第四章【2】



 《クラーケン》は、海に現れる魔物達の中にあって最強格の存在だ。特徴はなんと言っても大きさ、その体長は30mをゆうに超える。ただの巨大なイカといってしまえばそれまでなのだが、巨大なイカが海から襲ってくるという事実は想像以上に厄介。


 波によって安定しない船上で、四方八方から襲いかかってくる足。その足は極大ごくだいな質量を伴っている。これが脅威でないはずがない。クラーケンの別名は【海の悪夢あくむ】。船乗り達の間では恐怖の対象だ。


 きちんと金をかけた船をもってしても、襲われたら大変なことになる。ましてや、ろくに金をかけてない密航用の船であったのなら、もはや言葉は必要ないだろう。


「し、衝撃に備えろおおおお!!!!」


 船員の1人が大声で叫ぶ。直後、クラーケンがその足を使って海面かいめんを叩いた。衝撃が大波を起こし、ちゃちな船体を容赦なく揺さぶる。ひっくり返らなかったのは奇跡だ。


「おああああああああああああああ!!!!」


「ひぃやああああああああああああ!!!!」


 船員達は必死で船にしがみつこうとする。その努力もむなしく、何人かは海へと投げ飛ばされた。恐慌きょうこうが拡散し、船内を包みこんでいく。


「もうおしまいだあああああああああああああ!!!!」


 絶叫が響きわたる。クラーケンの足が、甲板かんぱんを叩かんと襲いかかる。もはや逃げられない。海の藻屑もくずと消える運命だ。


「――フッ」


 しかして、その運命は突如くつがえされる。今まさに船を襲おうとしたクラーケンの足が、スパッと、綺麗な断面図を描いて切断された。


「はひぃ??」


「とにかく、何かにしがみついて、意地でも船から落とされないでください……なるべく早く終わらせます」


「はへぇ?」


 《“鬼神”》の姿に変化した尊が顔だけ振り向いて、船員達に声をかけた。彼等は皆一様いちように混乱の極みにあることが見てとれる。


「――ふっ!」


 腰に力をためて、尊が跳ぶ。クラーケンの瞳がそれを追った。瞳ですら2m以上の大きさがある。その瞳に尊の姿が落ちた。


 クラーケンの足が2本、3本、4本……次々と尊に襲いかかる。大木がごとき太さの足が、むちのようにしなりながら尊へ迫る。


「ぐううっ!」


 襲いかかるクラーケンの足、その内の1本にぶつかるも、なんとか衝撃を受け止め、そのまましがみつく。その表皮はぬるっとして大変に滑りやすかったが、爪を立て、並外れた握力で強引にしがみついていた。それに気づいたクラーケンが、尊を振り落とそうと足を振りまわす。


「《束縛ドバイン》」


 尊が魔術を唱える。振りまわされたクラーケンの足が止まった。一瞬、ほんの一瞬の隙が生じる。それを、尊は見逃さなかった。


「っつ! ああああああああ!!」


 喊声かんせいをあげた尊が、クラーケンの身体へ突っこんでいく。やりのような形をしたそれに、尊が一直線に飛びこんだ。


「だああああっ!!」


 尊が手刀を一閃、クラーケンの身体に真一文字の風穴を開ける。黒い体液が勢いよく吹き出した。黒色こくしょくの奔流が尊を押し流そうとするも、勢いを殺すには至らず、そのまま風穴の中に入っていく。


 風穴の中はすなわち、クラーケンの体内。


 ぐちゃり、ぐちゃり。奇怪きかいで形容しがた内臓ないぞうの数々に、尊の身体がうずもれていく。だが、これこそが尊の狙いだ。


「《爆破プローデクス》」


 クラーケンの体内から爆発音ばくはつおんが響き渡る。尊の放った魔術が、複数の内臓を傷つけ、壊した。


「《爆破プローデクス》、《爆破プローデクス》、《爆破プローデクス》」


 ひたすらに尊が魔術を唱える。幾度いくども幾度もクラーケンの内部から爆発が起こった。圧倒的な力を誇るクラーケンも、中に入られては何も出来ない。尊はそう考えたのだ。


 やろうと思えば《竜の息吹ドラゴンブレス》で消し飛ばす方法もあった。


 だが、それをしては、《竜の息吹ドラゴンブレス》から発生する衝撃により、海が荒れ大波が起こってしまうのではないかと尊は懸念けねんしたのだ。そうなっては、あの貧相な船はまたたく間に海の藻屑と消えてしまう。


 思い入れなんてない。文字通り、たまたま乗りかかった船だ。普通に航海をするよりは危険が大きいなら、もしかしたら、死に場所が見つかるかもしれない。そんな風に思い至ったから乗っただけだ。


 だが、だからといって、見捨ててよい道理はない。


 船を見捨てずに、クラーケンを倒す。そのための方策がこれだった。


「《爆破プローデクス》」


 ひたすらに尊がクラーケンの中身を爆破していく。それを繰り返していく内に、ふと、何かが変わったような感覚を覚えた。明らかに動きが止まった。


 そして、沈んでいく。


 生命活動が停止したクラーケンが、ゆっくりと海の底に沈まんとしていく。


『どうするの、尊? このままだとこのイカと一緒に海底へ真っ逆さまよ?』


 アンシュリトの声が尊の脳内に響く。クラーケンの体内に海水が流れこんで来た。海水に飲まれながら、尊は舌打ちを鳴らす。


「その程度のことで俺が死なないことは知っているだろうに」


『うふふ、そうだったかしら?』


「しらじらしい」


 アンシュリトの言葉にいらついた尊が悪態をつく。全身が海水に包まれていることには気づいているが、特に抵抗をするつもりはなかった。


 どうせ死ねないのだ。なら、このまま流され、海を漂うのも悪くない。死にそうな目にあったら、《“鬼神”》と《“一切皆苦”》が勝手にこの身を生かすだろう。


 そうやってまた、流れた先で尊は死に場所を求める。


 その繰り返しだ。


「願わくば」


 ――その先で、終わりがありますように。


 誰に向けたわけでもない尊の祈りは、海水に溶けて消えていった。


 尊の意識がなくなる直前、先程まで乗っていた船は無事だったかどうか……それだけは気になったが、流石にそれを確認するすべはなかった。



△△△



「た、助かったのか?」


 恐る恐る甲板に出てみたグレンハーがつぶやいた。クラーケンがいたはずの大海原は、穏やかな波を揺らしているだけだ。


 今度ばかりは、グレンハーも駄目だと思った。悪運には恵まれていたと思っていたケチな自分の人生も、ついに終わりを迎えるのだと、本気でそう思っていた。


 だが、1人の男によってくつがえった。


「はは、はははははは」


 乾いた笑いが流れる。確かに、グレンハーは間違っていなかった。生物いきものとしての格の強さを尊に見出みいだしたことは間違いではなかった。


 だが、見誤っていた。


「無理だろ、あんな化け物だなんて聞いてねぇ。一緒に組む? 絶対に無理だろ」


 グレンハーは見誤った。尊という男の強さを。自分なら制御せいぎょして、上手く利用することが出来る程度のものなのだと。


「……真面目に生きよう」


 全身を脱力させながら、グレンハーは決意する。格の差をまざまざと見せつけられては、自分の矮小わいしょうさを感じるしかない。小悪党として生きたって、もうどうしようもない。そんな風に思うしかなかったのだ。


 余談だが、そんなことを決意したこのグレンハーという男。最終的に多くの人々を救う偉大な人物となっていく。そんな彼の残した言葉には、黒いローブと黒いスカーフの男の影響があったとかなかったとか……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る