たかが色、されど色。

さて、私立一楠異能学園では生徒達は1年生から3年生まで学年毎に4つのクラスに分けられている。つまり合計12クラスという訳だ。多少入学者数や入学者の異能力の種類によって変動はあるが、概ね1クラス20人程度が集まっている。


アキラの所属するAクラスには強化系、または操作系の生徒が集められている。これは異能力者全体に言えることだが、一番多いのは身体強化の異能力者だ。


他にも視覚などの感覚強化が強化系、硬度操作・重力操作・温度操作・時間操作などが操作系に割り振られている。例えばB組担任の身体強化異能力者である松下マヤは強化系に分類され、重力操作異能力者である相生アキラは操作系に分類される。時間操作の異能力者に関しては、場合によりC組へと送られることもあるがそのことは後述しよう。


強化、操作系の異能力者は昔から一定数居たようだ。狼男伝説などの一部は身体強化の異能力者だったのではないかという学者もいる。また視覚強化者などは特に日本でも千里眼など伝承扱いされてきたようだ。


エリ達のいるBクラスは自然系と精神系の生徒が所属する。このクラスで一番多い異能力は植物系統のものだ。既に生えている草木を操れるもの、原丘ハズキのように新しく生命を生み出すもの、どちらも出来るもの。あわせれば、全国的に見ても身体強化異能力者の次に多いだろう。


自然系異能力は多岐に渡っており、植物系以外は学年毎に1、2人ずつ程度しかいない。例えば雷、炎、風、水などを操ることが出来る能力者がいる。マサトシのような水を操る異能力者は全国で見ても特に少ない。それから光を操る者も、便宜上自然系とされている。


精神系は栗山クシロのように心を操作するものから、動物と会話出来るものといった牧歌的なものまで様々だ。直感系と並んで直接的な殺傷能力を持たない数少ない系統だが、その実一番犯罪に利用された報告が多いのは精神系の異能力である。


その特性上、強化・操作系の生徒が集まるA組というのは風紀に関わらずよく備品が壊れる。特にA組の時計なんかは参考にしない方がいい。体育館を使わせたら毎回必ず照明が割れると言っても過言ではなかろう。一方B組はB組で、自然物を扱う自然系の生徒はグラウンドの方が勝手がいいし、加えて精神系の生徒は概ねグラウンド横の飼育小屋にいる犬や猫、鳥、ヘビ、兎、羊、馬エトセトラ、などの動物達を相手にして授業を進める。必然的に、グラウンドはA組とB組が使用することが多かった。


だから実技の時間になった時に、松下先生は着替え終わったエリが皆と共にグラウンドへ出ていくこと自体は止めなかった。ただ一応忘れてはいまいかと声をかけるために、ぴょいと跳ねてエリの真横に立っただけで。


もちろん、驚いたエリとその横にいたモエミとマサトシは控えめな悲鳴をあげた。


「グラウンド行ったら遠藤さんは操作系の列に混ざってね。」

「あ、あぁそっか。はい、分かりました。」


考えないように頭の片隅に放っていたことを思い出して、エリはちょっと眉を下げた。昨日の今日で忘れるはずもないが、エリは突然の能力の変化を積極的に意識しないようにしていた。昨日学校を出る時にリュックに荷物を詰めるのに使って以来、わざと新しい異能力を使用していないのもそのためだ。


最初はそんなつもり無かった。変わらず異能力は便利だし、変わったからなんだ、と戸惑う先生方への反骨心的なものもあった。寧ろ積極的に使ってやろうとすら思っていたのだが。


まぁ元より、異能力者は自宅か理解のある場――学生の場合学校――くらいでしか異能力を積極的に使わない。だからエリが次に能力を使おうとしたのは、家のドアをくぐったあとだった。


「ただいまぁ。」


玄関口で靴を揃えるのにしゃがむのが億劫だった、というだけのこと。リビングの方に叫んでから、彼女は振り返って靴に向かって手を上げかけた。と同時に、父親が玄関に顔を出す。


