第三章【19】



 人にしてドラゴンとなる。それがドラゴニュートの《竜人化りゅうじんか》だ。ホーリィは今、竜人りゅうじんの姿となっている。


 可愛らしい童顔は勇壮なるドラゴンの顔へ。小柄な身体は筋肉の鎧によって一回り大きくなっていた。その皮膚はドラゴンの鱗で覆われていて、1つ1つが澄んだビリジアンの輝きを主張している。人の姿のホーリィとは似ても似つかない。だが、その翠の瞳からもれる博愛の影がホーリィをホーリィたらんと証明していた。


「嫌な予感がしたんです」


 尊の腕を握りしめながら、ホーリィがつぶやく。哀感が彼女の声を震わせていた。


「タケル様、やっぱり死ぬことを望んでいたのですね……」


「ホーリィさん」


「どうして、そんな、そんなことを……」


 ホーリィの瞳から涙があふれ、流れる。どうしようもなく悲しくて、やるせなかった。


 《“鬼神”》の仮面が、ドラゴンの顔を見つめている。恐ろしい顔貌かおかたちをしたそれから、尊が抱く心苦しさをホーリィは感じ取った。愛おしさと切なさがないまぜになって、ホーリィの心がぐちゃぐちゃになる。


「何で……何で、死にたいなんて思うんですか……」


「はは、まさか戻ってくるとは思ってませんでした……」


「はぐらかさないで下さい……」


「…………」


「答えて下さい、タケル様」


 ホーリィの腕は、尊の腕をつかんだままだ。この腕を離せばいよいよ二度と会えなくなる予感がしていた。絶対に離せない。《竜人化》を使ってでも、彼女は尊を離すつもりがなかった。


「ホーリィ! 何があった!」


 勢い良くドアが開く音とともに、セントが中に入ってきた。一旦は彼とともに部屋を出たのだが、不吉な予感がした途端、ホーリィは彼を振り切って尊の元に戻ったのだ。そんなホーリィを追って来たのだろう。


「……な、何だこれは!? どんな状況だ!?」


 冷静なセントが困惑してしまう状況なのか。彼の目に映っているのは、《竜人化》を発動したホーリィが、《“鬼神”》と化した尊の腕を力強くつかんでいるという光景だ。さらに言えば、尊の首からはおびただしい血が流れている。冷静でいるのは難しいのかもしれない。だが、ホーリィは今彼の内心にまで気を回している余裕はない。セントの様子なんて、ホーリィの目には入らない。


「ホーリィさん……腕を離して下さい」


「嫌です」


「何もしませんから」


「絶対に嫌です!」


 ホーリィが尊を離さない。必死につかんでいる。


「ホーリィ……とにかく、いったん離した方が」


「嫌です! 絶対に嫌っ!!」


 セントの意見も弾き飛ばし、ホーリィは叫ぶ。聞き分けることは出来ない。そんなことをしたら、尊がどこかに行ってしまう。そんな暗澹あんたんたる予感がホーリィの心を支配していた。


「死なないで……死なないで下さい……」


「ホーリィさん……」


「嫌です……私は、まだ、タケル様から教わりたいことがたくさんあるんです……」


 ホーリィの声が涙でかすれる。尊に死なないで欲しい、生きていて欲しい。痛ましいほど純然に、それだけを願っている。


「死なないで……お願い……死なないで……」


「分かりました、分かりましたから」


「約束、約束して下さい」


「はい、約束しますから」


 ホーリィの耳に、尊の清涼な言葉が響いてくる。その瞬間、全身から力が抜けて、ホーリィの視界がブラックアウトした。


 彼女の腕から、尊の腕がするりと離れていった。




△△△




「はい、今は落ち着いています」


 セントが風声板ムシエンボードを通して話をしている。尊は、その様子を何も言わずに見ていた。ひざの上にホーリィの頭を乗せている。人の姿に戻った彼女が、尊のひざの上で穏やかな寝息を立てていた。先の騒動で体力を使い果たしたのだろう。思わず、彼女の頭を尊は優しくなでてしまった。


