第四章【22】
星と月が、とんでもなく綺麗だ。空気に澱みがなければ、その分だけ夜空が輝いて見えるのだ。ティアは、かつて戦友の1人に教えてもらったことがあった。
この島には、一切空気に澱みがない。まぁ、ある意味当然だ。人の営みがないのだから。ありのままの自然から、人が澱みを生みだす余地があるはずもない。
「ほんと、むかつくぐらい綺麗だ」
砂浜に寝そべりながら、ティアは夜空を見ていた。柔らかい砂が、背中を優しく包んでいる。
「あー、もう、くそ」
誰に向けるでもなく、ティアが悪態をつく。行き場のない負の感情が、彼女の身体をぐるぐるとかき乱していて、気持ち悪さを感じること請けあいだった。
ティアはこの島の夜空が好きだった。いや、その前に、夜空が好きだった。
明日をも知れない戦いの日々、めまぐるしく変わっていく日常の中で、夜空の美しさだけは不変だった。戦友たちとともに、夜空を見上げながら飲む酒の味を、ティアは今でも思い出せる。
だから、苦しいことがあると、夜空を見上げた。そうすれば、苦しみを
「どうすりゃいい……どうすりゃいいんだ」
ティアの独りごとは止まらない。自他ともに認めるくらいには、彼女の性格は豪快。だが、今は、うじうじと悩み、惑っている。
何が正しい。どうすればいい。答えが見えない。
今までなら、答えが見えなければ作ればよいと、本気で言っていた。道に迷う暇があるなら、迷う間に突き進んだ方がはるかにマシなのだと、ティアは確信している。
だが、今は、進めない。
進んだらきっと。
「タケルと、一緒にいられなくなる」
その言葉を吐いた時、心臓が縮むような感覚をティアは覚えた。
進み道なら、決まってる。復讐だ。ティアをこの島に閉じこめた神々も、神々の庇護下でのうのうと生きている者達も、全てに復讐を行う。それが終わったら、今度は魔物だ。魔物達を全て滅ぼすまで戦う。その道以外の選択肢を、今のティアには選べない。
でも、ティアには分かる。その道に、尊はいないだろう。優しい男だ。誰かを傷つける、誰かが傷つく、そんな道を進むはずがない。
それに。
「はは、そうだよな……今のあたしが復讐をしたところで、死ぬことは確定だもんな」
ティアにだって分かっている。もう、この復讐を果たすことは、永遠に出来ないだろうなんてことは。その先に待ち受けているのは、
尊に、生きろと言ったのはティアだ。自ら命を捨てる者を、認めないと言ったのはティアだ。それを、尊は理解してくれた。理解して、一緒に生きてくれた。
「ごめん、ごめんな、タケル」
夜空に向って、ティアが尊への謝罪を流す。謝る以外に出来ることなんてない。尊は誠実にティアの想いを受けとったのに、それを踏みにじろうとしている。
「タケル、お前と一緒に生きたいよ。けど、あたしは、あたしの中にいる鬼が止められねぇんだ」
理屈ではない。感情の話だ。そして、感情はどうすることも出来ない。
ティアは感情の人だ。魔物への憎しみと、戦友への愛が、彼女を英雄にして、反逆者に
「タケル……お前は、あたしと一緒に、生きてくれ。あたしとともに、同じ道を行ってくれ。頼む」
無理だと分かっても、ティアは願う。それこそ、感情の話だ。理屈を越えている。
波の音が聞こえる。何度も、何度も、ティアはそれを聞いている。結局、その日は、そこから動くことが出来なかった。
△△△
尊は、独り家にいる。この島で、ティアのために造った家だ。ティアと2人で暮らしている家。でも、今、家にいるのは彼独りだ。家の真ん中で、椅子に座って、孤独に過ごしている。
「感じる……違和感のようなものが、どんどん大きくなっている」
静かな家の中、尊はひとりごちる。声が溶けていく。ベッド、道具、椅子……ティアとともに作ったそれら全てに、尊の発した声が、
「封印がほつれてるのか」