「おかえり。ねぇ、先生からエリちゃんの能力について電話が来たんだけどなんか学校でトラブルでもあったの?」


エリは素直に答えようとして、言葉に詰まった。変わったから、なんだ。そう自分に言い聞かせようとしたのに、校長室で見た六つの目を思い出す。忘れもしない、あの日の両親の。


「んーん、なんでもない。」


使えなくなったんだよ、といえば喜ばれるんだろうか。別のものが使えるようになったといえば、なんと思われるだろう。


エリはにっこり笑って、しゃがんで靴を整えた。


部屋に戻って、久々に自分の足で本棚に近づいて、自分の手で本棚から本を引っ張り出す。


異能力は便利だ。でも、多分なくても何とかなる。じゃあ、異能力で得るものと失うものとどっちが多いんだろ。


ふとそんな思いが過ったけれど、小難しいことを考えるのは嫌でそっとそれに蓋をした。


その蓋が、「操作系の列に混ざって」という松下先生の言葉でずり落ちる。エリはやっぱりにっこり笑って、ただ頷いた。そのままくるりと友の方を向いて、わざとらしく声を上げる。


「ぼっちになるよぉ、マーちゃんも青ジャージに混ざろうよぉ。」

「お前ならすぐ話し相手くらい見つかるだろ、えぇい腕に縋り付くな重い!」

「マサ、懐かれてるわね。」

「なにその微笑ましいものを見る目。森岡は遠藤の保護者か何かなのか?」


騒がしくグラウンドへ向かう途中、反対方向に進む生徒とすれ違う。オレンジと黒の群れ。体育館に行くC組だろう。


Cクラスにいるのは創造系と消滅系の生徒。消滅系の異能力者というのは、殆どの場合「触れたものを即時的に劣化される」、または「触れたものを消し去る」のどちらかの異能力を持っている。故に時間操作者のうち、時間を進められるが巻き戻すことは出来ないという能力者は消滅系に分類されるのが通例である。


消滅系の異能力者というのはどの世代で見てもかなり数が少ない。Cクラスにて多いのは具現化能力をもった異能力者である。こちらは創造系に分けられる。絵や物を媒介として生成する具現化能力者が多いが、創造系の中には何も無いところから物を生成する異能力者も少ないながら存在する。


なお自然物を生成できる創造異能力をもつものは総じて自然系に分類される慣例になっているため、創造系と呼ばれるのはもっぱら人工物のようなものを生成する異能力者たちだ。


創造異能力者の中には、明確な意志のある生命体を生成する異能力を持つ者がいる。その場合は他に何が生成できるのかなどを確認した上で自然系か創造系、どちらかに振り分けられるそうだ。まぁそんな能力を持って入学してくるのは、過去にこの学園にいた人数を合わせても片手で足りる程度の割合らしいが。


廊下を1年達が移動する中、ひとつの教室だけはいつもの休み時間を過ごしている。エリが横を通った時に中を覗けば、この教室の生徒は全員クラスに残っていた。D組だ。


ここは、些かイレギュラー的扱いを受けるクラスである。彼らは実技の時間を持たず、この時間はカウンセリングに当てられているはずだ。不明系の中に実技の必要があるものがいれば、どこか別のクラスの実技にまじることになっているらしい。


自らが知り得ないはずのことを見てしまう、知ってしまうものたち。それがDに所属させられる直感系の異能力者。突如閃きとして、または幻影として、または夢として、場所と時を超えて出来事を見るもの。または人ではない「何か」を知覚したりするものなどが当てはまる。昔は予言者や霊能力者などと呼ばれて、オカルト的に扱われていた異能力者が多かったようだ。


