第四章【27】



 この島に名前はない。地図にものっていない。ティア=トゥガという女性を、封印するためだけの島だ。ただそれだけだ。


 この島が、戦いの場所となる。戦うのは尊と、ティア。両者とも並外れた力を持っている。ある意味、何もない島なのが幸いした。心置きなく戦えるからだ。


「《“一切皆苦”》……決して死ぬことも、殺されることも許さない呪いか」


「そうだ。今まで、この呪いを越えることが出来た者はいない。骸だったとはいえ、ドラゴンですら無理だった」


「なるほどな、まぁ、あたしなら出来るが」


 尊が聞く限りでは、ティアの言葉は淡々としていた。そこにおごりもたかぶりもない。あくまで純然たる事実だと言わんばかりだ。


「そうか、それなら安心だね。いや、安心というにはおかしな話なんだけど」


「……なぁ、タケル。ワガママ、1つだけいいか?」


「何?」


「本気であたしと戦ってくれ」


 思わず、尊はいぶかしんだ。ティアは少しだけバツの悪そうにほおをかいた。


「ああ、いや、さ。なんていうか、その、一度、タケルと本気で戦ってみたかったなぁ、なんて思ってて……最後だからさ」


「最後、か」


 そう、最後だ。尊が《“鬼神”》を解放して、腕を振るうのも、これが最後の機会になるだろう。《“一切皆苦”》による自動防御以外で抵抗なんてする気は全くなかったが……ティアが望むのなら、それもいいのかもしれない。


「その、さ。タケルがあんまり戦うのを好きじゃないことは分かってるさ。けど、なんてーのかな……最後の時間をさ。こう、上手く言えないんだけどよ……全力でぶつかって、後ぐされしたくないっていうか」


「ふふ、そうだね。こんな機会だから、思う存分殴りあうのもいいかもね」


「へへ! そうだろ!」


 子供のような声でティアが言った。夕日をバックに殴りあう、みたいなものかと、尊は変な納得をしてしまった。


 とはいえ、お互い本気でとなると、ただの殴りあいではすまない。


 圧倒的な暴力と暴力のぶつかりあいになるだろう。


 尊は、深呼吸をした。


「いくよ」


 《“鬼神”》の姿を解放。鈍色に染まる肌。均整のとれた身体に纏う筋肉の鎧。腰に巻いた漆黒の外套に、両手両足にそれぞれ1本ずつ巻き付けられた鎖。仮面の顔は悪鬼。むきだしの牙。つり上がった目尻。両の白眼。そこから流れる深紅の線。


 尊が、異様なる姿を顕在させる。


「おう」


 短く言い放ったティア。


 直後、尊の右拳と、ティアの左拳が、真正面からかち合っていた。


「ぐぅぅぅぅ……!」


 拳を始点として、稲妻が尊の身体を疾走はしる。痛さなどとっくに通りこしてしまうほどの衝撃。土埃が舞った。


「うっ、りゃああああああああああああ!!」


 ティアの喚声が尊の耳をつんざく。当然ではあるが、その一撃で終わるはずもない。すさまじい速さの拳撃けんげきが、矢継ぎ早に尊の全身を砕かんとする。《“一切皆苦”》の自動防御がそれらを全て防いだ。防いだ、ということはつまり、それらは全て絶命に至るほどの重さがあるということだ。


「いや! これは! ちょっと……!」


 攻撃が激しすぎる。尊が返す瞬間すら、与えられない。本気でぶつかり合おうという話だったが、まずそこに至ることさえ出来ないのではないか。尊は、末恐ろしくなった。


「《防護テクトプロ》」


 単純な殴りあいが無理なら、それ以外の方法を使う。魔術によって作られた防御壁が彼女の連撃を受け止めた。


「無駄無駄ぁ!」


 しかし、完全に受け止めきれない。すぐさま、壁が壊れる。


「じゃっ!」


 だが、猶予はあった。それをもって、尊が、渾身の蹴りを放つ。


「ごあっ!?」


 ティアが吹き飛んだ。効いた、そう思った時には、尊は、地面を蹴って追いすがっていた。


「あああああああああああああああっ!」


 両脚を力いっぱい踏みしめ、全身のバネを総動員して、渾身の力で殴る。技術なんてない、ただただ力をこめるだけだ。単純明快。


 だが、それでもよかった。ティアが再度かっ飛んだ。地面を転がった後、即座に彼女は起き上がる。大怪我を負った様子は見られないが、表情は険しい。尊の攻撃に、危機を示した証左だ。


「あーーーー…………」


 ティアが首を回す。尊は、彼女の出方を待った。追撃を仕掛けるには、あまりに不気味な空気があったからだ。


「悪いな」


「謝ることがあるの?」


「ああ。正直、なめてた。ぶっちゃけ本気を出さなくても勝てるんじゃねーかってな」


「……え?」


「何だよ、お前、あたしが本気だと思ってたのか?」


 尊がそれを聞いた時には、もう、ティアから発せられた圧気あっきが全てを飲みこんでいた。気づけば、膝をついていた。空気それ自体に重さが加わったようだ。


「昔よぉ、あたしの仲間でさ……すげえ頭良いのがいてさ。そいつの話、あたしは全然分かんなかったんだけど……分かんねぇなりに理解・・したこともあってな」


 とんでもないことだ。ティアの力がどんどん増幅していっている。いや、もはや膨張に近い。尊は、ティアに対する畏怖を強くした。生物として格が違う……そう思っていたのに、その思いすら浅はかではなかったのかと感じさせられる。


「文字には、力が宿るってな。言霊ことだまだっけ? まぁ、詳しいことは知らん。文字に宿る力を、紋様という形に落としこみ、刻む。印にして刻む。すなわち、刻印サイン、ってな」


 ティアの身体が、ぼうっと、淡い光を放っている。光の正体は、彼女に刻まれた、無数の刻印こくいん魔術刻印マギアサインに似ているなと、尊は脳の中の冷静な部分でそう分析した。


「じゃ、まぁ、こっから本気」


 ティアが言った。その時には、もう、尊の腹に隕石が衝突していた。隕石のような拳だ。死んだ、と尊は本気で思った。

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