第四章【21】



「は?」


 尊のしらせを聞いたティアが、呆気にとられた声をあげる。


「いや……いや、そんな馬鹿な!」


「と、とりあえず、近くで見てみよう!」


「お、おう、そうだな!」


 尊が足を動かすと同時に、ティアも動いた。彼女の声が震えていた。尊は、背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。


「ほ、本当に……壊れてやがる」


 地に突き刺ささった石剣の刃が折れていた。それを見てティアが唇を震わせている。尊は、横目でそれを見た。


「な、何でだ? 今まで、どうやったって壊れなかったのに……」


「心当たりある? ティア」


「ねぇな」


 ティアが即答する。尊から見ても、ティアにおかしな様子はなかった。


「そもそも、この島に施されてる封印はどれもこれもが最上級だぞ? あたしですら壊せなかったものが、いきなり……」


「まさか……」


「どうした? なにかあったか?」


「この封印、なら壊せるかな?」


「そりゃ、神ならやれるだろうが」


 そこまで会話したところで、ティアは気づきを得たようだ。尊は、奥歯を噛み、眉間にしわを寄せて渋面じゅうめんを浮かべた。泥のようなよどみがどくどくと噴きでてくる。


「アンシュリト……」


 尊が、忌まわしきその名を口にする。こんなことが出来て、こんなことをする理由があるのは、狂ったあの女神ぐらいしかいない。


「アンシュリトって、お前に呪縛スキルをおっかぶせたクソ女神のことか?」


「ああ、あの女は、俺がこの島にいることが気にくわなかったようだから」


「いや、それがなんで封印を壊すことに繋がるんだよ?」


「僕と君を引き離すためだろうな」


 憎悪が尊の心に黒い炎をべている。そこまでして、お前は、俺から幸せを奪いたいのか、苦しみを与えたいのかと。


「お前と、あたしが、離れる?」


 ティアは、未だに事態を飲みこめていない。粗雑な部分が目立つ彼女だが、知性は決して低くない。そんな彼女の理解力が、突然の出来事によって低下しているのかもしれない。


「封印が壊れれば、お前とあたしは一緒にいれなくなる?」


「…………」


「黙ってないで、なんか言ってくれよ」


 尊が口に手を当てる。言うべき言葉を、慎重に吟味ぎんみする。


「僕と君との関係は、この島で、2人で、静かに生きることによって成り立っている」


「そ、そうだ。それはこれからも」


「封印が壊れた今、君は、この島で静かに生きることを選ぶかい?」


 尊は、どこかすがるように、ティアへ言葉を向けた。ティアが、はっきりと分かるほどに目を見開いた。


「そうだ、たしかに……封印がなくなったなら、この島にいる理由は、ない」


 ティアが、口の端をヒクヒクと震わせて、小さく笑っている。


「はは、そうだ……そうだ! そうだ!! ここから出られる! 出たら、くそったれな神々ともまた戦える! ダンジョンなんで下らないものもぶち壊して! 魔物ともまたぶち殺せる!!」


 猛り狂ったティアの笑声しょうせいが響く。長年、彼女の中で溜まり、煮えたぎっていたマグマが、全て噴火している。聞いてる尊が、その苛烈さに燃えつきそうであった。


「やった! やった!! やったぞ!!!! ここから出れる!! また戦える!! あたしは!! あたしをこんな島においやった連中と、また戦える!!」


「……君が憎む相手は、もう、世界にいないんだよ」


「それがどうした!!!!」


 烈火のごとき憤怒が、尊に叩きつけられる。


「何年! 何十年! 何百年!! ここで生きたと思っている!! 独りこんな島で生きて、発狂しそうになったことなんて数えきれない! だが、あたしは! いつの日か! あたしが憎んだ全てに復讐をしたいと! その願いだけで! 今日まで生きてきたんだ!!」


 ティアの悲痛な叫びが、尊の胸を鷲掴みにしてくる。痛い。あまりにも、痛い。尊は、共感が出来てしまったから。


 どうしようもない、どうしようも出来ない黒い感情を抱えて、長い時を生きることの辛さを、尊は、誰よりも知っている。だから、ティアの言葉全てが胸を串刺しにするほどに共感出来た。


「あたしは……世界に復讐してやる」


 ティアが吐いた決意には、全てをしつぶすような重力があった。そこに込められた憎しみだけで、尊は動けなくなる。


「世界に復讐して、神々を引きずり降ろして、魔物ども殺す」


「そんなの、君は、なにも得られないじゃないか……」


「何も要らねぇ。この憎しみをぶつけることが出来たなら、もうそれでいい」


 尊は、口を結んだ。


 復讐なんて何も生まない、何も得られないなんて綺麗事、ティアには少しも響くはずがない。失うものなんて、ない。失うものがないのなら、後はもう、自分の望むことを望むだけ……。


 ――違う。


「違う、それは違うよ、ティア」


 尊は静かに、だが、おごそかに、言葉をつむぐ。ティアは、憤怒の表情をそのままにして、無言で続く言葉を待った。


「何も要らない、なんて、君らしくない」


「はぁ……? じゃあ、あたしらしい・・・・・・って、なんだよ?」


「君は、自ら命を捨てるつもりなの?」


 ティアの表情が、小さく歪んだ。


「言ったじゃないか、自ら命を捨てるような人を、認めないって」


「それは……」


「この島から出て、無謀な復讐に身をやつすのかい……自らの命を捨ててでも?」


 憤怒から苦悶へ、ティアが顔の形を変える。


「俺は、君がいたから、生きようと決めた……それなのに」


「頼む……それ以上は、止めてくれ」


 ティアが、尊に背を向けた。


「……しばらく、独りにさせてくれ」


「分かった」


 ティアの頼みに、尊が了解する。それ以上、どんな言葉を交わしていいのか、尊には分からなかった。きっと、ティアもそうだ。


 ティアの背中が尊から離れていく。いつもは大きく見えるそれが、初めて、小さく見えた。尊は泣いていた。それに気づいたのは、彼女の姿が見えなくなってからだった。


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