幕間 side 冥府神の悪魔


──ヘカテー。それはギリシャ神話に登場する女神の名。死の女神、女魔術師の保護者、霊の先導者、ラミアーの母、死者達の王女、無敵の女王、女救世主、ワイルドハントの首領、冥界の女王、魔女たちの女王、地獄の雌犬、トリウィアなど、あまりにも多くの名を持つ、月と魔術、豊穣、幻や幽霊、夜と暗闇、浄めと贖罪、出産の女神である。


ここに居るのは、その"冥府神ヘカテー"に由来した概念の悪魔、『冥府神の悪魔』である。


「………ここは………あぁ、なるほど」


この悪魔の元になった女神は三位一体とされ、躍動する生命力を体現するうら若き乙女、慈愛にあふれる成熟した母親、 知恵をたくわえ死を暗示する老婆、という三つの姿を持っているとされた。そしてそれは、女神ヘカテーを元にした彼女も同じであった。それぞれの姿を分身のように出す事も、融合してそれぞれが背中合わせになって三面三体のようになる事も出来るのである。


それぞれの姿にはそれぞれの人格や性格が存在しており、乙女であればツンデレ委員長風幼馴染、母親であればクール綺麗系ママ、老婆であれば魔女風物知りお婆ちゃん、と言った性格になっている。今のヘカテーは母親としての側面を強調している為、クール綺麗系ママの性格であった。


「………落下した宇宙船は、これね」


ヘカテーは悪魔として創造された瞬間、創造主たるキングプロテア・スカーレットから命令を受けた。それは、今彼女の目の前に存在している墜落した宇宙船の調査、及び生存者の救出である。優先順位は救出が先だ。


宇宙船の落下地点は、非常に大きなクレーターとなって抉れていた。人里から離れた山の中腹に落下したから良いものの、都市の中心に落下していれば大きな被害が出ていただろうと推測出来る程に、大きなクレーターであった。


「他の子は………あぁ、こっちね」


背の高い木を易々と越える程に大きな宇宙船の側、赤熱した地面がまだ残っているクレーターの中で、ヘカテーは自分と同じ境遇の存在──悪魔の権能によって生み出された悪魔達と合流した。


合流したと言っても、ヘカテー以外の悪魔達は自立して動くような機能を持たない悪魔達であった。


五芒星の描かれたペンダントの『五芒星の悪魔』。


黒縁の眼鏡の『眼鏡の悪魔』。


小さな鈍色の歯車の『永遠の悪魔』。


真っ白なルービックキューブの『観測の悪魔』。


彼らこそが、創造主たるキングプロテア・スカーレット直々に選ばれた、ヘカテー以外の悪魔達である。中には明確な形を持たない悪魔がいるものの、今回は創造主から仮の形を貰い受けていた。


「じゃ………行きましょうか、みんな」


自力で動く事の出来ない4体の悪魔達がその言葉に答えるようにして震え、悪魔たるヘカテーはその様子を見て満足した。


ヘカテーはそのまま宇宙船に近付き、右手で触れる。右の掌からは肉が焼ける音が聞こえてくるが、ヘカテーは気にせずそのまま触れ続ける。


「………動力炉は完全停止………船内は火災が発生していて………生存者は………1人」


それだけ把握すると、ヘカテーは宇宙船から手を離す。その際に焼けた皮膚が宇宙船にへばりついたが、次の瞬間にはヘカテーの掌は元通りになっていた。


宇宙船の内部に入る為、ヘカテーは適当な外殻に圧力をかけ、そのまま潰して破壊していく。まるで一点に集中する力によってひしゃげたような宇宙船の破片を押し除けて、何の障害も無く宇宙船の中へと侵入した。


「………こっちね」


ヘカテーは生存者が居る方向を向き、目の前に存在していた壁や障害物の全て潰した。どうせ壊れている宇宙船なので、ヘカテーにわざわざ通路を通って向かうなんて遠慮は無かった。


