序章【10】

 



 駆ける。

 駆ける。

 駆ける。


 尊が、街道をひたすら駆けていく。


 走ってどうこうとなる距離では無い。そもそも、途中でバテてしまって終わりだ。なんせ、尊の世界での自動車ほどにはスピードがあった陸送船トランスポーシップを用いて数日ほど走破した距離だ。本来なら、尊の足で走りぬけられる距離ではない。


 しかし、尊の足は止まらなかった。いや、それどころか、その速度は時を増す毎に速度を増していた。


 なぜ、自分は走り出したのか。


 なぜ、自分は走り続けられるのか。


 なぜ、自分の走りは迅速であるのか。


 尊の脳内にぽつぽつと疑問が浮かび上がってくる。それらは、その足を更に加速させることで強引に打ち消した。


 早く行かなければ。行かなければ、あの村が、あの村に居る大事な人が。


 浮かんでくる嫌な想像を断ち切るために、尊は、がむしゃらに走るしかなかった。


『ああ! そうよ! あなたは走り出すしかないのよ! だって、それがあなただから!』


 脳のうちに、アンシュリトの声が聞こえてくる。今度は気のせいじゃない。尊は、なぜか、それが明確に分かった。


『さぁ! さぁ! 行って頂戴! 私は! あなたが、その先で見せる景色がみたいの! あなたが、その先で見せる姿が見たいの!!』


 うるさかった。


 ただひたすらに、その声がうるさかった。


 だから、駆けた。走った。大地を蹴った。尊は、もう、あの村にたどり着くこと以外、何も考えたくなかった。


 ふと、目の前に、何かが見えた。


 よくみると、それは、人の形をしていた。近づくと、尊が知っている人である事が分かった。ゴブリンのジュギだ。


「ジュギさん!!」


 すぐさま駆け寄った。ジュギの身体は、既に満身創痍まんしんそういだ。片腕はなくなっており、体中至るところで出血している。


「あぁ……タケル? タケルなのか?」


「はい! タケルです! 大丈夫ですか?!」


 ジュギが、尊に向かって倒れ込む。その身体は完全に熱を失っていた。


「頼む……ユアを……助けてくれ……俺1人しか抜け出せなくて……魔物がいっぱいでよ……助けを呼びたくて」


「大丈夫です! 大丈夫ですから! もう喋らないでください!」


 尊が、ジュギの身体を抱きしめる。彼の瞳は、何も映し出していないかのように、うつろだった。


「ユアを……ユアを助けてくれ」


「分かりました! 分かりましたから!」


「あいつな……俺の母ちゃんに似てんだ……笑うと可愛いくってよ……花のようにさ……可愛いくってよ……ほんとに」


 そこまで言って、ジュギが尊の身体からずり落ちた。彼はもう、死んだのだと、尊は分かった、分かってしまった。


「う、うおおおおおおおおああああ!!」


 尊は、叫んで、再び駆けた。本当は、ジュギの遺体を、そのままにしたくなかった。弔ってあげたかった。だけど、尊は、1分1秒でも、早く、駆けなければいけないと、ユアを助けなければならないと、そう思った。だから、彼の遺体をそのままにしておくしかなかった。


 涙があふれ出ていることが、尊は分かった。この世界に来てから泣くことが多くなった。嬉しくて、泣きたかった。悲しくて泣くのは、もう嫌だった。


 尊は駆けた。駆けて、駆けて、そして、アルトス村の門を、その視界に収めた。そこには、魔物があふれかえっていた。


「どけよ……どけよ!!」


 尊が、渾身こんしんの力で、村の入口を囲っていた魔物の群れに突撃する。


 スライム、殺人蜂キラービー角兎ホーンラビット、ダイヤウルフ。


 種々の魔物が尊を迎え撃つ。今の尊は、邪魔するものに対して、容赦をする気などさらさらなかった。


『ああ! 楽しみよ! 楽しみよ! 尊! あなたの輝きを見せて頂戴! その時に流す涙を! 私は残らず舐めとってあげるわ!』


 また、あの声が、尊の鼓膜こまくを打った。だが、尊は、その声を振り返ることはしなかった。そんな時間すら、今は惜しかった。



△△△



 アルトス村の様子は、控えめに言って地獄だった。


 村のいたるところで、魔物達がかつて人であったものの肉を貪っている。流れ出た血がそこら中にこびりつき、腐肉のすえた匂いが鼻腔びこうを刺激する。骨、内蔵、眼球、髪、ありとあらゆる人体のパーツが、魔物によってそこら中に散らかされていた。