ぽつぽつと、尊はつぶやいている。肌で感じているのは、この島を包んでいる違和感。ティアという、1人の女性を閉じこめるための牢獄。それが、牢獄でなくなっている。それが、感覚的に分かる。
この島で過ごす、2人の時間は、尊にとって幸せだった。けど、もう、2人の時間が許されなくなる。皮肉なのだろうか、この島が牢獄であるからこそ、幸せな時間が送られていたのだ。
「どうすればいいんだろうな……」
尊が力なくうなだれた。どうにかしたいと思っている。でも、どうにも出来ないとも感じている。無力感が、尊の心身に重しとなって巻きついている。
『もうどうしようもないのよ』
アンシュリトの声が、脳内に響く。衝動的に殺意が芽生えた。
「どの口がほざく」
『あなたを愛する私の口が、あなたのためを思って言ってるの』
アンシュリトの声色には、悪びれた様子が一切なかった。
『あの女と離れましょう、ね、お願いよ』
「嫌だね」
『そんなこと言わないで、もう、あの女は終わりなの。秩序の神々は、決してティア=トゥガが生きることを認めない。ティア=トゥガも秩序の神々を認めない。ぶつかるしかない。でも、そうなったらあの女は勝てない、死ぬ。そこに、あなたが巻きこまれる必要はないのよ』
「終わりかどうかは、分からない」
『終わりよ、終わり。私には分かる』
強い言葉とは裏腹に、アンシュリトの焦りが隠れている。尊はそう感じた。
『尊、愛してるの。だから、あんな女のことは忘れて? あなたは、私の愛だけ感じていればいいの。今までだって、そうだったでしょう?』
「今まで、ね」
脳裏を走る、過去の光景。シャーフェ、エモディア、ホーリィ……愛した人達の影には、必ず、アンシュリトがいた。いや、より正確に言えば、アンシュリトの呪いがあった。
アンシュリトに言わせれば、その呪いこそが、彼女の愛。
それは確かに、愛。愛なのだろう。
「そうか」
ここに来て、尊は、確信した。それは、1つの真実であり。悟りとも言えるのではないか。
「お前は確かに俺のことを愛している」
『そう! そうなのよ! 分かってくれたのね!』
「だが、
『……なんですって?』
「真の愛とは、他者を想いやってこそなんだ」
そう、アンシュリトの愛と、今まで尊が受けとった愛には、決定的な違いがある。
それは、自分ではなく、他者を想っていることだ。
「アンシュリト、お前は確かに俺を愛しているのかもしれない。だが、その愛の根本は自分への快楽だ。自分が楽しいから、自分が嬉しいから、自分が喜ぶから、お前は俺を愛している」
アンシュリトが、なにも言わなくなった。
「だが、真の愛とは、他者のためにこそある。誰かに楽しんでほしい。誰かに喜んでほしい。それが根本にあってこそ、真の愛となる」
『違う、違う……私の愛こそ、真実の愛よ』
「そう思うならそれでいいさ。真実は1つじゃない」
そう言い放って、尊は立ち上がった。顔を上げて、背を伸ばし、しっかりと地に足をつける。
「俺は、ティアを愛してる」
静かに、力強く、尊の言葉が響いた。
『あなたがどれだけ愛してようと、あの女はもう終わりよ』
「それが、彼女を愛していけない理由にはならない」
『あなたにとって、必要のない女よ』
「愛する人が必要ないなんてことはない」
尊が家を出る。ティアを探しに行くためにだ。
「これからどうすればいいか、その答えはまだ分からない。だからこそ、はっきりと分かっていることを、彼女に伝える。愛してる。それを伝えて、次を考えるさ」
家を出てから、ふと、尊は夜空を見上げた。目を奪われてしまうほどに綺麗だ。
この夜空を、ティアも見上げてたらいいなと、尊は思った。
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