第3話 紺藤祐実のこの頃③
体育館や運動場でいろんな部が準備体操や、練習の準備を始めている。野球部の大きな声や、テニス部の掛け声、校舎の音楽室からは管楽器などの練習の音が聞こえてくる。学校の、夕方にかけての光景は色々な音が混ざった状態と傾いた日の光で彩られていて、祐実は校門に向かうまでの道のり、その風景を眺めると言いようのない気持ちにかられた。寂しさが最も近い表現なのかなと祐実は思う。
あの音一つ一つは誰かの声や誰かが楽器を吹く音で、その誰かは祐実がこうして歩いているその時にも、一生懸命にそれぞれに何かに打ち込んでいる。そう思うと、祐実は自分が小さくて、中途半端な存在に思えてしまう。みんなは何かに打ち込んでいる、それだけの情熱とかやる気をもっているんだな、いいなぁと羨ましくも思えてくる。自分だけが取り残されたような、そんな寂しさが胸を締め付ける。
とぼとぼと歩いていき、校門を過ぎた所で、
「よぉ」
と声と共にリュック越しの背中にバスン!と衝撃がした。
「リュックを叩くなって言ってんでしょ、
振り向くと祐実を見下ろすようにして、背が高く肩幅のあるいかにもスポーツ少年といったいで立ちの、短髪で浅黒い肌の男子高校生がいた。祐実よりも頭一つか二つほどは背が高い。図体が大きいのに、子供じみたいたずらをして時折祐実を苛立たせる。困った男子だと祐実は辟易することも多かった。勲と呼ばれた彼はにっと笑ってみせた。
「今帰りか」
能天気に言って、勲は祐実の隣に並ぶとさっさと歩き出す。彼も帰宅するようだ。彼-緒方勲は祐実とは中学からの知り合いだ。同じ高校に進学した同級生はそれほど多くなく、勲とは中学三年の時同じクラスだったこともあり、今でも会えばこうやって気を置かずに話すことができる友人だ。
いつものように勲の首には黒いヘッドフォンが掛けられている。高校に入ってからの彼のトレードマークだ。楕円形の大きなハウジングが特徴的だ。ハウジングには細いスリットが入っており、そこだけ材質を変えていて艶がある。何を思ったのか彼はそれをおしゃれのつもりでやっているらしい。どこか近未来を感じさせるデザインで、男子が好きそうだなと祐実は思ったが、中学までの勲を知っていると、なんだか柄にもなく無理して背伸びしてるように見え、あんまり似合ってないように思えた。口にはしなかったけれど。
「あんた部活は?」
「んー?故障だ故障。手首捻っちまってさ。ドクターストップだよ。見学もつまらんし帰って録画したアニメ観ようかなって」
ふうん、と祐実は頷いた。見ると左手首に白いテーピングが巻かれていた。
「それ痛そうだね」
「あ?ああ、痛い痛い。めっちゃ痛い。湿布貼ってるし今は何ともないけど」
「ふぅん、勲も大変そうだね。県大会がんばったししばらく休んだって良いんじゃない?」
二人は歩きながら最寄り駅へ向かう。
「ところであんたのそれ、いつも何聴いてんの」
祐実は勲のヘッドホンを指して訊ねた。左のハウジングの端からは黒いケーブルが垂れてズボンの左ポケットへと伸びている。
「最近だとやっぱ歌田ひかりだな。歌声がさ、すんげー良いの。曲も今までにない感じでさ。オリジナリティつうの?」
「ヒッキーか。あたしらと年近いのに凄いよね、いきなりメジャーデビューとかさ。才能あるんだね」
すごいなぁと嘆息して祐実は呟いた。
「なんかあったのか?元気ねぇじゃん」
項垂れるような祐実を見て勲は訊ねた。
「勲はさ、進路希望何て書いた?」
「あぁそれ?テキトーに書いた」
適当がテキトーだから、相当いい加減に書いたのかと祐実は思ったが、違った。
「取りあえず県立の大学、私大、あと専門学校にしといた」
「学部とかは?」
「大学は社会学部とか。文系だし。専門は柔道整復師の学科書いといた」
「結構、具体的に書いてんのね。えらいなぁ、勲のくせに」
「なんで上から目線なんだよ。でもよ、本当に将来何がしたいかとか全然わからんし、大学行った方が何となく面白そうだし、それでテキトーに社会学部にしただけで、専門の方は柔道やってるから、まぁそれ関係で資格取ってみるのもありかなぁってくらいだぜ?」
勲の理由は聞いてみれば確かに“テキトー”だ。けれど、祐実には、それなりに自分の進路を考えているように思えた。結果、自分の不甲斐なさがより浮き彫りにされたように思えてしまう。
「紺藤は何て書いたの」
「え、うーん…。まだ書いてない」
「ふぅん、まぁ今月中に出せば良いらしいしな、大丈夫だろ」
何が大丈夫なんだろうか。あまり考えずに物を言うところが、勲のいい加減なところだ。そこが良い所でもあるのだが。