そのまま、ヘカテーは悠々と歩き出す。ひしゃげるように壊れた壁も、その壁から出ている何かしらの配線も、全てを乗り越えてヘカテーは進む。


シンプルな黒いドレス以外の服を着ておらず、靴も靴下も何なら下着も履いていないヘカテーだったので、足の裏には小さな傷がどんどん増えていった。


しかし、彼女はどんな姿であろうとも悪魔である。肉体的な損傷は、悪魔にとって煩わしい以外の機能的な損失を持たない。足裏の傷も、次に踏み出す時には全てが治り切っていた。


「………この子が生存者ね」


ヘカテーが歩いて行った先にあったのは、何かしらの爆発によって壁が外側から曲がり、助けるまでも無く肉体を指し貫かれたり押し潰されてしまっていたりして、既に絶命してしまっている人型生命体が4人。


そして破壊されたガラスのカプセルから、謎の液体と共に溢れたように地面に横たわる少女が、ここにもう1人。地面に投げ出されている少女のみがこの宇宙船内の生き残りであり、少女以外の543名は墜落時の何かしらに巻き込まれて絶命していた。


ちなみに、倒れている少女は勿論、既に死亡した彼ら彼女らは総じて服を着ていない。ヘカテーはそれが文化や文明の違いなのか、それとも種族的な要因なのか、はたまた謎のカプセル内に入る為の措置なのかが分からなかったが、少女が裸で困る要因が無いのでそのままにしておいた。


「傷は………無し」


ヘカテーはしゃがみ込んで怪我が無いか全身くまなく確認したが、少女はほぼ無傷だった。精々がちょっとした擦り傷程度で、それもほぼ治りかけだった。


「………随分と、人間に似てるのね………?」


ヘカテーがまず疑問に思ったのは、その少女の容姿である。何せ、"少女"と表現出来る程度には人間に似ているし、性別が女性なのかと思う程度には胸や股間が人間のモノと同じ形なのである。創造主の知識によれば、この惑星を支配している異星人の容姿は人間離れしていた筈。


であるのに、この子らは宇宙船に乗っていた。微妙な差異を除けば殆ど人間と変わらない少女達が、何故?ヘカテーはそうして思考するものの、明確な答えが分かる訳もない。であればと、ヘカテーは先に少女を宇宙船の外に出す事にした。


何故なら、ここは今事故現場の真っ只中なのだ。未だに謎の配線から漏電していたり、火災が至る所で発生しているのである。こんな所で思考の海に沈んでいる暇など無いし、何より情報ならば創造主たるキングプロテア・スカーレットが手に入れてくるだろうと思ったからである。


「五芒星………」


少女を抱き抱えたヘカテーは、念の為にと五芒星の描かれたペンダントを少女の首に掛ける。


それこそは、5つの角を持つ星マークのうち、互いに交差する長さの等しい5本の線分で構成され、中心に五角形が現れる図形。それを上下逆向きにして悪魔の象徴とすることもあるという、"五芒星"に由来した概念である『五芒星の悪魔』、そのものである。


この悪魔は五芒星や星型の図形そのものに、五芒星に関連している概念や能力を付与する事が可能な悪魔である。今回はヘカテーでは対応しきれない範疇の補助を目的に創造されており、己の性能を限りなく引き出す為にペンダントという肉体を得ている。


「付与………弾除け………」


五芒星の悪魔が付与出来る概念や能力は多岐に渡る。今回使用されたのは、弾除けの能力である。壊れた宇宙船の中なのだ。何処から何が飛んでくるか分からない。なので、いざという時の為にも遠隔からの干渉を回避する効果を付与したペンダントを少女にかけたのである。


「外に出たい………所だけれど………」


安全の為にも外に出るべき、なのだが………と、ヘカテーは穴を開けてきた方向を見る。その視線の割と先の方にあるのは、まるでマグマのように赤熱している大地。ヘカテーや他の悪魔達には温度変化による影響の無効化機能が存在している為、外に出ても問題は無いが………少女は違う。解析した肉体を鑑みるに、恐らく外の灼熱に耐えられるような肉体構造はしていないのが、ヘカテーには理解出来ている。


となると、宇宙船の外へと素直に出る訳には行かない。それに、ヘカテー達に与えられた命令には、救出の他に調査もあるのだ。今にも壊れそうな宇宙船から得られる情報は少ないだろうが、だとしても調べられる時に調べておきたいのも事実。


