序章【9】

 

 この世界における交通機関の1つ、《陸走船ドランスポーシップ》。それは、基本的に高価で、個人が所有出来るものではない。現代地球文化のように、民間の鉄道会社に準ずるもの(運通ギルドという)が所有し、運行させる、公共交通機関として使われるのが一般的である。


 しかし、今回、尊を輸送しているこの陸走船ドランスポーシップは違う。


 この陸送船は、国家が所有しているものである。尊が暮らしているアルトス村がある、イドナティーユ帝国という国家が、自ら所有する国有のものだ。


 国有のもの、即ちそれは、国民の血税で成り立っているものである。よほどな事情がない限り、動かす訳にはいかない。


 つまり、この陸走船ドランスポーシップは、よほどな事情があって動かしているものだ。少なくとも、これを所持するイドナティーユ帝国は、尊の護送についてそう判断していた。


 件の人物である尊に、不自由な思いをさせらない、そう言わんばかりに、尊にはこの船の中で一等良い個室をあてがわれていた。


 高級な木材で作られた各種調度品。

 金銀が眩しく輝く装飾品。

 壁面には美しい絵画。

 一瞬で身体を包み込む柔らかさのベッド。


 ここぞとばかりに贅を尽くされた部屋だ。この部屋を見た瞬間、尊は小さく感嘆の呻きを漏らしてしまった。


「何かありましたら! 遠慮なくお申し付け下さい!」


 望みとあれば尻の毛まで抜いて差し上げます、と言わんばかりのネオクの言葉。それを、そこそこに受け取り、今、尊は部屋の中で静かに思索に耽っていた。


 最近、久しく行ってなかった、我流の座禅である。柔らかいベッドの上は敢えて使わず、硬い床の上で行っていた。


 今、時間は夜中だ。ベッドの上でそれを行っていては、眠気が邪魔をしてしまうと考えていたからだ。


 只管打坐しかんたざ


 ただひたすらに、座ることに打ち込む。尊が学んでいた仏教、その中の禅における重要な修行方である。


 無心になれと、禅は教える。尊は、この無心になるという境地を、何も思わないこと、ではなく、己の心と向き合い続けた末に至ることが出来る状態だと解釈している。


 只管しかん、ただひたすらに座る。座って、ひたすらに、尊は自分の心と向き合っている。


(――――)


 浮かんでくるのは、元の世界に残した家族のこと、この世界のこと、この世界で出会った人々、そして、ユアの『一緒に生きて欲しい』という言葉だ。


 家族のことを、忘れることはできない。元の世界に戻りたい思いはある。帰って、ただいま、と家に帰り言ってあげたい。妹の優愛との約束を果たしてあげたい。


 だが、この世界で出会った人々は本当に良い人達だった。良縁というやつなのだろう。ティダレも、パッツも、ゴネーアも、ジュギも、クアルンも、他に出会った人達も、全て、自分に優しくしてくれた。


 そしてなによりユアだ。本当に、彼女は色んなことに気をつかい、優しくしてくれた。この世界で、初めて言葉を交わしてくれたのが彼女でなければ今頃どうなっていたか分からない。


(多分、俺はもう、この世界を好きになっているんだろうな)


 尊は、自分の心に浮かんだ思いを静かに受け止める。身体が軽くなったような心地を覚えた。


 ずっと、元の世界のことが尊の中の執着となり重しとなっていたのだろう。それが、ユアを1度泣かせてしまう原因になったほどに。


(元の世界を、家族を、忘れることはできない。でも、それでいいんだ。その思いを心に埋め込んで、この世界の人達と、ユアさんと共に生きていけばいいんだ)


「――薩婆訶そわか


 その言葉は、正しく、無心から生まれた言葉だった。なんの意識もなく、なんの考えもなく、尊の口から自然と出てきた言葉だった。


 その時、彼のまぶたの裏に、一瞬、光が灯った。脳のうちに爽やかな風が吹いたような心地良さを感じる。今まで、思い浮かべる度に心を痛めつけていた元の世界の光景が、ゆっくりと、静かに、砂がこぼれ落ちるように消えていった。


