軽んじられた存在
昼下がりの空は、風が舞い上げた砂埃のせいでぼやけている。
部活動の時間、ぼくはいつものように球拾いをしながら、コートで練習する部員たちの背中をぼんやりと眺めていた。
ぼくの通う中学校では生徒は皆、部活動への参加が義務づけられている。無所属の帰宅部は許されていない。
野田芳樹は、彼の高校生のお姉さんも以前、剣道部だったという理由で、おなじ剣道部に所属していた。ぼくもそれに倣おうとしたが、剣道部の顧問がとても厳しいという噂を耳にして尻込みした。結果、軟式テニス部に入部した。これといって理由はない。野球やサッカーに比べれば爽やかそうなイメージがあったからだ。
ほんとうは部活なんてやりたくなかった。ましてや運動部なんて。かといって文化部に入る勇気もない。うちの学校には文化部に所属するのは、女子とオタクだけという偏見があったからだ。男子の文化部員は侮蔑の対象だった。(いま思えば、ぼくの存在自体が侮蔑対象なのだから、けっきょくどこへいっても扱いは同じだし、そんな些細なことをいちいち気にする必要もなかったのかもしれない)
一年生のときは球拾いなんかあたりまえだけど、ぼくは二年生に進級し、三年生の先輩たちが引退しても、新しく入部してきた後輩といっしょに惨めに球拾いを続けていた。先輩としての威厳など微塵もない。
いくら練習してもうまくならない。そもそも球拾いばかりで、ほとんど練習させてもらえなかった。
部活内には順位があり、練習させてもらえるのは上位の生徒たちだけだ。まともに練習させてもらうには、毎週日曜日に行われる部員同士の試合で勝ち続け、部内での自分の順位を上位にあげなければならない。
しかし、そんなことは無理におもえた。ぼくはほかの連中が練習している間、延々と球拾いなのだ。そんなことでは、もともと運動音痴だというのに、上手い人間との差はひろがるばかりで、いざ日曜日にそういった連中と試合をしても勝てるはずがない。
さらに部活内には誰が決めたのか、欠席をした者はひとつ順位が下がるというルールがあった。ぼくは自分のクラスメイトとおなじく、テニス部員にも軽んじられていた。そのためぼくに対してだけそのルールがいたずらに厳格で、集合時間に一秒でも遅れると問答無用に順位を下げられ、しっかり参加していたにも関わらず、「あれ? きのう休みだとおもってた。影、薄いね」というひとことで欠席扱いになり順位を落とされ、あげくにはかけ声がオカマみたいで気持ちが悪いからという理由で順位を下げられた。
それでも諦めず、家に帰ってからもひとりラケットの素振りや壁打ちなどもした。おかあさんに手伝ってもらったこともある。部活のない休日に校庭のテニスコートで、自分とおなじく順位が下位の部員といっしょに練習したりもした。ただ、効果は芳しくなかった。
ある日曜日、その部員といっしょにテニスコートを使って練習していたときだった。校舎から声がきこえた。そちらに視線を向けると、二階の職員室の窓からテニス部顧問の三上先生が顔を出していた。
てっきり部活のない休日にも自主練習するぼくたちを見て、なにかうれしい励ましの言葉でもかけてくれるのかと期待した。
だが、彼の口から出た言葉は思いがけないものだった。
「おいっ、おまえら何やってんだ! コートを汚すんじゃない! 出ろ!」
三上先生は吐き捨てるように怒鳴ると、ぴしゃりと窓を閉めた。
ぼくはネットをはさんで彼と顔を見合わせた。
コートを汚すなとはどういうことだろう。ぼくたちは練習が終われば毎回きちんとコートを整えて帰っていた。ぼくたちみたいな生徒はコートを使うなということだろうか。
彼は意味のない気弱な笑みをくちびるにはりつかせて、「やめようか……」といった。
その教師の言葉ではりつめた糸が切れたようだった。真面目にやるのが馬鹿馬鹿しくなり、部活に身が入らなくなると、たちまち後輩たちにも順位を抜かれ、挙句、彼らに陰で嗤われるようになった。
その後、引退したときに貰った後輩たちからの寄せ書きなんてあからさまで、『高校へ行ってもタマひろいガンバッテください』や『ていうかその知能で高校なんて行けるんですか?(笑)』などという言葉が、ペンを握るのさえ億劫だという筆跡で殴り書きされ、あきらかに悪意のあるぼくの似顔絵が色紙の半分を占領していた。その似顔絵にはふきだしがあり、『死にたいよー!』とあった。
「ふうん、意味わかんねえな」
野田芳樹は駄菓子のビッグカツをスルメイカでも食いちぎるようにたべていた。
その日の放課後、ぼくたちは黒田屋にいた。店外に設置された木製ベンチに並んで座り、ベビースターのカップ焼きそばを食べていた。ぼくがカレー味で、野田はソース味。