 入口の魔物を蹴散らし、村に入った尊だったが、その光景に思わず目を背けた。その不快さが、彼の胃の中のものを刺激する。尊は、思わず嘔吐おうとしてしまった。


 村の中の魔物が、尊に視線を向ける。次なる標的をとらえた彼等は、一斉に尊へ飛びついた。


「邪魔、するなよ!」


 吐瀉物としゃぶつを拭き取ることもせず、尊は襲いかかる魔物に反撃する。


 まず、飛びついてきた角兎ホーンラビットの頭を右手で握り潰した。


 次に、飛来した殺人蜂キラービーを左手の拳で身体ごとぶち抜いた。


 足元に近づいてきスライムは、そのまま踏み潰した。


 またやってきた別の殺人蜂キラービーは、左足で蹴り殺した。


 次々に襲いかかる魔物達を、尊は、超人的な力で各個に殺していく。数分もすれば、尊の周りにいた魔物は、全て死骸しがいになっていた。


 尊は、村の中を駆け出す。


「誰か!!! 誰かいませんか!!!」


 尊が叫んだ。とにかく、今は生存者を見つけたかった。だが、その声に反応するものは1人も現れなかった。


「……いがっ!?」


 尊が、何かにつまずき転んでしまった。すぐさま起き上がり、その何かを見た。


「……あ、あああああああああ!」


 それは、尊もよく知る人物の死体だった。


 ティダレ、ゴネーア、パッツ。


 それぞれ、無惨にもその身体は食いちぎられていた。鍛えあげられていティダレの上背も、綺麗な鱗が光っていたゴネーアの腕も、ピョコピョコとよく動いていたパッツの耳も、全て引き裂かれていた。


 それを見たとき、彼等の笑顔が、尊の脳内に走った。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 尊の慟哭どうこくが響き渡る。その音を聞きつけて、魔物が、尊の側に集まってくる。


 ドクン、ドクン、と。尊のなかで何かがうごめいた気がした。


「殺してやる……ぶち殺してやる!!」


 飛びがかかって来たダイヤウルフを拳で叩き落として、尊が叫んだ。そのまま、近くにいた2羽の角兎ホーンラビットを両手で掴んで、放りなげ、飛んでいた複数の殺人蜂キラービーを地面に落とした。