「ホーリィもタケル殿も無事です。タケル殿は大怪我を負っているので油断出来ない状況ですが……」


「いえ、すんでのところで止められたので……もう命に別状はありません。ほっておけば治るので心配しないでも大丈夫です」


「……どうやら心配はいらないようです」


 横から挟まれた尊の言葉にセントが苦笑する。そうなる気持ち自体は、尊としても大変に共感出来た。命のあり方としてはデタラメにもほどがある。


「はい、はい……ホーリィは今眠っています。力を使い果たしたようで……はい、タケル殿も近くに……はい?」


 セントが目を見開いた。何か問題でも起こったのだろうか。だとしたら、それはほぼ確実に自分のことだろうと思い、尊はいたたまれなくなった。


 ややあって、セントが尊へ振り向く。そして、風声板ムシエンボードを片手に彼の方へ近づいて来た。


「タケル殿」


「はい?」


「猊下が……アレクス教皇猊下がお話しをしたいと」


 セントが風声板ムシエンボードを尊に差し出す。なるほど、通話の相手は教皇だったのか。多少の驚きはあったが、ホーリィと教皇が親子であるならば、ホーリィの実兄であるセントと教皇が繋がっていないはずがない。尊はひとりでに納得する。無言で風声板ムシエンボードを受け取る。どんなことを言われても受け止めるつもりであった。


「……今代わりました、ワタリタケルです」


『こうして話をするのは初めてですな。アレクス=イリノケンチウスと申します。まぁ、いわゆる1つの教皇というやつです』


 はっはっはっ、と響きの良い朗笑ろうしょうが尊の耳に聞こえてきた。想像していたよりもずっと親しみやすい。尊は何だかホッとしてしまった。


「申し訳ありません。私のせいで色々と面倒をおかけしまして」


『面倒などと思ったことは……無いこともないですが、謝るようことではございません。むしろ、謝罪が必要なのは我等の方でしよう』


「そうでしょうか?」


『ええ、特に、タケル殿の話を一切聞かずに拘束に及んでしまったこと。あれは、悔やんでも悔やみきれません』


「いえ、当然の判断です。少なくとも、私は間違っているなんて思ってはいません」


『ありがたい。そう言ってもらえると、救われます』


 和やかに通話は進む。波風を立てるつもりは毛頭とないらしい。むしろこちらへの気づかいを多く感じ取れて、尊は若干気後れしていた。


『……簡単にですが、セントから事情はお伺いしました』


 切り出された話題に、尊が居住まいを正す。アレクスとしては、そこに触れないわけにはいかないのだろう。いや、そこに触れるために尊と話をしたのだ、きっと。


『タケル殿、我等はホーリィを介し、時間をかけてあなたのことを理解していこうと考えていました』


「そうだろうなと思っていました」


『ですが、そうも言っていられないようです』


「……それは」


『タケル殿、私に、あなたのことを教えてくれませんか?』


 アレクスからの提案。尊は、すぐに答えを返せなかった。


『是非とも、あなたのことをお聞かせ願えませんか?』


「聞いてどうなさるのです?」


『あなたの力になりたいと言って、信じてくれますかな?』


 アレクスの態度は、真剣で、どこか人懐こい。気を緩むとついつい心の奥底まで侵入を許してしまいそうになる。わずかに交わした会話でこうなのだから相当な人たらしだ。風声板ムシエンボードの相手に、尊は少しの畏怖を覚えてしまった。


 さて、ここで拒否するのは簡単だ。


 簡単では、ある。


「分かりました」


 だが、尊はそれをしなかった。


「そうですね、こうなったのも私が原因です。私がろくな説明をしなかったのが原因です。どうかお許しいただきたい」


『そんなことはありませんよ』


「ありがたいお言葉です。しかし、それでも私は私を許せないのです」


『タケル殿……』


「私の腹にあるものを、全てお話しします。その後に、どうか私の望みを叶えていただけることを願っております」


 アレクスは、言葉を返さなかった。


「一度、セント様に代わります。お手数をおかけしますが、その後の手はずは全てそちらに一任いたします」


 尊が、風声板ムシエンボードをセントに返す。セントは何か言いたげではあったが、あえて口を結んでいるようだ。


 視線を落とし、ホーリィの寝顔を見る。あまりにもあどけない。尊は、再度、彼女の頭を優しくなでた。


 

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