2.アブルム城下町

 こうして、騎士のふりをした賢人王の孫エドアルトと歌うたいの少年コルは、正式に使者となりました。

 エドアルトは、旅の間もアブルム王国の情報が入るように、賢人王から譲り受けていた、昔『森の民』からもらったという『秘宝の鏡』を城の鏡と繋ぎました。

 これでどこにいても、秘宝の鏡と城の鏡を通して、ピエルたちと連絡をとることができます。

 ピエルをはじめ城の者は心配しましたが、エドアルトは無理をしないことを約束し、城をあとにしたのでした。


   ☆


「ここの定食が絶品なんだ。あ~、この味この味」


「わ、ほんとにすっごくおいしい! って、エド。おれたち、こんな所でゆっくりしていて大丈夫なのか?」


 城下町の食堂で、エドアルトとコルは遅い昼食をとっていた。


「焦って行っても仕方ないだろ。まずは腹ごしらえ。次に装備を整えないとね。隣の国っていっても、けっこう遠いよ。途中で何があるかもわからない。支度金もはずんでもらったことだし、準備し過ぎるに越したことはないよ」


 感心した顔でコルが微笑んだ。

「エドが一緒で心強いよ」


「俺も嬉しいよ。こんな風に、誰かとのんびり食事するの、久しぶりだ」

 食べ物を美味しいと思えたのはいつぶりだろう。

 賢人王が姿を消してからは、とてもそんな気分になれなかった。


「ご飯もゆっくり食べられないなんて、騎士って大変なんだね」


「そ、そうなんだ」

 いけない、いけない。失言しないように気をつけないと。


 そう思うものの、ようやく前に進めた開放感で、エドアルトの心ははずんでいた。


「コル、食事がすんだら武器屋に行こう。軽い防具も装備したほうがいいな。今までに剣を扱ったことは?」


「おれ、短剣で小動物をさばくのはできるけど、長剣は持ったことがないんだ」


 コルが戦う剣を扱ったことがないことは、エドアルトには予想通りだった。


「じゃあ魔法士の杖を見ようか」


「え? なんで?」


 きょとんと心から意外そうな顔のコルに、エドアルトの方がびっくりした。


「なんでって、コルは剣じゃなくて魔法を使うんだろう?」


「違うちがう。うたうたいは魔法士とは違って杖は使わないんだよ。あ、うたうたいの中には魔法士みたいに杖で魔法を使える人もいるにはいるけど、おれは魔法カラッキシなんだ」


 そんなに魔力を持っているのに?

 変だ。やっぱりコルはなにか隠しているな。


 しかしエドアルトは口には出さなかった。


「そっか。なら長剣を持っていた方がいい。俺とコルは身長もそんなに変わらないから、俺の使っている剣と同じものなら扱いやすいと思う」


「おれでも使えるかな?」


「教えるよ。俺は王国の騎士だからね」


 護身のため、小さい頃からエドアルトは剣の訓練を受けている。

 聖騎士レックスには敵わないが、聖騎士に並ぶほどの腕前だ。


 胸をはるエドアルトを、コルはマジマジと見つめて言った。


「うーん。エドって、あんまり強そうに見えないんだけど」


「ううっ」


「あ、ご、ごめん。ちょ、それ、おれの肉」


「ダーメ。これは俺がもらう」


 威厳のない容姿を密かに気にしていたエドアルトは、コルのお皿から肉をひとかけ取って食べた。

 いつも聖騎士レックスになにかと理由をつけておかずを取られていたエドアルトは、初めて誰かのお皿からおかずを取ることができて、ちょっと胸がすいた。


 いつもはレックスが俺の面倒を見てくれていたけど、今度は俺がコルの面倒をみるんだ!