「殺す! 殺す! 殺してやる!」


 拳で、足で、爪で、歯で、何度も、何匹も、尊は魔物を殺す。その表情は、普段の穏やかな彼からは想像もつかないような、壮絶なものであった。


「そうだ……ユア、ユアさんは!?」


 目に付いた魔物を全て潰した。その後、それに思い至った時、尊は、また、村の中を駆け出した。道中で襲いかかってきた魔物を全て蹴散らしながら。


「ユアさん!」


 尊は、思い出していた。初めて出会った時の、ユアの、意思の強さを感じさせられる瞳を。


「ユアさん!!」


 自分の言葉を信じてくれた時に見せた、あの花のような笑顔を。


「ユアさん!!!」


 あの夜、尊のことを思い続けたが末に、流してしまったあの涙を。


『一緒に生きてくれませんか』


「俺は、あなたと、ずっと一緒に、この世界で生きていたいんです!!」


 尊が、その言葉を振り絞った時だった。彼の目の前に、1つの建物が映る。


「あれは……教会だ!」


 それは、ユアの大切な家族、クアルンが務めている教会だった。


「ここなら、居てもおかしくない!」


 尊は、その門扉もんぴに手をかけ、勢いよく開ける。すぐさま中に入り、探索を開始する。


「誰か! 誰かいませんか!」


 その声に反応はない。更に奥へ、尊は行く。廊下があった。それに沿って、尊は進んだ


 ふと、廊下の中枢ちゅうすうで、数匹のダイヤウルフが何かの肉をむさぼっているのを確認した。


「え?」


 そこには、尊がよく知る。白いローブに身を包んだ男性と、その人に愛おしく寄り添う女性がいた。


 そのダイヤウルフ達がむさぼっていたのは、他でもない、クアルンとユアの肉だった。


「あ、ああ」


 ダイヤウルフ達が、侵入した尊に気づき、彼に振り向く。だが、尊の視界には、そんなダイヤウルフの様子は一切入っていない。


 ユアは笑っていた。だが、その身体は、ほとんどが喰われ、骨はむき出しになり、臓物は散らばっていた。


「あああああああああああああああ!!」


 尊が、悲痛な叫びをあげる。それを見た時、尊の中で、何かが切れる音がした。遮二無二しゃにむに突っ込んで、ユアとクアルンを貪っていたダイヤウルフの1匹を殴り殺す。


「ふざけるな! ふさけるな! ふざけるなぁ!!」


 怒りのままに、1匹、また1匹、殺す。ダイヤウルフの呼吸が聞こえなくなるまで、殺し続けた。やがて、ダイヤウルフは、ただの肉塊となる。


「ユアさん……クアルンさん……」


 尊が、2人の死骸の側に膝をついた。もはや涙も枯れ果てている。


 ユアの頭を撫でる。ぬちゃ、と血で汚れた音がした。小柄で可愛らしい顔には、すでにウジが湧いていた。


「く、くくくくくははははははははははは!!!」


 狂ったように、尊が笑う。


「はははははははははははははははははひは!!」


 尊が、ひたすら笑いながら、ユアが着ていた服を破きはじめる。可愛らしいユアによく似合っていた、色鮮かな赤いスカートは、にごった血で汚れていた。それを強く引っぱり、破り、裂く。


 やがて、その布の一部を、尊は、首元に巻き始め、スカーフとした。


「申し訳ないですユアさん、これだけしか連れていけなくて……でも、見ててくださいね」


 尊が、愛おしそうに、スカーフを撫でる。半裸にむかれたユアの死骸には目もくれなかった。


「見ててください、あいつら、全部殺しますんで。俺が、ユアさんの分まで、全部全部殺しますんで」


 くらくしずんだ瞳で、尊がゆがんだ決意の言葉を放つ。顔は薄く笑っていた。


「ああ、クアルンさんも連れていきましょう。家族ですからね」


 そう言って、尊が、側にあったクアルンの死骸からローブをはぎ取り、身に着けた。純白のローブは血で汚され、ほとんど白い部分は見えなかった。


「殺す、殺す、殺す。絶対に殺し尽くしてやるからな」


 尊が、ふらふらとした足取りで、歩き出す。スカーフにしたユアの遺品を握りしめながら、憎い憎い敵を求めて。



『――目覚めなさいな。私の与えた、愛よ』



 そんな時、アンシュリトの声が、尊の耳朶じだに響いた。


『目覚めなさい、私の与えた、愛。スキル、《“鬼神きしん”》よ』


 それを聞き終えた時、尊は、身体中に、燃えるような熱さを感じた。



△△△



 カイゼルダイヤウルフが教会を占拠した段階で、アルトス村の命運は決定した。


 人々が休息を始める夜間に襲撃をかけ、数の優位を利用して村を包囲、カイゼルダイヤウルフが率いる一群は村の中で特に獲物が集まった場所を狙う。


 これらの策は全てピタリとハマった。それは、その指揮をとった、このカイゼルダイヤウルフが間違いなく卓越たくえつした魔物であることの証明だった。


 さて、カイゼルダイヤウルフだが、今は教会の中庭に独りでたたずんでいた。


 あとは、もう、群れがこの村にいる人間達を残らず食い尽くすだけだ。ここまで来たら、カイゼルダイヤウルフ自身は動く必要はないと思ったのだろう。今はその身体を休めているようであった。


 そんな時、突然、何かを感じたのか、カイゼルダイヤウルフがバッと飛び起きた。


 すぐさま臨戦態勢を取る。先ほどのような弛緩した雰囲気は感じられず、今にも飛びかかっていかんとばかりの気迫が感じられた。


 足音が聞こえる。


 ゆっくり、静かに、何者かが中庭に近づいてくる。


「ああ、随分と、大物じゃないか」


 それを視界に入れた時、カイゼルダイヤウルフの全身の毛が、全て逆立ったように見えた。


「はは、強そうだな、強いんだろな、まぁ、だからと言って逃すつもりはないけどな」


 尊が居た。血でまみれ、ほとんど白い部分が無くなってしまったローブを纏い、首元には血で汚れたユアの服で作ったスカーフを巻いている。


 尊を見たカイゼルダイヤウルフが低くうなる。警戒しているのだろう。強く、強く、威嚇いかくの鳴き声を彼に向けていた。


「死ねよ。殺してやるから、お前ら皆、俺の恨みが消えるまでな」


 虚ろな目で、静かに尊が言った。すると、彼の身体が変貌へんぼうを始める。彼の身体が、人とは思えないものになっていく。



 ――異形いぎょう。その姿を、他にどう表現できるだろうか。



 肌は全身くまなく鈍色にびいろに染まっている。無駄なものが削ぎ落とされ、均整のとれた体にまとう筋肉の鎧は、はち切れんばかりに膨張し、全ての部位が金剛石ダイヤモンドを思わせるような美しさと強靭さを誇っている。