それから、どこに分類すべきか分からない異能力を持ったものもこのDクラスにあてられる。過去には回復系の異能力をもった生徒がいたため不明系に分類された生徒がいたが、現生徒内にはこの不明系とされた者はいない。異能力者全体で見ても、回復系くらいしかぱっと該当するものが思いつかぬ程度には珍しい存在だ。だからこそ分類を諦められた、とも言えよう。


C組とすれ違い、D組の教室横を通り過ぎて昇降口へ。グラウンドにつけばマサトシにぺいと引き剥がされたので、エリは大人しく操作系の生徒が集まっている方に足を向けた。簡単な話だ、ジャージが青い生徒の群れに混ざればいい。


赤と青のA組の群れの中で、自然系の生徒に配られた緑色のジャージはやけに目立つ様な気がした。エリは思わず眉を寄せる。


アキちゃん探そ。


唯一のA組所属の知り合い、かつ今や同じ能力を持つ同士を探すべく、エリはグラウンドに目を滑らせて背の高い赤毛を探した。


「アキちゃん、おはよう。」

「ひぇっ!」


後ろから声をかければ、彼は比喩ではなくぴょんと飛び上がった。恐る恐るふりかえって、ほっと肩の力を抜く。


「遠藤さん。どうしてこっちに?ていうか、昨日あの後大丈夫だった?」


物理的には見下ろされているはずなのだが、挙動の小動物らしさからかどうも見上げられている気分になるなとエリは微笑んだ。相変わらず目線をウロウロと泳がせながら問うたアキラに、彼女はまぁ色々と、と雑な回答を寄越した。


アキラは昨日テストの直後に校長室へドナドナされているエリを目撃しているが、その詳しい理由はよく分かっていない。なぜB組の子が自分と同じに見える能力を使っているのだろうと、自分の直後に行われた彼女のテストの様子を見ながら首を傾げた程度だ。


「僕今日からこっちなの。」

「ふぅん?遠藤さん、やっぱり重力操作の人だったの?」

「うんまぁ、そんな感じ。」

「じゃあ、今日からよろしくね。良かった、僕話す人いなくて……」


上手く人に話しかけられなくて、と目線を落としたアキラに、エリはきょとりと瞬いた。根からコミュニケーション能力のある奴は、ない奴の気持ちを想像しがたいものである。ビビりではあるが割合人懐っこいエリは、そんなものなのかなぁとイマイチ腑に落ちない顔で頷いた。


朝のホームルームで原丘が言っていたように、そもそも異能学校の実技というのは教科としてかなり無理がある面が大きい。全員が全員自分の能力と同じ能力を持つ教師に出会える訳では無いからだ。何かを教わる場というより様々な局面を想定し能力に慣れさせる場、という程度のものと考えた方がよかろう。


「今回は実技授業の初日ですので、似た能力を持つ生徒同士でペアを組んで出来ることを共有してみてください。人に向かって打つことだけはしないように!怪我に気をつけてね。」


A組担任の言葉に、アキラとエリは顔を見合せた。重力操作の能力を持つ1年生徒は、登録では相生アキラのみであった。なので必然的にアキラとエリがペアを組むことになる。


「やっぱり人に向けて打っちゃ駄目なんだね……昨日はごめん。」

「うーうん、僕が言い出したんだし。」


ケロリと言い切ったエリにアキラは眉を下げた。色々とつっこみたいことはあったが、それが言えるなら苦労はしていない。似た能力を持たない人はどうするなどと揉めている教員を横目に、とりあえず指示通りに出来ることを共有すればいいかとアキラは口を開きかけた。


「ね、僕まだよく重力操作のこと分かってないんだ。アキちゃんはどんなことが出来るの?」


と同時に出鼻をくじかれた。


「よく分かってない、って?」

「だって昨日初めて使ったんだもん。」


あまりにも言葉足らずの説明に、アキラはくるりと目を回した。結局、コミュニケーションの技量が不足している彼は


「そうなの。」


と全てをぶん投げた返事をエリへ進呈してから目線をボール籠に移した。好きに使っていいよ、と言われていたそのボール籠の中からバレーボールを一つを取って、それをエリの目の前に置く。


