第三章【30】



「《防護テクトプロ》」


 ホーリィを狙い、まさに刃が振り下ろされたその時、尊の口から飛び出したのは詠唱だった。魔術の詠唱だ。


「え?」


「は?」


 ホーリィを切り裂こうとした凶刃が、透明な障壁によって阻まれた。ホーリィも、ステファネ卿も、清々しいほど呆気に取られている。何が起こったのか完全に理解出来ていないようだ。


「《束縛ドバイン》」


 またしても無意識に、尊は言葉を紡いだ。詠唱に呼応して、ステファネ卿の身体を鎖のようなものが巻き付いてくる。そのまま彼は拘束され、身体の自由が奪われた。


「なっ!? くっ!?」


 焦りの表情を隠せないステファネ卿。抵抗を試みるも、あまりにも雑な抵抗に終始。魔術の鎖はそのくびきをぴくりともさせない。


「《猛火アゼルブ》」


 すかさず、尊は追撃の魔術を詠唱する。ステファネ卿の身体が、一瞬にして猛火もうかに包まれた。


「ああああああああ!!」


 苦悶くもんの叫びがステファネ卿の口からこだまする。それだけで炎の威力が知れた。これほどの力を持つ魔術を、尊は扱えたのだ。


『魔術はね、まず体内にある魔力まりょくに触れることから始まるの』


 尊の脳裏に響く、懐かしい声。鈴を鳴らしたかのように、美しくて良く響く声。絶対に、絶対に、尊はそれを忘れない。忘れないと、思い込んでいた。


 エモディアの声だ。エモディアとの記憶が、今、尊の中で確かに息づいている。


「ああ」


 どうして、どうして、今の今まで、ふたをしていたのだろう。


 尊には、あったのだ。《“鬼神”》に頼らずとも、誰かを守れる力が、確かに、彼の中にあったのだ。


 エモディアからずっと学んでいたのだ。この世界における神秘の術、魔術を。最先端の技術である魔術刻印マギアサインに頼る必要がない、あまりにも高度で純粋な魔術を、彼はずっと学んでいたのだ。


 力なら、最初からあった。


 それに、目を背けていただけだ。


『この世界は、オグト=レアクトゥスは、あなたに不幸しか与えませんでしたか? あなたの思い出には、不幸しかありませんか?』


 アレクスは、真摯にそう言ってくれた。


 そうではないと、尊は心で叫んだつもりだった。


 けど、叫んだつもりでいただけだった。


 積み重ねた時間の中で不幸しか見ていなかった。


(心がすり減るだと? そんなの、当たり前じゃないか……俺が、俺自身が、勝手に心を削っていただけだ)


 なんて、なんて愚かだったんだ。尊は、そう思わずにいられなかった。

 

「タケル、さん?」


 ホーリィが恐る恐る声をかけている。尊から、異変を感じたのだろうか。


「ホーリィさん、ありがとう」


「え?」


「あなたのおかげで、俺は……」


「――魔術刻印マギアサインなしで、これほどの魔術を使うなんて……聞いて、ないで、すよ……」

 

 尊とホーリィの会話に、ステファネ卿が割り込んできた。尊の魔術をまともに喰らってか、もはや瀕死であるのは明らかだ。顔の肌は焼けただれ、溶けたチーズのような糸を引いていた。隠れ潜む体力もないのか、気配を殺さず、その場で尊と相対する。


「私も、今、気づいたのです」


「なるほど、土壇場での馬鹿力ってことですか……全く、化け物めが……」


 悪態をつきつつも、ステファネ卿が右腕と一体化してるモグルスを向ける。全身を業火に焼かれてなお、その瞳から殺気が絶えていない。


 尊は未だに身体を直立させることが出来ない。大概の毒は効かないか、効いても時間をかけずに治す《“鬼神”》の身体をして、未だに治癒が追いついていない。それほどの毒だ。


 状況は、大きく尊に有利になった。


 だが、油断は出来ない。


「殺す……ここまで来た……だから、絶対にっ!!」


 残っている力を全て絞り尽くしたかのような、ステファネ卿の叫び。一直線にホーリィへ向かって飛び込み、剣を突き出している。手負いでいてなお、銀箭ぎんせんのような剣筋であった。


 その剣が届く前に、尊は、息を吸う。


 そして、自分が知る中で、もっとも頼りになる魔術を解き放つことにした。


「《爆破プローデクス》」


 瞬間、強烈な破裂音とともに弾け飛ぶステファネ卿の身体。ただでさえ瀕死の彼に、抵抗する力は残っていなかった。強かに壁へ打ち付けられ、動かなくなる。凄まじい威力だった。


「ごばっ……あがっ!!」


 もはや肺から出すものすらなくなったのか、ステファネ卿の断末魔はあっさりしたものに終わった。ややあって、彼の身体は、ピクリともしなくなったのである。


「ああ、やっぱり凄かったんだなぁ……」


 尊が、しんみりとこぼす。思い出すのは、シャーフェとの一騎打ち。《爆破プローデクス》の魔術刻印マギアサインが刻まれたハルバードを振り回す、美しく雄々しい彼女の姿。


 シャーフェもまた、尊の中で生きていたのだ。


(ありがとう、ありがとう。エモディア、シャーフェ)


 かつて愛した女達に、惜しみなく感謝の念を送る。記憶にある姿のまま、尊は、2人の姿を幻視した。


 2人とも、笑っていた。久しぶりに、その姿を、尊は見ることが出来た。


 ただ、エモディアに関して言うなら、どこか拗ねたような感情が混じっていたように見えた。気のせいかなと、尊は思わず苦笑してしまった。記憶が作った幻なのに、まるでそこにいるかのようだ。シャーフェはどこか勝ち誇った顔をしている。これも、まるで彼女が現実にいるかのうような鮮明さだった。


 ここに、決着はついた。尊は、ホーリィを守ることが出来たのである。

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