序章【11】
オグト=レアクトゥスという世界に存在する《スキル》という概念。
それは、大別して2種類のものに体系づけらている。
1つは、自身のもつ才能、能力、知識等を、超常の存在である神が【証明】するという形で表れる《資格スキル》。
例えば、語学に優れるという技能を持つ人がいたとする。そこに神が、《語学》というスキルで表し、証明することにより、その人が語学に優れるというお墨付きを与える。それが、《資格スキル》である。
2つめが、神が人に【与える】という形で表れる《加護スキル》。
超常の存在である神が、自身の認めた人物に、己がもつ権能の一部を分け与えることによって、それは現れる。
ささいなものから、重大なものまで様々であり、影響の大きい加護スキルであるほど、よほど神に認められた人物でなければならない。定められた命の長さを意味する寿命を破り、長い時を生きることが出来るスキル《
なお、加護スキルは全てが与えられた人物にとって利益になるようなものとは限らない。中には、与えられた人にとって重い枷を与える加護スキルも存在する。
そのようなスキルは、加護スキルの中で更に、《呪縛スキル》と分類され、オグト=レアクトゥスの世界に生きる人類の間で恐怖の対象となっている。
△△△
尊の脳内は、
汚泥のような記憶が、つぎつぎと浮かび上がってくる。
血と肉が散らばるアルトス村の光景、ジュギの最期、物言わなくなったティダレ達、むさぼられるクアルンとユア……そして、憎しみのまま魔物を殺し尽くす、異形となった己の姿。
「ヴッ!?……ヴォェッ!!」
思い出す度に、尊がえずく。もはや、胃の中には胃液しか残ってない。その胃液が、口の端から垂れ、首に巻いたスカーフを汚す。
あれはなんなのだ?
俺はなんになったのだ?
ぐちゃぐちゃになりそうな思考を、尊がもつ理性を回転させなんとか制御しようとする。だが、混沌の渦と化した尊の脳内は、彼の理性を容赦なく飲み込む。
「ガフッ!」
体力が尽きたのか、尊がその場に倒れ込む。異形の姿となり、アルトス村及びジーイ林の魔物を殺戮した後、彼は独り、林を抜けた先の平原をさまよっていたのだ。
「はぁ……はぁ……」
倒れ込む尊の瞳は
『ああ……辛そうね……尊』
声がした。尊は見上げる。漆黒のマーメイドドレスを纏った美しい女性、アンシュリトがそこにいた。
「アンシュリト……さん?」
『でも…………でもっっ! 今のあなたは! 何よりも! 誰よりも輝いているわぁ!』
尊のとまどいを無視して、アンシュリトが叫ぶ。言葉には、歓喜が溢れ出しているかのようであった。
『ああ、やっぱり思った通り! あなたは私の愛と
アンシュリトの喜びは止まらない。
「愛と……慈しみ?」
尊が、彼女の言葉に引っかかりを覚える。心臓が、早鐘を打っていた。
『ええ、そうよ!』
そこでようやく、アンシュリトは尊に目を合わせた。
『貴方に私から2つの愛を与えたの』
アンシュリトが、両手をほおに当て、恍惚の表情を作る。ひたすらに、熱情が上がっている様子が見えるアンシュリト。それと対称的に、尊は得体の知れない恐怖を感じて、身体が凍えているのが分かった。
『1つは《定命破り》! あなたを寿命で縛るなんてとんでもない! 永い、永い、永い時を生きて行くべきなのよあなたは! だからあなたにこのスキルを与えたの!』
アンシュリトが、高らかに、詠うように言葉を紡ぐ。
『もう1つは! 《“鬼神”》!』
「……鬼神?」
『そうよ! あなたが好きな仏教を学んで! あなたのために作ったのよ!』
誇らしげにアンシュリトが語る。
『凄い力だったでしょう?! あの力があれば! あなたは何者にも負けることは無い! あなたを殺せる者は居ないわ!』
瞬間、尊の脳内に、自らが異形――鬼神となって殺戮の限りを尽くす様が浮上する。尊は、口に手を当ててえずきを抑えた。
『でもね……でもね、尊』
突如、アンシュリトの声のトーンが下がる。さっきから、言葉の一つ一つを発する動作が妙に芝居がかっていて、なぜだか、尊はそれがたまらなく不快だった。
『愛だけじゃ駄目なの』
アンシュリトが、
『愛だけじゃ駄目…………駄目なのよっ!! それだけじゃあなたは輝かない!!』
両手を広げ、再度アンシュリトが興奮して言葉を紡ぐ。
『だから私はあなたに慈しみを与えたの! あなたが輝くように! あなたが苦難が訪れるように! それこそが私があなたに与えた慈しみ! 呪縛のスキル、《“
尊は、目の前に居る女の言葉が何一つ理解出来なかった。だが、1つだけ、胸に引っかかるものがある。
「苦難が……訪れるように?」
『ええ、そうよ。だって、あなたは、苦難の中で輝くの……現に、今のあなたはとても素敵よぉ』
アンシュリトが、優しく尊のほおに触れる。だが、尊は、自分に触れるこの女に、1つの思いが急激にこみ上がってきた。
「お前の……せいなのか?」
それは、紛れもない敵意であった。
「お前が与えた力のせいなのか?」
もし、この女が、わけのわからない理屈で、自分に苦難が訪れるように仕向けたのだとしたら。
「俺の大切な人達を奪ったのは……お前のせいなのか?」
