聖女は嘘が苦手
教会に所属している人間は全員が全員、善人だというわけではない。
先の襲撃者の件もそうだろう。誰かしら心に悪を抱え、そういった悪事を働く人間もいる。
しかし、それは仕方のないことだ。
本当に善人ばかりが集まる集団あのであれば、それは宗教団体というよりもカルト集団だ。
人が人である以上、信仰している者がいても人という味が生まれてしまう。
一喜一憂し、周囲に隠そうとしている欲を抱え、人らしい生き方に性格が寄る。
嘘だって吐く、悪いことだって考えてしまう、清らかな身で一生を終えることなどしない。
───それが、人間だから。
しかし、清く善人であろうと思う人間は多く所属しているのは事実だ。
たとえば、フィルの横にいる聖女。
人の身でありながらも女神の恩恵を受け、癒しという賜った力で人々を救う。
その癒しは、治癒に特化した魔術師であれど敵わないという───それほどの力を賜った少女は、常にこう考える。
『誰かを救う力を女神様からいただいた。ならば、誰かを救おう。困っている人を助けよう。困っている人を救うのだから、困らせたらダメだ』
───この思いこそが、清廉潔白、純真無垢たる彼女を構成している。
かといって、今までに嘘をついたことがないのか? と言われればノーと答えるだろう。
始めの話に戻るが、聖女とて一人の人間。嘘だってつく。
だが、これまでの人生───嘘をつくことはあまりしてこなかった。
つまり……彼女は嘘をつき慣れていないということだッッッ!!!
「(あぁ……終わった。よく考えたら、聖女って策謀云々関係を期待したらダメな人種じゃんよ。これって何も知らない子を賭博に連れていくのとおんなじじゃん。一瞬にしてお金がパーになるやつじゃん)」
「(……ごめん、流石に私も失念していたわ)」
フィルは再び天井を仰ぐ。
彼女は彼女なりに役に立とうとしてくれていたのだ、責めることなどできない。
責めるべきは自分───明らかに人選ミスだ。
バリバリの戦場最前線に文官一人を派遣するような、壊滅的な判断ミス。
「なるほど、そうですか」
にっこりと、目を点にしていたニコラはすぐさま笑みを浮かべる。
フィルからしてみれば、その笑顔は餌を見つけた猛獣と同種のものに見えた。
「……本当に?」
「そ、そそそそそそそそうですよ!?」
あ、ダメだ、と。
フィルはついに、両手で顔を覆ってしまった。
「フィ、フィル様は『影の英雄』様ではありませんっ! 私を助けてもくれませんでしたし、黒装束もお面も持っていませんし、私の目の前で『影の英雄』様が使っていた魔術も見せてくれませんでした!」
「なるほど、フィル様は聖女様を助け、黒装束やお面を所持し、あなたの目の前で『影の英雄』が使っていた魔術を見せた……ということですね?」
「ち、違いますもんっ! 他にも───」
「やめるんだ! これ以上墓穴を掘るのはよろしくないっ!」
フィルは慌ててミリスの口を塞いだ。
誤魔化そうと意気込んでいたはずなのに、誤魔化しきれない場所に立たされている現状に涙が溢れてしまいそうだった。
「ふふっ、どうにかしてフィル様が噂の『影の英雄』様かどうか確かめようとは思っていましたが……安心しました」
「えーっと……ちなみに、何に安心されたのでしょう?」
「お父様にいい報告ができます」
「カルア! 今から家出の準備だ! 俺はサレマバートの名を捨てる!」
「落ち着きなさい、まだ面白おかしな馬車馬にされるか分からないんだから」
部屋を飛び出そうとするフィルの首根っこを掴むカルア。
その顔には、主人のような絶望めいたものはなく、呆れ混じりのようなものであった。
「そうよね、ニコラ様?」
「えぇ、王家としても今のところは何かをしようとは思っておりません。単純にご挨拶です♪」
「ほら、よかったじゃない」
「今のところは、とか言ってなかった!? 何も安心材料がなかったように聞こえたんだけど、俺の耳がおかしいのかなぁ!?」
「フィル様、もしよろしければ私が治療しましょうか? 私、こう見えても治療は得意なんですっ!」
「でしたらミリス様、耳ではなくフィルの頭を治療してあげてください。きっと煩悩も祓えるでしょう」
確かに、教会の人間であるミリスであれば、常日頃煩悩に塗れているフィルの頭を治せるかもしれない。
そうなれば、きっと真っ当な人間になって自分だけを、と。この騒がしくなった状況に乗っかってさり気なく願望を口にするカルアであった。
「まぁ、冗談はここまでにしておきましょう───あまり下手を打って『影の英雄』様や聖女様の機嫌を損なうことはしたくありませんから」
一人の貴族であり、国仕えるものだとしても、フィルの影響力は今や凄まじいほどになっている。
それは誰彼構わず救ってきたからこそ。
国で抱えるのであれば、これ以上にない
そのことを分かっているからこそ、ニコラは戯れる程度で話を終わらせた。
(初手はここまで……あとはじっくり抱えていけばいいでしょう)
自慢の頭を使うまでもなく、それが最善の判断だと思ったニコラは立ち上がる。
「では要件も済みましたし、私はこれで失礼します。聖女様……もしよろしければ、あなたも生誕パーティーに参加してください。お父様も、きっとお喜びになりますから」
「は、はいっ! 行きます!」
「あ、本当にそれだけだったんですね……」
「ふふっ、フィル様が手紙のお返事をしていただければ私が出向くこともなかったのですよ? せっかく、サレマバート伯爵に「招待状は私が出しますから」とお願いしましたのに」
「いや、招待するだけなら普通に父上経由でもよかった気が……」
「そういう時もありますよ、フィル様。それに───」
ニコラは満面の笑みを、フィルに向けた。
「私、実はあなた様に助けられたことがあるのですよ?」
なるほど、と。
フィルはどうして直接会いに来たのかを理解した。
だからか、誰もが見蕩れるような笑みを受けられても、胸が高鳴るわけでもなく苦笑いを浮かべてしまった。
「き、記憶にございませんね……」
「ふふっ、そういうことにしておきましょう」
では、と。ニコラはぺこりとミリスに頭を下げると、そのまま部屋の扉まで歩き出した。
その時───
「(この度の生誕パーティー、教会関係者がどうやら例年よりも多く参加されるみたいです。その中には普段参加されない上の人間も───どうかお気をつけてください)」
(……ん?)
通り過ぎる際、さり気なくフィルにそんな言葉を耳打ちした。
「カルアも、またお茶会でもしましょう。友人として、楽しみにしていますね」
「えぇ、友人として誘ってくれたら喜んで行くわ」
その言葉を聞いたニコラは今度こそ、客間の扉に手をかけて外へと出て行ってしまった。
時間にして少し。当初予想していた時間よりも早くニコラの訪問が終わってしまったわけだが───
「……詰み」
「あ、あわわわわっ! ごめんなさいフィル様!」
「もう諦めたら?」
結果として、散々に終わってしまった。
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