第四章【20】



「うっひょおおおお! れたなぁ!」


「カニかごは、成功ってところだね」


 海岸に尊とティアがいる。2人の視線は、つたと木を使って造られた籠の中身に落とされていた。中には、タコやカニ、イカといった海産物が色とりどりにピチピチと踊っていた。


「籠作って、それを海に沈めるってのは、考えたなぁ!」


「元々、そういう漁があるってことを知ってたんだ。後は、いつも通りの当たって砕けろさ」


 歯を剥き出して楽しそうにしているティア。尊も尊で、心が踊っている。特に、カニ。元々いた世界では高級品で、おいそれと手が出せるものじゃない。


「カニ……カニの出汁で作った鍋とか、美味しいんだよね」


「本当か! 今から食うのが楽しみで仕方ねぇや!」


「食べたことないんだ? 意外」


 勇名を轟かせた英雄なら、豪華な食事に事欠ことかかないと尊は思っていたが、どうやら違うらしい。


「そりゃ、海には近寄らないしてたからな。そっちの領域はマーフォークやマーメイドがいたから。あたしはほとんどおかで戦ってたよ」


「いや、ティアくらいの英雄なら、食べるものくらい自由にしてたのかなと」


「そんなわけねぇよ。年がら年中魔物と戦ってた時代だぜ、贅沢なんて出来るわけがねぇ。カニなんて、食うどころがまともに見たこともない」


 ティアが鼻を鳴らす。苦労してた時代をしのんでいるのだろうか。振り返ってみれば、和解のきっかけとなった鍋料理にもいたく感動していた。戦場では、あんな風にシンプルな料理ですら、ごちそうであったのかもしれない。


「想像もつかないな……毎日が戦いの時代なんて」


「もう、とにかく何もかもが足りない時代だったぜぇ。食い物も足りねぇ、武器も足りねぇ、人も足りねぇ……使えるもんはなんでも使ったよ」


「大変、だったんだね」


「まぁな……けど、そんな時だからこそ出会えた仲間もいたのも確かなんだよなぁ」


「そっか……まぁ、確かに、元々は農村の村娘だもんね」


「そうそう……まぁ、村でも有名なガキ大将だったけどな! 嫁の貰い手なんざいなかったにちげぇねぇや!」


 豪快にティアが笑う。まぶしくて、尊は目を細めた。シャーフェ、エモディア、ホーリィ……かつて愛した女、全員、たまのような笑顔だった。それでいて、様相は全て違う。ティアの笑顔は太陽。時にまぶしく、時に暖かく、時に激しい。


(また、忘れられない笑顔が、刻まれてしまったな……)


 今一度、尊は、愛した女達の笑顔を思い出していた。何度思い返しても、それは、尊の心に英気を与えてくれるのだ。


「おい」


 バチンと、尊のひたいに小さな衝撃が走った。ティアが小突いてきたのだ。


「お前……女、いたのか?」


 率直すぎるティアの疑問。尊は、思わず眉をひそめてしまった。


「いきなり、どうしたの?」


「はぐらかすんじゃねーよ、答えろよ」


「いや、まぁ……いたけど」


「へぇ……」


 ティアの口角が極限まで鋭利に上がった。あっ、これは、来るな。なんて、尊は反射的にそう感じた。


「いやまぁ、初めての女がいいとか、そんな生娘みたいなこと言わねぇよ」


「……今、愛してるのは君だ。ティア、君のことが大切だ」


「そうか、そりゃ嬉しいよ」


 瞬間、ティアがキスをした。唾液の全てを貪るような、情熱的すぎるキスだ。尊は、全く抵抗出来なかった。


「っはぁ……」


 唇を離したティアはすさまじく蠱惑的だった。尊の全身が麻痺する。その美しさに見惚みとれていた。見惚れた上で、覚悟した。


「嬉しいけど、やっぱむかつくわ」


 そして襲いかかるティアの鉄拳。即座に尊はガード。しかし、そのガードも空しく、その身体は面白いように軽く吹っ飛んだ。やがて、激しい水音を立てながら、海に落とされる。


(まぁ、来ると思ってたよ)


 ティア=トゥガという女性は、美しさのとなりに暴力が常在している。機嫌が悪くなればすぐさま手が出る。手が出たら最後、それは暴風となって尊に襲いかかる。理不尽と言えば理不尽だ。


(けど……)


 殴られて、吹っ飛ばされる直前、尊は見た。


 幼い子供のように、ほおをふくらませる、ティアの顔を。あんなに分かりやすく嫉妬している彼女の姿は初めてで、尊は、それを見れたことに得もしれない満足感を覚えていた。


「バーーーーカ!!」


 海面から顔を出した尊に、ティアは、そんな叫びを残しながら、そっぽを向いた。小さくため息を吐いて、尊は、ティアの方へ泳ぎ始めたのだった。




△△△




「シャーフェは、とにかく峻烈しゅんれつ。どんなことに対しても徹底的に勝つことを目指してたね」


「なるほどな、まぁ、あたしが勝つが」


「エモディアは芯の強さすごいんだ。なんに対してもとにかくあきらめない」


「そうか、あたしもあきらめたことないけどな」


「ホーリィは、真面目で優しい。きっと、今頃、立派な聖人になってるはず」


「ほぉん、まっ、あたしは英雄だがな」


 カニ籠から採った海産物を片手に、2人は帰路へついていた。道中、かつて愛した女のことを尊が語る度に、ティアは謎の対抗心を顕にしている。尊がこんなことをしているのは、もちろん、ティアの要請からだ。


「……いつまで、話せばいいの?」


「あたしが納得するまでだ!」


「……さようで」


 尊が頭をかく。愛されている証拠でもあるので悪い気はしないが、面倒だなと思う気持ちもないわけでない。


「まぁ、それじゃ……続きなんだけど」


「――ちょっと待て」


 ティアの表情がいつの間にか引きしまっていた。尊は、即座に腰を落とす。臨戦態勢だ。


「どうした?」


「違和感がある」


「どんな?」


「わからねぇ、だが、明らかにおかしい」


 ティアの声は、底冷そこびえするほど低い。ただならぬ気配を感じているのは間違いない。


「違和感か……少し、辺りを見てみよう」


「そうだな」


 2人は、周囲に視線を回した。少しでも、わずかでも、なにか、異変を探す。


「……はっ?」


 先にそれを見つけたのは、尊だった。


「タケル、なにがあった?」


「封が……」


「封?」


「《石剣の封》が、折れてるんだ」

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