あの惨劇は、全て目の前にいるこの女、アンシュリトのせいではないか。
『そうとも言えるわね』
あっけらかんと、アンシュリトが言った。
「きっ、貴様ああああああああぁぁぁ!」
怒りのままに、尊がアンシュリトへと拳を振るう。だが、拳は虚しくもアンシュリトの身体をすり抜ける。
『ああ、怒らないで、尊』
「ふざけるな! ふざけるなぁぁ!!」
アンシュリトの寂しそうな声を、尊は、すさまじい怒りでかき消す。
「貴様のっ! 貴様のせいでっ!!」
『勘違いしては駄目よ、尊』
アンシュリトが、さとすように尊へ言葉をかける。
『私は、直接手を出した訳じゃないわ。ただ、私は、呪縛スキルたる《“一切皆苦”》という形であなたに慈しみを与えただけ』
「それがっ!! それこそがっ!!」
『このスキルはね、【あなたに】、苦難を与えるスキルなの』
背筋が凍るような冷たさをもって、アンシュリトが尊に言う。その冷たさが、尊の身体を止めた。
『このスキルがある限り、全ての因果はあなたに苦難を与えるの。あなたが望み得たモノはいずれ壊れ、憎しみを抱けば戦い続けるしかなく、愛した者はいずれ離れる。その運命に、あなたは逃げられない』
「貴様、何を……」
『この意味が、あなたには分かるでしょう?』
アンシュリトが尊の身体を優しく抱き締める。先ほど、拳を振るったときにはすり抜けていた彼女の身体は、なぜか、今、しっかりと触れ合うことが出来ていた。
『あの村が滅んだのは、あなたの
アンシュリトが、尊の耳に、そっとささやいた。
「な……何を……」
『確かに、あの村が滅んだのは、【運悪く】、近くの林に強大な魔物が現れたせい。私も、あなたも、直接手を下した訳じゃない』
アンシュリトが更に強く、尊を抱き締める。尊は、彼女の抱擁を拒絶出来なかった。
『だけど、あの村が滅ぶ因果を紡いだのは、その運の悪さをもたらしたのは、《“一切皆苦”》があったからかもしれないわねぇ』
尊は、目の前が真っ暗になった気がした。
「俺の……せい?」
『まぁ、あなたはあくまで因果を紡いだだけ、何も悪くないわ。滅びの因果に対応出来なかった、あの村の人間達が悪いのよ』
明るく、おどけながら、アンシュリトが尊に言う。
「俺の……俺が……?」
うわ言のように尊がつぶやく。アンシュリトは、その顔をみて、うっとりしている。
『ああ……素敵、素敵よ尊。その姿こそ私が望んだ姿。あなたのために、専用のスキルを作ってよかったわぁ』
アンシュリトが、優しく、尊の胸に指をはわせる。尊は、その指を反射的に払いのけた。
「だったら……だったら! 俺は!」
尊がアンシュリトをにらみつける。その目には、悲壮な決意があった。
「ここで死んでやる!」
尊は、自身のせいで、誰かが傷つくことに耐えられなかった。ならば、自分で死を選ぶ、彼はそんな男なのだ。
「……あれ?」
だが、そんな覚悟をあざ笑うかのように、尊の身体が動かない。死を選ぼうとした瞬間、身体が全ての命令を拒絶している、そんな感覚を覚えた。
『言ったじゃない、逃げられないって』
アンシュリトが言う。
『《“一切皆苦”》はね、自死で楽になることだって、許さないわ。あなたの身体は、貴方の思うままにならないの。苦難から逃げることは出来ない。仕方ないわよね? だってあなたにはそれが必要だもの』
アンシュリトの宣告。それは、尊にとって何よりも無慈悲なものであった。力なく尊はうつむく。絶望が、尊の身体を包んだ。
「…………殺せ」
尊が、ひそやかにつぶやく。声は、震えていた。
「俺を、殺せ」
『嫌よ』
尊の懇願を、アンシュリトが無惨に切る。
『だって私は、あなたが、私の愛と慈しみをもって、これから生きる姿を見たいのに、なんで殺さなきゃならないの?』
うふふ、と心底おかしなものを見たかのように、彼女は笑う。
『そう、私は、あなたがこれからこの世界で、生きる姿を見たい。ずっと、ずっと、見ていたい』
アンシュリトの姿が、少しづつ色彩を消していく。彼女の存在が、薄くなっていく感覚を、尊は覚えた。
『尊、尊、愛しい尊。私は、ずっと、ずっと、神の座で、あなたのことを見てるわ。あなたの生きる姿を、あなたの輝きを、ずっと、ずっと』
その言葉を最後に、世界から、アンシュリトの気配が消える。ここでは無いどこかにある、神の座に戻ったのだ。
「殺せ」
独り残された尊が、ポツンとつぶやく。
「殺せ……殺せ……殺せ……殺してくれ」
誰も居ない平原で、尊が、ひたすら願う。
「誰か……俺を、殺してくれ……殺してくれえええええええ!!」
尊の願いが、慟哭となってこだまする。だが、その叫びに応える者はどこにも居ない。尊の悲痛な願いは、
△△△
尊の叫びは、悲痛なものだった。それは、まぎれもなく、苦痛に満ちた嘆きだった。
だが、この叫びが、この叫びこそが、誕生を告げる
オグト=レアクトゥスという世界の歴史で、ひそやかに語られる異端の聖人――その名も、《
この叫びこそが、彼の旅路、その始まりを告げる声だったのだ。
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