 尊は緩やかに目を開く。静かな海のように、心は凪いでいた。


(ああ、今の心持ちなら、ユアさんの思いを確かめられるはずだ。そして、俺もユアさんに思いを伝えることが出来るはずだ)


 尊が、床に寝そべる。彼は今、言葉に出来ないような快感を得ていた。なんとも表現出来ない、『答え』のようなものを見つけた感覚を、尊は覚えていた。


(さようなら、母さん。さようなら、父さん。さようなら、優愛。さようなら、皆。俺は、ここで、生きていく)


 尊の瞳から一筋の涙が、床に落ちる。悲しくはあった。辛くはあった。だが、それ以上に、暖かい何かを、その涙から、尊は感じることが出来た。本当の意味で、元の世界に決別出来た瞬間だと、尊は思うことが出来た。


 そんな時だった。ふと、にわかに、外が騒がしく感じたのは。


「……ん? あれ?」


 最初、尊は気のせいかとも思った。だが、尊の胸のざわつきはだんだんと大きくなっていく。なぜだか、放っておけない、そんな考えが尊の脳内を支配していった。


「……何があったか、ネオクさんに聞いてみるか」


 そう呟いて、尊は、美しい光沢を放つ金のドアノブに手をかける。


 一瞬、背後に、あの恐ろしく美しいアンシュリトが見つめている気配を感じた。


 尊が、反射的に振り向く。だが、彼の目には、彼のためにこしらえられた豪華で華美な部屋が映るだけだった。



△△△



 イドナティーユ帝国第8騎士団長、ネオク=ナーンキルは、貴族であった。


 オグト=レアクトゥスに存在する国家の政治体勢は、だいたい王政か共和制のどちらかである。王政が主流の1つとなるくらいには、王の権力が強くなる土壌があるということだ。


 よって、この世界における貴族は王に直接仕える者が大半を占めていた。王に対抗出来るほどの権力を貴族が持ち合わせていないからだ。以前、この世界を中世ヨーロッパ風ファンタジー世界と表現したが、実態は近世に近い。


 ネオクは、イドナティーユ帝国のトップである皇帝に代々仕える武官貴族の人間だった。今の地位も、世襲の末に転がりこんで来たものである。


 で、そんなネオクという男。有能かと言われると……少なくとも、武官としてはそれに当てはまらなかった。


 個人としての武勇も、軍団を率いる才も持ち合わせていない。ついでに、それについてなんら省みることがない。武官として落第点を与えられた人物であった。


 同僚たる他の騎士団長からは明らかに下に見られ、主君たる皇帝からも期待されず、果てには部下でさえも武勲に期待されない始末。そんな男が、ネオク=ナーンキルという男であった。


 が、全くの無能という訳でもない。


 特に政治的な機を見るに敏というか、自己保身の妙に関しては一日いちじつちょうがあった。曲がりなりとも彼が武官として高い地位にいるのも、なんだかんだ彼に部下が着いてくるのもそれが理由であった。


「ふふふ……なんとも運の良いことだ」


 そして今回、ネオクは、尊という男に、自らの保身の為の価値を見出したようである。


「他の騎士団長の奴らは下らん仕事だと、武の無い私に相応しい任務だと思っているようだがなぁ。将来、英雄になるかもしれん人物と今の内によしみを通じることが出来るなど、これほど素晴らしい任はあるまい」


 陸走船の中、今回この船の船長を兼ねているネオクが、船長室にてワイングラスを片手に薄ら笑いをこぼす。時間としては、就寝に入ってもよい時間なのだが、寝る前に美酒でも堪能しようと考えたのであろうか。


「しかも、ただ護送するだけ。なんにも武張ぶばったことは必要ない。私も、私の部下も傷つくことは何1つない」


 ネオクが、笑いを込み上げ続けながら呟き続ける。実際、今回の任務にネオクが選ばれたのも、先ほどの彼の言葉に集約している。


 つまり、国としては素晴らしいスキルを持っている(かもしれない)尊に、最大限礼を尽くしたい。だが、たった1人の男の為に武力に優れた他の騎士団長を使って彼等を拘束させたくないという意図があった。そこで白羽の矢が立ったのが、武力に劣るネオクだったといつことだ。