 お腹が満たされた2人は、武器屋に向かう道でバザールに出くわした。

 道の両側が、異国からの行商の店でひしめいている。

 独特の熱気と匂い、人の声で、空気まで色付いているようだ。

 2人は泳ぐように、人波をかきわけて進んだ。


「安いよ、安いよ~!」

「彼女にあげたら、感激されること間違いなし! 今なら安くしとくよ!」

「兄ちゃん、どうだい? これなんかよく切れるぜ!」


 思わず呼び声に目を向けた瞬間、エドアルトは対向者に派手にぶつかった。

「おっと、ごめんよ」

「こちらこそ、すみません」


 しばらく歩いてからエドアルトは違和感を覚えた。さっきまで重かった右側が、妙に軽い。


「やられた! コル、支度金、盗られちゃったみたいだ」


「ええっ?」


 2人はすぐにあたりを見回した。

 人、人、人。先程ぶつかった相手が誰かさえわからない。

 犯人を見つけるのをあきらめて、2人はとりあえずバザールを抜けた。


 エドアルトとコルは、比較的人の少ない円形の広場の隅に腰を下ろした。


 樹木の木陰に入ると、コルは自分の財布を調べた。

「おれ、そんなに持ってない。でも、武器や防具は必要なんだよね。うーん」


 悩むコルに、エドアルトは、自分の油断がまねいた結果なだけに、なにも言えなかった。


 格好悪いけど、早くも城に戻るしかないか。

 支度金は、城に戻れば簡単に融通できる。ただ、コルのことを信用できない今、コルと一緒に城に戻って、賢人王の孫だと知られるわけにはいかない。

 なにか理由をつけて別行動をとるとしよう。それらしい理由をなにか考えないと。


 黙りこむ2人の耳に、かろやかな旋律が聞こえてきた。

 顔を上げると、広場の中央で、長い髪を束ねた筋肉隆々の吟遊詩人が、弦楽器を爪弾いている。

 やがて低い中に甘さのある声でうたい始めた。


 へぇ。不思議な曲だな。


 歌詞は、エドアルトの知らない言葉で、意味はわからない。

 エドアルトは、初めて聞くのに昔話のような懐かしさを感じるメロディに、思わず聞き入っていた。


 そんなエドアルトの隣で、コルはいきなり立ち上がると、うたいだした。

 すぐにコルの歌声に気づいた筋肉吟遊詩人が、すぅっと声を落としたかと思うと、コルに笑顔を向けて、再びうたい始めた。


 なんだ? 歌詞で言葉遊びでもしているのか?


 2人は合唱するのではなく、交互に、まるで会話するようにうたっている。


「これ、どこの言語だ?」

「古語みたいだけど、ちょっと違うみたいだねぇ」


 2人のうたう歌詞は今使われている公用語ではないので、周囲にいる多国籍な人たちにも意味はわからないようだ。


 あの吟遊詩人はコルの知り合いなのか?

 うたうたい同士、歌で挨拶する決まりでもあるのか……あ、いや、これは本当に会話になっている?


 よくよく聞いていると、歌詞自体には古語が使われているとわかった。


 何度も繰り返される歌詞に、どこか聞き覚えがあるなとエドアルトが意識してみると、古語の単語を正しい文法ではない順で並び替えていただけだった。古語自体は、ふた昔前に大陸全土で使われていたので、知っている人は今でも話せる。エドアルトは賢人王と一緒にいるうちに話せるようにも読み書きもできるようになっていた。


 法則がわかると歌詞も理解できた。

 エドアルトが2人の歌詞を並び替えながらきいていると、吟遊詩人の問いにコルが答えたり、吟遊詩人の言葉にコルが問いかけたりしているのがわかった。


 探している

 何を? 


 素敵なもの

 見つかったの?


 見つからない

 どうするの?


 探すのさ、ずっと いつまでも


 旅に出るんだ

 どこに?


 外の国へ

 何のために?


 それは内緒

 教えてよ


 大切なもののために 行くんだ


 どうやら吟遊詩人は素敵なものを探しているらしい。コルは大切なもののために旅に出るとうたっている。おそらく使者のことだろう。


 ふぅん。こうやって堂々と情報のやりとりができるあたり、やっぱりコルはあやしい。……でも、演奏と2人の声は素晴らしいな。


 コルのどこまでも伸びる声と、吟遊詩人の低く甘い声、郷愁を誘う音楽が、エドアルトの耳に心地良かった。


 もっと聞いていたかったが、2人の声はからまって優しい余韻を残して終わってしまった。一瞬後、拍手がわいた。


「いいぞー。もっとうたってくれ」

「今度は知ってる曲にしてちょうだい」


「それじゃあ」

 筋肉吟遊詩人はコルに目配せすると、甘い旋律をかなでだした。


 この曲はエドアルトも知っている。大陸で大流行している恋歌だ。

 誰もが知っているだけに、歌い手の能力が明白になる。


 コルがどの程度の歌うたいか、お手並み拝見だな。


 冷静なエドアルトの耳に、吟遊詩人の声と重なって、深く澄んだ、でも甘やかな声が飛び込んできた。


 これをコルが?