「ボールに、っていうよりはボールの周りの空気に能力を使うイメージ。これくらい小さければ、結構高く浮かせられるよ。」


アキラが腕をボールの方に向ける。ふわりと浮いたそれは、高く上がってからまたゆっくりと降りてきてアキラの手の中に収まった。


「あとはこういう、ペラペラしたやつに重力をかけて地面に落としたりとか。」


アキラは話しながら青色のジャージを脱いで地面に放る。


「遠藤さん、拾ってみて。」

「これ?」


エリは言われた通りジャージを持ち上げようとして、うぉ、と小さく声を上げた。


「すごぉい、ビクともしない。」

「解除するね、気をつけて。」


彼の言葉に合わせて少し力を抜く。難なく持ち上がったジャージに反動で少しふらついたけれど、すぐにバランスを立て直してエリはジャージをしげしげと見つめた。


「遠藤さん、それは普通のジャージだよ。手品じゃないんだから。」

「あはは、ついつい。なんだか重さを操作してるみたい。」


アキラの方へジャージを投げる。エリがよく知る布と同じ動きでそれは空を舞って、アキラの手に納まった。


「起こる現象は似てるかもね。実際測りに載せればグラム数の表記が変わる訳だし。まぁ、質量操作とは違って物そのものを変化させているわけじゃないんだけど。」


自身の能力のことなら、アキちゃんは少しだけ流暢に話せるんだな。


手の中のボールを弄びながら答えたアキラに、エリはそんなことをぼんやりと思った。気を許してくれたようで少し嬉しい。


実の所「アキラは話の内容に興が乗れば流暢に話せる」が正確な表現であるが、エリがそれに気がつくのはもう少し彼と親しくなってからの話である。


「どれくらい大きいものなら浮かせられるの?」

「一度車を浮かせて怒られてからはあんまり大きなものは持ち上げてないから分からないや。あとは……あぁ、壁を歩いたりできるよ。」

「宇宙船の中みたい。」

「うん、やってることは同じ。」


エリにポイとボールを投げて、アキラは近くの木を歩いてみせた。そう、歩く。登るではなく。パフォーマーの如く、てくてくと地面と直角の方向に数歩歩いてから彼はふわりと降りた。


「こうやって自分を浮かせることも出来るけど、あんまり得意ではないかな。自分の全身は見えないからね、周りの空気のイメージが掴みにくくて。」


だからあまり高くまでは行かないようにしてる、と彼は肩を竦めた。エリは想像よりも風の異能力と大きく違うものだなと瞬く。


「なるほどね。その点風の方が自分を浮かせるのは楽だったかもなぁ、道があれば良かったから……」


こう自分を持ち上げるようなルートをイメージして流せば、とかつての感覚でエリは何気なく腕を振った。どうせもう使えやしまいと油断しきっていた、その時。


ぐおん、と何かに突き上げられるように視線が動く。一拍置いて知覚した、音と冷たさ。


「うぉわぁ!?」


水だ!


笑えないくらい漫画じみた軌道で、何処からか湧き出したように溢れた水が真下からエリを突き上げた。


あ、凄い、フライボードみたい。


一周回った現実逃避で呑気にそんなことを考えたエリよりも、下に取り残されたアキラの方がよっぽど仰天した。


「え、遠藤さん!?」


咄嗟にアキラは腕を上げた。水で押し上げられたエリめがけて異能力を発動する。彼女が安定して浮くのと、水が力を失ったように地面にバシャリと打ち付けられるのが同時だった。


「いったぁ!?」


自分の真上から降ってきた重い水の塊に驚いたアキラが悲鳴を上げる。アキラの気が逸れ、彼の異能力が途切れる。そして水も落ちてしまっていたので、エリは体の支えを失った。


くん、と地面に向かって体が引かれたような感覚。落ちる、と知覚する間もなく景色が線になった。風を切る音。生存本能から凄まじい回転を始めたエリの脳味噌が、とにかく何か、と命令を飛ばす。


水でも風でもなんでもいいから、とにかく何か、浮いて!