「観測………任せるわ」


ヘカテーは近くの電子機器と思われるものに、真っ白なルービックキューブを乗せる。側から見ればそれだけなのだが、観測の悪魔、通称"ラプラス"にはそれだけで充分。一瞬にして宇宙船内部に張り巡らされた電子的及び物理的なネットワークを支配し、落下による影響が非常に少ない位置を算出する。


ラプラスはその結果を自身の真上に投影する。それはまるで、彼ら彼女らの創造主が使用しているUWASウワスと同じような、非常に立体的で精巧な地図であった。ヘカテーはラプラスの悪魔を回収し、少女を抱えて歩き出す。


ラプラスが算出した最短ルートを、ヘカテーは何の躊躇いも無く進んで行く。壊せと言われれば向かう先にある壁を壊し、飛べと言われれば飛んで移動する。そうして移動した先にあった部屋は、この宇宙船の心臓部。


「………テアの心臓みたいね、これ」


そこにあったのは、一つの小さな箱。そんな箱が納められている部屋は非常に頑丈、且つ高エネルギーに対して絶大な耐性を持つ金属で覆われていた。ラプラスが引っ張って来た情報によれば、この炉心は外から壊される事以上に、内側で破裂しても大丈夫なように設計されているらしい。


その理由こそ単純明快。この小さな箱こそ、テアの心臓である悪魔炉心と同じ動力で動く、非常に小さな核融合炉なのだから。あれが何かしらの要因で爆発したら………そんなもの、太陽に飲み込まれるのと同義である。


この炉心室が非常に安全である事は、今こうして証明されている。明らかに高高度からの落下だと言うのに、この部屋には傷一つ付いていない。外壁はほんの少し焦げてしまっただけで、壁の内側には傷一つ無い。それだけで、この部屋の耐久性が証明されているようなものだ。


一先ずの安全地帯を確保したヘカテーは、自分の膝を枕にしつつ、少女を床に寝かせておく。これでも、今のヘカテーの人格と肉体は三つある側面の内、特に母親としての側面が大幅に露出しているモノだ。例え目の前の少女について何も知らずとも、幼い命に母性を感じてしまうのは性だろう。


しかし、だからと言って油断は禁物。安全な部屋に入ったからと言って完璧に安全という訳じゃない。安全な可能性が高い、というだけだ。故にとヘカテーは、更なる防御を重ねることにした。


「積層防御結界………10754枚、同時展開」


──ヘカテーが悪魔と呼ばれるのには理由がある。それは中世の頃、欧州全体にとある宗教の布教が進んだ事により、ギリシャ神話は物語の中の存在とされてしまっていたのである。


しかしその中で、ヘカテーは中世でも尚、魔術師や産婆達の守護者として信仰を集めていた。また、ヘカテーは時として生贄を要求する事もあったとされ、それらを忌み嫌う宗教から異教の神、デーモンとして………悪魔として迫害されたのだ。


ヘカテーが悪魔と呼ばれたのは、魔術師と産婆達の守護者としての在り方である。故にヘカテーは、「魔女たちの女王」とも呼ばれ、悪魔としてのヘカテーは異形の女神としても描かれている。


そしてそれは、冥府神の悪魔たるヘカテーも変わらない。


「空間断絶………起動」


あらゆる干渉に対する防御結界を10754枚も展開する魔法を扱えるのも、空間同士の連続性を断絶する事で絶対的な防御を得る魔法を扱えるのも、それは元になった女神が魔術を司る権能を持つ女神だからである。


