第三章【29】



 男は、闇夜の神たるクシュニュに愛された。夜の闇に生きることを是とする、そのためならば、闇に紛れての人殺しすら督励とくれいする。それこそが、クシュニュ。


 そんなクシュニュに愛された男は、様々な祝福をその身に受けることになった。


 その1つが、神器アーティファクト祝福殺しブリススレイヤ暗剣あんけんモグルスだ。


 この剣は祝福殺しブリススレイヤである。故に、神に愛され、祝福された人物を殺すために造られたものだ。この剣をもって、アレクスを殺した。この剣ならばアレクスを殺せたのだ。


 さて、暗剣モグルスには大きな特徴がある。


 それは、暗殺に特化した剣であるということだ。


 鞘を見れば分かりやすいだろうか。この剣の鞘はなのである。この剣と一体化した義手・義腕の中に、刀身が隠れているのだ。それでいて義手はあまりにも精巧。ひと目では生身の腕と見分けがつかない。これほど暗殺に向いた剣があるだろうか。不意打ちを行うにもってこいである。


 これほどの業物わざものを造る技術は、オグト=レアクトゥスにおいて未だに存在していない。超常の存在たる神が造ったからこそ出来上がった代物だ。だからこそこの剣は神器アーティファクトなのだ。


 そして、暗剣モグルスが暗殺にきわめる特徴は、もう1つある。


 それこそが、毒。


 神に愛されし、英雄すら殺す、毒の刃。




△△△




 《“鬼神”》と化した尊が、虚空を見つめる。目を凝らし、敵の姿を探ろうとした。横にはホーリィがいる。


「タケル様、《竜人化》をします。少しだけ待ってて下さい」


「必要ありません」


「で、でも……私にも何か出来ることはっっ!?」


 ホーリィと交わしたわずかな会話。その間に、刃が銀閃を煌めかせ上から落ちてきた。敵の凶刃が彼女の脳天を突刺そうとする。敵は天井に潜んでいた。一寸も尊に気づかれていない、無論ホーリィにも。とっさに、ホーリィをかばうため尊が腕を伸ばす。伸ばした左腕に、刃が突き刺さった。


「ぐうっ!?」


「タケル様!?」


 痛みをこらえる尊。刃を突き刺したステファネ卿は、突き立てた刃を支点にして、大きな弧を描くように両足を回し、尊の両肩にそれをかける。そのまま、尊の肩を踏み台にして勢い良く宙返りを行った。一連の動きの中で尊の腕から刃を抜き取っている。曲芸じみた動きだ。あまりにも軽やかで、重さを感じさせない。


「そう簡単には殺させてくれませんか」


「……当たり前ですよ」


「まぁ、この暗剣モグルスにとっては、傷をつけるだけでも充分なのですが」


「それは、どういう……?」


「じきに分かります」


 そして、また、ステファネ卿の姿が消える。《忍び足》、《隠密》、《気配遮断》、《暗殺剣》、《鷹の目》、《鼠の勘》……ありとりあらゆる隠密のためのスキルが、信じられないほどの高精度で発動されていた。


(これは……トビレヤさん以上だぞ)


 戦慄が尊の身体に走る。彼女ですら相当に手練だった。だが、今回の相手は間違いなくそれ以上だ。


「ホーリィさん、とにかく絶対に側から、っ?!」


 ホーリィに振り向いた途端、尊の身体に強烈な違和感が襲った。


(腕の、腕の感覚が、ない!?)


 そう、まるで左腕がごっそりと抜け落ちたように、その感覚をなくしていたのだ。


「タケル様っ!? 大丈夫ですか!?」


「大丈夫です!」


 異変を感じたホーリィが憂色をあらわにする。気づかわせまいと尊は声を張り上げるが、焦りを完全に消せなかった。


「つっ!? ホーリィさんっ!?」


 凶刃の光芒が尊の目に止まる。今度は、地を這うようにして剣閃がひるがえってきた。低きから跳ね上がってホーリィの腹を薙ごうとする。尊は強引に身体を割り込ませて、それを受けた。《“鬼神”》の強固な肉体は、斬撃を途中で跳ね返すことに成功。だが、浅くはない傷がついてしまった。


「どんな反射神経してるんだ本当に」


 憎々しげにつぶやくステファネ卿。すぐさま、その気配が地下通路の薄黒い闇に溶けていった。


「くそ! 待てっ!?」


 何とかその気配をたどろうとした尊が、片膝をつく。今度は、腹の一部から感覚が消えた。人体というのは、得てして、精密なバランス感覚をもって姿勢を保持している。特に、身体の真ん中を通る正中線をなぞる部位は、姿勢保持に多大な役目を果たしているのだ。


 もし、腹が消えたとしたら、どうやって立てるのか想像もつかない。


(これは、あの剣の力か!?)


 尊の予想は的中している。


 神器アーティファクトにして祝福殺しブリススレイヤたる、暗剣モグルス。


 最高峰の暗殺剣たるそれは、その刃に毒をはらんでいるのだ。


 その毒性はかなり強く、並の人間ならば少しでも傷をつけられるだけで、身体の自由が蝕まれ、死に至る。《“鬼神”》によって強靭な肉体を得ている尊ならば、ある程度の抵抗は可能。可能なのだが、全くの無傷というわけにはいかない。現に、ダメージを受けた部位から、感覚が消え去っているのだ。


 こんなものをホーリィが受けてしまったとしたら……彼女に命は望めなくなる。


「タケル様っ!!」


 膝をついた尊の背に、ホーリィが手を添える。彼女の温もりが尊の中に広がっていくも、焦燥がどうしても消えなかった。


 尊の焦り、その原因は他ならぬホーリィだ。


 何故なら、この戦いは、彼女を護らなければ負けだからだ。


 ハッキリ言うと、勝つだけならば簡単なのだ。


 かつてトビレヤと戦った時のように、圧倒的な力をもって捻り潰せば良い。敵がどこに隠れていようと関係はない。何なら、《竜の息吹ドラゴンブレス》を吐くだけで全部終わってしまうだろう。


 だが、そんなことをしてしまったら、何を、誰を、巻き込んでしまうだろうか。


 他ならぬホーリィではないか。《竜の息吹ドラゴンブレス》を吐いたが最後、彼女の身体はボロくずのように吹き飛んでしまう。


(それは、それだけは駄目だ!)


 尊が全身に力を込める。意地をもってなくした身体の感覚を補い、強引に立ち上がろうとする。だが、無情にも、《“鬼神”》の身体は言うことを効かない。


(くそ! 動け! このまま動かなかったら、次で終わっしまう! 動けぇ!)


 尊の気炎をあざ笑うかのように、身体は沈黙している。このままでは、彼の思った通りのことになってしまう。ステファネ卿という、稀代の暗殺者がホーリィの命を刈り取ってしまう。


 《“一切皆苦”》は尊の死を許さない。つまるところそれは、他の者の命などどうでもよいということだ。ホーリィを守るためには、尊の意思で動かなければならない。


 だが、意思があっても、身体がついていかない。


「タケル様っ……タケルさんっ!!」


 ホーリィが膝をついて尊の顔を見つめている。自分の命以上に、尊の身を案じている。表情が、仕草が、それを余すことなく尊へ伝えていた。



 このままでは。


 この優しい子が。



 刹那、尊の目に剣刃けんじんが飛び込んでくる。ホーリィの首を刈り取らんと、尊の想いをあざ笑うかのように。


 そうして、切っ先がホーリィに向かって振り下ろされる。

 

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