第三章【26】


 養父であるアレクスの死。それは、ホーリィの心に大きな暗い影を落としてしまった。


 本当に大好きな父だった。彼女にとって、アレクスは誰よりも大事な家族だった。


 それなのに、殺された。別れを言う暇もなく、理不尽に、呆気なく。


 信じられなかったし、信じたくなかった。アレクスが神から愛されていることを、ホーリィは当然に知っている。彼が所持していたスキルの数々ももちろんだ。死ぬなんて思っていなかった。ましてや、殺されるなんてあり得ない。受け入れることなんて出来なかった。


 そんなホーリィに、悲しむ間もなく追い打ちがかかる。


 尊と引き離されてしまったのだ。


 頭では理解している。アレクスが殺されたというのに、尊の側にいるのはあまりにも危険だ。何せ、尊は数少ないアレクスを殺し得る人物だから。引き離されて当然だろう。


 だが、ホーリィにとって、尊は心の支えなのだ。つい先日、心の中で大きな存在になっていることを自覚したばかりだ。それなのに、今、ホーリィの側に尊はいない。


 愛する父を奪われて、その上、好きな人を奪われるのだろうか。


 ここから先、イドナティーユ帝国の警邏兵団は捜査をどんどん進めていくだろう。そうすれば、いよいよもってホーリィには手が出せなくなってしまう。尊の身柄をイドナティーユ帝国が持って行ってしまうからだ。


「どうすれば……どうすれば良いの?」


 アマロ大聖堂の片隅で、ホーリィが小さく嘆いている。声が消え入りそうなほどにかすれていた。アレクスの死を聞いてからといもの、ろくに休めず、食事ものどを通っていない。顔色は青白いを越えて土気色だった。


「お父様……タケル様……」


 祈るようにつぶやきながら、ホーリィはローブの襟元を握っていた。無意識にその手に力が込められている。行き場のない葛藤がホーリィの中で渦巻いている。


 ああ、こんなことではいけない。


 教皇アレクスの死を受け入れ、やるべきことをやらねばならない。悲しみを乗り越えねばならない、そんなことはホーリィだって理解している。けど、それが出来ない。途方もない痛嘆つうたんが、ホーリィの理性をむごたらしく押しつぶしている。


「私、また迷ってる」


 はらりと流した涙が、ホーリィのほおを濡らす。かつては『救い』の意味について迷っていた。今は、どうしようもない現実に迷っている。


 どうすれば良いのだろうか。


 何をすれば良いのだろうか。


 これが、アレクスであれば、尊であれば、自ら歩くべき道を考えてそこを進むことが出来るのだろうか。ここにいない2人にホーリィはすがりたくなっている。いけないと思いつつ、心がどうしてもそれを求めていた。弱い、あまりにも弱い。


 嘆きと悲しみから、自己を責めるしかないホーリィ。


 そこには、大切な人を失った悲しみに暮れる、等身大の少女の姿しかなかった。


「ホーリィ様……大丈夫ですか?」


 そんな彼女に声をかける者が1人。ホーリィが視線を向ける。痩身ながらもどこか怜悧れいりなたたずまいの男だ。


「……ステファネ卿」


「何やらふさぎ込んでいると聞きまして、様子を見に来たのですが」


「……申し訳ありません」


「い、いえ! 謝ることでは!」


 頭を下げるホーリィ。その姿が痛ましく映ったのか、ステファネ卿が慌てて手で制す。


「この度はホーリィ様には何と言葉をかけて良いか」


「そんな、ステファネ卿におかれましても、その、何と言って良いのか」


 互いに口が重い。ホーリィにとって枢軸卿は雲の上にいる人物だ。しかし、彼等の内心までおもんぱかれないわけがない。


 枢軸卿は、教皇自らが腹心に足ると選んだ者達だ。一癖も二癖もあるが、皆全て忠誠心にあふれた者達だという。アレクスがそんな風に言ってたのを、ホーリィは覚えていた。そんな人達であるならアレクスの死に少なくない動揺があるはずだ。かける言葉が出てこないのも無理はない。