「帝都についたら手配した宿に、まず女を用意せねば、改めて部下に観光プランのチェックをさせておくか、いっそ今の内に親族に婚約をチラつかせるのも……」


 ぐふふふふふ、と控えめに言って汚いとしか言えない表情を、ネオクは浮かばせ続ける。彼の脳内は、すでに薔薇色の未来が見えているようだった。


 もっとも、そんな彼の未来予想図は、すぐさま木っ端微塵に消え去ってしまうのであったのだが。


「た、大変です!!」


 1人の部下が、慌ててネオクの部屋に飛び入ってくる。ネオクは、崩しに崩していた相好を、慌てて元に戻した。


「どうした?! 何があった!?」


 ネオクが慌てて聞き返す。


「アルトス村が……魔物の襲撃を受けて……壊滅寸前とのこと!!」


「は??」


 ネオクは、素っ頓狂な声で聞き返した。


「壊滅寸前???? どういうことだ??」


「それが……どうやら1000を越えるであろう魔物の群れに襲撃されて……村自身の自力では対処できない状況に陥っていると……」


 憔悴している部下の報告を聞く度に、ネオクの顔が青ざめていく。


「魔物の群れ……1000を越える?? ダ、ダンジョンは、付近のダンジョンを管理していた冒険者ギルドは何をしていたのだ!!」


「それが、全く連絡がつかず……恐らくもう、魔物達によって……」


 ネオクの怒号に付随した問いに、部下が消え入りそうな声で返答をする。部下は、あまりの緊張で身体が震えていた。


「本部は……救援を受け取ったであろう軍の本部は、なんと言っている?」


 ネオクが、再び問いかける。もうその声に、勢いは絞りカスほどもなかった。


「アルトス村の近くに居る軍は、急いで救援に向かえと」


「1番近くに存在する軍は誰だ?」


「現状では、私達かと……」


 乾いた笑いが、ネオクからあふれ出す。先ほどのような、喜色に満ちた含み笑いの面影はどこにも見えなかった。


「無理に……無理に決まっておろう……魔物との大規模な戦闘なんて想定しておらんぞ……ましてや1000を越える魔物と戦う事態など……タケル殿の護衛のことしか……」


 頭を抱えるネオク。その後、彼は何かに気づいたのか反射的に顔を上げた。


「タケル殿は、どうしている?」


 特大の爆弾が側に置いてあるかのように、ネオクは冷や汗を垂れ流す。彼の背筋は、凍っているのかもしれなかった。


「部屋で休んでいると思われますが……」


「このことは、絶対に、絶対にタケル殿には伝えるな! 絶対に、な、あ?」


 その言葉を言い終えようとする瞬間、ネオクの視界に、何者かが映る。それは、今、彼の視界に最も入って欲しくないであろう人だった。その様子を見て、思わず部下も後ろを振り返る。


「タ……タケル殿?」


「今の話は本当ですか?」


 尊が、いつの間にか、そこに居た。声は、完全に冷えきっていた。


「タ、タケル殿、どうされましたかな?」


「もう一度聞きます。今の話は本当ですか?」


 震える声でネオクが笑いかける。その様子を完全に無視して、タケルが再び同じ質問を問う。


「タ、タケル殿が気にするようなことでは……」


「本当なんですね?」


 ネオクも、部下も、二の句をつげなかった。どちらの額にも、脂汗が滝のように流れている。


 一瞬、場を静寂が支配した。


「すみません、行きます」


 瞬間、尊が駆け出した。


 時が止まったかのように、残された2人は動きが凍りつく。


「と、止めろおおおおおお!! タケル殿を止めるのだああああああああぁぁぁ!!」


 ややあって、ネオクが叫ぶ。ある意味当然だ、ここで彼を止められなかったら、大失態という話で収まらない。彼の未来は、破滅に向かってしまうこと請け合いだからだ。彼にとっては、何があっても尊は止めなければならなかった。


 だが、現実は無情であった。最終的に、ネオク=ナーンキルという男は護送の任務を失敗。その責を負うことになり、それが原因で波乱万丈の人生を歩むこととなる。もっとも、そこから先は、関係のない話なので恐らく語る機会はないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る