 肉体を着飾るのは、腰に巻いた漆黒の外套がいとう1枚。そして、両手両足にそれぞれ1本ずつ、いびつに巻き付けられた鎖。鎖は、その者が、まるで誰かの所有物かのように主張しているようだった。


 しかして、その姿で何よりも際立つのが、その顔。


 まるで、仮面をつけているかのようである。


 仮面のかんばせは、例えるなら、業火の中より生まれ出づる悪鬼。燃え上がる炎を思わせるかのような形の面を、突き出された2つの角が禍々しく飾る。


 むきだしの牙は全てを噛み砕かんとし、つり上がった目尻は全てを射殺さんと見れる。目に瞳はなく、全て白色で染まっていた。両の白眼から走る深紅の線は、まるで、血の涙を流しているようだ。


「当然だが、お前も殺す」


 静かに、異形と化した尊が言い放つ。


「この村に巣食う魔物は全て殺す。お前たちを殺したら、今度は林にいる魔物も殺す。林から来たんだろ、お前ら?」


 悠然と、尊が、カイゼルダイヤウルフに近づいてくる。カイゼルダイヤウルフは、姿勢を低くして、飛びかかるタイミングをうかがっている。


「お前らは殺す。全て殺す。この俺の中の憎しみが消え去るまで、殺して殺して殺しつくす。お前らも殺したんだ、文句はあるまいよ」


 その言葉を皮切りに、カイゼルダイヤウルフが跳躍する。巨大なあぎとを開き、異形と化した尊に、鋭利な牙を突き立てようとした。


「無駄だ」


 突き出された牙を、尊が両手で止める。そして、そのまま絶大な握力で握り潰した。


「――!?!?」


 カイゼルダイヤウルフが飛び退く。どんな相手でも貫けたであろう、極太の犬歯は、あっさりと砕かれてしまった。


「グオオオオオオオオオ!」


 この程度の損傷で退く訳にはいかないのか、今度は爪をもって尊の身体を切り裂こうとする。鋼鉄すら引き裂くほどの、すさまじい威力をもつ一撃が彼に襲いかかる。


 だが、切られたのは他ならぬカイゼルダイヤウルフの方だった。


「ギャゥッ?!」


 カイゼルダイヤウルフが、苦悶くもんに満ちたような鳴き声をあげる。尊が、目にも止まらぬ速さの手刀で、自身に爪が届く前に、カイゼルダイヤウルフの前足を切り落としていたのだ。切られた前足の断面から勢いよく血が噴射する。


「終わりにするぞ」


 尊が、たじろぐカイゼルダイヤウルフの上あごと下あごを両手で握る。


「――――!?」


 何をされるか察したのか、カイゼルダイヤウルフが身体を精一杯にばたつかせて抵抗した。だが、異形と化した尊の圧倒的な膂力の前では、蟷螂とうろうおのとしか言いようがなかった。


「死ね」


 そう言った尊が、ボロ布を横に引っ張り破くように、カイゼルダイヤウルフの身体を真っ二つに引き裂く。あまりにあっさりと決着はついてしまった。


 裂かれたカイゼルダイヤウルフの身体から、血が、狂ったように放出される。噴き出した血が雨となり、尊の身体を濡らす。


 その姿は、まるで、地獄の中の悪鬼……いや、鬼神とも呼ぶべきものだった。


 尊がカイゼルダイヤウルフの死骸を興味なさげに一瞥いちべつする。そして、すぐさまその場を後にした。彼の憎しみは消えていないのだろう。次なる標的を探していくのであった。


 人類と魔物が出会ったら、どちらかが生きて、どちらかが死ぬしかない。人類を殺すことが本能に刻まれている魔物が、人類を相手に自らの生命を優先させることは無い。世界からそうあれと創られたからだ。


