第四章~愛別離苦~

第四章【1】



 これは、決して語られることはない物語。


 オグト=レアクトゥスに伝わる黒染くろぞめの聖者せいじゃの物語。数あるそれの中にあって、決してしるされることのない物語。


 だが、黒染めの聖者――亘尊には決して忘れることが出来ない物語。


 この物語は、呪いの物語。


 愛した者との離別を経て……彼の呪いは、上書きされる。




△△△




 イドナティーユ帝国が存在するカメルア地方より東の海たるヨゥイーテかい。その洋上に1隻の船が浮かんでいる。この船は、いわゆる密航船みっこうせんというやつである。3本のマストを持つ帆船はんせん。その船の外観は、素人目で見たとしても貧相。とても金がかかっているようには見えなかった。というか、魔術刻印マギアサイン革命かくめいが起こったこの世界では造船技術だって結構なものである。それこそ、帆船なんて時代遅れにしてしまうほど。要するに、時代遅れの船に乗ってでも航海をしたいのだという証だ。普通に航海する分には、そんなことはあり得ない。


 そんな密航船の1室を見てみる。

 

 明らかに目の焦点が合ってない人間の男、ひたいに大きな十字傷があるオークの男、ボサボサした髪で死んだ魚のような目を隠すエルフの女、やせ細った下半身のケンタウロスの女……そんな者達から放たれる鬱屈うっくつした空気は、吸っているだけで気分が滅入るようだ。それが部屋の中に余すことなく満ちている。控えめな表現をして、底辺、この世の果てといったところか。


 そんな船の中に、真黒のローブとスカーフをまとった男――わたりたけるがいた。船に揺られながらも、座禅を組み、両の手のひらを合わせて、思索の時間に泳いでいる。ローブに付いているフードをかぶり、顔全体を覆っていた。


 ここで、オグト=レアクトゥスの海運事情かいうんじじょうについて話す。


 海運――海の道シーレーンというのは大変に便利だ。なんと言っても船による大量輸送が可能だからだ。また、海流を用いて海を走るのは、りくを走るよりずっと速い。地球世界においても、鉄道や自動車の発明等があってやっと比肩した速さだ。魔術刻印マギアサインを発明し、陸走船ドランスポーシップ等の便利な代物しろものが出てきたオグト=レアクトゥスにあってもそこらへんの事情は変わらない。


 しかし、オグト=レアクトゥスという世界における海運には、1つ大きな問題があた。


 世界が生み出した神と人類の敵、魔物まものだ。


 魔物は海にだって現れるのだ。そして、海に現れる魔物は海での戦いに特化した存在が多い。


《シーサーペント》

《デビルフィッシュ》

幽霊船ゴーストシップ

船幽霊シーゴースト


 これらの魔物と何の対策のないまま戦っては苦戦は必至ひっし。というより、ほとんどの場合で死を覚悟する事態となる。当たり前の話だが、大多数の人類は陸で生きているのだ(海で生きることに適応した者もいるが)。海で戦うことになった時点で不利になることは自明じめいである。


 魔物との戦いにおけるパラダイムシフトとなった黒の結晶核にしたところで、海にはそう簡単に設置できない。マーフォーク等の海で生きることに適応出来た亜人の活躍によってある程度の設置は出来たが、世界の半分以上を覆う海の中にあっては、その設置範囲はあまりにも矮小わいしょうであった。そうなると必然、魔物の出現におびえることがない安全な海の道は限られる。


 限られるだけで、安全な海の道は確かに存在するということでもある。


 また、オグト=レアクトゥスの人類が海の魔物の脅威にただおびえるだけでいたのかというと、そんなことはない。


 特に魔術刻印マギアサインの発明は大きかった。海の戦闘にも十分に耐えうる性能の船や武器をそれによって造ることが出来たのである。それらがきちんと揃った場合であれば、たとえ魔物が現れようと危険におびえることはない。もちろん、それには相応のコストがかかる。法外に高いというわけではないが、一般人が何度も何度も利用するとなると若干ためらいが出るほどのお金は必要だ。逆に言えば、それにさえ目をつぶればよいという話でもある。


 つまり、お金で安全を買うことが出来る。


 そんなわけで、諸々の事情を総合した上でのオグト=レアクトゥスの海運事情を評価すると……基本的には・・・・・安全で有効であるというものに落ち着く。


 基本的には、ということはつまり、一部では・・・・安全でないものもあるということだ。


 安全な海の道を使わず、性能も装備もろくにかけない船を使ってしまっての航海だった場合は……命の保証は全く出来ない危険なものとなる。


 そんな航海を好んで行うものがいるのか? という疑問があるかもしれないが、一定数存在する。密航を目的とする者がそうだ。


 密航をする理由そのものは個人によって様々だが、その大体はすねに傷を持ってしまったことに起因する。のっぴきならない事情から、安全な航海を捨て去ったとしても、海の道をきたい人物はどうしたって存在する。


