第四章【30】



 ティアは死んだ。尊へ、愛と呪いを残して。


 彼女が死んだことを確認した神聖十字騎士団は、軍勢を引き上げることを決定した。各国で準備されている連合軍も、解散するであろう。少なくとも、セントはそう言った。


『せっかくですから、アマロ大聖堂へ行きませんか? 今のホーリィを、一目見てほしいのです』


 そう提案したセントであったが、尊は、丁重に断った。今さらホーリィに合わせる顔もないと思っているし、何より、やることがあったからだ。


「こんなものかな……」


 ティアと尊、2人が過ごした家。その入り口の前に、石が積まれていた。墓だ。尊はティアを埋葬し、弔っていたのだ。


 神聖十字騎士団からは遺体の引き渡し要請が、当然のようにあった。だが、尊は、がんとして譲らなかった。絶対に自分で彼女を弔うつもりだったのだ。難色は示されものの、最後にはそれを認めてくれた。セントという、尊の人柄をよく知る人物がいたのは、本当に幸福だったと言えよう。


 ティアの魂を、この島で眠らせてあげたかったのだ。


 彼女にとっては、思い出の深い島というわけでもないだろう。ほとんどの時間、憎しみを抱えて生きてきた場所だ。だが、同時に、ここは尊とティアが出会った場所でもあるのだ。


 愛する人と、愛する時間を過ごした場所で、眠ってほしい。


 だからこそ、尊は、この島にティアを埋めることにしたのだ。


「ティア……」


 両の手のひらを合わせて、尊が祈りを捧げる。ティア=トゥガという、激動の生を力強く駆けた人に、安らかな眠りがあるようにと。それと、かつて彼女が愛した者達と、死後の世界で出会えるようにと。尊は、静かに、懸命に祈った。


 愛別離苦あいべつりく


 愛する者との別離わかれ、それによる苦しみ。仏陀ぶったは、そこから悟りを得たという。


 別れは、何度も経験した。その度に、苦しいと思った。ティアとの別れも苦しい。それは永遠に慣れない。


 だが、尊の中で変わったこともある。


 生きようと思うようになったのだ。


 ずっと、死のうと思ってた。苦しいのなら、自分はもう死ぬしかないと思っていた。不幸を撒き散らす存在であり、そんな自分に生きる価値はないと考えていた。愛する者達と別れたのは、自分が呪われた存在だから、死ぬべき存在だからと思考した。


 ――愛してる。生きてくれ。


「分かったよ……生きるよ、ティア」


 ティアが最後に残した言葉。尊は、それに応えることにした。


「アンシュリト」


 憎き女の名を呼んだ。アンシュリトからの返事はない。構わず、尊は続ける。


「俺は生きることにした。何があっても、最後まで生きる。ティアが愛してくれたこの命を、俺は捨てない」


 尊の一念に対し、アンシュリトは言葉を返さない。尊の脳内に不快な雲が流れる。アンシュリトが、いらだちを抑えきれていないようだ。


「アンシュリト……お前が俺を愛してるのなら、それでいい。これまでは、ずっとそれを振り払おうとしてた。だけど、それだって愛の形であり、否定してはいけないものなんだ。ティアが教えてくれた」


『止めて』


 アンシュリトがそこでようやく、口を開いた。


『止めて……止めなさい! あの女はもういない!! あの女のことを、あなたは想う必要はない!!』


「それはない。俺は、一生ティアを想い続ける」


『あの女は死んだ! 私は勝った! あなたは私のもの! それは揺るがない!』


「勝ちも負けもない。ただ、愛があった。その事実こそが、不変だ」


 そう、愛があったのだ。それを、誰が否定出来ようか。辛くても、苦しくても、尊はティアを愛していた。それを誰にも否定などさせるものかと。


「どんな苦難があろうと、俺は生きぬいてやる」


 宣誓は力強く。もはや、尊に死をこいねがう本意はない。


 ティアが生きてほしいと、願ったから。


 ティアが愛してくれたから。


「ティア……ありがとう。俺を愛してくれて、ありがとう。これからは、死ぬのではなく、生きることにするよ。この世界を、精一杯、どんなに辛いことがあっても」


 そう言い残して、尊は歩き出した。ティアが眠る墓と、彼女と過ごした家に、背を向けて。この島の外へ出るつもりだった。


 何もない島だったのに、思い出はいくらでも詰まっている。それを抱えて、これからもこの島で生きるのも悪くはないと思っていた。だが《“一切皆苦”》があっては、いずれこの島にも災いを落としてしまうかもしれない。尊としてはそれを避けたかった。


 それに、だ。


 ティアならば、きっと、背中を押すような気がする。歩いて、歩いて、世界を回って、そうやって生きる。そんな生き方を選んだ方が、彼女は笑ってくれる気がする。だからこそ、尊は、島を離れることにした。


 尊の足取りは軽い……とは言えない。結局のところ、艱難辛苦かんなんしんくが待ち受けることは確定している。そこにわざわざ喜んで飛びこむような神経はしていないのだ。


 だが、それでいい。


 それでいいと思えるほどの愛を、ティアから受けとった。


「愛別離苦……仏陀よ、あなたが愛する者と別れた時、一体、どんなことを思いましたか?」


 苦しみだけでないのなら、喜ばしい。尊がそうであるのだから。


 森林を抜けて、海へ出た。まさに白砂青松はくしゃせいしょう、見渡す限りに美しい海岸だ。ここから離れるのは名残り惜しいが、それでも、尊は足を止めるつもりはなかった。


「あっ……どうやって、この島から出よう?」


 思い返せば、尊は別に意図してここに来たわけではない。偶然の産物で島に入ることが出来た。では、出る時はどうするのか。また海に身を投げて、溺れて、波に行く末を任せるのか。それは無防備がすぎる。


「……イカダでも作るかぁ」


 尊が静かにため息を吐いて、肩を回した。結局、終わりの時にまで、自分で道具を作らなければならない羽目になった。彼女と一緒に生きていた時と、同じように。


「ティアが見たら腹を抱えて笑いそうだ」


 太陽の光を浴びて、燦然さんぜんとした光を乱反射させながら、穏やかに波が揺れている。波の音を聞きながら、尊は、自分の為すべきことのために身体を働かせるのであった。もう少しだけ、この島で生きることになりそうだ。




△△△




 ティア=トゥガ討伐の信託は、結果だけを見れば空振りに終わった。


 神聖十字騎士団や、各国の連合軍はその意義を見失い、早々に撤兵することになる。


 しかも、色々な事情を鑑みて、真実を公表するわけにもいかなかった。ティア=トゥガが死んだ経緯だけでも、混迷極まる状況と言って過言でないのだ。全部が全部真実を伝えたら、どんな混乱を巻きおこすか想像もつかなかった。


 そんなわけで、ティア=トゥガが生きて、死んだという事実は徹底的に歴史から抹消されることと相成ったのだ。


 ゆえに、この物語は……決して、語られるとのない物語なのである。


 余談だが、神聖十字騎士団の大規模出征と、各国の連合軍が形成されかけた形跡があったことだけは完全に消せなかった。それを探求しようとした歴史家達の中で、『これには黒染めの聖者が関わっている!』と声高に提唱する者達がいたのだが……それらは全て、鼻で笑われるようなとんでも歴史説れきしせつとして、市井しせいの小説の種として使われる程度に終わったことを、ここに記しておく。


 

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