序章【6】



 魔物まもの、という存在の話をしよう。


 かつて、オグト=レアクトゥスでは、世界に神々が降り立ち、人類を直接導いていた。


 その過程で、神々それぞれが独自の宗教を創り出した。複数創られた宗教は、当たり前だがそれぞれイデオロギーが違う。現代地球の歴史を紐解いたらすぐに分かることだが、異なる宗教的イデオロギーが対立を起こした場合、何が起こるか――宗教戦争である。


 その宗教戦争こそが、オグト=レアクトゥスにおける最初の大戦乱、《神聖大戦しんせいたいせん》である。


 さて、この神聖大戦、内実については本筋では無いので省く。確実に言えるのは、あまりにも大規模に、しかも、泥沼になりずきたということだ。山、川、森、海……世界の命とも言うべき自然環境をも巻き込んで破壊し尽くしてしまうほどに。


 その結果、オグト=レアクトゥスという世界自身が、自らの命を護るべくとある存在を産みだした。


 それこそが、神と人類の敵――魔物である。


 魔物の恐ろしさは、単純な強さもさることながら、【神出鬼没】であるところにあった。


 普通なら安全圏と考えられる街や村の中で、なんの前触れもなく自分の命を狙う者と遭遇したらどうなるだろうか? どこに居ても襲われる恐怖を抱えながらまともに生きることは出来るだろうか? 難しいはずだ。


 魔物はそれが出来たのだ。何処にでも、なんの前触れもなく、神と人類を殺す存在が世界に出てくるようになったのだ。


 そんな魔物によって、神々と人類は滅亡の瀬戸際まで追い込まれることになった。しかし、ここで、彼らは起死回生のきっかけとなるある道具を発明する。


 それが、《くろ結晶核けっしょうかく》である。


 その効果は、【魔物の出現を一定範囲に限定する】といったものである。黒の結晶核によって縛られた魔物が出現するエリア、その外であれば人類は生を脅かされない安全圏を手に入れたのである。


 ただし、この黒の結晶核も、世界に一つだけ置いて終わり、といった便利な代物でもなかった。見過ごせない欠点がある。


 まず、【魔物の出現を一定範囲に限定する】という効果それ自体に有効な範囲がある、というものがある。


 例をあげると、


【魔物が出現する範囲を山一つ分の広さに限定し】

【その効果を及ぼせる範囲を山二つ分の広さとする】


 この効果をもつ黒の結晶核の場合、山二つを越えた先は魔物の出現を抑えられない危険地帯となる。


 次に、効果を及ぼせるのは、あくまで魔物の【出現】についてのみであるという点が挙げられる。


 出現した魔物が、街や村といった人類の生活圏を脅かす可能性は十二分にあったのである。


 黒の結晶核における上記2つの欠点から、神々と人類は、


【魔物が出現する危険地帯とそうでない安全圏の明確な区別】

【出現した魔物が安全圏を脅かすことがないようにするための対策】


 これを考える必要が出て来たのである。


 それこそが、魔物を黒の結晶核で縛った出現範囲に閉じ込めるための《ダンジョン》であり、そんな彼等を討伐することを主な生業とする《冒険者》である。


 これらは、一定の成果を上げ、完全にではないが魔物との戦いで一区切りを付けることに成功する。オグト=レアクトゥスにおいて、当たり前な姿の1つとなる、世界各国に存在するダンジョンとそれに挑む冒険者達はこうやって出来上がったのである。


 なお、神聖戦争があまりにも大きくなりすぎた反省により、神々は協議の末に《神聖十字盟約しんせいじゅうじめいやく》を制定し、以降は《神の座》で間接的に人類を導くことを決定。各々の神々で創始された宗教は、《神聖十字教しんせいじゅうじきょう》という形で一本化された。


