第四章【18】


『私は、私は、誰よりもあなたを愛してるの、尊』


 何も存在しない、うろんな空間の中、焦燥しょうそうでまみれた声が広がる。ここは、超常の存在たる神々の居場所、神の座。声の主は、邪神・アンシュリト。


『お願い……お願いよ……あの女だけは駄目……』


 神の座にて、アンシュリトが哀願あいがんを続けている。さめざめと、すがるように、願っている。


『ああ……なんであの女が……どうしてあんな女と出会ってしまったの……尊……私だけの尊……』


 アンシュリトの愛執あいしゅうは、尊の運命を呪われたものへと変えた。あまりにもいびつすぎる偏愛。極度に病的やまいてきなそれは、決して許されざるものとは言えない。


 だが、その狂った愛情は、尊とアンシュリトを強く繋ぎとめていた。どんな因果が結ばれようとも、尊とアンシュリトだけは分かたれることがなかった。


『あの女は……あの女だけは、駄目。あの女は……私があなたに与えた全てを、超えてくる。その可能性がある……それが、それが英雄、ティア=トゥガなの』


 今まで尊が出会った人達は、傑物けつぶつではあっても英雄ではなかった。いや、たとえ英雄だったとしても、アンシュリトの呪いに対抗出来たのかは怪しい。


 だが、ティアは英雄の中の英雄。神すら恐れさせた存在だ。そして、アンシュリトは、神。であるならば、ティアに恐れを抱いても何ら不思議はなかった。


『どうすれば……どうすればいいの……』


 アンシュリトが苦悩する。絶対に、愛する尊は自分から離れられないと確信していた。オグト=レアクトゥスには、尊とアンシュリトを引き裂くことが可能な人物はいないのだと、彼女はタカをくくっていた。


 ティア=トゥガは、それが出来る。出来ても不思議ではない。その力がある。


 だからこそ、アンシュリトは頭を抱えるしかなく……絆を少しずつ深めていく2人の様子を、歯噛みしながら見つめているしかなかった。


『どうにか……どうにかしなければ』




△△△




 ティアと尊が島で過ごす日々は、原始的で、とても洗練されたものではない。文明の利器を使うどころか作るところから始めなければならないくらいだ。


 だが、そんな日々をティアは幸せに感じていた。尊と出会って、ともに暮らして数年の時が経ってなお、その想いに変わりはなかった。


「結局、栽培がまともに成功したのはこの芋だけかぁ……」


「とはいえ、成功は成功です。素人農業でも割と簡単に栽培可能なあたり、芋って本当に便利なんですね」


「まぁ、戦場でも滅茶苦茶世話になったがよ」


 ゴツゴツと丸い、薄茶色うすちゃいろのじゃが芋を、ティアが豪快に噛みくだく。味がしないので、お世辞にも美味いものとは言えない。品種改良なんぞしてないし、出来もしないので当然ではあるが。


「美味くはねぇけど、達成感あるなぁ」


「農業に関してはほんとにもう失敗ばかりでしたからね……というか、大体のこと失敗してるんですが」


「鉄作るのだって、安定して成功しねぇしな」


「それでも、成功したら嬉しいんですよねぇ」


「だな」


 2人が笑いあう。そこには、出会って間もないころにあったよそよそしい感情は一切なかった。


「タケル、あたしさ、楽しいわ、やっぱり」


 混じり気のない、嬉々とした感情をティアがストレートにぶつける。真正面からそれを受けて、尊がほがらかにほおのしわを深くした。


「私も、楽しいです。ティアさん」


「へへ、そっか……やっぱり、独りで生きるより、誰かと生きる方がずっといいな」


「はい、本当に、その通りですね」


 ティアの瞳に尊の微笑みが映る。柔和にゅうわで爽やかなそれが、彼女は好きだった。


 いや、実のところ、ティアが好きなのはそれだけじゃない。


 はっきり言うと、ティアは尊のことが全部好きになっている。友情を越えて、恋愛としての意味でだ。


 だからこそ、はっきりしたいことがあった。


「タケル、お前……なんか無理してねぇか?」


 ティアがその言葉を投げた時、尊が表情を固くした。彼女は、それを見逃さなかった。


「どうして、そう思うのですか?」


「むしろ思わねぇとでも? いい加減付き合いも長くなった。なのにお前の心を読めないとでも? 馬鹿じゃねぇぞ、あたしは」


「あなたを、馬鹿な人だと思ったことはありません」


「そうか、そりゃ嬉しいねぇ……で、なにを無理してんだ? ここんとこ、ずっとそうだったろ?」


 ティアの視線が尊を突き刺す。はぐらかすことは、許さない。その内心を、絶対に吐かせるつもりだった。


 許せないのだ。愛する男が、無理をしてでも、なにかに耐えている。苦難を分かちあうに値しない女だと判断しているというのなら、ティアは、殴ってでもそれを変えさせるつもりだった。


「あなたに隠し事は出来ませんか」


「そりゃそうだ、だって、あたしだからな」


「ティアさんに言われたらそう思うしかないですね」


「ははは! そうだろ! そうだろ!」


「ほんとに……あなたって人は、すごいですよ」


「はは、そんなに褒めんな……って、おい?」


 真剣な表情で、尊がにじり寄ってきた。豪快に口を開いていたティアたったが、彼がまとう空気の圧に、少しだけたじろいでしまった。


「おい? おい? どうしたタケル?」


 尊は、それに答えず。少しずつ、ティアに近づいていく。ティアは後ずさりしようとしたが、それをするとなんだか負けた気がして、なんとか踏みとどまった。


「おい! だから! タケル!」


「ティアさん……」 


「お、おう?」


「俺は、あなたが好きです」


 へっ? と気の抜けた顔をティアが作ってしまった。その瞬間、尊の唇がティアの唇と触れあった。


 

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