第四章【23】


 激しく雨が降っている。大粒の雨が、穿うがつように肌を刺している。尊のローブとスカーフが、雨粒を吸いすぎてびしょ濡れになり、ぴったりと彼の身体に貼りついていた。この雨の中で、無理に動くのもどうかと思ったが、尊の足は止まらなかった。


 尊がティアへの愛を再確認してから、彼は彼女を探していた。だが、すぐには見つからなかった。ひたすらに歩くこと、数日。一心不乱に尊はティアの姿を探しつづけていた。


 会いたくないのだろうか。


 会えないと思っているのだろうか。


「それでも、俺は会いたい。会って、愛してると伝えたい」


 今、この想いを伝えたところで彼女にとっては迷惑なだけかもしれない。うるせぇ、と吐き捨てられて殴られるだけかもしれない。

 

「それでも」


 それでも、伝えるのだ。愛しているのだと。


 愛が全てを解決するなんて、そんな幼稚なことは思ってない。けど、愛があったから救われたことが、尊にはあったのだ。


 シャーフェも、エモディアも、ホーリィも、尊を愛してくれた。それが救いになった。


「どうすればいいかなんて分からない。けど、俺は、ティアの救いになりたい」


 降りしきる激しい雨の中、尊がつぶやく。豪雨の音にかき消されないように、真心を込めて。祈りとして。


「……いた」


 ようやく、尊はティアを見つけた。荒れくるう海を見つめながら、浜辺に独り立っていた。雨に打たれた砂浜が鉛色となっている。|鈍色の曇天どんてんと合わさって、見てるだけで身体に重力がかかってしまうほどに重苦しい風景だ。


「ティア」


 尊が、声をかける。返事はない。


「ティア!!」


 声を張りあげ、再度呼びかける。そこで、ティアは振り返った。


「……何しに来たんだよ」


「愛してる。それを伝えにきた」


「……お前ってさぁ。なんていうか、純なやつだよな」


「駄目かな?」


「駄目なわけ、ないだろうがよ」


 ティアの声には、呆れと、それ以上の愛おしさがあるように、尊は感じた。


「なぁ、タケル」


「何だい?」


「あたしと一緒に、復讐をしてくれねぇか?」


「それは出来ない」


 ティアの頼みを、すぐさま、はっきりと尊は断った。


「どうしてだ? あたしを、愛してくれるんだろう?」


「そうだ、君を愛してる。だから、その頼みは承諾出来ない」


 尊が、ティアに近づく。


「どうしてもその道を一緒には行けない」


「あたしと生きてくれないのか?」


「生きたいよ、一緒に。でも、俺は多くの人を不幸にしながら、ティアと生きたいんじゃない。ティアを幸せにしたいから、一緒に生きたいんだ」


 手を伸ばし、尊は、ティアの手を握った。冷たい雨に濡れた手は、氷を思わせるかのようにこごえていた。


「幸せ、か」


「そうだ。復讐が悪いとか、復讐が何も生まないなんて、口が裂けても言えない。でも、君が復讐の道に行ったら、多くの人が不幸になる。その中には、きっと君も含まれている」


「それでも、いい」


「よくない」


「いいんだよ!」


 ティアが尊の手を払い、そのまま、殴りかかる。尊は、即座にそれを受けた。


「ぐっ!」


 大岩をぶつけられたような衝撃。尊は両脚に力をこめて踏んり、耐えた。


「よくない……絶対によくない。ティア、復讐は止めよう。君の心は、俺が癒やす」


「偉そうに言うな!」


 連打。連打。連打。


 ティアの豪腕が、鋼のような拳が、何度も何度も尊を打ちつける。その全てを、尊は受け止め、耐えつづける。


「この気持ちが、お前に分かんのかよ!」


「分からない。だから、一緒に背負う」


「背負ったところで、お前に何が出来んだよ!」


「一緒に生きることが出来る」


 ティアが、拳を止めた。


「……ちっくしょう。お前にそう言われたら、もう言い返せねぇよ」 


「ティア……」


「タケル、これからどうしよう?」


「生きよう」


「そうだな、あたしもそうしたい」


 ティアの顔面は蒼白となっている。尊は、彼女のそんな顔を初めて見た。いつも、いつでも、彼女は太陽のように笑っていたから。


「でも、どうしていいか分からない」


「それはこれから考えよう」


「考えたところでどうしようもない」


「それでも、考えよう。考えて、考えて、考えぬいて、決めよう」


「復讐心が止められねぇんだ。どうしても、どうやっても……」


「それでも、考えよう」


 尊の言葉は、ともすれば無責任な、破れかぶれなものなのかもしれない。だけど、間違いなく、ティアのことを想ったがゆえの、愛がこめられていた。


「……ばーか」


 そして、それを、ティアは疑わなかった。笑ってくれたからだ。いつも通りの、太陽のような笑顔で。


「……家、帰ってさ。飯食おうぜ」


「そうだね、肉を食べれば、名案が思いうかぶかもしれない」


「はははは! そうかもな!!」


 ティアが、尊の手を握った。相変わらず冷たかったが、不思議と、じんわりした温かさを感じた。この温かさをずっと感じていたいと、尊は心から願った。


 願えば願うほど、頭をよぎる寂寥感。それを、必死に無視しながら。




△△△




神託しんたくが下りました」


 アマロ大聖堂が円卓えんたく。円卓の中心には、教皇――ホーリィ=イリノケンチウスが座っている。優しげながらも、確かな芯の強さを感じさせる瞳で、周りを見つめている。その瞳を受けて、円卓に座る教皇が腹心、枢軸卿すうじくきょう達が姿勢を正した。


「神への反逆者、ティア=トゥガ。彼女を戒めていた封印が解かれたと、神々が直接、私に声を届けてくださいました」


 神々は、世界から離れ、人々を導くことを禁じた。だからこそ、彼等から人々に声を届けることはない。あくまで、世界に生きる人々は自らの意思で生きてほしいと願っているからだ。


 だが、今回、それの願いに背いてでも、神々は、教皇に、ホーリィに声を届けた。


 神託。世界に生きる人々への導き。かつて禁じたはずのそれが、行われた。神々にとって、よほどの緊急事態だということだ。


「教皇ホーリィ=イリノケンチウスの名において、命じます。かの反逆者に、討伐の御旗を上げることを」


 そうして、教皇ホーリィが歌うように命じる。神々に祝福を受けた、代弁者として。


 ここに、世界は、ティアとの敵対を決めた。

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