第4話

甚兵衛の住む家は、村の外れにある。家といっても腐りかけた柱の上に板と藁が乗っただけの小屋であった。この小屋から村までは四半時も歩かねばならない。


村に入るには、小屋の前の一本道を進むほかない。甚兵衛の役割は、ここを通る人物を見張り、いち早く村の皆に伝えることにあった。


山賊や役人が村に近づいた時、いち早くそれを伝え、金目の物や食料を隠すのだ。とはいえ、金目のものなど、この村には仏像くらいしかない。食料もない。そんな貧しい村には、賊も役人も興味がないようで、ここ数年、この道を通るのは猪やタヌキくらいのものであった。


「身支度はまだか?」


大男の喜助に催促され、甚兵衛は、急いで熊よけの鈴と鹿の干し肉を懐にしまい込んだ。そして、雑草を刈るための鎌と水を入れるための竹の筒を腰に結ぶ。


(山に入ったら、腹が痛いだの、頭が痛むだの、適当なことを言って逃げてこよう。)


甚兵衛は、そう心に決めていた。武士などのお遊びに付き合って命を落とすことはない。


一応の身支度を済ませると外で待つ佐々波清重と喜助に頭を下げた。


「それでは、村に挨拶をし、山に入りましょうか。」


佐々波は、そう言うと白馬をゆっくりと歩かせた。


佐々波と喜助を見た村人の反応は半分が甚兵衛と同じであった。白馬とそれに乗る美しい着物を身にまとった佐々波に見惚れる。しかし、残りの半分は甚兵衛に対して怒りの表情を露わにしていた。


それもそうだ。部外者が村に近づいたらいち早く村に伝えるのが甚兵衛の役目。その為につらい農作業をせずとも無料飯を食っていけているのだ。


村を仕切る治郎吉という老人が佐々波の前に立ち深々と頭を下げた。


「このような何もない村にお越しいただき大変光栄ではございますが、わしらにはもてなすすべもございませぬ。いったに何用でこのような汚き場所へ足をお運びになられたので?」


警戒心をむき出しにした老人の表情に村人たちの顔も強張っている。


「この付近の山に妖魔の類が現れたと聞きましてな。佐々波様は、そやつめを退治に。」


喜助と老人のやり取りにそこにいる全員が息を呑む。


「やはり、佐々波家の方でおられましたか。しかし、いかに剣の達人といえど、たったおふたりでの退治はちと難しいかと。あれは、おっしゃる通り妖怪の類の化け物と伝えられております。それに神虫の住む山は人の入らぬ険しい山道。止められた方がよろしい。」


山には村の男の遺体が残っているはずである。その傍に戦場から盗んだ武具でも落ちていようものなら村全体で責任を負いかねない。なんとしてでも、山に入られては困るのである。


佐々波は、馬を降りながら老人の言葉に大きく頷いた。


「我らは、山の素人。山に入れば妖魔を倒す、倒さぬ以前に道に迷い、神虫に出会うことすらままならぬでしょう。そこで、先ほど甚兵衛殿に手助けをお願いしたところでございます。」


そういうと佐々波は懐から金色に光る美しい簪を取り出した。


「売れば、村の方々が3年は食べていけるくらいにはなるはずです。甚兵衛殿をお借りする前払い金とでも思ってくだされ。無事に妖魔を退治することが出来れば、甚兵衛殿の働きに感謝し、さらに3年分の食糧を運ばせましょう。」


老人の目は金の簪にまじまじと見つめ、思わず口元が緩んだ。


「ですが・・・。」


と口を開いた老人に佐々波が他には聞こえぬ声で囁いた。


「戦場から武具を盗み生活の糧にするのは他でもあることでございます。遺体を埋葬し、手を合わせていただけるならと我らも尾上も笹本もその行為には咎めをしておりませぬ。心配なされることはございませぬ。」


そして、佐々波は、金の簪を老人に手渡す。村人たちは、すでに仏に手を合わせるような仕草を佐々波に向けていた。


「甚兵衛殿にも先ほどご協力を頂けると了承を得ておりますゆえ、いかがでしょう。」


佐々波の視線がゆっくりと甚兵衛の方へと流れていった。つられるようにして村人たちの視線も甚兵衛に向けられる。


(逃げられぬ・・・。これでは、もはや完全に逃げられぬ。このお方、大量の食糧をこ奴らの鼻先にぶら下げおった。山に登れば神虫に。逃げて山を下ればこ奴らに殺されかねん。)


甚兵衛は、生唾を飲み込むと、苦虫を噛んだような表情を皆に向けた。


「世のために命を惜しまず妖魔退治に向かう佐々波様に感銘し、この命もささげる覚悟は出来ております。どうか、おふたりの先導のお役目、お許しください。」


そう言って甚兵衛は老人に頭を下げた。


(許さぬと言ってくれ。気でも狂って許さぬと言ってくれ。)


甚兵衛は、血走った眼で老人を睨む。


「甚兵衛よ。」


老人は、見たこともないような優しい笑顔で甚兵衛の肩を叩き「立派にお役目果たして来なさい」と予想通りの言葉を発した。

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