「わたし、勲みたいにテキトーでもそこまで考えつかないんだよ。夢とか目標とか、なんかはっきりしないっていうか。勲みたいに部活頑張って成績残すとかすれば、まだ考えられるかもしれないけど」
はぁと祐実は溜め息をついた。言いながら自分で焦りを覚えてしまう。高校二年にしてこの目標の無さはちょっとまずくないんじゃないか。能天気だと思っていた勲にしても、内容はともかくも考えてはいるのだ。
「紺藤はさ、深く考え過ぎなんじゃねぇの?真面目つーか。今はまだどうしたいのか聞かれてるだけ、本決まりではないわけよ。仮だ仮。そんな感じなんだしこの学部が面白そうってだけで書いたら良いっしょ。テキトーテキトー」
はははと勲は笑い飛ばした。
「それはそう、かもね」
「あ、いっそ趣味を仕事にするとか。どう?紺藤の趣味っていうと…あぁ、あれか」
言ってみて、勲は言葉尻を濁した。
「あれってなによ。読書がそんな変な趣味?」
勲の態度に祐実はきっと睨んだ。
「いやいや変じゃないっ」
慌てて勲は否定した。「でもさ」と声を抑えて勲は言葉を足す。
「なかなかいないと思うぞ、ハードボイルド物が好きな女子高生って。渋過ぎだろ」
今度は何も言わずに、祐実はふてくされた視線を勲に向けた。
「いやー良いと思うよ!ハードボイルドな小説って!うん!良いよな!好きなものがあるってのは良いことだ!」
精一杯褒め言葉を並べておだててみせる。勲の顔に冷や汗が浮かぶ。
「それでよし」
満足そうに祐実は一つ頷いた。
「で、その趣味を仕事に、って、小説ならそのまま作家とか」
「わたし読むの好きだけど書くのはねぇ…。それに生活安定しなさそう」
密かに、祐実は自分でも何か書いてみようと思ってやってみたことがあった。けれど400字詰原稿用紙の4枚目ですぐ挫折してしまった。そして執筆は難しい、作家にはなれないだろうと断念したのだ。
「なら編集者とか。小説に関わってお金がもらえる。なかなか安定感はありそうじゃん?」
「うーん。まぁそれならまだましかも。あーでもそんなに興味わかないなぁ」
「編集がどんな仕事か、調べてみたら?やってみなきゃ分からんかもしれんけどよ。とりあえずそういう好きなものから将来どうしたいのか考えたら良いんじゃねぇかな」
「勲の割に良いこと言うね。でもねぇ、何て言ったらいいのかなぁ…」
「なんだよ」
勲は歯切れの悪い言葉が気になった。
「う~んん」
祐実はうまく言葉にできない様子で唸るばかりだった。勲はその様子を見て、下手に口出しをするのは良くないだろうと口をつぐむ。
二人は特に話すことなく、黙ったまま歩いていく。学校の周囲に広がる住宅街の中を通り抜け、車が多く行き交う片側二車線の大通りへと出た。大通り沿いに100mほど歩くと小さな駅舎が見える。東坂(ひがしさか)駅だ。高校からの最寄り駅でローカル線の駅である。吹き曝しのホームは夏は暑く冬は寒い。所々に錆の浮いた近隣の病院や企業の看板がホームの壁に掛けられている以外にはベンチが一脚あるだけで、自販機もない。
ホームには他にも同じ制服をきた生徒たちが何人もいて電車を待っていた。やがてやってきた電車に祐実と勲は乗り込んだ。車内は空いていて、二人は並んでシートに腰を下ろす。古い車両だったが冷房はそれなりに効いていて、外に比べると随分心地よかった。
「なぁ紺藤」
勲が声をかける。
「なに?」
「お前さ、部活辞めちゃったけどもう何もやらないの?こう、打ち込むものっていうか」
「勲が柔道やってるみたいに?わたし、そういうのはないかなぁ。打ち込む程の何かってのも思いつかない、かな」
「そういうんじゃなくて。何でも良いんだけど、得意科目の勉強とか、小説百冊読むとか、そんな感じのことをさ」
「なんで?」
祐実は振り返って勲を見た。
「なんでって、なんか時間がもったいなくないか?だって俺たちまだ高校生なんだし、何か夢中にやる時間ていっぱいあると思うわけよ。それが意外と将来に繋がるかもしれねーじゃん」
「うーん、それもそうかぁ。…若い奴の特権は時間があることだって『探偵アディ』でも言ってたしねー。なんか考えてみようかな。でも何にしよう」
「その探偵は知らんけどよ…。将来に繋がるかどうかはともかく、やることに意義があるんじゃねぇかな」
「お、今日の勲はいつになく良いこと言うね。どうした?県大会3位になると言うことが違いますな」
祐実は意地悪そうににやにやしてみせた。
「俺は3位じゃなくてベスト4っ。…そのまんま4位だよ。3位決定戦で負けたの、前にも言ったじゃねぇか。分かっていて言ってるだろ」
ふてくされた勲を見て、祐実はくすくす笑った。
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