風の音が止まる。

それから、少し遅れて圧迫感。


……おそるおそる、エリは目を開いた。


「えーと、あれは誰?誰君かな?」


朝にも聞いた呑気な声に、エリは視線を動かした。数メートル下、へたりこんだアキラの隣にいるのは猫背の方の非常勤講師だ。


「えっ、と、遠藤ですー!」


とりあえず目が合ったので、エリは自分の名前を答えた。なぜこの状況で呑気に名前を聞かれているかは分からないが。というか、どんな状況かもイマイチ分からないが。とかく地面に叩きつけられることは回避したらしい。2階くらいの高さで宙吊りになっていることは確かだった。


「遠藤くんね、今下ろすからじっとしててねー!」


するすると目線が下がっていく。そこでようやく、エリはジャックと豆の木よろしく足元のグラウンドから何かが生えていることに気がついた。なるべく体を動かさないように目線を移動して、このグラウンドから突如生えた蔦に助けられたことを理解する。道理で腹に圧迫感がある訳だ。


「はい、もう平気だよー。」


ある程度の高さになった所で原丘は腕を伸ばしてひょいとエリを抱える。するりと蔦が外れて、地面に呑まれていった。


「なんか人が打ち上がってたからとりあえず捕まえたんだけど、どうしたの?」


地面に下ろされながら問われたものの、エリは言葉を探して目を泳がせる。どうしたかと言われても、こっちが聞きたいくらいだ。突然水が湧き上がる理由なんて知らない。水道管の破裂?にしては、あっさりと収まったものである。


「君らもこの辺りもびしょびしょだね。あれ?何組?君は何君?」

「あ、いおいです。」

「相生くんと遠藤くん。あれ、水の子って真部くんだけじゃなかったっけ。」

「今のって、異能力ですか?」


かなり奇妙な疑問だな、と口にしてからエリ自身首を傾げる。案の定原丘も首を傾げた。


「違った?水、いきなり現れていきなり消えたよね。僕B組の子達見てたから、最初から見てた訳じゃないんだけど。」


彼の目線を辿って、エリはこちらを見るひとかたまりの生徒たちと目を合わせた。B組も同じようにペアを組んだのだろう、ペアの相手がいない異能力を持つ生徒たちの集まりのようだった。原丘と同じ自然系の、緑ジャージの生徒数名。マサトシとモエミもいる。


