第三章【25】
治安を維持するための組織として、現代地球世界にはだいたいの国家に警察が存在する。ひるがえって、オグト=レアクトゥス世界には似たような組織はあるのか?
結論から言うと、ある。《
やっていることも警察と大体同じだ。犯罪を未然に防ぎ、犯罪が起きたらそれを捜査し対処する。国によって細かい差異はあれど大なり小なりほぼ同じだった。
もちろん、殺人なんて起こったら確実に彼等は動くことになる。神聖十字教会が
アマロ大聖堂における教皇の執務室。普段なら静かで
「……本当に、アレクス=イリノケンチウスが殺されたんですね」
警邏兵団の男が半ば呆けたようにつぶやく。彼の視線の先には、青い布を被せられた遺体が1つ。布の下にあるのは、物言わぬアレクスが横たわっていた。
「こんなこと、あり得るのでしょうか?」
「現に起こってんだろうが」
疑問を呈した男。そのとなりにいた別の警邏兵団の男が、かったるそうに言い放った。
「でも、アレクス=イリノケンチウスですよ? 神に愛された人物なんですよ?」
「神に愛されたとしても、死ぬ時は死ぬ」
男の手元には、資料が握られている。被害者、アレクス=イリノケンチウスの情報が記されたものだ。
資料を手に持った男が目を走らせる。そこには、アレクスが会得していたスキルが
《定命破り》……寿命を大幅に伸ばす。
《
《黄金の精神》……強靭な精神力を持ちありとあらゆる精神的な干渉を受けない。
その他、常人では一生をかけても得られるかどうかというレベルのスキルがわんさかと記されていた。これらは全て神々から送られた加護スキルである。彼が神に愛され、選ばれ、祝福された者であるという証左だ。
こんなスキルを持つ男が、死ぬことなんて出来るのだろうか。ましてや、殺されるなんてあり得ないのではないか。オグト=レアクトゥスに生きる人物であるなら、大体の人物がそう思うのが自然である。
だが、殺された。
「遺体の損傷から見ても間違いなく殺されたと見て良い」
「凄いですね。身体の至るところがズタズタに裂かれてます」
「《不壊の身体》を持ってしてなお、これほどのダメージを与えることが出来る……それほどのスキルがあるのか……」
「にわかには信じられないですね。アレクス教皇と同じくらい、神に愛された人物がいる?」
「仮にそんな人物がいたとして、何故、アレクス教皇を殺す必要があるのかといったところだがな……」
「分からないことだらけですね」
「とにかく、関係者からの事情を聴取しないとな」
事件解決に向けて、警邏兵団の男達が動く。アレクス=イリノケンチウス殺しの
彼等がもし、尊のことを調べたとしたら、果たして。
△△△
尊は再度、薄暗い地下聖堂の中にいた。
アレクス教皇の死。それを知った教会は、尊の身を自由にしておくことは出来なかった。
それもそのはず、彼等は知っているからだ。尊ならば、アレクスを殺すことが出来ることを。アンシュリトという
ならば、現状は尊が一番疑わしいことになる。
そんな人物を見過ごしてあげるほど、教会は愚かではない。
たとえ、尊の人となりを知っていたとしてもだ。
「またしても不自由な思いをさせて申し訳ない、タケル殿」
「いえ、当然の判断でしょう」
「そう言ってもらえるとありがたい限りだ」
ベネディクトゥス卿と尊が、地下聖堂にある一室にて対話をしている。ベネディクトゥス卿の背後にはセントを初めとした神聖十字騎士団の面々が控えていた。ベネディクトゥス卿の護衛だろう。尊に少しでも不穏な動きがあれば即座に動けるようにしている。そのたたずまいを見て、尊は改めて彼等の
「……正直な話を言うとだ。私はあなたのことを信じきれない」
苦虫をかみ潰した顔でベネディクトゥス卿がつぶやく。後ろにいるセントも似たよう顔をしていた。言葉の裏には、それでも尊を信じたいという想いがある。彼等の善意が尊は素直に嬉しかった。
「あなたが教皇猊下を殺すとは思えない。だが、あなた以外にそれを出来る人物はいない。少なくとも私は知らない。申し訳ないとは思う、だが、信じきれない。あなたを、自由の身にしておくことは出来ない」
「真っ当な考えです。何も謝ることはありません」
「あなたは、それで良いのか?」
「良いも悪いもありません。受け入れるだけです」
「何故、受け入れてくれるのですか?」
