第四章【28】



 尊の腹に穴が開いていた。ティアの拳が穴を開けた。何も持ってない、何も装備してない、徒手空拳でこれほどのダメージは経験したことがなかった。《“鬼神”》の力が、即座にそれを治そうとする。


「ほいよ」


 すかさず、ティアの拳が尊の脳天を撃ちぬこうとする。自動防御が反応し、両腕を交差して防御する。骨が折れるどころか砕ける音がした。


「ああああああああああああああああ!!!!!」


 咆哮とともに、尊が《竜の息吹ドラゴンブレス》を放つ。圧縮された力の奔流ほんりゅうが、0距離からティアを襲う。


「邪魔」


 ティアが右腕をかざす。それだけで、《竜の息吹ドラゴンブレス》はその威力を殺され、まともなダメージを彼女へ与えなかった。尊は、信じられないものを見た心持ちだった。


「よっ」


 尊の右腕がつかまれる。《“鬼神”》による自動治癒で回復したのもつかの間だ。


「ほっ」


 大振りな動きで、尊を地面に叩きつけた。まるで、布をぶるんぶるんと振り回してるかのようだった。繊細さの欠片もない粗暴する暴力。


「それ」


 だが、威力は絶大。ティアが腕を振るい、尊の身体が地面に叩きつける度に、骨はきしみ、関節は外れ、血管がちぎれた。


「ほいさっさ」


 鈍い打撃音が響く。ティアの表情と動きは軽やかだ。全てが粗暴な攻撃ながら、力みが全くない。


 以前、尊は聞いたことがある。本当に威力の高い攻撃とは、力を脱いた先にあるものなのだと。基本は力を脱いた上で、必要なタイミングで力をこめる。これをすれば威力が最大限に出るのだ。


 そして今のティアには、力みがない。本気を出す前の彼女は、力みも何もなく、ただただ圧倒的な力を振り回すだけだった。それが、脱力という要素を得てさらなるパワーアップを果たしている。


 尊には、なぜそうなったのか、想像がつかなかった。おそらくは彼女に刻まれたあの刻印こくいんに影響があるのだろうが……その程度の理解だ。


「ごぁっ……がっ……がああっ!!」


 振り回されながら、尊もまたティアの腕をつかむ。力をこめて、強引に彼女の骨を折ろうとした。


「やらせねーよ」


 ティアが尊を放り投げた。尊の身体が、何度も何度も激しく回転しながら転がっていく。


「《爆破プローデクス》!」


 起き上がりざまに、尊が魔術を唱える。狙いは定めない、定めている暇はない。爆音が響く。


「しゃぁっ!」


 爆風の中から、ティアが飛びこんでくる。尊は無意識に拳を握り、殴りかかっていた。真正面から、ティアの拳とかち合った。尊の拳が弾け飛ぶ。


「ごああああああああああ!!」


 再度放たれる《竜の息吹ドラゴンブレス》。ティアはまたしても手のひらをかざしただけで、防いでみせた。


「おらよ」


 軽々しい言葉とともに、ティアが頭突きを繰りだす。尊は腕で防御する。巨大な鉄球がぶつかったような、それほどに重苦しい痛み。口からうめきがこぼれ出る。


「そら……よっ!」


 今度は、ティアが脚を伸ばしてからの前蹴りを放った。全く安定してない姿勢ないのに、すさまじい威力。胃が、腸が、全ての内臓が破裂してしまうのではないかと、そんな危険信号が尊の全身を駆けた。


「がっ……あっ……」


 尊が、膝をついて、地べたを這いつくばる。視線が地面へと落ちた。《“鬼神”》の力を、持てる力をフル稼働させてなお、勝てるヴィジョンが浮かばないほどの強さだ。


「……すごいな。本気を出したあたしに、ここまでついてこれるなんてな」


「……がっ……ああっ」


「お世辞じゃないぜ」


 ティアの言葉は、尊の耳に届かない。痛みの蓄積は、とっくにオーバーフローしている。まともな思考が出来なかった。


 ああ、死ぬなぁ。


 ぼんやりと、尊は思った。


 望んで、望んで、やっと手の届く位置に来た、死。死にたい、殺してくれ。何度も、何度も、願った。ようやく、願いが叶う。


 視界が歪む。痛みのせいだ。でも、尊は、ティアの姿を見たくて、顔を上げた。


 笑っているような、怒っているような、泣いているような。ぼやけた視界では、ティアの表情が細かく見えなかった。最後の最後は、愛しい女の顔を見つめながら、死にたい。尊は、持てる力の全てを振りしぼって、立ち上がった。


 ティア。ティア。ティア。


 ありがとう。ありがとう。


 ティア。


「愛してる」


「あたしも、愛してる」


 2人で交される、純然じゅんぜんたる愛の言葉。極限の状況にあるがゆえ、混じり気など少しもない。互いが互いを愛してると、はっきり伝えられた愛の告白。


 尊は、拳を握った。


 まだだ、最後の最後。その時が来る一瞬まで、俺は本気で彼女と向きあわなければ。ティアが望んだんだ。その望みに全力で向きあわずして、何がたっとき男だというのか。


 ああ、きっと、彼女はこの境地に至ることを求めたのかもしれない。力と力がぶつかり、削りあった末。そこに身を置いた状態で、果たして、俺がどんな言葉をかけるのか。それを、ティアは知りたかったのか。ああ、そうだ、そうに違いない。


 ――ティア、君は、今、笑っているんだろう?


 だって君に向けた愛の言葉は、きっと、綺麗で、澄んでいて、純粋なものなんだ。この愛で、俺は君と最後に拳を交えよう。この世界に生きる自分を呪ってばかりだった。でも、この瞬間、君を愛した自分を、心からいつくしもう。尊の脳内は痛みが覆っているのに、奥底に潜んでいるのは、愛の光。痛みなんてどうでもよくなる。


 俺は、ティアを愛した。それさえあれば、いいんだ。何の疑いもなく尊はそう思った。


「終わりにしよう」


 ティアの短い宣告。瞬間、尊は大きく拳を振り上げた。


「おおおおおおおおお!!」


「あああああああああ!!」


 裂帛の咆哮が交差する。2人の拳が、風を切る速さで放たれた。


 そして、拳が。


 尊の拳が。


 ティアの身体を、心臓ごと、貫いていた。

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