第三章【29】
男は、闇夜の神たるクシュニュに愛された。夜の闇に生きることを是とする、そのためならば、闇に紛れての人殺しすら
そんなクシュニュに愛された男は、様々な祝福をその身に受けることになった。
その1つが、
この剣は
さて、暗剣モグルスには大きな特徴がある。
それは、暗殺に特化した剣であるということだ。
鞘を見れば分かりやすいだろうか。この剣の鞘は
これほどの
そして、暗剣モグルスが暗殺に
それこそが、毒。
神に愛されし、英雄すら殺す、毒の刃。
△△△
《“鬼神”》と化した尊が、虚空を見つめる。目を凝らし、敵の姿を探ろうとした。横にはホーリィがいる。
「タケル様、《竜人化》をします。少しだけ待ってて下さい」
「必要ありません」
「で、でも……私にも何か出来ることはっっ!?」
ホーリィと交わしたわずかな会話。その間に、刃が銀閃を煌めかせ上から落ちてきた。敵の凶刃が彼女の脳天を突刺そうとする。敵は天井に潜んでいた。一寸も尊に気づかれていない、無論ホーリィにも。とっさに、ホーリィをかばうため尊が腕を伸ばす。伸ばした左腕に、刃が突き刺さった。
「ぐうっ!?」
「タケル様!?」
痛みをこらえる尊。刃を突き刺したステファネ卿は、突き立てた刃を支点にして、大きな弧を描くように両足を回し、尊の両肩にそれをかける。そのまま、尊の肩を踏み台にして勢い良く宙返りを行った。一連の動きの中で尊の腕から刃を抜き取っている。曲芸じみた動きだ。あまりにも軽やかで、重さを感じさせない。
「そう簡単には殺させてくれませんか」
「……当たり前ですよ」
「まぁ、この暗剣モグルスにとっては、傷をつけるだけでも充分なのですが」
「それは、どういう……?」
「じきに分かります」
そして、また、ステファネ卿の姿が消える。《忍び足》、《隠密》、《気配遮断》、《暗殺剣》、《鷹の目》、《鼠の勘》……ありとりあらゆる隠密のためのスキルが、信じられないほどの高精度で発動されていた。
(これは……トビレヤさん以上だぞ)
戦慄が尊の身体に走る。彼女ですら相当に手練だった。だが、今回の相手は間違いなくそれ以上だ。
「ホーリィさん、とにかく絶対に側から、っ?!」
ホーリィに振り向いた途端、尊の身体に強烈な違和感が襲った。
(腕の、腕の感覚が、ない!?)
そう、まるで左腕がごっそりと抜け落ちたように、その感覚をなくしていたのだ。
「タケル様っ!? 大丈夫ですか!?」
「大丈夫です!」
異変を感じたホーリィが憂色をあらわにする。気づかわせまいと尊は声を張り上げるが、焦りを完全に消せなかった。
「つっ!? ホーリィさんっ!?」
凶刃の光芒が尊の目に止まる。今度は、地を這うようにして剣閃が
「どんな反射神経してるんだ本当に」
憎々しげにつぶやくステファネ卿。すぐさま、その気配が地下通路の薄黒い闇に溶けていった。
「くそ! 待てっ!?」
何とかその気配をたどろうとした尊が、片膝をつく。今度は、腹の一部から感覚が消えた。人体というのは、得てして、精密なバランス感覚をもって姿勢を保持している。特に、身体の真ん中を通る正中線をなぞる部位は、姿勢保持に多大な役目を果たしているのだ。
もし、腹が消えたとしたら、どうやって立てるのか想像もつかない。
(これは、あの剣の力か!?)
尊の予想は的中している。
最高峰の暗殺剣たるそれは、その刃に毒を
その毒性はかなり強く、並の人間ならば少しでも傷をつけられるだけで、身体の自由が蝕まれ、死に至る。《“鬼神”》によって強靭な肉体を得ている尊ならば、ある程度の抵抗は可能。可能なのだが、全くの無傷というわけにはいかない。現に、ダメージを受けた部位から、感覚が消え去っているのだ。
こんなものをホーリィが受けてしまったとしたら……彼女に命は望めなくなる。
「タケル様っ!!」
膝をついた尊の背に、ホーリィが手を添える。彼女の温もりが尊の中に広がっていくも、焦燥がどうしても消えなかった。
尊の焦り、その原因は他ならぬホーリィだ。
何故なら、この戦いは、彼女を護らなければ負けだからだ。
ハッキリ言うと、勝つだけならば簡単なのだ。
かつてトビレヤと戦った時のように、圧倒的な力をもって捻り潰せば良い。敵がどこに隠れていようと関係はない。何なら、《
だが、そんなことをしてしまったら、何を、誰を、巻き込んでしまうだろうか。
他ならぬホーリィではないか。《
(それは、それだけは駄目だ!)
尊が全身に力を込める。意地をもってなくした身体の感覚を補い、強引に立ち上がろうとする。だが、無情にも、《“鬼神”》の身体は言うことを効かない。
(くそ! 動け! このまま動かなかったら、次で終わっしまう! 動けぇ!)
尊の気炎をあざ笑うかのように、身体は沈黙している。このままでは、彼の思った通りのことになってしまう。ステファネ卿という、稀代の暗殺者がホーリィの命を刈り取ってしまう。
《“一切皆苦”》は尊の死を許さない。つまるところそれは、他の者の命などどうでもよいということだ。ホーリィを守るためには、尊の意思で動かなければならない。
だが、意思があっても、身体がついていかない。
「タケル様っ……タケルさんっ!!」
ホーリィが膝をついて尊の顔を見つめている。自分の命以上に、尊の身を案じている。表情が、仕草が、それを余すことなく尊へ伝えていた。
このままでは。
この優しい子が。
刹那、尊の目に
そうして、切っ先がホーリィに向かって振り下ろされる。
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