第三章【24】



 その男は、英雄足りうる器だった。


 環境が噛み合うことさえ叶えば歴史に残る偉業を為すことが出来る人材だった。素晴らしい才能に満ちていたのだ。


 だが、不幸と言って良いのだろうか。


 男は英雄の道を歩むことはなく。


 血に塗られた暗殺者の道を歩むことになる。


 男は、邪神たる《闇夜の神 クシュニュ》に愛された者であったのだ。


 男に課された使命は、『神聖十字教会のトップ、教皇アレクス=イリノケンチウスの暗殺』。邪神にとっての仇敵を殺すこと。それが、男が生まれた時からの定めとなった。その人生に選択の余地はない。ただ、ただ、教皇を殺し得る器という事実が、彼の人生を決定づけたのだ。


 だが、オグト=レアクトゥスという世界の全土にその名を轟かせる宗教。その頂点に君臨する人物を並大抵の手段で殺せるはずもない。


 たからこそ、文字通り人生を賭けた。


 幼少期に高名な神官の家に入り込んだのは、その計画における最初のステップだ。子供がいなかったその家に養子として迎えられた時点で、教皇暗殺計画は始まっていたのだ。


 そして、男は、優秀で敬虔な神官の人生を完璧に演じてみせた。それこそ、神聖十字教会における最高峰の位たる枢軸卿へと登りつめてしまうほどに。


 男は地位を得た。それ以上に大きかったのが教皇アレクスの信頼を得たことだ。彼の腹心の1人として潜りこむことに成功したのだ。


 後は、タイミングを計るだけ。最高のタイミングで暗殺を実行して、教会を混乱に陥れるだけであった。


 そして、その時が、ついに来た。


 黒染めの聖者こと、尊。


 彼が来たこの時こそが、男にとって最高のタイミングだった。


 今ならば男の手で教皇を殺したとしても……。


 尊に、その罪を背負わせることが出来る。


 だからこそ、実行するなら、今。




△△△




 基本的に、尊とホーリィは2人で行動することが多い。ホーリィが尊にべったりひっついてるからだ。


 ただ、今回は少し趣きが違った。2人は今、アマロ大聖堂の資料室にいる。アンシュリトについて調べたいというホーリィに対して、尊が手伝いを申し出たのだ。ホーリィに尊がくっつく形になったのだ。


「この資料、片付けておきますね」


「あ、はい! お願いします!」


 テキパキと片付けをこなしていく尊。ホーリィは、その姿をぼーっと見つめている。指先は資料の1ページを挟みつつも、視線がそこに向いていない。気もそぞろになっている。


 これは良くない、良くないことはホーリィも分かっている。敬愛する尊のために動かねばならぬというのに、こんな状態では動くものも動かない。


 だが、それでも、ホーリィの脳内を占めるのは、先日アレクスと交わした会話のことなのであった。それが彼女から集中力を奪っている。


 ホーリィは尊のことが好きだ。それを自覚してしまった。


(だからと言って、どうすれば……)


 ローブの襟元をぎゅっと握り、口を酸っぱく、目元をしわくちゃにしてホーリィが悩みを抱える。尊のことに関しては猪突猛進であったホーリィも、これに関しては立ち止まるよりなかった。


「どうしました? ホーリィさん」


 そんなホーリィの様子を見た尊が心配そうな声をかけてくる。


「え!? いや!! 何でもないです!!」


 弾かれたようにホーリィが姿勢を正す。その態度は何かあると言っているようなものだ。


「本当に、大丈夫ですか?」


 自然に距離をつめてホーリィの顔をのぞき込んでくる尊。ホーリィの心臓が急激に震動した。


「だ、大丈夫で! あひゃぁ??!??!」


「ホーリィさん!?」


 滑って転んで、思いっきり尻もちをついたホーリィ。すぐさま、尊が手を差し伸べる。


「大丈夫ですか!?」


「はいっっ! 大丈夫です!」


 差し出された手に、ホーリィが慌てて手を伸ばす。そのまま、優しく尊が起こしてくれた。


「怪我はないですか? ごめんなさい、驚かせてしまったようで」


「いえ! タケル様は何も悪くありません!」


 謝罪を述べる尊。実際、彼は何も悪くない。


「本当に大丈夫ですか? 様子も変ですし……もしかして、何か迷惑でしたか?」


「い、いえ! 違います! タケル様は何も悪くないのです!」


「しかし……」


「とにかく! 大丈夫ですので!」


「はぁ……」


 強引に押し切る。だが、尊は釈然としないようだ。


「あの、今更な話かもしれませんが……何か悩みがあったら遠慮なく言って下さいね」


 尊がホーリィに穏やかな微笑みを向ける。いつ見ても、心に涼風が吹き抜けるようだ。


 どうして、こんなにもこの人の笑顔はこころよいのだろう。


「タケルさんは、本当に、優しい……素敵です」


「どうしました? 突然に」


「……どうしたんでしょうね」


 すっと、滑るようにホーリィが尊に身体を寄せる。そのまま、顔を彼の胸にうずめ、抱きついた。


「ホーリィさん?」


「タケル様……あなたの優しさは誰よりもたっときものなんです」


「……本当に、どうしました?」


「私は、その優しさに惹かれた」


 少しだけ、尊の背に回した手に力を込める。尊は、黙って受け入れていた。


「タケル様は、自身を卑下なさっています。けど、私はタケル様を誰よりも尊敬しています。だって、あなたは誰よりも輝いている。あなたはずっと、たっとくあろうとしていた。それが、あなたという人をこんなにも素晴らしい聖者へとしてくれた」


「自分は、そうと思えません」


「私は、そうとしか思えない」


 ああ、こんなに近くで言葉を向けても、尊は受け入れない。


 寂しい。


 どうしても、どうしても駄目なのだろうか。


(私では、駄目なの?)


 シャーフェ、エモディア、過去に愛した人達に劣っているというのか。劣等感に心が狂いそうになっている。今のホーリィは、尊の弟子である前に1人の少女であった。


「タケル様、私はあなたを……」


 愛しています。誰よりも。


 その想いを、ホーリィが紡ごうとした、その時だった。


「――タケル殿はいるか!?」


 セントの怒号が飛んでくる。弾かれたようにホーリィが離れた。


 物騒な物音が騒々しく鳴り響いてきた。鎧のこすれる音だ、それも複数。音がした方にホーリィは顔を動かす。武装した神聖十字騎士団が数名、部屋に入って来ていた。


「ど、どうしたのですか?! タケル様に一体何を?」


「ホーリィ。落ち着いて聞いて欲しい」


「……兄さん、どうしたの? 何があったの?」


「アレクス教皇猊下が死んだ。何者かに、殺されたのだ」


 その言葉が耳に届いた瞬間、ホーリィは、頭を石で殴れらたような錯覚を覚えた。

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