 これが、今日におけるオグト=レアクトゥスの公的秩序に大きな役割を果たすことになるのだが、それはまた別の話である。


 さて。


 魔物が人類の安全圏を脅かさぬよう、黒の結晶核によって限定された魔物の出現範囲を中心に建造されているダンジョン。


 その主な役割は、人々を襲わないように出現した魔物を閉じ込める、といったものだ。だが、全てのダンジョンが完璧に役割を果たせるほどの設備を備えているかというとそんなことはない。


 複雑怪奇な迷宮や幾重にも張り巡らされた罠を備えるダンジョンもあれば、周りを柵で囲った程度で済ませているダンジョンもある。


 《ジーイ林》は後者のダンジョンだ。


「いや、これ結構まずくないですかね……」


「だよねぇ……」


 ジーイ林の入口、その横に建てられている、どこかこじんまりした屋舎おくしゃ。ここは、このダンジョンを管理する職員のための事務所である。


 そんな事務所内で、数名の職員によって会議が行われていた。


 議題は、【最近増加傾向にあるダイヤウルフに対する方策について】である。


「いやもう、これほんとまずいです。林からダイヤウルフあふれ出します。というか、もうあふれ出てます、ダンジョン外での目撃件数今月中だけで5件です」


「幸い、目立った被害がアルトス村の運び屋が襲われた以外ないのですが……このままだと」


 複数の若い職員が、上司と見られる職員に次々と意見を上げている。そのどれもが、じんわり危機感をにじませているものだった。


「上に話はとっくにしてるんだけどねぇ……腰が重いというか」


 対する上司の方は、その意見に、腕を組みながら頭をうならせ、ため息を漏らしながらそう答えるだけだった。


 突然だか、ここで1つ、《冒険者ギルド》という組織について説明をはさむ。


 通常、ダンジョンというものは国が管理している。だが、ダンジョンに関する業務は多岐に渡り、全てを国が管理しては結構な行政的リソースを食ってしまう。


 そこで作られたのが、冒険者ギルドである。


 冒険者ギルドは、ほぼ全ての国において、国が半分以上の出資を行い設立されている、いわゆる半官半民の組織である。


 その業務は、ダンジョンの管理・維持、冒険者への仕事の斡旋等々、ダンジョンと冒険者に関することほぼ全て。


 現在、ジーイ林の事務所で会議を行っている彼等も、冒険者ギルドの職員であり、このダンジョンに関する業務を主に担当している。


「こういう場合の基本的な対応策と言えば……【凄腕の冒険者に対処してもらう】か、【国の軍を動かしてもらう】の2つになるんだけど」


「どっちも厳しいと?」


「そうらしいよ」


 一際大きなため息を吐いて、上司である職員が答える。


「ウチのダンジョン……割かしへんぴなところにあるダンジョンだからねぇ」


「しかも出てくる魔物も、1番強いのでダイヤウルフですからねぇ」


 今度は、職員全員がため息をついた。


 ダイヤウルフは確かに脅威である。しかし、個体としての強さは、手練てだれの冒険者なら難なく退けられる程度であった。


 以前、ティダレ達が苦戦していたのも、普段は現れないとされる街道に、群れで出現したという状況があったからだ。


 冒険者がダンジョンに存在する魔物の討伐を生業なりわいにするのは、冒険者ギルドからの報酬の他に、魔物を倒すこと自体に実入りがあるからである。それこそ、ダイヤウルフであれば、毛皮、牙、肉にそれぞれ需要があり、それらを売却して金銭を得ることが可能なのだ。


 強大な魔物であればあるほど、その魔物から得られる稼ぎは相当のものとなる。故に、凄腕の冒険者達は、つねに強大な魔物が存在するダンジョンに挑んでいる。


 裏を返せば、1番強い魔物がダイヤウルフ程度のジーイ林は凄腕の冒険者にとってお呼びでない存在なのだ。


 実入りが少ない仕事をしたくないというのは、もちろん、国の軍にも言える。動かすだけでも国庫を食いつぶすのが軍である。お国の人間が、出来るなら無駄づかいは避けたいとなるのも至極当然であった。


