第四章【17】


「とまぁ、こんな感じだ」


 ティアが疲れたように息を吐いた。星空を見上げる彼女の目は、どこか虚ろだ。尊には、その胸のうちが少しも想像出来なかった。あまりにも、スケールが大きい。大きすぎてどう受け止めてよいか分からない。


 人生そのものが、壮大な歴史譚サーガだ。人に歴史ありというが、その重みが半端ではない。あまりにもすさまじい半生だ。なにもかもが桁違いである。


(ああ、この人は)


 ずっと、ずっと、戦い続けてきたのだ。それを思った時、尊は、どうしようもなく胸が痛くなった。悲しんでるいのか、うやまっているのか、哀れんでいるのか、たけっているのか……この感情を言葉に出そうと思っても、欠片かけらすら口から出てこない。


 ティア=トゥガという女性の重みに、尊が、一体、何て言葉をかけられるのだろうか。


「……なんとなく、分かってくれたか?」


「……自ら命を投げ出すことを、認めない理由をですか?」


「そうだ」


 ティアが尊に視線を向ける。まなじりを上げ、槍のように鋭く突き刺されたそれを、尊は、まっすぐ受け止めることが出来なかった。


「皆、生きたかったんだよ。どうしようもないくらい。魔物がいつ襲ってくるか分からないような毎日の中、死にたくない、生きたいって、皆願ってた……あたしは、それを叶えたかった」


 ティアの声から、悲痛な想いが伝わってくる。尊は、無意識に拳を握っていた。拳を握って、叫びたかった。その叫びを、必死に飲みこむ。


「魔物達との戦いを続けたくないって、ダンジョンに閉じこめればそれでいいって……それが正しいのかもしれない。けど、その程度のことで魔物どもから平和を取り戻せたって言えんのかよ? 魔物は閉じ込めました、閉じ込めた先に魔物はいます、いつ襲ってくるか分からないですが、平和です……そんな結末のために、皆、死んだのか?」


 尊はティアの顔を直視出来ていない。それでも、彼女が涙を流しているように思えた。


「タケル……『死にたい』なんてふざけたこと、もう二度と抜かすんじゃねぇ」


 尊は、なにも言い返さない。言い返せない。


「あたしはな、生きたくても、生きれなかった人達をたくさん見てきた。なのに、自分から死にたいと思ってる馬鹿野郎を、どうやったって認められるはずがないだろう……」


 ああ、無理だ。これは、無理だ。


 この人に、俺を殺してもらおうだなんて。


 絶対に無理だ。


 尊は、それを飲みこむしかなった。


「申し訳ありませんでした」


 謝罪の言葉が、するりと吐き出された。尊は、そこでようやく、ティアの顔を見た。


「改めて、謝罪致します。私が、浅はかでした」


「いや……謝る必要はねぇよ。お前だって、色々と苦しんでたんだろう?」


「それでも、謝らせてください。あなたの過去を聞いて、抱える想いを聞いて……自死じしを願った自分はあまりに愚かでした。その上、あなたに殺されることを願うなんて……なんて愚かさだ」


「よせ、それ以上、自らをおとしめるな」


「ですが……」


「あたしを悲しませるな。お前のことを、認めてるんだ」


 ティアの両手が尊のほおに触れた。熱い。この熱さは、きっと、お湯で火照ほてったからではない。その熱さが、尊の心の奥底をちりちりと焼いた。


「タケル……もうさ、死ぬなんて言うなよ」


「私が、呪われた存在でも?」


「お前が呪われた存在だろうが、あたしが、生きてほしいって願ってんだ。不満か?」


「英雄ティア=トゥガさんから、そこまでの言葉をもらえるなんて、私も捨てたものではいなのかもしれませんね」


「だろ?」


 尊とティア、2人がひたいをくっつけて、静かに笑いあった。


「タケル、あたしと一緒に、これからも生きてくれねぇか?」


 息が鼻にかかるような距離で、ティアの懇願が尊の耳に届く。


「なんもねぇ、クソみてぇな島だ。正直、孤独に潰されそうになったこともある。その度に、神々と魔物への憎悪で自分を奮い立たせてきた。このままで終われるもんか……いつか、絶対にあいつらを八つ裂きにしてやるって、そんな風に、な」


「……強いですね」


「強い、か。そうだな、あたしは強い。けど、最近は弱くなってるかもしれねぇ」


「どうして?」


「お前と生きることが楽しくて、神々のことも、魔物のことも、どうでもよくなってたんだよ」


 その言葉とともに、がばっと、ティアが立ち上がって、両手を広げた。彼女の美しい裸体が尊の瞳に飛び込んでくる。尊は、それから、目をそらさなかった。


「生きようぜ! この島で! 2人で! もっともっと! 色んなことやってみようぜ! 時間ならたっぷりあるんだ! あたしとタケルなら、すげえこと出来るかもしれねぇ!」


「すごいこと、とは?」


「すごいとこはすごいことだよ!」


 屈託くったくなく笑うティア。子供じみた物言いだが、その純粋な気持ちに、尊はもしれない感動を覚えた。


 尊がゆっくりと、立ち上がった。そのまま、ティアの身体を抱きしめる。優しく、柔らかく。


「ちょっ!? おい!?」


 ティアが困惑の声をあげた。だが、尊の抱擁を拒絶しなかった。


「ティアさん……俺、生きて、いいんですか?」


「……当たり前だ。あたしが許す」


「色んな人に不幸を撒き散らす、呪われた存在なのに、生きて……生きていいんですか?」


「はん、お前に背負わされた呪縛スキルごとき、何を臆することがあるってんだ」


 ――ティア=トゥガだぞ、あたしは。


 尊の心に、ストンと、ティアの勇ましさが落ちる。多幸感が、小さな電流となって全身に流れている。ティアに、自身の全てをゆだねようと思えてしまった。


「生きたいです。あなたと、素晴らしいあなたと。ティア=トゥガという、女性と、これからも」


「ああ、これから、ずっと、ずっと、一緒に生きような」


 尊がティアを抱く腕に力を込めた。ティアも、尊のことを強く抱き返す。上半身に風が当たるのを、尊は感じた。でも寒さも冷たさも感じなかった。


 全てが、温かくて、暖かくて、どうしようもなかった。

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