第三章【27】
「ここが……」
「はい、緊急時に使われる地下通路です」
緊張した面持ちのホーリィに対して、ステファネ卿は冷静であった。
ステファネ卿に案内された地下通路は、見ただけで巨大で入り組んでいることが分かる。追手からの逃げることを想定するなら確かにこの方が良いから当然だろう。何の前情報も無しで踏み込んでは確実に迷ってしまう。最悪、一生抜け出せない。
ホーリィがきょろきょろと視線を動かす。曲がり角がそこかしこに見えた。通路全体が直線的な構造なのも相まって方向感覚が狂いそうだ。少しじめっとして薄黒い。神聖で清浄なアマロ大聖堂にあるのが信じられないほど重苦しい空気が充満している。そのギャップにホーリィは居心地の悪さを覚えてしまった。
「一応地図は渡しますが、一旦出口まで案内しましょう。その方が道のりを覚えやすい」
「お願い出来ますか? お手数をおかけして申し訳ないですが……」
「お気にならさらずに。ただし、あまり時間はかけられないので、一度で覚えて下さい」
「もちろんです」
力強くうなずくホーリィ。ステファネ卿には全幅の信頼を置いていた。枢軸卿としてアレクスに仕えた実績に加え、尊を救いたいとの意思がある。ホーリィが信頼を置くのも当然だ。
「では着いてきて下さい」
「はい!」
先導するステファネ卿に、ホーリィは
その間に、ホーリィは必死に道を覚えようとした。目印も何もない。どこまでも行っても同じような光景が続く。少しでも気を抜けば一瞬で自身がここに囚われてしまうだろう。それでは本末転倒である。
(タケル様……)
ともすれば押しつぶされそうになる不安を、ホーリィは愛しい人への想いで押し返す。ローブの襟元は握りっぱなしだ。
尊が、道を教えてくれた。
尊が、光を与えてくれた。
だからこそ、ホーリィはこれから尊の光になりたいと思った。尊敬する師として、愛する人として、尊のためにだ。
そう思うと、ある意味これは第一歩なのかもしれない。尊の道を照らすための、初めの一歩。この地下通路で踏みしめる歩みこそが、彼の道筋となるのだ。
ホーリィは、それをただひたすらに信じることにした。
やがて、数十分歩いただろうか。
ふと、ステファネ卿が歩みを止めた。
「ステファネ卿?」
「もう、ここまでで良いでしょう」
「……何がですか?」
「特に説明する必要もないかと」
――瞬間、ステファネ卿の右腕から勢い良く何かが飛び出した。
刀身だ。鋭利な刃が、彼の右腕から突然に現れたのだ。
「えっ?」
あまりにもとっさのことで、ホーリィは何の反応も出来なかった。《竜人化》すら発動する間もない。刃を向けながら飛びかかってくるステファネ卿を、ホーリィは呆然と見つめた。
目の前の光景がゆっくりと流れる。死を予感した時、このような現象が起こるとホーリィはかつて学んだことがる。まさか、身を持って証明するとは思ってもみなかった。
刃が近づいてくる。ホーリィの心臓を狙って。あまりにも正確無比な一撃。回避は困難だ。
「タケルさん」
無意識にこぼした、愛しい人の名前。
結局、私は、最後まであの人に救いを求めるのかと、ホーリィは自嘲してしまいそうになった。
そして、刃がホーリィの身体を。
「おおおおおおおおおおおお!!!!」
貫く、その前に、裂帛の呼気が嵐のように吹き荒れた。吹き飛ばされる、ホーリィも、ステファネ卿も。
「ぐっ……あぐっ……」
鈍痛にあえぐホーリィ。かえってそれが彼女の意識をハッキリと覚醒させた。
「えっ、噓……」
「無事で良かった、本当に」
ホーリィの瞳に映ったのは、鈍色の屈強なる筋肉をまとった男。仮面のような顔は恐ろしい化け物の形に
ホーリィはその姿を初めて見る。
だけど、すぐに解った。
「タケル……様?」
そうだ、この人は。
ホーリィが誰よりも敬い、愛している、亘尊その人なのだ。
△△△
「さて、頼まれた上で早速聞きたいことがあるのですが……」
「何ですかな?」
「多分、私の推測ですが、緊急避難用の脱出経路があると思うのですがいかがでしょうか? 教皇を初めとした一部の人にしか教えられていないような……」
「……何故分かるのですか?」
「そう答えるということは、あるのですね」
乾いた笑いがベネディクトゥス卿からもれている。後ろに控えるセントを初めとした神聖十字騎士団の面々は、驚きに口を半分開いていた。
「有事の際に使われる脱出用の地下通路が、確かに存在します。教皇を初めとした一部の人物にしか知られておりませんが」
「ベネディクトゥス卿は?」
「もちろん知っています。それと、ここにいる面々も知っているはずです」
つまりは、ここにいる騎士団の面々は相当な精鋭ということだろう。一部の人間にしか知られていない秘密を知るに値する人物だと評価されたわけだ。並の実力と忠誠心でないということか。
「なるほど、最初に会った時からただものではない思っていましたが、相当なエリートだったんですね、セントさん」
「恐縮です」
仏頂面を少しだけ面映ゆそうに崩しながら、セントが言った。そこに、彼の中に少なくない誇りがあることを尊は感じた。思わず尊も笑みが浮かんでしまう。
ちなみに、尊が脱出用の地下通路に思い至ったのは単に経験から来る憶測だ。一時期シャーフェの下に仕えた経験があるのが大きい。大きな組織を担う人物に対して、その身の安全を確保することは最重要な事項だ。よって、いざという時に逃げるための秘密通路があっても不思議でないと踏んだのだ。
「さて、恐らく、教皇殺害の犯人はそこから逃走を目論んでいるはずです。私の存在に様々な人達が気を取られている隙にね。一部の人間しか知らないような逃げ道なら、人知れず逃げるに打ってつけです」
「そんな馬鹿な……それならば、犯人は……」
「教皇に近しい人物です。それこそ、枢軸卿のような」
尊がその言葉を吐いた途端、空気が一気にざわつくのを感じた。当然だ、彼等としては信じたくないだろう。
「タケル殿……枢軸卿にしろ、騎士団にしろ、教皇の命を奪えるほどの力を持った者は存在しません。それこそ、枢軸卿としてアレクス教皇猊下に仕えた私が言うのですから間違いない」
「ですので、皆様にそう思わせるほどの
「そんな馬鹿な……それこそ、神にでも愛されなければ……」
そこまで言ったところで、ベネディクトゥス卿は何かに気づいたのか、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
「大変に不服ですが、私は
「あり得ない……と言えないのでしょうね」
「ええ、ですから……どうしました? セントさん」
尊とベネディクトゥス卿のやり取りを黙って聞いていたセント。いつの間にか、彼のひたいに脂汗が浮かんでいた。表情も固くなっている。
「何が思い当たることがあるのか? セント=ボルジスよ」
「いえ……無関係な話とは思うのですが……」
「構わん、申してみよ」
ベネディクトゥス卿の言葉を受けて、セントは意を決したかのように口を開いた。
「実は、その……タケル殿と離されてからというもの、ホーリィがステファネ卿と何やら行動を共にしているとの噂を耳にしまして」
それを聞いた瞬間、尊の背筋は、まるで氷を押し付けられたかのように冷え固まってしまった。
アレクスの命を奪った凶手。その手は、逃げるだけに飽き足らず、ホーリィの命も奪おうとしている。尊は、それを、直感で分かってしまった。
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