第四章【25】



「ああ、本当に、本当にお久しぶりです。セントさん」


 尊の言葉は愛おしさと、それ以上の懐かしさがこめられていた。


 セントと最後に話をしてから、どれくらいの時間が経ったのか、尊は数えていない。だが、目の前にたたずむ彼の姿から、かつて青年であった男が立派な壮年の男性へ成長するに相応しい時間を感じられたことは間違いない。有能だが、どこか若く、青々とした粗っぽさがあった以前のセントと比べても、今そこにいる彼は、立ち姿だけで落ち着きと威厳を感じさせるほどの老練さを誇っている。


「いや、まさか、にわかには信じきれませんでしたが……お久しぶりです、タケル殿」


「すいません、大変な時に、わざわざ話し合いの機会を設けていただいて……」


「あなたの話ならば、聞く価値はありますので」


 セントが芯のこもった声で言った。彼が言うには、島に来訪した大船団は、神聖十字騎士団のものであり、ティアの討伐を命じられているとのことだ。幸運だったのは、尊の声が、この軍勢を率いることになったセントに届いたことだ。それを受け取った彼が、わざわざ島に降り立った上で、尊と対面して話し合いの機会を設けてくれた。もちろん、単身ではなく護衛の兵と一緒にではあるが。


「セントさん……いえ、セント様、1つお願いがあります」


「聞ける範囲でなら」


「軍勢を引いていただけませんか?」


 尊の言葉は、その場の空気を凍りつかせるに十分だった。だが、尊は、かまわず続ける。


「ティア=トゥガという女性は、もう反逆者ではありません。それは、私がよく知っています。彼女は、私となら静かに生きてくれます。どうか、放っておいてくれませんか?」


「なるほど、大体の事情は把握しました。あなたを愛したホーリィの兄としては、複雑な心情ですが」


 苦々しく笑うセント。聡明であるがゆえ、事情の飲みこみも早い。彼の心情を横に置いておくしかないのが、尊としても心苦しい。


「タケル殿、結論から言うと無理です」


 セントがはっきりと言い放った。極めて冷徹で、感情のこもらない声。だけど、尊は、セントの苦悩を瞳の奥から感じた。


「あなたはご存知ないでしょうが、この軍勢は、神託によって集められました」


「神託……?」


「神からのお告げです。タケル殿なら、この重さを理解してくれるのではないかと」


 尊は思わず目を閉じた。この世界は神との距離について、繊細な扱いを心がけている。一時期に神聖十字教会を間近で見ていたから、尊もよく知っていた。


「ティア=トゥガが生きていた、そして、彼女を戒めていた封印が解かれた。もうこの事実は覆せない。彼女の討伐を止めることは出来ません」


「どうにも、なりませんか?」


「今はまだ、神聖十字騎士団だけの軍勢だけですが……現在、世界各国からの連合軍が編成されています」


「そんな馬鹿な」


「秩序の神々にとって、ティア=トゥガという名は、それほどまでに重いのです」


 世界各国からの連合軍。ティアは、教会だけでなく世界からも敵にされているのか。心に鉛が巻きつく。それでも、尊は、セントの目に視線をあわせる。


「時間をくれませんか? 1ヶ月いや、1週間だけでいい。お願い出来ますか?」


「厳しいと申し上げておきます」


「……出来ないなら、私も戦います」


 セントの手が、腰に回した剣に伸びた。


「あなたに対して、こんな脅迫めいた言葉を使うのは不誠実にすぎる。分かっています。でも、私は、ティア=トゥガという女性を、1人の女性として愛しています。一方的に彼女が敵として討伐されるというのなら、私は、全力で抵抗したい」


「ホーリィと、敵対してもですか?」


「…………」


「彼女は、神聖十字教会の教皇です」


 尊にとって、福音であった。ホーリィには、かつて、偉大な聖者になってほしいと願った。その願いを最高の形で叶えてくれたらしい。目頭が熱くなりそうだった。


「タケル殿、私はあなたと戦いたくない。ホーリィに、あなたと戦うという報せを、届けたくない」


「私もです」


「譲れませんか?」


「譲れません」


 充満する、殺気。この場にティアがいたら、これを契機に戦端が開かれてしまっただろう。尊は、必死にそれを受け流そうとする。自分まで殺気に飲まれては駄目だ。身体は《“鬼神”》の解放を求めてる。それを、精一杯の力で抑えこんだ。


「……数日です」


 セントが重々しく口を開いた。


「数日なら、時間をあげられます。それ以上は無理です。お願いします」


「分かりました。ありがとうございます、申しわけありません」


 尊が深々と頭を下げる。緊張感が高まっていた空気が、しぼむように柔らかくなった。


「あなたと再会して、嬉しい気持ちもあります。ですが、後悔もしている。こんな形で、出会いたくなかった」


「セント様……」


「ホーリィを、悲しませないようにしたいですね、お互いに」


 セントの瞳は、悲痛で、悲壮な色をしていた。


「……本当にありがとうございます。ティアと話をしてきます」


 再度、尊は頭を下げる。セントの内心をおもんぱかれない尊ではない。彼の葛藤を鑑みては、感謝してもしきれない。数日だけの猶予をくれただけでも、相当に無茶なことなのであろうことは、想像に難くない。


 しかし、状況は最悪である。秩序の神々は、ティア名を自分が想像していたよりも、ずっとずっと恐れていた。


『タケル、もう無理よ、あきらめましょう?』


 アンシュリトの、猫なで声が響く。尊は、何も答えない。


『無理よ、無理。あんな女のことなんて放っておきましょう?』


 答えない。


『あの女は、あなたの道に、あなたのせいに必要ないの』


 うるさい。


 尊は、叫びたくなる衝動を殺した。落ち着けと、反応するなと。アンシュリトは焦っている。いつもであれば、この状況をアンシュリトは楽しむはずだ。彼女の考える愛とやらの下で。だが、今回は必死にティアとの繋がりを消そうと動いている。この狂った女神の愛が揺らいでいる証拠ではないか。


 負けないと、決めたのだ。この女の思い通りにはなるまいと、誓ったのだ。ここで折れては、何も変わらない。


 ティアのためにも、負けてなんていられないのだ。

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