臨時電車は狭間行き

藪からスティック

第1話

 電車の窓から差し込む心地よい光と春のふわふわとした温かさと、コトンコトンと心地よい振動が寝不足の頭に語りかけてくる。昨夜はバイトが夜遅くまであったため寝不足だ。大学に入ったはいいものバイト三昧の毎日は流石にきついと思い始めてきた。

 普段電車の中で寝るなんてことはめったにないことだが、今日だけは襲ってくる睡魔に逆らうことができず瞼が落ちる。

 鼓膜に伝わるリズムは絶えず続いている。

 はっとして目を開ける。ほんの数秒の出来事だった。窓から差し込む温かさも変わらない。だが異様な違和感に襲われる。俺が乗っている車両には人の姿が見えない。

「あれ、だれも乗っていなかったっけ?」

 他の車両を覗いてみるも人の姿は見当たらない。乗り過ごしただろうかと次の駅で止まったら降りることにした。

 アナウンスが流れる。

「次は終点、――駅です」

 聞いたことのない駅名が響く。


 ホームへ降り立つと、そこは小さな無人駅で改札と言えるようなものもなく、ただ通り抜けるだけの木造のゲートがあるだけ。

 そこをくぐると静かな住宅街で、お昼が近いからかいい匂いが漂ってくる。小さな駅舎の看板を見るがそこに書いてある文字を読むことはできない。

 ポケットに入れていたスマホを取り出すとメールが一件入っている。送り主は高校からの友達である狐都琉生(こみやりゅうせい)だ。

 ちりん

 足元から甲高い音がする。目を向けると紐にくくられた小さな鈴が落ちていた。

 これは琉生が遊びに来た時に俺の部屋に忘れて行ったものだ。学校で返そうと思っていたのだ。ここに落として帰るわけにはいかないと豆くらいの大きさの鈴を拾いパーカーのポケットにしまう。また落ちないように奥へと押し込めた。

 先ほど途中になってしまったメールを読む。

 今日も遅刻か由幸? 今日も面白い話があるって人が何人か集まったんだ。お昼にやるからそれまでには学校来いよ!

 このメールが来たのが十時三十分、そして今の時刻は十一時だ。本当ならもうすぐ学校に着くころだが今日は間に合いそうにない。もしかしたら学校にすら行けないかもしれない。

 俺、と琉生はちょっとしたオカルト好きで、そういった話を持っている人を見つけては空き時間に聞くというのが日課だ。でもいま俺は話を聞くよりも貴重な体験をしている。

 まずは携帯の電波が通じるかを確認する。ディスプレイの上に表示されている文字は圏外と書かれている。『きさらぎ駅』のようにネットから広まった怪談はSNSなら通じる、なんて場合もあるので一応確認してみるが反応はない。俺が迷い込こんだ理由は怪談と似ている。電車に乗っていた女性が、眠気に負け少し意識を手放しているうちに見知らぬ駅にいたというものだ。きさらぎ駅には薄暗いホームや駅舎があって、荒廃した街並みが広がっていると前見たインターネットサイトに書いてあった気がしたが、ここは似ているようだがまた違うところのようだ。

「もしかしたら、すごい所に迷いこんじゃったのかもしれない」

 焦る気持ちもあるが今は好奇心の方が大きい。人には怖いもの見たさなんて言葉があって、体の底から沸き起こる探求心は何ものにも代えられないのだ。

待合室から一歩足を踏み出す。足を通して伝わるコンクリートの感覚は普段歩いているものとは変わらない硬さだ。真っすぐ続く道は少し上り坂になっている。その先には小高い山がそびえ立っている。よくみる静かな街並みの風景のようだ。

「この道を進んでみるか」

 わずかな傾斜は足に負荷を与える。近くに見えた山は歩けど歩けど小さくなるばかり。ふと後ろを振り返ると駅はやけに遠くになっている。何処かで見たような家が並ぶ街並みは蜃気楼のように揺らめいて不確かな物のように思えてくる。

 歩き始めた時よりずいぶん近くに見える坂の頂上を眺めていると、にゅるっと黒いもやが現れる。それは地面を滑るかのようにゆっくりとこちらに近づいてくる。大きさは俺より頭一つ小さいくらいだ。カラーコーンにボールをつけたような形をしている。影の様なものはゆらゆらと坂を下る。

 流石にこれはまずいのではないだろうかと、俺の中の何かが警鐘をならした。だがここは下から上に続く一本道で、丁度中腹辺りにいる俺は逃げることもできず、じっとそれが通りすぎるのを待つ。

 黒いもやとの距離は数メートル、遠くにいたときはわからなかったが頭の様な部分には二つの白い小さな点がついていた。

 このまますれ違おうと、一歩踏み出したときだポケットに入れておいた鈴が小さく鳴る。だがこの静かな空間には大きく響いた。今までこちらに見向きもしなかった影の目が俺を見つめる。感情のない底なしの穴がまた鈴が鳴るのを待っているようだ。