 思わずエドアルトはコルを見上げた。

 頼りない少年はそこにはおらず、自信に満ちた歌うたいがいた。

 恋歌のせいか、表情もどこか艶っぽい。

 ななめ下から見上げ続けるエドアルトに気づいたのか、コルは視線を落としてはにかんだ。

 目が合ったのは数秒で、コルはすぐに客に向き直ったが、その一瞬に、エドアルトは縫いとめられたかのように、コルから目が離せなくなった。


 気づいた時にはもう恋歌は終わっていて、頬を染めたコルが目の前にいた。


「もー、エド。そんなにマジマジ見るなよ。恥ずかしいだろ!」


 エドアルト自身、見とれていた自分に動揺していて言葉が出てこない。

「あ、あぁ。歌、うまいんだな。って、当たり前か。歌うたいだもんな」


 コルの顔が曇った。


 しまった。褒めるにしても、もっと言葉を選ぶべきだった。

 エドアルトが言い直す間もなく、


「なぁ今度は俺の国の歌をうたってくれよ」

「その次でいいから、私の国の歌もお願いするわ」

 いつの間にか広場に集まってきた人たちから、たくさん希望がよせられていた。


「はいはーい。順番にうたうからねぇ」


 筋肉吟遊詩人が希望を整理して音楽をかなで、吟遊詩人とコルがうたいだす。

 豊かな音の波に、いつしか広場は人でいっぱいになっていた。


 今だ。今なら1人で城に行ける!

 そう思うのに、エドアルトは動けなかった。

 せめてこの曲が終わってから。いや次の曲を聞いてから……。


   ☆


「はーい。今日はこれが最後でーす。たくさん聞いてくれてありがとー!」


 結局、エドアルトが立ち上がれないまま日が暮れていた。

 しかしそれを不満に感じることもなく、エドアルトは不思議な充足感で満たされていた。

 それは、他のお客も同じようだった。


「素敵だったわ」

「また頼むよ」


 満足したお客たちが、思いおもいに吟遊詩人とコルに声をかけ、お金を置いていった。

 人の波が引いてようやく、エドアルトとコルは吟遊詩人に近づけた。


 コルは客からもらったお金を、吟遊詩人に差し出した。

「すみません。ことわりもなく一緒にうたってしまって。迷惑じゃなかったですか?」


「とぉんでもない。芸術神ムーサの美しい声が聞けて嬉しかったわ。アタシ、今日ここでムーサと出会うために今まで旅してきたんだって思ったくらいよ」


 大きな武器を軽々と振り回しそうな立派な体格の男性が、おもちゃみたいに小さく見える楽器を片手に、頬を赤らめて無邪気に破顔した。


 そんな筋肉吟遊詩人の惜しみない賛辞に、コルも顔を赤くした。

「ありがとうございます。あの、褒めすぎですよ」


「そんな謙虚なところも素敵よ、ムーサ。そうそう、これはぁ」

 筋肉吟遊詩人は、コルが差し出したお金を受け取り、吟遊詩人が客からもらったお金と足して半分にするとコルに返した。

「はい、どうぞ。ムーサのおかげだからね」


「いいんですか?」


「もちろんよ。ねぇムーサ、これからもアタシと一緒にうたってくれない? さっきアタシが言ったことは本当よ。今までずっと、一緒にうたう相手を探して旅してきたの。アタシ、ムーサと旅がしたいな」


 筋肉吟遊詩人の存在感に圧倒されていたエドアルトは、その申し出に我に返った。


 賢人王の孫であるエドアルト1人で使者になることは許されない。

 もしコルが吟遊詩人に頷けば、始まったばかりの使者の話は無くなってしまう。

 城を空けず、ピエルたちに心配をかけなくてすむ。

 新たな使者を探さなくてはならないが、ふりだしに戻るだけだ。


 それだけじゃないか。なにを動揺する必要がある?


 知らず息をのむエドアルトの前で、コルは迷うことなく答えていた。


「ごめんなさい。おれは今、アブルムの使者なんです。気持ちは嬉しいんですけど、一緒には行けません」


「使者ってあの? 聖騎士の代わりがアナタなの?」


「正確には『おれたち』です。おれとエドが使者なんです。ね、エド」


 笑顔で振り返ったコルに、慌ててエドアルトは頷いた。


「ふーん。なんだか頼りなさげな騎士クンねぇ。いいわ。アタシも一緒に行ったげる。ムーサに万が一のことがあったら困るもの。大丈夫よ。アタシ、見た目通り頑丈だから、ムーサの盾くらいにはなれるわ。それでね、使者が終わってからでいいから、アタシとのこと、真剣に考えてくれるかしら?」


「ええっ……」


 困ったようにエドアルトを見るコルの前に、筋肉吟遊詩人は入ってきた。


「騎士クンもいいでしょ? 旅は大勢のほうが楽しいわよ。アタシはテオ。よろしくね、ムーサ、騎士クン」

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