会合前の下準備

 フィル達が住まう国———ライラック王国には、王家の血を引く三人の少女がいる。


 一人は武に長け、一人は人徳に長け、一人は知略に長けている。


 これから国をまとめる一人の王太子を支える人間として、幼き頃から教育され、それぞれの才覚を示していった。

 故に、ライラックの国民は「将来安泰」という言葉を疑いもしない。


 聞けば、後継争いといった血生臭い話もなく、三人ともとても仲がいいらしい。

 それが国民の安心材料として更に安泰を後押ししているのだろう。

 上が揉めれば、下は不安になる。

 平穏という変わらない日常が脅かされるかもしれないのだ―――飛び火がなければ、皆祭りごとのように平気で王家を持ち上げる。


 持ち上げるからこそ、王家に対する評判というのはすこぶるいい。

 誰もが慕われ、誰もが敬われる。

 もし、そんな人間が自分の目の前に現れたらどうだろうか?

 歓喜し、知り合いや家族に自慢して回ることだろう。


 しかし、フィル・サレマバート―――


「よし、ミリス様……今から外にお出掛けしましょう」

「王女様が来ていますけど!?」


 トンズラしようとしていた。


「いいですか、ミリス様? この前も言いましたが、俺はやむを得ない事情で『影の英雄』だと知られたくないんです」

「理由は分かりませんけど……それはお聞きしました!」

「ニコラ様がわざわざ俺に会いに来たということは、十中八九『影の英雄』に関してのことです。きっと根ほり葉ほり、無理矢理口を開こうと画策し、徹底的に追い込み、最終的に王城へ連れて来させようとするでしょう」

「フィルが手紙を無視したからじゃない?」

「その可能性は無きにしも非ずだ」


 ミリスが初めに通された客間———その入り口の前で、三人はしゃがんだ状態で話し合う。

 周囲に使用人らしき姿は一つも見当たらない。つまり、使用人達はフィルが接待してくれていると思っているようだ。

 実は「どうやって関わらないようやり過ごすか」という一点を話しているわけだが。


「ミリス様が一緒に出掛けてくれたのならば、大義名分はこちらのもの! 聖女様の接待で忙しいという口実を作れ、追い返すこともコップをひっくり返すぐらいには簡単なんだ!!!」

「「待ちます」って言われたら、どうするんですか……?」

「……しくしく」

「わっ、わわっ! ごめんなさいフィル様! 泣かせるつもりじゃなかったんです!」

「メンタルが豆腐のように脆いわね、フィルは。鍛治屋にでも行ってメンタル鋼にしてもらったら?」


 確かに、第二王女が「待ちます」と言えばフィルは手詰まりだ。

 聖女の接待が忙しいとはいえ、一日時間が取れないわけではないのは誰にでも分かる。

 ここでまだ「忙しいんですぅ~」などと口にすれば「会う気がないな?」と思われてしまうことは必然。

 そうなれば、フィルは王家に対して不敬を働いたことになってしまう。


「まぁ、手紙の返事を書かなかった時点ですでに思われてるでしょうけどね」

「違うんだよ、カルアー。俺は書かなかったわけじゃなくて、ミリス様の身を守ることでいっぱいいっぱいだったんだー。俺っちって、要領がいい男じゃないんだー」

「はいはい、言い訳並べてないでもう諦めちゃいなさい」

「嫌よ! 俺は自由に生きりゅ!」

「キモい」

「わぁーお、水平線のように真っ直ぐな罵倒。船に乗った俺の心は沈没ものだ」


 沈没するというわりには、肩を竦め飄々とするフィル。

 意外と余裕が見て取れる。


「まぁ、逃げられないってことは分かったよ……なら、当初の方針通り全力で誤魔化す方向で行こう! このままじゃ、王家のお抱えのMっ気馬車馬になっちまう」

「具体的にはどうするんですか?」

「そこはミリス様に協力してもらいます。具体的には「『影の英雄』だと思っていたんですが、勘違いでした」っていう方針で」


 現在、噂に信憑性が増している大きな要因の一つに「聖女の後押し」がある。

 聖女がわざわざ会いに来たから間違いないだろう―――そうして広まり、噂を耳にして恐らく確かめに来たニコラだが、もしもその信憑性にヒビが入ってしまえば?


 清い聖女が嘘をつくとは思えない。

 それだからこそ、実際に耳にした方を信じてしまう。

 もしもミリスが違うと言えば、王家から「フィルは『影の英雄』ではない」という認識をもらえ、興味をなくすことができるだろう。


「あまり嘘はつきたくありませんが……フィル様のお願いですっ! ご迷惑をおかけし、助けていただいた恩を返すため、私頑張ります!」

「ありがとうございます、ミリス様。ですが、迷惑も恩も気にしないでください……お願いをしているのはこちらの方ですから、お礼というなら私がするべきですよ」

「で、ですが……!」

「そもそも、女の子にお礼をさせるために何かをしているわけではありませんから。というより、何かを与えるのは男の役目です―――恩も、お礼も、も」


 安心させるような笑みを浮かべながら、ミリスの頭を撫でるフィル。

 何か言おうとしていたミリスの口も、少年の言葉によって開いたまま固まってしまう。


「フィル様……」


 更に、上目遣いで見つめる先にある少年の顔を見て、ほんのりと頬が染まっていった。

 そんな姿を見ていたカルアは———


(これだから、フィルは……たらしこむのも大概にしなさいよね)


 羨ましさと少しばかりの妬みを込めて大きなため息を吐いてしまった。

 誰よりも彼の一番近くにいるカルアだが、誰かにその優しさを向けられるのはあまりいい気分がしない。

 このたらしの男がこのままである以上、立場の余裕など皆無に等しいのだから。


「で、であれば……今度、本当にどこか一緒にお出掛けしてくれませんか?」

「お安い御用ですよ、お嬢さん」


 フィルはそう言うと、ゆっくりと重たい腰を上げる。


「カルア、ニコラ様と面識は?」

「まぁ、歳も近かったし、ある程度仲はよかったわ」

「どんな感じの人か覚えてる?」

「噂に違わず知略に長けたお方よ。油断も隙もまったくない感じ」

「ん、そっか……なら、危なかったらサポート頼むわ」

「……膝枕一回」

「今日の夜にでもやってやるよ、そんぐらい。あとでほしいものでも考えとけ」


 拗ねているカルアを宥めつつ、フィルは客間の扉に手をかけた。

 そして———


「無事に誤魔化せますようにっ!」


 そんな願いを込めながら、扉を開け放った。

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