「嬉しかったからです」
「嬉しい?」
「皆様が、私を救いたいと思ってくれたことがです」
どこまでも温和な尊の態度。それに反比例するかのように、ベネディクトゥス卿の顔はどんどん険しくなっている。奥歯を噛む音すら聞こえてきそうなほどだ。
「どうして、あなたは……こんな、こんな時に……」
「こんな時だからこそです。私はアレクス猊下を殺してないどいない。ですが、むやみやたらに主張したところであなた方に迷惑がかかるだけだ」
まろやかにはにかむ尊。心は泰然としている。アレクスの死は悲しく、彼を殺した犯人には怒りすらわく。だが、自分が感情のまま動いたとしても、事態は何も進展しない。ならばせめて混乱の渦中にある彼等の望む行動をしたい。尊はそう思っていた。
「優しいな、あなたは、分っていたことだが」
「皆様が優しかったから、私も優しくあろううと思いました」
嫌味の一片とない尊の言葉を受け、ベネディクトゥス卿が目を見開き、くるりと振り返った。
「……やはり、タケル殿にこのような扱いをするのは、間違いだ」
「ベネディクトゥス卿?」
「タケル殿を解放しよう」
「……よろしいので?」
「構わん」
不敵な笑みを浮かべるベネディクトゥス卿。それを見て、セントもまた同じように笑った。2人とも、わずかに上げられた口角がひきつっている。他の騎士団の面々もほとんど同じ表情だ。
「タケル殿、頼みがあります」
再度尊に振り向き、ベネディクトゥス卿がそう言った。
「……何でしょう?」
「あなたの手で、猊下を殺した犯人を見つけていただきたい」
「私が、ですか?」
「あなたにしか頼めないのです」
その言葉に続いて、ベネディクトゥス卿が現状を説明する。
「現在、イドナティーユ帝国の警邏兵団がアレクス殺害の犯人について捜査をしています。そして、彼等の捜査力なら、そう遅くないうちに尊殿のことを調べ、有力な犯人候補とするでしょう。何せ、タケル殿がアレクス教皇猊下を殺せる力を持っているのは間違いないのだから」
「当然ですね」
「そうなったら、もう我等としてはタケル殿を警邏兵団に引き渡すしかなくなる。下手に抵抗したら国としがらみが出来てしまう。こんな時に、それはどうしても避けたい」
ベネディクトゥス卿が眉間を指で抑えている。教皇たるアレクスを失った現在、神聖十字教会は大黒柱をまるごと失っている状態だ。そんな中、枢軸卿として様々な方面で彼は奔走しているのだろう。言葉の端々に隠しきれない疲れが見えていた。
「それに……」
「それに?」
「猊下を殺せるほどの下手人を相手にするなら、タケル殿の力は、何よりも頼りになる」
一見前向きなその台詞には、どうしようもないほどの悔しさがにじんでいた。ベネディクトゥス卿も、セント達も、皆、
本当は、タケルのことを頼りたくなんてない。
タケルには大切な客人として過ごして欲しい。あなたを救うのだと、教会は宣言した。なのに、アレクスを失った途端、あなたの力を借りたいと言っている。知っているのにだ、尊の持つ力がどれだけ忌まわしいものかを、その力のせいで、尊がどれだけ苦しんだのかを、彼等は、知った上で救いたいと宣った。
それなのに、今、力を貸してくれと頼んでいる。
嘆かわしい。そんな痛ましい叫びが聞こえてくるようだった。
「分かりました。承りましょう」
そして、それを受け止めない尊ではなかった。
「……感謝の言葉もない」
「はは、そんなにかしこまらないで大丈夫ですよ」
「本当に、ありがたい話です……警邏兵団の捜査から幾ばくかの時間を稼ぎます。長い時間は難しいでしょうが……」
「構いません。それに、時間はかけません」
尊が立ち上がり、真黒のローブを軽く手ではたく。ほこりがまい、薄い白色が一瞬だけ空気を染めた。
「皆様は、私を救いたいと言ってくれた。それが嬉しかった。その恩を返します」
「……あなたが返すべき恩などありませぬ」
「いえ、あります。受け取っていただきますよ」
「強情な人ですな」
「あなた方には負けますよ」
ベネディクトゥス卿が破顔する。死を望んでいた尊に、生きていて欲しいと願い続けた彼等も大概強情だ。そんな尊の言葉の裏を、どうやら、しっかりと読み取ってくれたらしい。
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