 だからこそ、この尊が人類であるのなら、魔物達に撤退の選択肢はなく。圧倒的な実力を持つかの異形を前に、魔物達は無謀な突撃を繰り返すことになる。


 その結果、自分達が無惨に敗れ去ろうとも、だ。



△△△



 アルトス村に大量のモンスターが襲撃したという報せがもたらされた時、『疾風』の異名をもつイドナティーユ帝国第6騎士団長、ムトゥルシ=ウンドラーの動きは早かった。


 緊急事態に側面し、近くにいながら右往左往しているだけだだったネオク率いる第8騎士団を尻目に、ムトゥルシはすぐさま機動力に優れた軍を編成した。


 その後、軍を2つに分け、ジーイ林には情報収集用の偵察部隊を派遣。自身が率いる部隊は、アルトス村の救援に向かった。


「なんだ……これは、どういうことだ?」


 そうして、現地に到着したムトゥルシであったが、着くなり驚愕の声をあげた。その様子が、想定していた事態と大幅に違っていたからだろう。


 アルトス村は、とても静かだった。


 魔物との激戦が予想されていたそこには、おびただしい数の死骸がそこら中に転がるだけだった。人も、魔物も、区別なく。


「終わっているのか? なぜ? 何があったのだ?」


 ムトゥルシ率いる部隊が、慎重に村を探索する。だが、行けども、行けども、人の気配も、魔物の気配も無かった。


「生存者は発見できたか?」


「……残念ながら、1人も」


 ムトゥルシが部下問いに、部下が答える。


「そこまで大きな村でもなかったとはいえ……一夜でここにいる者達を全滅させるだけの勢いを持った魔物達が、同じく一夜にして消えた?」


 夢でも見ているのか、と言わんばかりにムトゥルシがこめかみを押さえながら呻く。


「ムトゥルシ様」


「なんだ?」


「ジーイ林に向かった偵察部隊からの報告ですが、林にもとんでもない数の魔物の死骸が確認された、と」


 ムトゥルシが、更に困惑したように乾いた笑いを発する。


「偵察部隊に伝えておけ、まだ奥には行くな。これから私達もそちらに合流する、林の本格的な調査はそこからにするぞ」


「かしこまりました」


「それと、教会の鎮魂隊も呼んでおけ。これだけの数の死骸を、《ドゥブ神》の邪教徒どもに見つかって、アンデッドにされては叶わん」


「はっ」


 部下に一通り指示を出し終わったところで、ムトゥルシが空を見上げる。彼の視界に、朝焼けがうつる。


「一体、この一夜に何が起きたのやら……」


 ムトゥルシが懊悩おうのうを表に出してつぶやく。


「ムトゥルシ様」


 そんな上司の様子が伝わったのか、1人の部下が、やや申し訳なさそうに言う。


「なんだ?」


「ネオク=ナーンキル様から先ほど連絡があったのですが……」


 その報告を受け取った瞬間、ムトゥルシが分かりやすく舌打ちをした。彼がネオクを嫌っている様子が見て取れる。


「あのクソ無能がなんだって?」


「それが、護送対象だった転生者がそちらに居るかどうかを確認したいと」


「知るかバカ。てめぇの仕事のこと考えてる暇はねぇよって伝えとけ」


 ムトゥルシが、疑いもなく不機嫌な声をあげて、部下を下がらせた。


「しかし、転生者か……」


 ムトゥルシも、その話自体は聞き及んでいた。


「もし、その転生者が、この状況を作り出したとしたら……」


 ムトゥルシが眉をひそめる。自分が想像したことに、何か末恐ろしいものを感じたのか。


「よそう、今は、自分のやるべきことやるだけだ」


 そうつぶやいて、彼は自分の仕事に戻る。とりあえず、彼にとって、今はやらなければならないことが山ほどあるのは事実であった。


 ムトゥルシが村を出る頃には、朝焼けは消え、青い空から朝日がまぶしく大地を照らしていた。


 なお、後日の話をここで少し語る。


 ジーイ林は、何者かによって相当数の魔物が討伐された影響により、立て直しの猶予ゆうよを獲得。この時の反省により、ダンジョンとしての機能を全て洗いざらい見直されることになった。


 アルトス村は、ジーイ林の件もあってしばらく放置されていた。その跡地に開拓団の派遣が決定されたのも、この事件が起きてしばらくの時が経た後の話であった。

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