 まぁ、何が言いたいのかというと、今、ジーイ林の管理者達が直面している問題は、【金にならない】という世知辛せちがらい理由で後手後手に回ってしまっているということなのだ。


「で、実際どうしましょうかこれ」


「とりあえず、ジーイ林の外で確認された個体の討伐依頼を優先して冒険者に斡旋あっせん。そんで、事態が好転するまで現状維持するしかないねぇ……」


 ですよねぇと、上司の言葉に周りの職員も半ば諦めたように同意する。


「まぁ、色々と無視出来ない状況ではあると思うけど……よほど不運なことがない限り、最悪な事態にはならないと思うよ」


 微妙に疲労感がただようう雰囲気を払拭しようと、上司である職員が無理に笑ってそう言った。


 実際、彼の言っていることも間違いではない。割と辺境の人口が少ない場所に存在し、出現する魔物の脅威もそこまで高くないというダンジョンがジーイ林である。深刻な事態になることは、よほどの不運がない限り起こり得なかった。


 故に、これから起こることは。


 


 と、いうことに他ならない。



△△△



「1週間後に決まったよ、タケル君。君のスキルカード作成の件は」


 朝、尊が住まわせてもらっているクアルン宅で朝食をとった後、家主であるクアルンから尊に話があるということで切り出された話題がこれだ。


 なお、ユアは先に運び屋の仕事に向かったのでこの場にはいない。


「すいません、色々と手間をかけさせたようで……」


「いやいや、手間だなんて思ってないよ」


 申し訳なさそうに頭を下げる尊に対して、片手を上げてクアルンが答える。実際、尊のスキルカードの諸々はクアルンの普段の仕事から大きく外れるものではなかった。


「1週間後、帝都から迎えが来る。迎えに来るのは第8騎士団長・ネオク=ナーンキル様と言う方だよ。その方の護送の下、帝都にある教会の本部、《アマロ大聖堂》に行ってもらって、改めて君のスキルカードを作成してもらうよ」


「ず、随分大事おおごとですね……」


「実際、大事だからね」


 苦笑いする尊に、さらっとクアルンが言う。尊は、クアルンの言葉を全て理解できた訳ではないが、単語の端々から重大事であることは実感できた。


「まぁ、別にそんな構える必要はないさ。ただ言われた通りの場所に行って、言われた通りのことをやってもらうだけ、何も難しいことはないよ」


 緊張が見える尊を、クアルンが気づかう。


「分かりました。あまり気負わずに行こうと思います」


「うん、それで大丈夫だよ」


 クアルンが笑顔で言う。なんとなく、その笑顔は、ユアに似ているなと、尊は思った。


「……そうだ、話は変わるのですが、1つ聞いてもよいですか?」


「なんだい?」


 スキルカードの話に一区切りがついたところで、尊がクアルンに質問を投げかける。


「私は、いつまでこの家にご厄介になることが出来ますか?」


 予想していなかったのか、尊の問いに、クアルンは目を丸くした。


「以前、クアルンさんは、【転生者を支援する制度がある】と言っていました。今回、それを使っているから私は今、このように大過たいかなく暮らせいている。という認識で大丈夫ですよね?」


