第12話 動く助手、蠢く探偵②
茂木探偵は焦った。
あのガキ共は…と口の中で小さく毒吐く。探偵の真似事をして楽しんでいるのだろうが実際のところは、みささぎ駅に着くまで気づかずにいた。なんとなく尾行されるだろうと思っていたから電車に乗るまでに遠回りもしていた。ただそれは相手を祐実たちではなく、敵対勢力の人間だと想定してのことだった。それにしても子供だと油断してしまった自分がアホらしい。経験者ではないだろうが距離の取り方がなかなか上手かったといえる。こちらに気取られないように距離を保って東坂駅まで付いて来られたのは、初心者にしては上出来だった。素直にそう褒めてやりたい気持ちと余計なことに首を突っ込んでくるなよ、というぼやきがいっぺんに出てきた。
学校に用があったが、その前に二人を撒いておく必要がある。
「ついでだから、まあ良いが」
校門を通り過ぎ、角を曲がる。そうして彼らから数秒、ほんの二、三秒で良いから姿を見えなくさせなければならない。角を曲がった先で目を閉じ意識を集中させた。
次に目を開けた時にはそれまで見えていた風景が変わっていた。アスファルトの道路や規則正しく並んだ街灯はなく、殺風景なコンクリートの床にプレハブのような四角い小さな小屋。鉄製のドアは階下へ続く出入り口だろう。見上げれば星の全く見えない夜空。見渡せばそこが建物の屋上であると分かる。
校舎の屋上だった。遠くに街の明かりが見え、電車が走る音や自動車の走る音が小さく響いてくる。屋上の縁まで来きて下方の様子を見る。先ほどまで自分がいた場所だ。見慣れた制服姿の男女がフェンスの向こう側で立ちすくんでいる。二人はそのうちに踵を返して歩いて行く。屋上にいる茂木探偵にもそうと分かるほどに少女の方はあからさまにしょんぼりした様子だ。二人は駅へと引き返すようだ。
ふう、と茂木探偵は息をつくと肩に下げていてバッグから缶を一つ取り出した。早々にこれを飲まなければ。そう思っているそばから“それ”は来た。胃の奥からこみ上げるようにやってくる嘔吐感、それに伴う激しい頭痛。冷や汗が条件反射のように噴き出す。片膝をついてその場にうずくまりながら、缶ビールにも似たそれを開けて一気に
やがて意識は明瞭さを取り戻し、嘔吐感や頭痛も掻き消えた。
茂木探偵は立ち上がると、大きく深呼吸した。一気に職員室内に入り込めなかったのは辛いが、あの二人を急いで撒かなくてはならなかったので仕方がない。焦るとやはり精度が落ちてしまう。彼の特殊に備わった能力、瞬間移動の使用できる範囲なら今いる校舎の二階にある職員室へ移動できたはずだったが、わずかな焦りで制御がぶれてしまい屋上へと移動してしまった。
目をつぶり、開ける。屋上の風景はそこにはなく、深閑とした部屋だった。事務机がいくつも並び、あちこちに書籍やファイル、書類が積み重ねられ、大きな部屋の前後の壁にあるホワイトボードや壁際に並んだキャビネットにはメモやプリントが貼られ、スケジュールなどが書かれてある。雑然とした大部屋。普段は遅い時間帯まで誰かしら教員が残業しているのだが、今日だけは特別だった。教職員を対象にした会合があり、そちらに教員は皆出払っているのだ。そのことを知っていたが為に、今日まで目当ての作業はできないでいた。
ぐるりと見渡して、茂木探偵は暗い部屋の中、机の上を少しずつ物色しながら移動していく。やがて「ここだ」と呟き、その机の引き出しを音を立てずに静かに開けて行く。一番下の大きな引き出しに収められたファイルを取り出す。「2年1組生徒連絡表」と印字されたシールが貼られている。
それをぱらぱらとめくり、あるページで指を止め、じっと見入る。また指を動かすと別のページでじっとそこを凝視する。やがてファイルを元に戻し、引き出しも開けた時と同じように静かにしまった。
頬を何かが空気を切り裂いて飛んできた。パンと音がして茂木探偵が目をやると、そこには白いチョークが一本、机の上に突き刺さっていた。
「いけませんなぁ~勝手に職員の机を物色されては」
妙に嫌な、粘着質を感じさせる声がした。茂木探偵が後ろを振り返ると三メートル程離れたところに小太りの中年男が立っていた。大きくはない背丈のわりに顔が大きく、見開いたような大きな目つき。右手で白いチョークを遊ばせている。左手にはチョークが入った箱。
(ここの教員か―。只者ではない…おそらく)
組織の調査員として生きる自分に対して、気配を悟られずにこの距離まで詰めてきたこの男を、常人ではないと茂木探偵は即座に理解した。と同時に警戒心をぐっと高める。
(逃げなくては)
目的はある生徒たちの個人情報の取得。全部ではないが手に入れている。ならばここは無用な戦闘は避け離脱の一手のみ。そう茂木探偵は瞬時に決断する。
「探し物があれば一緒にさがしますよぉ」
顔の大きい中年男―浅木教師はいつもと変わらない口調と、さらには笑顔で片手を振った。凄まじい速度と共に。バン!バン!と鋭い打撃音がして、茂木探偵の足元にチョークが二本、ぱらぱらと砕けて落ちた。
「痛ってぇ~」
茂木探偵が唸った。咄嗟にボクシングのように両腕で上半身をガードしたものの、その腕にチョークが直撃した痕がくっきりと付いていた。
「ほぉ、硬度を強化したんですがなかなかの防御力ですなぁ。腕を
浅木教師の目がさらに大きく見開いた。薄暗い職員室の中でそれは、獲物を狩るトラのように見えた。そして
(間髪無く攻撃してくる…俺の能力がばれているか?)