「ぼ、くはてっきり遠藤さんの異能力だと思ったんです、けど……」


原丘に手を引かれてアキラが立ち上がる。


「遠藤さんが腕振った時に出たように見えました。でも遠藤さん、重力操作なんだよね?実際、僕が異能解除しちゃった時も自力で浮いてたし。」

「え、ホント?意識してなかったや、すぐ蔦に引っ張られたから。」


エリはアキラの言葉に必死に先程のフライボード現象を思い返す。


風の能力の話をしていて、道を考えていたら沢山の水が出て。水が止まって。すぐに落ちかけて、景色が止まって、圧迫感。うーんダメだ、よく分からない。


「さっき彼女が浮いていたのは相生くんの能力?」

「はい、途中までは。でも、水に驚いて解除しちゃったので……」


原丘は少し考え込むように頭をかいた。エリの方に向き直って尋ねる。


「遠藤くんって異能変わった子だよね。今は何が使える?」

「重力操作のはずですけど。」


さっきと同じように、でも恐る恐るエリは風を起こそうとしてみた。さっきはこれで水が出たのだ。


「うん、水は出せない。」

「重力操作見せてもらえる?あのボールでいいから。」


さっきまで2人が使っていたバレーボールが、水に押されて少し遠くに転がっていた。原丘の言葉に頷いて、エリはボールに狙いを定めた。


「あれ?持ち上がらないな。」


何も使えなくなったのかな、と首を捻ってからもう一度エリは腕をボールに向ける。


地面が、動いた。


ボールの周りが、モグラが通った跡のように盛り上がった。


「あれ、」


また何か違う、と瞬いてから、もう一度。とにかく、何か。キュッと目を細める。


瞬間。さっき見たような蔦が地面から顔を出した。そのままボールを絡めとって2mほど持ち上げる。


沈黙。


猫背の原丘がゆっくりそれに近づいて、手を伸ばした。意外と身長の高い彼は、ボールを引っ張ってから肩を竦めた。


「ダメだ、絡まってる。僕、人が出した植物は操れないんだよね。それにしても……これも遠藤くん?」

「う、うーん。僕自身にも何が何だか。」


視界の端で、誰かが動いた。エリはこちらを伺っていた緑ジャージの生徒達に顔を向ける。モエミがこちらに近づいてきていた。


無理に頬を上げたような笑み。


「ねぇエリ、二つ質問するわね。」


自分より少し大きいモエミを、エリはキョトリと見返す。相変わらず彼女の銀髪は光を透かしてきらきらしていた。


「なぁに、姉御。」

「昨日、私達と別れてから異能力を使った?」

「昨日?……いや、今日の実技まで使ってないよ。」

「そう。じゃあもう1つ。この学校に入るまでに、私の他に異能力者に会ったことは?」

「ない、けど。」


それがどうしたの、とエリは目線を泳がせた。


原丘は相変わらず覇気のない目で首を落ち着きなく撫でている。


不思議なものを見るように生徒達がこちらを見ている。


マサトシは苦虫を噛み潰したような歪んだ顔で、モエミのことを見ていた。


そのモエミは、相変わらず妙な笑みでエリを見ている。


アキラがエリを見る丸い目だけは期待に満ちていた。


彼以外皆、酷く不安げだった。その向こうで、他の生徒と教員とで淡々と授業は進んでいた。


ふわりと優しい風が頬を撫でる。モエミの起こした風だった。ゆっくり腕を下ろして、モエミがはっきりとした声で告げる。


「風、起こしてみて。」

「え?いや、駄目だよ。姉御も知ってるでしょ、僕もう、」

「大丈夫。」


凛とした声に、エリは酷く胸がざわついた。


「起こせるのよ。多分、今は。」


どうしてそんな顔するの。聞こうと思って、やっぱり飲み込んだ。


かつてみたいに足元の枯葉へ腕を上げる。道を見据える。風の、道を。


ごうと聞き慣れた音に包まれながら、浮かび上がった枯葉が踊る。エリはようやく理解して唇を噛んだ。


モエミに空を飛ばせてもらってからずっと、風の異能力を使っていた。初めて他の異能力者、アキラの異能力を受けて異能力が変化した。マサトシの水を飲んでから使った異能力は水で、原丘に助けられた後は植物を生み出した。


そして、今。


間違いなかった。


遠藤エリは異能力に影響を受ける度に、まるで鏡の如く、その異能力を自身に映していた。最後に影響を受けた異能力だけを、使うことが出来たのだ。


***


「遠藤さん。」


帰りのホームを終えてほとんどの生徒が教室を去っていく中、エリは頬杖をついて松下先生のことを眺めていた。放課後残るよう言われていたからモエミとマサトシには断って先に帰って貰ったのだが、のろのろとおしゃべりに興じながら帰り支度をする数名の生徒達はなかなか捌けきらないようだった。何人かがチラチラとエリの方を振り返っていたが、エリはただ絡みつく視線を無視してぼうっと席に座っていた。


