side〜カルア〜

 拗ねながらも前を歩く彼の姿を見て、ほんの少し。

 ほんの少しだけ、懐かしいと思える……昔のことを思い出した───



 ♦♦♦



「かっかっかっ! にしても、俺たちゃ運がいい! 標的ターゲットが一人でほっつき歩いてくれてたんだからよォ!」


 野太い男の声が、ボロボロの馬車の中に響き渡る。

 それに続いて何人もの男が、同じく気分が高揚したかのように笑い始めた。

 先程まで匂っていたはずの香水の匂いも、料理の匂いも何も感じられない。何日も体を洗っていないような刺激臭が、少女の鼻を叩く。


「依頼人はカルア・スカーレットを生きたまま連れて来いって話でしたよね?」

「そうみてェだな! どうやら、俺らの依頼主はこの女に大層お熱らしい! まァ、気持ちは分からんこともないがな……こんな美人は滅多にお目にかかれねェ!」

「なら、つまみ食いはどこまで許してもらえますかね!? 食べちゃっても依頼には反してないでしょう!」

「それもアリかもなァ! 俺らで先に味わっとくか!? 生憎と調味料はねェが、素材がいいから美味いだろ!」

「本当に依頼主に怒られないか、適当な言い訳を作ってからですぜ!」


 汚らしい品のない会話。

 聞いているだけで、吐き気をもよおしてしまう。

 けど、その場にいる赤髪の少女はその男達を非難することもできなかった。

 何せ、深紅のドレスに見合わない頑丈なロープで両手両足を結ばれ、口には変な味がする布切れを噛まされているのだから。


(私はもうダメ、なのかしら)


 パーティーの最中、ちょっと抜け出しただけなのに。

 今となっては、むさ苦しい男達と行き先もわからない片道切符で相席をする羽目になってしまった。

 ───少女は容姿が整っているからといっても、まだまだ子供だ。

 明らかな誘拐の当事者になってしまえば、心に湧き上がるのは貴族としての誇りではなく、逃げ出したいという恐怖のみ。


(お父様……お母様……)


 今頃、自分がいなくて探してくれているだろうか?

 早く来て───なんて願いは、今のうちに何度もした。

 何度もしたというのに、その返答は一向に返ってこない。


(今まで、あまり思ってこなかったけど……一人って、こんなにも心細くなるのね)


 当たり前にいた味方も誰もいない。

 近くにいるのは、明らかに自分を害そうとする敵だけ。

 安心材料などどこにもなく、不安材料だけが積りに積もっていく───それ故に、少女の心は徐々に弱っていった。

 助けてという思いから、徐々に諦めへと変わり……やがて、違う感情に変わっていったぐらいには。


(寂しい、寂しいわ……誰も、私の隣にいない。誰も───くれない)


 助けなんて望まないから。

 せめて、自分の心を軽くしてくれるために横にいてくれれば。

 ひんやりと冷たい馬車に揺られながら、少女の瞳から光が失せていく。


「そんじゃ、早速いただくとするかァ!」


 どうでもいい建前だけ並べた話し合いが終わり、一人の男が少女に手を伸ばす。

 不安も恐怖もある……しかし、どうにもならないという諦めが、少女に抵抗させるだけの力を奪っていった。

 ただただ、迫る手を見ながら一つ。


(私に、寄り添ってくれないかしら……)