 冷たい汗が頬をつたう。汗が地面に落ち吸い込まれていく。

 もやは何もなかったように不安定そうに揺れて坂の下まで降りて行った。

「あの黒いの、目がついているんだな。なんだかちょっと可愛いかも」

 後ろの方でにーと何かがなく声が聞こえて振り向く。そこには首輪をつけた黒猫がいたと思ったがその猫は色は黒いが毛が生えているわけではなかった。まるで焼け焦げているようにしきりに体からはすすの様なものが空に消えていく。こちらをじっと黄色い瞳が見つめる。

 次は何が起きるんだと身構えたとき、音もなく猫が走り出す。消えるように足元にやってきた猫はこちらを見上げると、にやっと笑うように口元に白い歯をのぞかせる。

 体中を悪寒が走り抜ける。じわじわと汗が吹き出し、目をそらすことができなかった。喉がからからに乾いていく気がする。声を出そうとしてもなんの音も出すことができなかった。

またにーと鳴いて足をすり抜けていく、その姿を追おうとするがその影は何処にもなく、きつねにでも化かされた気分だ。

 この知らない街になんとなく慣れてきた頃、やっと坂を上りきることができた。いったいどんな風景が待っているのかと胸を躍らせていたが、先に続くのはまたも坂で違うとすれば屋根の色くらいだった。なんだかどっと疲れたような気がする。駅に帰って帰りの電車を持った方が賢明だと来た道を戻ろうとして重たい足を動かす。

 チリンと高いガラスを叩く音がした。辺りを見回すと一軒だけ民家とは違う木造の建物が目に入る。そこの両開きの戸は開けられていて風鈴が風に揺れかすかに音を奏でている。

 看板が掛けられているがもちろん読める字ではなかった。店の中にもしかしたら誰か頼りにできそうな人がいるかもしれないと淡い期待を抱き中を覗く。

「あのー誰かいませんかー」

 奥には小上がりがあってガラス戸で半分ほどしめられている。店内は小さな駄菓子屋さんのようでお菓子や、飲み物とアイスも売られている。

 声をかけても返事はなくやっぱり駅に戻ろうと肩を落としたとき、とっとっと静かな足音が近づいてくる。半分だけ開いているガラス戸からひょっこり顔を出したのはきつねだった。

「おや? 珍しいお客さんだね。どうしましたか」

 きつねだと思ったのは、お祭りで売っているようなきつねのお面をした青年だった。自分と同じくらいの背丈で、少しくぐもった声はそよ風の様な優しい響きでとても落ち着く音だった。顔が見えないせいで中性的に見えるが、身に着けている紺色の物の良い着物は男物だ。

「あの、俺ここに迷い込んじゃったみたいなんです」

 きつね面は首を横に傾ける。

「君はここがどこかわかっているのかい?」

 なにとははっきり言えないがなんとなくここがどういった場所かはわかっているつもりだ。

「なんとなくは把握しているつもりですが、俺は自分がいた場所へ帰りたいだけなんです。もし知っているのであれば戻り方を教えてください」

 きつね面は肩を小さく揺らし笑っているようだ。

「君はとても面白い子だね。教えてあげるよ、戻り方。でも今は時間じゃないから少し休んでいかないかい?」

奥の小上がりを進められ、素直におじゃますることにした。

丸テーブルを挟むようにして俺ときつね面が座る。

「本当はお茶の一つでも出したいんだけど、ここで君が何かを口にするのはあまりよくない」

「ヨモツヘグイですか」

 小さく笑ったきつね面は良く知っているねと優しく言う。

「死者の国のものを食べると現世には戻れなくなる」

「それじゃ、ここはあの世なんですか」

 体を前のめりにして聞く。

「うーん、少し違うかな。ここはねあの世とこの世の狭間なんだ。君は何かの拍子でうまく迷い込んでしまったようだね」

 お面で表情は見えないがきっと笑っているんだと思う。

「どうやったら帰れるんですか」

 さっきははぐらかされてしまったが、これが一番聞きたいことだ。なるべくなら早く帰りたい。

「ここは決まった時間だけ現世につながるんだ、君みたいな例外はあるけどね。つながる時間は一日に二回、朝方と夕方だけどたまに昼間に臨時電車があるみたいでね。君みたいに迷い込んでしまう人がいるんだ」

