。俺の父だって権勢欲に取り憑かれておったというわけだ」
「・・・・・・黙れ。貴様の作り話など信用しない」
タイイケンはまたしても海城王の哀れな過去を否定しようとする。だがその気の弱い声は、ユーグリッドの話に完全に
ユーグリッドは更に父の弱さについて語る。
「タイイケン、俺はあの覇王が襲来した夜、父上と話し合いをしていたのだ。
父はその時皇帝マーレジアへの忠義を守るために覇王と戦うと宣言した。それが海城王としての意地だとも語っていた。
当時の俺はその時の、遺言のような父の真意がわからなかった。だが今の俺には父の言葉が理解できる。アルポート王国の王となり、抱えきれぬほど守るべきものができた今の俺には自分のことのように認識できる。
父は何よりも恐れていたのだ。自分の人生の中で、自分が積み上げてきたものが全て壊れることが。それは王としての名誉であり、家臣からの信愛であり、そして皇帝へ捧げ続けた忠誠心でもある。
父は何年も朝廷で屈辱に耐え、命がけで戦い、そして泥のように血を滲ませて築き上げた王位という牙城を、どうしても手放したくなかったのだ。父はその権力の座を守りたかった。だから覇王との戦いを決断せざるを得なかった。
だがーー」
そしてユーグリッドは冷厳な言葉を放つ。
「ーーその自己保身欲が息子の離心を招き、結局海城王は犬死した」
その言葉の瞬間、ユーグリッドの横髪が切れた。艶のある若い数本の髪が剣圧の突風により飛び散った。
その神速の剣技はユーグリッドの目には止まらなかった。
タイイケンが目の前で立っている。両手剣の鞘から剣を抜き、ユーグリッドの側頭に刃を当てて見下ろしている。
「黙れぇッ! これ以上海城王様を侮辱するなぁッ!!」
タイイケンが吠える。雷が落ちたかのように部屋が震撼する。だがタイイケンの腕は震えていた。両手剣を持つ右手がガタガタと
それは自分の理想を裏切られたタイイケンの慟哭、そして今まで積み上げてきた主君への思慕が崩れ落ちた瞬間だった。
「タイイケン、何故に泣く?」
剣を突き付けられた王は、剛将の溢れ出る落涙に疑問を呈した。
「お主の海城王への忠誠心とは、目の前の口先だけの若造の語り口だけで崩れ落ちるものなのか? お主の海城王への信愛とは、それほど底の浅いものだったのか?」
「・・・・・・俺は、海城王様への忠誠を、貫いている」
震える声でタイイケンが王に答えた。
「・・・・・・例え貴様の話が本当だとしても、俺は最期の時まで海城王様をお慕いする。海城王様は唯一無二の俺の主君。敬愛を重ねても重ねきれないほど偉大なる武家の名君。
俺はその御方にずっと憧れてきた。忠義を果たし、臣下を愛し、たった一人の息子も育て抜いてきた。信義も家臣も家族も、全て一人で背負い込み守ろうとした。例え名声の欲に塗れていたとしても、その全てを守り抜く強き心に嘘偽りはない。
俺は海城王様の
タイイケンは声を戦慄かせながら海城王への忠誠を告白する。右手の剣先は震えて乱れている。もはやユーグリッドでも撃ち落とすことが容易なほど拙い構えだった。
ユーグリッドは静かにタイイケンの顔を見上げる。
「・・・・・・タイイケン、俺にはユウゾウという家来がいる」
ユーグリッドは崩した足を再び正座にしながら、己の思いについても語り始めた。
「その者はかつて海城王の元でシノビとして仕えていた。その者はあの日の夜、海城王より最期の命令を受けていたのだ。
『もしお前たちが生き残ることができるのであれば、ユーグリッドの命を守れ。例えアルポート王国が滅びることになったとしても、息子の幸せを願いたい』と。
父上は最期の時まで俺を想っていてくれていたのだ。俺はユウゾウから父上の愛の深さを知らされた時、涙が止まらなくて仕方なかった。
そして偉大なる海城王の遺志を継ぐこと、それこそが王となった俺にできる、唯一の父上への贖罪の道なのだと確信したのだ。俺は今でも、その償いを果たすためにこの王としての生を全うしようとしている。そして今を生きるべく、俺は亡き父の仇覇王を倒すために命を燃やしている。
そして今、ここで俺は約束しよう。海城王の遺志を継ぐ者として覇王を討ち、父の墓前にその首を捧げると。
タイイケン、この俺の誓いをお主は信じるか?」
王の決然とした宣誓にタイイケンの震えが止まっていく。その感情を剥き出しにした巨躯からは、やがて怒りが消えていく。その若き王の言葉が嘘か本当かはまだわからない。だがタイイケンは信じたいと思った。
タイイケンは静かに剣を鞘に収めた。
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