「………これで、一先ずは安全………かしら?」


上記の二つ以外にも、大小規模を問わずに様々な規模の魔法がヘカテーの手によって施されていき、次第に炉心室は絶対の要塞へと姿を変えてゆく。


また、ヘカテー以外の悪魔達も活動を始める。


観測の悪魔、ラプラスは宇宙船内部に存在しているあらゆる電子データを獲得しつつ、過去を観測する事で宇宙船落下の原因を探り始めた。


永遠の悪魔、マクスウェルは炉心室に存在する宇宙船の炉心が暴走しないよう、自分自身に全エネルギーを流し込んで全てを魔力へと変換していく。


五芒星の悪魔は、ヘカテーに頼まれた弾除けだけではなく、他にも使用可能な付与によって少女に対する防御を更に固めていく。


最後に残った眼鏡の悪魔は、ヘカテーが掛けた。


「………眼鏡、便利ね………」


眼鏡の悪魔。それはヒトの眼に装着して、レンズにより屈折異常や視力の補正、目の保護あるいは装身具として使う器具である"眼鏡"に由来した概念の悪魔である。


眼鏡が発明された13世紀後半のイタリアでは、教会の力が強かった為、「目が悪くなるのは神が与えた試練であり、耐えるべき」という考えがあり、それにあらがうメガネは『悪魔の道具』と見做されていたとされる、という逸話を元にして創造された悪魔で、その能力は単純。


レンズが付いていて目に装着するモノなら、割と何にでも形や色、更には追加の機能すら自由自在に変更可能な能力は勿論、装着者に絶大な視覚補正を与えて常人でも地平線の極々小さな文字が読めるようになったり、視覚に害を齎す様な干渉を完全に防御したり、装着者の知性を強化したり出来るのが、この悪魔の力である。


言ってしまえば、よくある眼鏡に対する偏見をそのまま活用している訳である。


「視覚良好………良い感じ」


ヘカテーが特に助かっていたのは、視覚干渉への防御効果である。創造主たるキングプロテア・スカーレットが未だに全体の解析すら終わっていない"外宇宙"には、こちらが観測するだけで精神が蝕まれる………なんて存在が当たり前のように存在している。むしろ大抵の外宇宙産生物はこの能力をデフォルトで保有している事が多く、精神生命体である悪魔にとってはかなり相性の悪い相手であった。


それらに対抗すべく創造されたのが、眼鏡の悪魔である。顔に身に付けるだけで、視覚への精神干渉をほぼ100%も概念的に防御してくれるのだ。そんな風に外宇宙探索の初期の方から常に参加し続けている悪魔でもある為、これまでの実績から視覚保護の能力にはヘカテーも信頼を置いている。


それ以外にも視覚や知性の強化は困らないと言うのだから、掛けるだけで非常に徳なのである。


「………?」


「………あら、おはよう」


少女が目を覚ました。ラプラスの調査により、この少女達がこの宇宙船に居た理由はヘカテーも既に知っている。この子達は、言ってしまえば廃棄品だ。


異星人共がこの惑星の人類を再現する際に生まれた、あまりにも無数の失敗作。それこそが、この少女達である。


「?………?」


この子達はただ作られ、ただ完璧に再現が出来なかったが故に捨て置かれた。そして、ただ要らないから、ただ不必要だからと捨てられた。


………しかし。何の因果か、彼女達はちゃんと・・・・捨てられなかった。別惑星の文明が作成したものの、異星人共の文明以下の技術を解析され尽くした、亜空間へ投棄する予定だった宇宙船と共に投げ捨てられて………宇宙船に備わっていた不備が原因で、亜空間から脱出して落下した。


それが、今回の真相。


「………貴女は、私が守りましょう」


少女は話せない。知性も無く、感情も無い。肉体はあれど精神は無く、機能はあれど魂魄は無い。少女達は元来の人間を再現しようとして生まれた失敗作が故に、本来ある筈のモノが存在していない。


「………?」


「………良い子ね………」


ヘカテーは少女の頭を撫でる。少女はその行為の意味も意義も理解出来ないし、そもそも理解する知性も知能も存在していない。少女に自由に動く機能はあれど、自由に動く意思が無い。頭を撫でられてもその表情は変わらないし、その光景を記憶する機能も存在していない。ただ人間を外見的に再現された少女には、それだけしか出来ない。


「………精神、魂魄………記憶、感情………人間になるには、足りないモノが多過ぎるけれど………アナタは、アナタ………それに………」


「?」


「………自己を知り、世界を知り、自分を広げて、世界を手にする………アナタはまず、基本のキから始めなくては………」


ヘカテーはそう願い、少女の頭を撫でる。


ただ、それだけの幕間。

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