第9話
翌朝、吉泉の容態は完全に回復していたが、山伏に助けられたこと、神武と子供らをその山伏に差し出したことなどを彼に伝えることは誰も出来なかった。
それを聞けば吉泉がどのように思うか?吉泉のことだからきっとすぐにでも城をたち、山伏を追って子供らを助けに出るに違いない。己の命の為に多くの子供らが連れ去られたことを許すような男ではないことは皆が承知していた。
いつかは知れること。しかし、何も子供らが虐待されたり、殺されるというわけでもないであろう。取り急ぎ子供らと山伏の所在を調べ、それらが分かってからでも吉泉にすべてを話すのは遅くはない。それが、吉荒の出した答えであった。
しかし、嵐鈴の父である斎藤隆明には、隠しておく訳にもいかぬ。
昼過ぎに尾上から帰った隆明には吉荒から昨晩のこと、そして嵐鈴が連れ去られたことが直接伝えられた。
吉荒は、それらを伝えるに当たって己の右腕を斬り落としていた。明け方に家臣の誰にも伝えず、たった一人、城の奥で己の腕を斬り落とし、その後、城の医者に傷の処理をさせていた。
斎藤の前に己の右腕を差し出し、嵐鈴のことを深々と詫びる。
「己の子のためにお前の大切な娘を差し出したのだ。右手などで足りるとは思っておらぬ。しかし、わしも国を背負う立場。時が来たらこの命もお前の好きに使うがよい。だが、今しばらく待ってくれ。辛抱してくれ。」
そう頭を下げる城主の姿に斎藤は涙し、「吉泉様の命が救われたなら嵐鈴も喜んでおることでしょう。ただし・・・。」と山伏と子供らの所在を探し出すのには自身も加えて欲しいと願い出て吉荒もそれを承諾した。
夕刻、斎藤隆明に連れられ清重と喜助は、斎藤家に戻った。家に帰ると嵐鈴への思いが互いに込み上げてくる。つい昨日まで共に遊んだ庭や稽古をした道場。柱には嵐鈴の落書きの絵が残っていた。隣にいないのが不思議でならない。
「今日は、疲れた。お前らも早く休みなさい。」
そういわれ、清重と喜助は、床に就いた。喜助の泣き声が隣から聞こえてくる。それを聞きながら清重は、布団を噛み必死に涙をこらえていた。自分が暖かい布団の中で寝ている中、嵐鈴はきっと寂しい思いをしているのであろう。餅のような白く柔らかい肌。紅葉のような小さな手。自分を慕って「キヨさま。キヨさま。」といつも着物の袖を掴んできた。清重は、ついに堪えきれず嗚咽を漏らした。
用人らが騒ぐ声で清重と喜助は、布団から飛び起きた。
夜の闇はまだ重い。
「何事か?」
と喜助が用人のひとりに問うと、顔面を蒼白にした男は答えた。
「吉泉さまが狂乱されたと。」
なんでも、先ほど城からの使いが来て斎藤隆明は飛んで城に向かったとのことであった。
「兄上が狂乱?どのようなご様子なのだ?」
用人は、口ごもる様子を見せるが、清重に催促され「どこまで事実かわかりませぬが・・・。」と前置きをし、話した。
「城では、叫ぶような吠えるような声が聞こえ、皆が目を覚ますと吉泉さまが刀を振り回し言葉にならぬ言葉を発しながら城内を走り回っていたと。止めに入った家臣、女、子供・・・。とにかく、目に入った者はすべて斬り伏せ、その数、20を超えたと。そして・・・。」
用人は、唾を飲み込み「吉荒さまの首を斬り落とし、城を飛び出していったと・・・。」震える声でそう言った。
清重は、声を出すことも出来ず、床の一点を見つめていた。
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