「うん、そうだよ」


「ですが、恐らくなのですが、それもずっと使えるわけではないと思うのです。合ってますか?」


「……前から思っていたが、君は本当に利発な子だねぇ」


 クアルンが心底感心したように言う。その反応が、言外に、尊の質問に対し答えを返していた。


「とすれば、自分はいつまでもここでお世話になる訳にはいかないのですが……」


「たしかに、支援制度はいつまでも使えるわけじゃない、期限がある。でも心配は要らないよ」


 尊の言葉を、食い気味にクアルンがさえぎる。その表情は真剣だ。


「君は本当に真面目で、気づかいが出来る子だ。でもね、気をつかいすぎて、自分を犠牲にしてしまうところがある」


 クアルンが尊の肩に手を置く。


「支援制度の期限だって、まだまだ先だ。ウチだって、家庭の財政はそんなにひっぱくしてる訳じゃない。君が心配することなんて何一つない、だから」


 気をつかいすぎないでくれ


 と、クアルンは静かに言い放った。


 クアルンの真剣な言葉に、尊は思わず笑みを浮かべる。


「先日、ユアさんにも同じことを言われました」


「ユアが?」


「はい、やはり似てますね」


 尊は、笑みを深めてクアルンに言う。以前、ユアは両親は居ないと尊に語ってくれた。だが、目の前にいるのは間違いなくユアの親、それこそ、父親ではないのだろうかと尊は思った。


「その時、ユアさんから、こんなことも言われたんです。『私と一緒に生きて欲しい』と」


「ユアが……そんなことを」


 どこか、感慨深げにクアルンが呟いた。


「クアルンさん、改めてお願いがあります。どうか、これから先も、この家にご厄介になってもよいでしょうか?」


「タケル君……」


「勿論、自分なりにちゃんと働きます。この家に迷惑をかけないようにします」


 尊が、クアルンの目を神妙に見つめる。


「私は、ユアさんやクアルンさんと一緒に、この世界を好きになりたい、好きになっていきたい。元いた世界のことを思って、寂しさが心を埋める暇なんてないほどに」


 クアルンが尊の言葉を噛みしめるように聞いている。少しだけ、彼の瞳が赤くなっているのが、尊は分かった。


「だから、自分はまだまだ、ここで暮らしていたい。それを改めて、お願いしたいと思います」


「そんな風に言われたら、断ることなんて出来るわけないじゃないか」


 クアルンが、指で目をこすりながら、尊に微笑む。


「改めて、これからもよろしくね、タケル君」


「ありがとうございます。本当に、あなたに、あなた達に会えて、自分は幸せだと思います」


 大げさだなぁと、クアルンは笑っていたが、その表情に呆れの様子は取れなかった。尊もつられて、穏やかに笑った。


 尊とクアルン、ひとしきり、お互いに笑顔を見せ合った。ふと、クアルンが口を開いてしみじみと言葉を発した。


「それにしても……ユアの恋人が転生者になるとは、思ってもみなかったな」


「え?」


 クアルンの言葉に、尊は完全に固まった。


「え?」


 その様子を見て、クアルンも同じく固まった。


「……え? 恋人? どうしてですか?」


「……いや、どうして? じゃないよ。明らかに愛の告白じゃないか、それ」


 お互い、狐につままれたような表情になる。尊の声は完全に震えていた。


「……まさか、君、そんなつもりはなかった、とか言うんじゃないだろね????」


 クアルンが、尊に、射抜くような視線を向ける。


「えと……」


 尊は言葉を詰まらせる。その反応はつまり、そんなつもりはなかった、と言っているようなものである。実際、あの時、あの場で恋人になったと確かめあった訳ではない。


「ふ~~~~~~~~ん?? 歯切れが悪いじゃないかい? タケル君、君には珍しいねぇ??」


「そ、そうでしょうか?」


「先ほどのお願いだけどね……もちろんいいよ、いいともさ、ええ、ただし1つ条件がある」


 普段穏やかで暖かなクアルンの口調が、不穏で底冷えするものに変わる。尊は勢いよくうなずく。


「ユアの気持ちをキチンと聞くこと、すぐにじゃなくてもいい。けど必ず聞くこと、いいね?」


「は、はい」


 クアルンの凄みを感じる言葉に、尊はただひたすらにうなずき続けるだけだった。なお、その日、帰宅したユアに、尊はそのことについて一言も言及しなかったことは、ここに書いておく。

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