「ホーリィ様、申し訳ない。あなたの心中を察してなお、私はあなたに伝えなければならないことがあります」


「……何でしょうか?」


「タケル殿のことです」


 ホーリィの心臓が鷲掴みされたかのように縮み上がる。これ以上、大切な人の凶報を聞きたくなかった。


「……タケル様に、何かあったのでしょうか?」


 だが、そういうわけにもいかない。身体を震わせる恐怖心を抑え、ホーリィは彼の言葉を促した。


「何かあったわけではありませんが……あの方を取り巻く状況がどんどん悪くなっています」


 こめかみを抑えながらステファネ卿がつぶやく。


「流石は音に聞こえるイドナティーユ帝国の警邏兵団です。捜査の手がかなり早い。もうタケル殿の影を感じ取っています。遠からず我等はその身を彼等に差し出すことになるでしょう」


「それは……」


「そうなればもう、タケル殿を我等の手で救うことは永遠に叶わなくなってしまう」


 それは、それだけは本当に嫌だ。あの人は私の、私達の手で救いたい。もう、これ以上大切は人を引き離さないで欲しい。金切声かなきりごえを上げてでもホーリィは叫びたかった。


「だからこそ、ホーリィ様に提案したいことがあるのです」

 

 そんな彼女の心のうちを察したのか、ステファネ卿が1つの道を指し示ようとする。タケルを窮地から救おう、そんな願いを込められたかのような力強い口調だった。


「あの方を、一度ここから逃がしましょう」


「ここから?」


「アマロ大聖堂、ひいては、帝都からです」


「そんなことが出来るのですか?」


「出来ます」


 ホーリィの疑問に対して、ステファネ卿が迷いなくうなずく。


 普通に考えれば、そう簡単に逃げれるはずもない。逃げようとしたところで誰かに見つかるのがオチだ。見つかった相手が警邏兵団であろうものなら最悪だ。状況はますます悪くなる。


「ホーリィ様の疑念も分かります。ですが、私とて何の策もなくこんな提案は致しません」


「……腹案があるのですね?」


「地下通路を使います」


「地下通路?」


「ここには、一部の人間にしか知られていない、脱出用の地下通路が存在しているのです」


 ホーリィにとって初耳であったが、驚きはしなかった。たかだか1人の少女がアマロ大聖堂に関する全てを知ろうはずがない。彼女が知らない設備があったとしても何ら不思議ではないのである。


「そこを使ってタケル殿を何とか逃します。ほとぼりが冷めた後に、また迎えに行きましょう。そのためにはホーリィ様の力が必要なのです」


「何故、私の力が?」


「タケル殿の側にいれるのはホーリィ様しかいません」


「……え?」


 ホーリィは耳を疑いたくなった。どうして、私だけが側にいれるのだろうかと。


「不思議な話ではありませんよ。あなたは誰よりもタケル殿の近くにいたではありませんか」


「し、しかし私は何の力も、地位もないではありませんか?」


「力はとにかく、地位に関してはそれが良い方向に働くのです。自分で言うのもあれですが、私は教会の重鎮です。少しでも変わった動きをしたら目立ってしまう。それを逃すような警邏兵団ではないでしょう。ですが、ホーリィ様なら私よりは身軽です」


「た、確かにそうです……警邏兵団の皆様からも気を使われているのか、最低限の事情聴取で終わりました」


「もちろん、ホーリィ様の動きにも気づかれないことはないでしょう。ですが、タケル殿を逃がすだけのことは出来るはずです」


 そこまで吐き出したところで、ステファネ卿がホーリィの両肩を掴んだ。


「これから、私がその脱出用の地下通路に案内します。そこはかなり入り組んで構造になっていますが、ホーリィ様はそれを覚えて下さい。タケル殿の案内役となるのです」


「私が……」


「そうです、あなたが、タケル殿を救うのです」


 尊を、救う。


 その言葉は、乾いた地面に水を与えるかのように、じんわりとホーリィの頭蓋ずがいに染み渡っていった。


 そうだ、意気消沈してる場合ではない。


「私が、タケル様を救わねば」


 ホーリィが決意を口にする。先の弱々しい姿とは打って変わって、前向きで力強い。ステファネ卿の提案が彼女の心に気概を蘇らせたのだ。


「お願いします。私も、あの方は救われるべきだと、本気で思っているのです」


 その言葉を受けて、ホーリィがうなずく。心の底から同意した。あの人との繋がりをここで断つわけにはいかない。あの人への救いをここで終わらせるわけにはいかない。身体がチリチリとした熱に浮かされているのが、ホーリィは分ってしまった。


 尊のために、やらねばならない。ホーリィの一念を感じ取ったのか、ステファネ卿は満足気に笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る