第30話 紺藤祐実の日常、再び②
「そう言えば、例の四人組も学校来てたな。知ってたか?」
勲が思い出すように言う。夏希をいじめていた四人の生徒たちのことだ。井浦に最初に精神汚染の攻撃を受けていた彼らもあの日、汚染が浄化されたようだ。
「そうだったんだ。じゃあ、井浦君のアフターケアは上手くいったってことだね」
「みたいだな」
二人は並んで歩く。
「あのさぁ、勲もあの時、井浦君の精神汚染は受けなかったの?わたしが起きた時には勲も起きてたし、全然大丈夫だったの?」
「全然。平気へーき」
いつもと変わらない、元気な勲だった。あまりにも変わりがない。それが逆に何か気になるような。そんな気がした。
「あの時、勲のヘッドホンがキラキラ光ってるの見た気がするんだけど、それって光るの?」
何かが引っかかっている気がして、思いつくままに祐実は訊ねた。
「これか?」
勲は首にかけていたヘッドホンを外してみせた。
「別に光りはしねぇよ?なんか反射して光って見えたのかもな」
受け取って祐実はヘッドホンを手で回しながら眺めた。どこにも異常のないヘッドホンだ。
「なんで勲は高校入ってから、これ着けるようになったの?」
ヘッドホンを返しながら訊く。
「お洒落じゃん。こういうの好きなんだよ」
彼がそれを着け始めた頃にも同じように訊いたっけと祐実は思い出す。そしてその時も彼は同じようなことを言って答えたのだった。それを思い出したところで、祐実はやはり引っかかているものが、何なのか掴めずにもやもやしてしまう。
「何だっけかなぁ…」
「何が」
「う〜ん、何かを勲に」
呟きながら、自分が何を気にしていたのか、朧げに輪郭が見えてくる。
何かを、勲に。物ではなく。
「…
ぽつりと声がこぼれた。
「ん?」
勲が聞き返す。
「勲は、言った通りだったね」
「何が」
不思議そうな顔をして勲が聞き返す。
「離さなかったんだよ、引手を」
「何の話だよ」
勲は次第に困ったような顔になっていく。
「ちょっと前に勲が言ってたじゃん。引手を掴めば絶対負けないって。絶対離さねーとかって」
「あ、ああ。言ったけか、そんなこと。それで何でいきなり引手の話になんだ?」
「だって、わたしが井浦君の精神攻撃にあってる時に、勲が引っ張り上げてくれたじゃん。引手伸ばせ!って」
祐実は伸ばされたその腕、手首に白いテーピングがされていたのをはっきりと覚えている。
「精神攻撃の時って、幻覚か夢かを見てたんだろ?そういう夢を見てたんじゃねえのか」
自分には覚えがないと言いたげだった。
「えーでも慥かに腕掴まれた感触したよ。本当に死にそうだったんだし」
「まぁ、実際紺藤は助かったんだし、お前が無事ならそれで良いけどさ」
「うん、まぁそうだね」
でも。
「ありがとう、勲」
あの洪水の中から引っ張り上げてくれたのが、たとえ勲本人でなくても、祐実の中のイメージであっても、彼が祐実を助けてくれたことには変わりはなく、やっぱりそのお礼は言いたかった。
「…ん」
短く、少し照れたように勲は応えた。
傾き始めた日が、直に来るであろう真夏を感じさせるように、暑かった。
「コンビニでアイス買ってこうぜ」
珍しく勲の方から買い食いを誘う。
「賛っ成!」
勲の提案に、祐実もすかさず同意した。
駅の近くにあるコンビニでアイスを買い、東坂駅へと向かった。
電車は出たばかりで、次が来るまでしばらく時間がある。
二人はベンチに腰を下ろすと早速アイスの袋を開ける。勲はソーダ味のアイス、祐実は値段高めのクリスピーサンドのアイスを頬張る。
ひんやりしたアイスは口の中でしっとりと溶けて、ひと時の涼を与えてくれる。
「お前、金持ってんなぁ」
「ほらバイト代入ったでしょ?それに一段落した感じだから」
ちょっとした自分へのご褒美みたいなものだと、祐実は言った。
「OLみたいなこと言ってらぁ」
「女の子は何歳でも気持ちは一緒なのです」
「ふーん。あれ、そう言えば進路調査のやつ、紺藤は結局書けたのか?」
祐実が進路をどうしようか散々悩んでいたのを勲は思い出した。
「書いたよ。なんとか」
井浦の一件で休校が続いて、その間に色々考えて、今日になってやっと提出した。
「へぇ。で、なんて書いたんだよ」
「秘密。教えない」
「おいおい。俺のは教えたじゃねぇか。教えろよ」
「いやだ」
「命の恩人だろ俺は。そのくらい教えろよ」
「言わない。でも、今回のことで色々感じてさ、何かこう、人のためになるような仕事を目指そうかなって。だからそういう資格取ったり、勉強できるところ書いといた」
少し照れたように祐実は言った。
「井浦を助けられたのが、嬉しかったんだな」
時々、勲は核心をつくようなことを言う。以前にそう言ってやると勲は、紺藤が分かりやすいだけだと謙遜した。顔に出やすいのは祐実自身も自覚しているつもりだが、そんなにも分かりやすいものだろうかと思ってしまう。
「まぁ…そんなところ」
井浦に「ありがとう」と言われたとき、何気なく受け止めていたその言葉が、今にして思うと凄く嬉しく思えたのだ。感謝された時の言葉にできない満ち足りた気分、幸福感、達成感などと呼ばれるそれは、自分自身を認められたように感じる。ほんの一瞬で、井浦から言われた一言は、何もなく面白みもないモノクロに見えていた自分が、カラフルに彩られたような心持ちにさせてくれた。感謝されたいからというわけではなく、自分を認めてくれる、必要とされる、そんな働き方や生き方を選んでみたいと祐実は思う。
それ以上、勲は訊いてこようとはしなかった。
「紺藤はさ、自分のこと何もないとか言ってたけど、そんなことないと思うぜ」
前にもどこかで聞いた言葉を勲は言った。
「紺藤は自分で思っているよりも、すげぇ奴だと思う。で、自分で思っているよりも色んなもの持ってんだよ。それが形になるかどうかはさ、多分、紺藤次第なんだろうけどでも紺藤ならきっと大丈夫だ」
珍しく勲が雄弁で、おお、と祐実は感嘆した。
「勲どうした?大丈夫?変な物食べた?」
「良いこと言ったんだから、たまには褒めろ」
そうやっていつものように砕けたやり取りをしていると、電車が到着した。
乗ろうとして、忘れ物をしたから学校に戻ると勲が言った。
「じゃあな」
勲が片手を振って祐実を見送る。
「じゃあ、またね」
祐実も手を軽く振って返す。
いつもの何気ないやり取り、いつも通りの日常だった。
いつもと変わらないような一日。それでも祐実は少し変わった。
これからも少しずつ変わっていく。何もない持たざる者から持つ者へと変わっていく。
ドアが閉まり電車は走り出した。
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