第四章【19】
尊にとっても、ティアは大事な存在となっていた。
元々は、自分を殺してくれるかもしれない人として接した。けど、彼女と話をして、暮して、過去を知って、それはもう無理だと悟った。背負ったものに敬意を払うしかなかった。
一緒に生きてほしいと、ティアは尊に願った。それを、尊は了解した。
拒否など出来るはずがないだろう。尊は心底思った。あまりにも、あまりにも人たらしがすぎる。ティアは、惚れさせてみせろと尊に言った。だが、惚れてしまったのは尊の方だった。
全てをなぎ倒そうとせん暴虐。その裏には、他人を惹きつけて
生きると決めた。ティアに言われたから。彼女が言うなら、もう、反抗は出来ない、それほどの力があった。
そして、生きると決めたら……ティアへの好意が止められなくなった。彼女と一緒にいようとすればするほど、彼女の魅力が尊の心を染めあげた。
「好きだ、ティア」
「タケル……お前」
「抑えたかった、けど、抑えられなかった。この想いを……」
抑えたかった。だって、尊が愛した人とは、全員、別れることになってしまったから。
「あたしが、お前から離れていくかもって思ったか?」
唇を離して、ティアが尊の両肩に手を乗せた。うるんだ瞳で、見つめてくる。
「そうだ。愛せば、離れる。それは、何度経験しても怖い」
「ああ、別れは、怖いな。よく知ってる」
「けど、ティアを相手にしたら抑えられない。一緒に生きれば生きるほど、愛おしくなって仕方ないんだ」
「それなら、もうそれでいいじゃないか」
ティアの両手が尊のほおを優しく包む。尊は、泣きたくなってしまった。
「あたしは、絶対に離れない」
「絶対なんてない。だから怖い」
「絶対はある。あたしがあると言ったら、ある。それじゃ駄目か?」
「ずるい人だ」
「そんな女を好きになったお前が悪い」
悪戯な微笑みがティアの顔に浮かぶ。尊の心がさらにかき混ぜられる。
「タケル、あたしも……おまえのことが好きだ」
「ティア……」
「最初は、こんなとこになるなんて思わなかったよ」
尊から一筋の涙がこぼれ、ほおに触れているティアの手に落ちた。嬉し涙なのだろうか、尊は、そう思いたかった。
「あたし、お前に惚れちまった。けど、頼むからさ、『殺してくれ』なんて言わないでくれよ?」
「言わないさ、もう」
「ほんとだな?」
「ああ……どうしても、俺は、君と生きたい」
生きたい。
それは、尊が、ずっとずっと、殺してきた感情だ。
生きてはならない。生きるべきでない。
その身にアンシュリトの呪いを受けてから、そんな想いのままに漂泊を続けてきた。
ティアが、その想いを変えてくれた。
ティアならば、ティアと一緒なら、生きていいのかもしれない。生きることが出来るのかもしれない。
この島で、2人で、長い時間を一緒にいられるのかもしれない。
ティアという女性には、尊にそう考えさせる力があった。
「ずっと、生きような、タケル」
「ずっと、生きよう、ティア」
2人がひたいをゆっくりとくっつけた。目を閉じ、静かな決意をみなぎらせる。
ティアと一緒なら、負ける気はしない。尊の心に勇気が満ちる。その勇気が、生きる気力となって、甘美な震えを身体に与えてくる。久しく忘れていた感覚だった。いや、この世界に来てから、ひょっとして、初めて得たかもしれない。それほどにまで、尊の
生へと引っ張りあげたのは、ティアだ。これは、他の誰にも出来なかったことだ。
オグト=レアクトゥスの歴史に名を刻んだ英雄は、呪いに蝕まれた尊の心にさえ、その名を刻んでしまったのである。
△△△
『ああ……ああ……あああああああああああ!!!!!!』
神の座にて、アンシュリトは狂声を響きわたらせる。
『ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!』
常人であれば、確実にのどが潰れそうなほどに、激しい叫び。
絶望。絶望。絶望。失望。絶望。不安。焦燥。
アンシュリトは超常の存在たる神。だが、ティア=トゥガという規格外の英雄は、この神の心すらも揺さぶってしまった。
『駄目よ! 駄目よ! 駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目』
アンシュリトの悲嘆。そこには、尊に対する屈折した愛があふれこぼれるほどに含まれていた。
尊は、私のものだ。
尊の生は、私が握る。
尊の死は、私が
『そうでなくではならない!!!!』
もう、アンシュリトにとっては、何もかもがどうでもよい。ティアという敵から、愛する男を取りもどさなければならない。ねじ曲がりすぎた決意。独りよがりの執念。それは疑いようのない、
しかし、愛。
尊に向けられるそれは、間違いなく、愛。
ゆえに、ここから先は、深い、深い、愛と愛の話であり。
愛があるがための、苦しみの話である。
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