「ってことは次につながるのは夕方ってことですか」

「そうなるね」

 思わずうなり声をあげてしまいそうになる。どこの世界でも時間に左右されるのは仕方ないことなのかもしれない。元の世界に帰れるまであと二時間くらいはある。

「二時間もここで待っていないといけないんですか」

「うん、そうだね。でも君が退屈しないように僕が話相手になるよ」

 聞いてみたいことは山ほどあるがまずは目の前にいる疑問の塊を崩していこう。

「それじゃ、話し相手をしてください。あなたは何できつねのお面をしているんですか」

「僕の顔が君に知られるのは色々問題があるから、かな」

 話し相手になると言っておいて、あまり会話が弾むわけではなく逆に気まずい空気になる。

「あなたは一体何者なんですか、外で見た黒いもやとは違ってあなたははっきりとした人に見えます」

 今まで崩れることのなかったふんわりとした優しい雰囲気が薄れる。

「外の黒いのはもともとここにいる住人だよ。僕はここに住ませてもらっている、元は人間かな……ねぇ君は大学生? それとも高校生? 学校は楽しい?」

 今まで聞く側に回っていた彼は突然話を変えて俺のことを聞いてくる。一瞬崩れた空気も出会ったときの優しいものに戻っている。

「大学生です、学校は楽しいですよ。オカルトが好きな友達がいるんです」

「へぇ、その友達はなんていう名前なの」

「あぁ、狐宮琉生といいます」

 ふふと小さく笑った男は、そうなんだと愉快そうに答えた。

「彼とはどんなお話をしているの」

「学校内で不思議な体験をしたことがある人などを集めてその話をしてもらうんです。俺と琉生はそれが本当の話かとか、どんな幽霊の仕業かとかを考えたりして楽しんでいます」

「都市伝説とかも集めたりするの」

「まぁ、幅広く集めますよ」

「そうか、楽しそうでなによりだね」

 ふふと笑いながら言った言葉は俺に向けられたものではないように思えた。

それから何度か主導権をこちらに握り返そうと奮闘してみるものの、物腰のわりにガードが固く意味のある質問をすることはできなかった。

 さんざん喋らされたあと、もうへとへとだと思い始めた頃時計が終わりを告げる。外を見ると空は茜色に染まっている。時計は四時頃をさしていた。

「おや、もうすぐ電車が来るね。駅に行こうか」

 着物に下駄を履き、からんからん音を鳴らして先を歩くきつね面の男。面を抑える紐から少しはみ出る髪がひらひらと揺れている。男にしては長めの髪だろうか、肩くらいまである髪は夕日に照らされて淡く光って綺麗だ。

 上ってくるときはやけに長く感じた坂は、駅に戻る時はあっという間にたどり着いてしまった。

「駅に入ったら絶対に振り向いてはだめだよ、そのまま電車に乗って帰るんだ」

 丁度電車がホームへ入って来た。

「それじゃ、もうここへは来ちゃだめだよ」

 背中に添えられた手はとても温かく、確かに生きている人の手だった。軽く押されて一歩前に進む。木のゲートをくぐりホームへ立つ。電車の窓の向こう側に真っ赤に燃える夕日が見える。その輝きに誘われるように車内に足を踏み入れた。

 背中を触れた時、ばつんと何かが弾ける感触があった。慌ててポケットの中に手を入れる。指先に触れた鈴は丸い形が歪んで元の大きさよりも小さくなっている。

 ブーとブザーがなってドアが閉まる、小さく電車が揺れて動きははじめた。最後に感じた手の温かさ。もしかしたらあの人はこの世界にいるべき人ではないのではないかと、振り返るなと言われたがどうしても気になって流れる駅を見る。

「あっ……」

 無機質だったきつね面がとれて、そこには彼の本当の顔があった。声と同じ優しい顔だ。ぱっちりとした目は緩く弧を描き瞳は夕日に照らされて輝いている。口元はかすかに笑っているようにも見えるが泣いているようにも見えた。

 でも俺には一番驚いたことがあった。


 気が付けばいつも大学へ通う電車の中だった。会社帰りのスーツを来たサラリーマンが向かいの椅子で寝ている。他の車両には塾帰りの学生も乗っている。

 戻ってきたという安堵と共に今日見たものは本当だったのだろうかという不安な気持ちが湧き起こる。ポケットに入れていたスマホが振動する。取り出すと琉生からメールが来ていた。

 受信時間はたった今で、あちらの世界で見たメールと繋がる内容が書かれているがこの時間に来るには不自然な内容だった。そこから空白の時間があったということがわかる。

「やっぱり、あの出来事は夢じゃなかったんだ」

 俺はすぐに返信をする。琉生が書いている内容を無視して自分が体験したことを書き綴った。


「そうだ、これお前が落としていった鈴なんだけど、形歪んじゃって……ごめんな」

「いいって、じいちゃんにもらった鈴だけど、別に思い入れもないしな」

「それはそれでじいちゃんが可哀そうだよ」

「それでさ由幸が昨日言ってたこと本当なの?」

「あぁ本当だよ。てかお前兄弟とかいるっけ?」

「いやー、いないけど?」

「俺を助けてくれたきつめ面をした男の人がいたって言っただろ。最後に帰る電車でその人の顔を見たんだけど、琉生そっくりだったんだ」

「えー、誰だよそれー、ドッペルゲンガーとかか……いや待てよ」

「どうした?」

「前にじいちゃんから聞いた話なんだけどさー、先祖に当たる人の事なんだけどな」

「おう」

「昔、突然行方不明になった人がいたんだってさ、その人、昔からちょっと危なっかしい感じだったらしいんだけど、ある日忽然と姿を消したらしいよ」

「まじか、その原因は神隠しとか?」

「原因はわからないけど、その時着てたのが淡い紺色の着物だったらしいぜ。あとお祭りで買ったきつね面をよく持ち歩いていたんだってさ」

「まじかよ」

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