ぼくは彼に、先日の席替えの話を聞かせていた。小山田に理不尽に席を奪われたあげく、担任の加賀先生に怒鳴られた件だ。
こういうことを他人に話すと、たいてい「ホントにそういったの?」だとか「おまえもなんか怒らせるようなこといったんじゃないの?」とか、こちらにも非があるはずだと言わんばかりで相手にされないのだけれど、野田は違った。彼は全面的にぼくのことを擁護してくれている。ただそれだけで救われるような思いだった。ぼくはうなずきながら、そんなともだちの顔をみつめた。
いいやつだな、としみじみとおもう。
小学三年生からの付き合いの野田芳樹。デブでメガネ。ぼくとおなじく、クラスの中で所謂オタクと呼ばれるすこし冴えないカテゴリに属する人物だ。だけどぼくと違って、その外見とは裏腹に彼は自分に自信をもっていたし、決しておとなしいだけじゃなかった。だからだろうか、ぼくのように弄られたり、からかわれたり、いじめられたりすることは少なかったようにおもえる。
なめられちゃだめなんだ。
いつか野田が言ったことがあった。
「おれたちみたいなやつらは、絶対になめられちゃだめだ。そこからどんどんつけ込まれていくからな。つねに堂々とな。それはおれたちみたいなやつだからこそだ」
彼のいうとおりだった。
いつも強気で自信を持てたらとおもう。もっとしっかりしていれば、誰にもからかわれないはずだ。小山田にだって勝手をされなかったのかもしれない。
「まあ、馬鹿のことなんか気にすんなよ」
野田はにっこりと歯を剥きだして笑った。「そんなやつ、いまにきっと酷い目にあうって。因果応報だよ」
さわやかというには程遠い、ちょっと暑苦しい笑顔。彼は瓶コーラをいっき飲みし、盛大なげっぷをした。
やきそばを食べ終えると駄菓子屋を出、自転車でとなり町へ向かった。いつものように書店、カメレオンクラブをめぐり、ゲームセンターで『電脳戦機バーチャロン』をプレイした。それから、マクドナルドで休憩する。
この店舗は客席が二階にあり、ぼくらは窓際のカウンター席に並んで座っていた。
マックシェイクをすすりながら、ゲーム・アニメ談義。
野田が『ときめきメモリアル』のオープニングテーマを恥ずかしげもなく歌い、ぼくはそれに笑っていた。笑いながらなにげなく窓の外へ視線を向けた。
そこに見知った人物を認めた瞬間、浮かべていた笑顔が引き攣り、まるで潮が引くように消えていく。
自転車を押して歩く男子の姿。
小山田慧だった。
しかもそのとなりには、水谷紗希子の姿もある。彼女は徒歩だ。
ふたりは並んで歩き、なにやら楽しげに会話をしている。小山田がおちゃらけるようにそっぽを向くと、水谷さんは満面の笑みで彼の腰に触れ、その顔をのぞき込む。顔と顔が接近する。そのままくちびるが触れ合ってしまうのではないかと思うくらいに。すると、小山田が態とらしくよろけて、ふたり楽しげに笑いあう。じゃれあっているようだ。
そんなしあわせそうなふたりの姿が、無声映画の一場面のように通り過ぎていった。
「どうした」
野田の声がきこえる。
ぼくは絶句し、ゼンマイの切れたおもちゃのように固まっていた。
家路を自転車で走りながら、野田がたのしげにしゃべっている。だけど、ぼくの耳にはほとんど届いていない。
ぼくの席を奪ったあの日から、小山田慧は日々着実に水谷紗希子との仲を深めているようにみえた。ふたりの楽しげな声が響くたび、居ても立ってもいられない。かといって、自分ではどうしようもできないジレンマ。本来ならばあんなふうに彼女とたのしく笑いあっているのは自分だったかもしれないと思うと、くやしくてたまらなかった。
だから、なかよく会話しているのは席が隣同士だという理由だけで、教室を出てしまえばただの同級生、ともだちでも、ましてや恋人でもない。そう思い込むことでどうにか溜飲を下げていたのだ。
しかし、さきほどの光景は決定的だった。まるで恋人同士のように親しげだったではないか。
うわの空で自転車を漕いでいると、不意にまばゆいヘッドライトに射抜かれた。クラクションが響きわたる。はっと息を呑んだ次の瞬間には、すぐそばに黒いワンボックスカーのボンネットがあった。
路地の曲がり角から、いきなり自動車が飛び出してきたのだ。こちらも注意散漫になっていたこともあって、危うく轢かれてしまうところだった。
「なにやってんだ、くそガキ!」
男の罵声が飛んできた。青みがかったヘッドライトの逆光でその姿はよくみえない。
ぼくはあわてて「すいませんっ」と謝った。
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