 こんな状況でも、私のために誰か。

 こんな状況だからこそ、少女は温かさを求めた。


 願いが変わった。

 命よりも、寄り添ってくれる誰かを望んだ。

 だからだろうか? その時───


『見つけた』


 ガッシャァァァァァァ!!! と。

 馬車の天井が、真っ二つに割れたのは。


「な、なんだっ!?」

『名乗るかよ、クソが。人の幸せを簡単に奪いやがって』


 割れたと同時に降ってきたのは、一人の少年だった。

 どこか汚れている黒装束に、特徴も何一つない無柄のお面。

 現れた少年は、まず先にと近くにいた男の鼻っ柱へと蹴りを放った。


「あがッ!?」

『まず一人』


 馬車は狭い空間だ。必然的に少し動けば誰かに手が届き、少しの衝撃が馬に影響する。

 未だに走っていること、何故か馬車が急に止まってしまったことが不思議ではあるが、今は気にしている余裕はない。


「敵襲だ!」

「武器を持て! 相手は一人だ! 殺しちまえ!」

「死に晒───グッ!?」

『二人目』


 突然現れた襲撃者に、男達はそれぞれ武器を構えた。

 しかし、少年の拳が合間を縫うようにして飛んでくる。狭い空間にもかかわらず、見事な体捌き……男達は的確に急所を少年の手足によって叩き込まれた。

 だが、体格差があるため一発でKOというわけにはならず、再び立ち上がっては武器を構える。


『いや、ちまちま相手にするのはめんどくせぇ───一気に片をつける』


 少年の足元から黒い水溜まりが生まれた。

 底など見えない、沈めばどこまで沈んでいくのかが予想できない。

 そんな水溜まりから、今度は無数のが生まれた。


「な、なんだごりゃァ!?」

「こいつ、魔術師か!?」

『綺麗で奇抜だろ? 伸ばすための手がこんなにある……楽しい楽しいおままごとも、これならちゃんと全員纏めて付き合ってやれるよなァ?』


 不気味な現象に驚愕し、怯え始める男達を無視して少年は獰猛に笑う。


『さぁ、その手で縛れ! か弱い女の子の自由を奪う輩には縛りを設けろ! 自由こそ、俺が魔術師であらんとするための理想だ!!!』


 ───シバリ、と。


 少年がそう口にすると、男達の体に無数の手が伸びた。

 手、足、頭、首。ありとあらゆる部位を掴んだ手は、そのまま勢いよく馬車の壁へと叩きつけ、今度はその壁を突き破って地面へと思い切り叩きつけた。


「〜〜〜ッ!!!」


 あちかこちらから、声にならない悲鳴が聞こえてくる。

 馬車の壁は外の景色を映し、その穴から叩きつけられた男達の様子が見えた。

 運悪く臓物が飛び出てしまっている者、運がよく血を流す程度で終わっている者。更に運がよく、生きながらえている者───子供に見せることを憚られそうな絵図が広がる。


 ───その場にいた少女は、それまでの光景を見てどう思ったのか?

 安心? 恐怖? ざまぁみろ? いや、どれも違う。


『馬車は縛っておいたから横転する危険もねぇ。さっさと帰ろうぜ、こんな場所でダンスを踊るわけにもいかんだろうからな、煌びやかなシャンデリアがお嬢さんを呼んでるよ』


 ───嬉しかったのだ。

 身の危険がなくなったことに対してではなく……自分と、同じ場所にいてくれそうな人が現れてくれて。

 ゆっくりと、自分の縄を解いてくれている人であれば、私に寄り添ってくれるのではないか、と。


 少女は布切れを取ってもらったタイミングで、口を開いた。


「あなた、は……?」

『ん?』

「……私に、?」


 それでも、どこか不安は残っていて。

 縋るように、現れた少年のお面を見つめた。

 すると───


『それでお前が幸せにいられるのなら。望む時に、望む場所で寄り添ってやるよ。それが『自由』ってもんだろ?』


 ───少女の瞳に、涙が伝った。

 あぁ、よかった。

 寄り添ってくれるのね、と。

 今までにない気持ちを抱きながら、少女は端麗すぎる顔に笑みを浮かべた。


 こんなにも寄り添ってくれる人がいるだけで嬉しいなんて思いもよらなかった。

 自分ですらこうなのだ───きっと、誰もがそう思ってしまうのではないか。

 そして、もし自分が抱いた気持ちを知ってもらうのであれば、教えてくれた人に返してあげたい───少女の胸の内に、何故かその想いが湧き上がる。


「ねぇ、あなたは誰……?」

『お面をつけている時点で察しろよ、知られたくないんだよ。迷子探しも、匿名ボランティア活動の一種だ』

「……そう」


 ───それはダメだ。

 それでは、自分はきっと心の底から寄り添えないと思う。

 故に、少女は手を伸ばした。


「ねぇ、お願い……」


 伸ばされるとは思っていなかったのか、少年の止めようとする手は少し遅い。








「私に、寄り添わせて」


 そう言って、少女───カルア・スカーレットは、『影の英雄』と呼ばれる男のお面を取った。


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