 尊もその1人だ。その身に受ける呪いへの無常から、死を求めて旅路を行っている。それならば、安全な航海なんて必要もなければ求める必要もない。すねに傷も……ないとは言えない。密航は、尊にとって何もかもが好都合だったのだ。


 船の中、一切動じず、尊は静かに座っていた。周囲を一瞥いちべつすることもない。両肩にのしかかるぬめりとした空気を、尊はただ受け入れていた。


「おう……となり、いいかい?」


 そんな時だった、言葉では許可をもらうていでありながら、その返事を待たずに、1人の男が尊のとなりに座ったのは。


 ちらと、フードの下から視線を動かし、尊は横目で男を見る。小柄こがら体躯たいく鷲鼻わしばな、ゴブリンだ。身なりは非常にみすぼらしい。男もローブを着ているが、まるでボロ雑巾のようなそれであった。

 

「何か?」


「へへ、まぁ自己紹介から先にやろうや……グレンハーだ」


「ワタリタケルです。タケルとでも」


「タケル、ね」


 グレンハーはうさんくさい笑みをにまにまと浮かべている。ねばっこい視線を、値踏みするかのように尊へ向けていた。


「あんた、この先あてはあるのかい?」


「どういう意味で?」


密航船こんなところにいるってことは、何かやかしたクチだろ? 行った先で、生きるあてはあるのかい?」


「……その質問に何の意味が?」


「そうだな、まだるっこしいことはやめにしよう――なぁ、俺と組まないかい?」


 グレンハーが無遠慮に指を指す。指した先は、フードの下にある尊の顔面。


「俺は小悪党だ。盗み、強請ゆすり、喧嘩けんか博打ばくち……人殺し以外の悪行なら大概はやったさ。まぁ、そんな俺にも1つ特技があってね」


「特技、ですか?」


「気になるかい?」


「……まぁ」


強い奴・・・を見分けることができるのさ」


「ずいぶんと曖昧あいまいですね」


「そりゃあ、強さにも色々あるからな。その中で俺が見分けるのは……生物いきものとしての強さだ」


 グレンハーが得意げに鼻を鳴らしている。そこに関しては、彼なりに矜持きょうじがあるのだろうとぼんやり尊は感じた。


「腕っぷしだけじゃねぇ、知恵が回ったり、人から好かれたり……あとはまぁ、運だな。とにかく、かくってやつかな? そういうのを見分けるのが得意なのさ」


「……つまり、私はあなた様のお眼鏡にかなったということでしょうか?」


「そんなへりくだらないでくれよ、これからは対等の相棒でやっていきたいと思ってんだからよ」


 そんなことをうそぶきつつ、グレンハーの態度は明らかに横柄おうへいだ。尊を下に見ている。この船に乗っている時点で世間に顔向けできないような底辺、なら、遠慮はいらないということなのか。尊はうっすらと笑ってしまう。存外ぞんがい、間違いとも言えない。


「タケルと俺なら、デケェことをやれそうな気がすんのさ。嘘じゃねぇ。こんな掃きだめみたいな場所にいんのに、タケル、あんたの目だけは強いんだ。光が宿ってる。俺は思ったよ、こいつは出来る男だってな」


 油をさされた歯車のようにグレンハーの口と舌が回る。尊は、特に何も言わず彼の台詞を流れるままに聞いていた。


「俺は知能担当だ、俺が絵図えずを引く。タケルはその通りに動けばいい。なぁに、俺の頭だって捨てたもんじゃないんだぜ? ちょいとばかししくじってこんなとこにいるが、それはまぁ運が悪かっただけだ。だが、揺り戻しはあるもんだな。タケルと出会えた。こんなに幸運なことはねぇ。せっかくの幸運を――」


 そんなタイミングで轟音ごうおんとともに大きな揺れが来た。尊やグレンハーも含め、室内にいた全員がひっくり返る。


「な、何が起こったぁ!?」


「グレンハーさん」


「お、おう?」


「生きていたら、続きを聞きます」


 尊の言葉にグレンハーが目を点にしている。直後、耳をつんざくような叫びが響きわたった。


「ク、クラーケンが出たぞおおおおおおおおおおおおおお!!」


 

  


 


 

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