「遠藤さん?」


ようやく眺めていたはずの松下先生が視界から消えて、すぐ目の前に立っていたことに気がつく。いつの間にか彼女以外教室に人はいなくなっていた。


「大丈夫?」

「あ、はい。用事ってなんですか、せんせー。」

「クラス分けの話よ。」


小柄な彼女が机の前に立つと、座っているエリとちょうど目が合う。


「これからも、貴方はB組に所属することになるわ。でもね……」


カン、と小さな硬い音を響かせて、なにかがエリの机に置かれた。


校章ピンだった。


エリは自分のブレザーについた校章を改めて見た。今置かれたものと、同じエンブレムのあしらわれた校章ピン。同じものだ。


色以外は。


エリのものは自然系の生徒の証である緑色をしていた。


「……貴方の登録は本日付けで自然系統から『不明系統』に変更されました。」


転がっている校章は、窓から西日を受けて銀色に鈍く光っていた。銀色。今この校舎で、誰もつけていない色。


「今期のD組には直感系の生徒しかいないの。だから、遠藤さんがD組に移る必要はないと判断しました。ジャージはわざわざ新調しなくてもいいって、」

「どうせ、」


松下先生の言葉を遮って、エリは校章を見つめたまま声を落とした。


「どうせ、僕がどこにいても、どう扱っていいか分からないんですものね。」


移動する必要は無い?否、誰も対応が分からなかったから1番若い松下先生に体良く押し付けただけだ。大人達も気がついてはいた。自覚した上で、皆、目を閉じた。


「そうね、始めてだから。」


静かに、出来る限り嘘をつかぬように松下先生は答えた。エリの返事はない。松下先生はモエミの席を引いて、エリの前に座った。


「来週から、少しずつ色々な異能力に触れてもらおうと考えているの。本当に全ての能力が移るのか、どういう時に移るのか、確認した方がいいでしょう?」

「せんせー、それは、僕で実験したいからですか?」


エリは校章を指で弾いた。軽い音がした。松下先生は一瞬虚をつかれたように目を見開く。そっと目を伏せて、彼女は言葉を探した。


エリは少し顔を上げて、彼女の弁解を待つ。


「もしも君が君のことを知りたいと思っていないなら、これは私たちがデータを摂るための実験以外の何物でもないだろうね。」


ゆっくりと顔を上げた彼女の黒い目は、柔らかさを含んでいた。予想外で、エリは逃げるようにまた校章に視線を落とす。


「嫌なら、嫌と言っていい。本当だよ、私が止めるから。なぁに心配しなくていい、私のことをクビにできるわけないんだ。数少ない異能力者の教員免許持ちなんだから。」


松下の小さな笑い声が教室に響いた。


「でも利用する気があるなら、利用しなさい。またとない機会だ、と私は思うよ。いくら何を壊したって、怒れやしないんだから、思い切り試してみればいい。自分のことなのに分からないのは、嫌だろう?」


言いくるめられているのだろうか、とエリはくるくる頭の中で彼女の言葉を転がす。難しいことは、よく分からない。


「……そうですね。知らないのは、嫌です。」


彼女の言葉から、分かったところだけ拾い上げる。エリは自分の制服についた校章を外して、それを机に置いた。代わりに銀色を手に取る。


立ち上がってリュックを掴む間、松下は黙ってエリの動きを追った。


「せんせー、また明日。」

「はい、遠藤さんまた明日ね。」


銀色を握って、エリは教室のドアを開けた。振り返れば、西日を背負った松下先生がこちらに手を振っている。こうして見ると幼子にしか見えぬと思っていた担任が、自分よりもずっと草臥れて見えた。


彼女は確かに大人で、ずるくて、きっと僕よりずっと。


エリはゆっくりと瞬きをして考えを振り落とした。手を振り返して、教室から廊下にひょいと出る。数歩進んでから振り返り、ドアを閉めようと腕を上げる。自分が今何の能力を持っているのか思い出せなくて、結局、開いたドアに背を向けた。

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