対立する“同盟”に間諜、つまりスパイを潜り込ませているのと同様に、相手側の間諜が自身が属する“財閥”にもいたとて不思議はない。だから自分の正体がばれている可能性も捨てきれない。職員室を出て廊下を駆けていくも、後方から引きりなしに超硬度の白チョークが飛んでくる。茂木探偵の瞬間移動は、能力が発動するまでに数秒かかる。しかもじっと動かずにいなければならない。そのわずかな隙を敵は与えようとしないように見える。
「逃げてばかりでいけませんねぇ~補習みっちり受けさせますよぉ」
全力で走る茂木探偵に、距離を保ったまま息も荒げずに浅木教師は追従してくる。そして白チョークの弾丸が耳元を間断なくかすめるように飛んでいく。まるで追尾型のミサイルだ。
「この年で補習は勘弁してもらいたいなあっ!」
叫びながら茂木探偵は速力を緩めず走り続ける。そして考える。
(チョークの威力と言いこの体力と言い、この男は“同盟”の正規兵か)
厄介だな、と舌打ちする。正規兵―つまりは正式な訓練を受けた兵士。戦闘員。自身の特殊能力を熟知し、的確に操り、そして敵を仕留める。そういう存在だ。
(こちとら一介の調査員だっていうのに)
とにかくどこかに身を隠さなければと、階段を跳んで降りて廊下を駆ける。手近な部屋に入ろうとするが鍵がかかっていた。通常の教室とは異なる開き戸。力任せにドアノブごと鍵を壊そうとした瞬間、自分が降りてきた階段の方から大きくダン!と音がして、茂木探偵は横からの衝撃で吹き飛ばされた。
うつ伏せになった茂木探偵は、上体に息苦しいほどの圧迫感を覚えた。後頭部の痛みに耐えながら目を開けると廊下の床が近い。腕は両方とも後ろ手にされ敵に掴まれている感触がした。ぴくりとも動かせない。まるで万力で挟まれたかのようだ。
「同盟の兵隊さんが学校の先生もしてるなんてね、びっくりですよ」
口に廊下の埃が入りそうにながら茂木探偵は喋った。
「勘違いされちゃあ困りますなぁ、逆ですよ逆。教師が本職なのです」
背中で粘っこい声が返事をした。さらに背中の上部に力が加わる。その感触から背中に乗せた膝に体重をかけているようだ。先の階段から恐ろしいほどの跳躍で体当たりをされて、即座に制圧されてしまったのだ。
「これはまた、はははは。またもや驚きです」
「あなたにはしばらく私たちの所で特別講習を受けてもらいましょう」
「それはご勘弁願いたい。大学受験はこりごりなんでね」
「今からでも充分国立を…ん?」
浅木教師が口ごもる。見ると、腕を押さえつけている自分の右手首を茂木探偵の手が掴んでいた。器用に手首を返すことで掴めているようだ。何をする気だ―と浅木教師が訝しんだその時、それは発動した。
浅木教師の眼下でその男は掻き消えた。そして彼は何かが落ちる音で気づく。自分の右手首だけが無くなっていることを。そこはさっきまで男が掴んでいた部分。床に転がった右手、そこに血溜まりが出来ていくのを見て、浅木教師は冷静に手早く応急処置を始めた。
急いでバッグから常用の薬の缶を取り出して一気に飲み干す。冷や汗がつうと首筋を垂れていく。むせて思わず咳き込んでしまうが、なんとか薬は飲みきった。
彼の瞬間移動は使ってすぐに薬を服用しなければ嘔吐感、頭痛、ときに目眩などが起こりしばらく動けなくなってしまう。これを彼は能力を使う副作用だと考えている。また服用後に瞬間移動した場合、しばらくは副作用が起こることはない。
敵に拘束されて時にわずかな時間稼ぎが出来たのは幸運だったと言えた。おかげで能力を発動させることが出来たのだ。
「さてと」
呼吸を調えて茂木探偵は、瞬間移動し終えた際に地面に落としてしまったそれ―先程の敵から奪った彼の手首、太い枝を輪切りにしたような厚み2センチほどの肉片を、バッグから取り出した半透明の袋に入れて密封した。
茂木探偵の能力は今いる場所から別の場所へ、空間に干渉することで可能としているが、移動できるのは自分自身だけではなかった。その手で掴んだものも一緒に空間転移させることができた。大きさには限界があり、バスケットボール大の物が限度だった。
さっさと半透明の袋をバッグにしまい込む。敵の正規兵の肉体の一部だ。これは貴重なサンプルに成り得るだろう。
「うあー血生臭いなぁ」
手のひらのや腕の匂いを嗅ぐ。彼は血の匂い、もとい大量の流血が苦手だった。血を流さずにいかに相手を出し抜き優位に立つか。それが彼の信条なのだ。流血沙汰は生理的に苦手でもあるし無血でことを収める方がスマートだと考えているからだった。故に戦争は最悪の手段だと肝に銘じている。とは言え任務であれば殺しであっても完遂するのもまた彼の流儀だった。
茂木探偵は足早に学校のフェンスを背にしてその場を離れた。
敵の正規兵と接触したことで、向こうも動きが活発化するだろう。となればここからは一段と事を速く進めねばならない。
(住所と顔写真は把握した…。彼らの症状を確認しなければ。”野良“の成熟度は早急に把握しておかないと後が面倒くさい。最悪のケースは―処分)
「殺しは不得手だからなぁ」
ぼそりとぼやいて、茂木探偵は夜の道を足早に歩き去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます