多分、同じなら君とも友達だった。

2週間に1度程度の割合だが、C組がグラウンドを、A組が体育館を使うことがある。グラウンドから動きようのないB組と違って、A組の器物損壊にさえ気を使えば彼らはグラウンドと体育館それぞれやれることが変わってくるからだ。たまには創造系の生徒にも天井のない空間で実技をさせたいということが大きいのだろう。


入学二週目初日。初めてグラウンドにC組が現れた実技時間、エリは原丘に手招かれた。


「遠藤くん、ちょっと来て。創造系の子達のコピーできるか試してみよ。」


原丘は、元々エリが「自然系」として登録されていたからか、エリの実技の面倒を見てくれることが多かった。エリにこの呑気な覇気のない青年を信用する気持ちはあまりないが、緊張するだけ無駄な気楽さは好きだ。


既にこの3日間で、エリはほとんどの自然系、精神系の異能力をコピー出来ることが分かっていた。一方、最後に影響を受けた異能力だけを使うことが出来るという特性上、強化系はコピーする事が出来なかった。と言うよりは、コピーさせる方法か思いつかなかったのだ。人に向けるのが危険だとされていたり、人には影響のない多くの操作系も調べられなかった。


強化系・操作系を利用した攻撃を受ければまた何か変わるかもしれない、とされつつも、まだ入学して間もない生徒に模擬試合をやらせる訳にもいかないと保留になっている。


そもそも、非常勤講師達の自己紹介時に原丘の作り出した花に触れたことや栗山の能力を受けたことは影響しなかったという事実もある。その後蔦に捕まった後は原丘の能力はコピー出来た上、栗山の能力ももう一度試した際にはコピーすることは出来たのだが。何がなんでも生成物に触れたり異能力を受ければいい、という訳では無いらしく謎は多かった。


「創造系の子の能力をどうやってコピーするんですか?」

「とりあえず生成物に触れるのが手っ取り早いかなぁ。」


ほらこれ、と放られた花をキャッチする。


「花?自然系の能力じゃないんですか?」

「それ造花。加谷くん、生きてるものは作れないから。」


ふうん、と生返事を返してからエリはくるりと手を振った。造花が風に持ち上げられる。


「変わりませんね、風のままです。」


トラブルを避けるためにも、モエミの協力の元エリは実技授業以外を風の能力者として過ごしている。だから、何かの影響を受けない限り風を起こすことが出来た。逆に言えば影響を受ければ風を使えなくなるため、風の能力を使えるということはうまくコピーできなかったという意味だった。


「能力者の子が近くにいないとダメなのかな?加谷くーん、もっかいごめん、手伝って。」


アキラほどでは無いが長身の少年が駆けてくる。肩にかかる、エリに似た水色をハーフアップに括った、藍眼の少年。


「なんでしょう?」


原丘が加谷と呼ばれた彼に説明をしている間、エリは手元の造花に視線を落としながら待った。


「作ったものに触れるだけじゃだめだったんですか。」

「そう、だから……」


遠くで原丘を呼ぶ生徒の声がした。彼はあくまで「自然系」全体の担当であるから、こちらにかかりつけになることも出来ない。


「色々試してみて、僕ちょっとB組見てくる。」

「はぁい。」


不満げに返事をして、彼を見送る。どうすることも出来ないことはわかっているけれど、色々ってなんだよ、とも思う。全く人任せな教員達である。


「苦労してるね。君、能力が変わる子でしょ。」


優しい、低い声にエリは顔を上げた。夜空のような深い藍がこちらを覗く。


「う、ん。よく知ってるね。」

「1年の中じゃもう有名だよ。遠藤さん、だよね。」


微笑む彼に、エリは気まずげに頷いた。注目されるのは、どうも慣れない。


「そう、遠藤エリ。君は?」

「加谷カイト。よろしくね。」


カイトはジャージのポケットからメモ帳を取りだした。


「見てて、これが俺の異能力。」


さらさらと、彼は細いペンでメモ帳に絵を描きつけていく。理科のスケッチみたいな精巧な蝶の絵を描き終わって、彼はそれを指でくるりと囲む。と、絵が淡く発光したように見えた。


紙を破るように、蝶が飛びだす。


ひらひらと舞ったそれは、どこかへ飛び去っていった。


「絵を具現化する能力。まぁ、自分が描いた絵じゃないと使えないんだけどね。」

「いき、てるものは作れないんじゃなかったの?」


動いてたけど、と目を見開いたエリにカイトは笑い声を上げた。


「作れないよ。アレも動くだけ。数分で消えてしまうしね。もうさっきの花もないでしょ?」

「あ、ホントだ。」


言われてはじめて、エリは手の中から先程の造花が消えていることに気がついた。


「黒一色の絵でも、カラフルなものが生まれるんだね。」

「そうだね。絵そのものじゃなくて、俺が描きたかったものが具現化されているんだと思う。まぁ、俺自身よく分かってないんだけどね。遠藤さん、好きな動物とかいる?」

「動物?ネコ好きだよ。」


なぜ動物?と首を傾げるエリにカイトは笑いかける。そのまま、メモ帳に縞模様の猫を描きつけた。彼は随分と絵が上手だった。


くるりと指でなぞって、彼はメモ帳を地面に近づけた。メモ帳をくぐり抜けてきたように、猫が一匹顔を出す。見れば紙は破れちゃいないし、メモ帳の絵はそのままであった。


「サイズも絵から変わるんだ。」

「うん、このメモ帳から家も出せたよ。……二度とやらないけどさ。」


ちょっと遠い目で付け足した言葉に、なるほどやった事があるんだなとエリは苦笑いを浮べる。車を浮かせてしまったアキラしかり、何かと異能力者は幼少期にやらかしていることが多い。かく言うエリだってうっかり壊した物は両の手で足りるか自信が無いものである。


足元にじゃれつく縞猫を撫でる。温度はなかった。


「気をつけてね、噛まれた跡とかは残るから。」

「そうなの?」

「うん、だから猛獣系は絶対作れないんだよね。勿論、俺が小さなサイズを想像しながら描けば手に負えないことはないんだけど。」


動物園の帰りはなかなか、とカイトはまた笑った。能力で人を殺したことは無いよ、と付け足された言葉が物騒だ。


強い風が吹いた。舞った砂埃が邪魔で、エリは咄嗟に反対へ風を起こそうとする。


「あれ、使えない。君の能力が移ったかな。」

「本当?俺の異能力は君に移らないんじゃなかったの?」

「のはずだけど。この猫かな……あ。」


目の前でちょうど、猫が光って散った。驚いて目を瞬かせるエリの横で、カイトはもしかしたら、と考え込むように顎に手を当てた。


「君に向かって作ったからかもね。別の人や不特定多数に向けた異能力には影響されないんじゃない?さっきの花も、君に向けて作ったわけじゃなくて原丘先生に渡したものだし。」

「……カイトくん賢いねぇ。」

「ただの思いつきだけどね。試してみる?」


ペンとメモ帳が差し出される。エリは大人しくそれを受け取って、うーんと唸りながら目を閉じた。あまり絵は得意じゃない。


「絵の上手い下手はあんまり関係ないと思うよ。ちゃんと頭の中に描けていれば。」

「頭の中に……」


難しいから何かここにあるものにしよう、とエリは自分に目を滑らせた。足元まで目線を動かして、彼女はぴょいと右足を前に出す。その体勢でペンを走らせるエリをカイトは楽しそうに目を細めて眺めた。


カイトを真似て、くるりと絵を囲う。予想通り光ったそれは転がり出て、メモを持ったエリの手から落ちてグラウンドに腰を据えた。


概ね、運動靴。


「なんか、ちょっと違う?スニーカーのつもりだったんだけど。」


随分と簡略化されているし、サイズ感が大きい。なんというか、そこはかとない違和感がある。つつき回して靴紐が一体化してることに気がついた瞬間、2人は同時に吹き出した。


砂を踏む音がして、失敗作をしゃがんで眺めていたカイトとエリは同時に顔を上げる。


「どだった?」

「コピー出来ましたよ、でも変なのしか出ない。」


ほら見て、とエリが差した靴もどきに原丘が成程と笑う。彼が手に持って持ち上げようとした時、丁度光って散った。


「俺も最初はそんな感じだったので、想像力の問題だと思いますよ。能力の問題ではなく。」

「なるほどねぇ。珍しいな、ここまで使いこなせないのも。」


原丘の言葉にカイトは少し目を見開いた。二人は気が付かずに会話を続ける。


「今まで使ってきた感覚というか想像力と、タイプが違いすぎるんですよぅ。そんな細かく物を観察しないもの。」

「はいはい、ま、まずは風能力を完璧にしてからね。」


現在実技の授業では、エリはどこまでコピー出来るのかを試すと同時に、他の生徒同様、力加減を覚えることに労力を注いでいる。いきなり全てを使いこなせというのも、ということで力加減を覚えるのには風の能力だけを利用しているというわけだ。


「授業戻ろうか。加谷くんもありがとね、創造系戻っていいよ。」

「はい。また後でね、遠藤さん。」

「カイトくん、じゃあねぇ。」


ひらひらと手を振って、エリは原丘の後を追いかける。ちんたら歩く彼に追いつくのには、三歩も必要ない。


「なんか不具合あったらすぐ言ってね、遠藤くん。」

「はぁい。先生の方が不具合多そうですけどね。」


クマとか凄いし、と笑いながらエリは肩をすくめた。原丘は否定せずに、ただ口の端を上げた。横目にエリと目を合わせる。


「ほらもう歳だから。」

「あれ原丘先生二十代ですよね?」

「そうだよもう余生だよ。」

「えぇ……何時代ですか……」


呆れるエリに声を上げて笑ってから、彼はしっしっと彼女を追い払うように自然系の生徒達が集まっている方へ手を振った。


実技は大抵二コマ連続だ。間の休みにエリは水飲み場へ向かい、蛇口を捻る。マサトシに水を寄越せとねだったら、疲れてんだよと水飲み場に強制送還されたというわけだった。


「タオル使う?」

「お構いなく。」


後ろから聞こえた声に返事をして振り返る。鏡で見なれた髪色を見上げて、エリはニパリと笑った。


「カイトくんも喉乾いたの?」

「んー、遠藤さんが見えたから。」


でも貰おうかな、と呟いて彼は水飲み台へ近づいた。人がいないのをいいことに、エリはそのままカイトの横で台に寄りかかる。


「カイトくんの異能力でコップの水を描いたらどうなるの?」

「飲めるよ、すぐ体の中で消えちゃうから喉の渇きは癒えないけどね。消えるってだけで、大抵何でも。」


何でも、とオウム返しに呟いたエリに彼は頷く。


「人、みたいなものは作れるの?生きてなくてもさ。」

「うーん……鮮明にイメージを描けないといけないから、見本がないと上手くいかなかったな。アニメーションみたいな奴なら何も見なくても出来たけど。あぁ、目の前にいる人なら出来ると思う。」


でも止められてるよ、と彼は付け足した。


「じゃあ俺も君の能力について質問。他の能力はいきなり使えるようになるのかい?」

「ん?コピーすれば使えるけど。」

「えぇと、そうじゃなくてね。」


手に持っていたタオルで口元を拭ってから、彼はエリを手招いて歩き出した。日陰の段差に腰を下ろした彼に倣って、エリも隣に腰かける。


「さっき、上手く靴を作れなかったでしょ?原丘先生が珍しいって言ってたから驚いてね。突然異能力をコピーしても、使い慣れていないなら使いにくそうなものだから。」

「大抵使えるかな?力加減が分からないものもあるけれど、割とすぐ覚えるよ。皆同じような感覚だから。」


そう言ってから、エリは足元の石を少し浮かせた。重力も風も同じ。その力を使って何をしたいか想像するだけだ。


「借り物だからかな。羨ましいよ。」

「……借り物?」


カイトの言葉にピンと来なくて、エリは首をひねって彼の方を見た。カイトはグラウンドで騒ぐ同級生達を眺めながら、再び口を開いた。


「誰か他に異能力者がいなければ、君は異能力者にはならないでしょ?」

「まぁ、うん。」

「どれも正しくは君のものじゃないってことだ。」


半端者、という言葉がエリの脳裏を過ぎった。引っかかったように上手く開かない喉から、エリは小さな声で返事を探す。


「使っている時は、僕の異能力だと、思うんだけど。」

「でも、実際最初は異能力者じゃなかったんだろう?」


彼もニュースを知っているんだ、とエリは目を見開いた。


なんだかザラザラしたものが、少しずつ足元から這い寄ってきているような感覚。カイトの声の調子はさっきと何も変わらなくて、優しい。止めるきっかけもなくて、彼の声は少しだけ憐れみを乗せて続く。なにか、なにかが。


「そう、だけど。」

「人に頼らないと使えないんでしょ。誰かの異能力を借りてることになるから、使うのに困らないのかなって。少し心もとないけれど、楽でいいね。」

「……それ、じゃあ、僕自体が頑張っても意味ないってことに、なっちゃうよ。」


カイトの声が、変わらないまま告げた。


「実際ないんじゃない?最初から使えるなら。誰かがいなきゃ、君は異能力者じゃないんだし。」


間違ってないのかも、と、思った。それでも、やっぱり、腹が立った。そんな言い方ないじゃないと声を上げるには、あまりにもカイトの声は優しかった。


ばしゃん。


顔をあげられずに言葉に詰まった直後、バケツをひっくり返したような水音が真横で鳴った。


カイトの頭上から降り注いだ、水。


それは、何故かエリには当たらずに跳ねた。


「っ何、」

「頭冷やした方が良さそうな会話が聞こえたからさぁ。誰か知らねーけど、そっち俺の友達だし。」


いつの間にか真後ろに立っていたマサトシが、あげていた手を下ろす。エリは知る由もないが、彼は水飲み場から戻って来ないボンヤリな友人に、そろそろ時間だと声をかけにきたところだった。


「いきなり水をかけられるいわれはないと思うんだけれど。」

「なに、揉め事ー?」


遠くで呑気な原丘の声がする。水音に注目が集まっているらしかった。


「いーえ、誤爆です。まだコントロールが上手くいかないんすよ。」


いつもの気だるげで、エリやモエミに振り回されている時の尖った声と全然違う声に、エリはまるで知らない人を見るような目でマサトシを見上げた。


平坦な声。冷えた目。


いつも色通り燃えるように輝いている目とは、随分と違った。ただの、光の加減のはずだ。ここは日陰から、きっと表情がよく見えないだけ。


「マーちゃん?」

「……おう。立てるか?」


口だけいつも通りに弧を描くから、エリは益々目を見開きながら差し出された手を取った。彼はエリよりずっと、怒っていた。


「俺何かおかしなこと言ったかな。本当のことだろ。」

「どうだか。」


唸るように発されたカイトの声に反して、マサトシの声は相変わらず変に凪いでいた。まるで庇うみたいにエリの腕を引いて、マサトシは彼女を自分の後ろに隠す。


「彼女が怒るなら分かるけれど、」

「怒らせる自覚はあったんだな。」


間髪入れずにマサトシの返した言葉に、カイトは目を細めた。原丘がこちらに歩いてくる足音に、カイトは眉を寄せて背を向けた。足早に創造系の生徒達の方へ向かっていってしまう。


すれ違ったびしょ濡れのオレンジジャージを目で追いながら、向こうからやってきた原丘が立ち止まる。そのまま、覇気のない声で尋ねた。


「僕は生徒の喧嘩には首突っ込まない主義なんだよねぇ。……喧嘩?イジメ?」


イジメなら絶対に何とかするんだけど、と続けてから彼は二人の方を見た。


「喧嘩です。」


ハッキリと答えたマサトシの言葉に少し眉を上げてから、そう、と彼は肩を竦めた。


「喧嘩に異能は使わないでね。」


それだけ言って背を向けた原丘に一瞥を投げてから、マサトシは掴んだままだったエリの手を引く。


「戻るぞ。」

「マーちゃん、」

「後でな。もう休憩終わるだろ。」


マサトシがやけに苛立っているわけが、怒らせる自覚はあったんだなという言葉をカイトが否定も肯定もしなかったことが、自分の気持ちが、上手く処理できなくて。かけるべき言葉が見つからないまま、エリは素直に手を引かれるまま彼のあとをついて歩いた。


握られた手が、痛かった。

[newpage]

「ありがとね。」

「何が?」


ホームルーム前、隣のマサトシに聞こえる程度の小さな声で呟く。エリの呟きに少しだけ目線を投げ、すぐにマサトシは目を伏せた。


「んーっと、怒ってくれたから。」

「俺の勝手だよ。会話の邪魔して悪かったな。」


少し不貞腐れたように、居心地悪げにマサトシは身動ぎした。


「ううん。僕、何も言えなかったから。好きでこの異能力を選んだわけじゃないのに、まるでズルしてるように思われて、でも、何も言い返せなかった。ズルしてるって言われたら、もしかしたら、その通りなのかもなぁって。」

「分かってるじゃねぇか。」

「んぇ?」

「好きで選んだんじゃないんだろ?じゃ、遠藤にはどうしようもないことだ。どうしようも無いことに色々言われたって、言い返せねぇし言われる筋合いもねぇよ。」


ああいうのは、気にするな。そうやって付け加えた彼自身が、気にしているように思えた。エリはしばし黙って彼の横顔を眺めてから、恐る恐る口を開く。


「マーちゃんは、さ。異能力なんてなきゃいいのにって思ったことない?」


君は他の人がいなきゃ異能力者じゃないだろう、というカイトの言葉に、両親の目を思い出す。


姉御に会わないままだったら、僕はどう生きていただろう。


「おぉ、割と踏み込んでくるな。」


驚いたようにエリの方に顔を向けて、マサトシはようやく笑った。


「まー、なんつーか……なかったら、何、俺の事異物扱いするヤツらと、フツーに話してたのかなって思うと、あって良かったなとは思うぜ。」

「どういうこと?ふつーに話せた方が、良くない?」

「だって、んなデリカシーのねぇ奴とつるみたくないだろ。異能力者ですって名乗るだけで偏見持つ奴の炙り出しテストできっからな、便利だぜ。」


何か続けて言いかけて、マサトシは口を噤んだ。少し目を泳がせ、結局飲み込んでエリの肩を力強く叩いた。


「直せねぇことは気にしなくていーの。異能力のこと気にする時間があんならお前はデリカシーの無さを気にした方がいいぜ。」

「デリカシー……」


エリはちょっと考え込んでから、寂しげに眉を下げた。


「……マサトシって呼んだほうがいーい?」

「ふは、お前のデリカシーはそこかよ。」


大声にならぬよう声を押し殺して笑いながら、マサトシは頬杖をついてエリの方に体を捻った。今更いいよ、と呆れたように頬を緩める彼にエリは二、三度瞬きをした。


「ホントに、今更いいよ。お前しか呼ばないから。」

「んぇ?」

「マーちゃんって聞こえたら百パーお前だろ。便利だからな。」

「そういうもん?」

「そういうもん。」

「そっかぁ。」


ふへへ、と満足気に口角を上げて眼鏡のテンプルを弄ぶエリを見て、マサトシは肩を竦めた。


「うん、お前はそうやって呑気に笑ってろ。さっきの顔は心臓に悪ぃわ。」

「僕、呑気に見える?」


含み無く、ただ疑問に思ってエリは首を傾げた。マサトシは一瞬、驚いたように目を見開く。


「ごめん、俺もデリカシーなかった。」

「いいよぉ、別に。ちょっと気になっただけ。呑気に見えてるなら、そのほうがいいなぁって。」


松下先生が、ホームルームの開始を告げた。パチパチと二、三度点滅するライトに、エリは視線を教卓の方へ移す。


「マーちゃん。」

「ん?」

「ほんとに、ありがと。」

「……おう。」


小さな声で最後の会話を交わしてから、二人とも口を閉じる。


次にカイトに会ったらどうするべきだろうか。


ホームルームの声をどこか遠くのことのように感じながら、エリは彼の空色に良く似た自分の髪を視界から払った。

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