頭痛が痛いとかの表現って、確かトートロジーとかそういう名前の表現法だったような………


さて、手紙の人物の居場所は分かった。後はどうやって向かうか………と考え、その手紙の人物に会う為の様々な準備をする内に、さらに2日もかけてしまっていた。まぁ、未だに反応はUWASウワスで検知しているから、生きてはいるんだろうけど………この世界には回復属性があるけど、それは回復であって蘇生じゃない。この世界でも、人は死んだらそこまでだ。世界の何処かに蘇生魔法みたいな魔法があるかもしれないけど、それはあくまで可能性。例え0.00000000001%の可能性があったとしても、小数点の彼方の可能性だったとしても、それを掴み取らなければ可能性は可能性のままだ。この両手で僅かな希望を掴み取らなければ、可能性は現実にはなり得ないのだから。


「ん………」


手紙の人物の救出準備は、一通り終わっている。後は助けるだけだ。しかし、今回は完全ステルス作戦である。もし見つかったらどうなるかわからないからだ。しかも、今回はバティンと共に行動する余裕がない。完全ステルスをやるのに、バティンは背丈がデカ過ぎるのである。あいつ、側から見たら大男だからな。ステルスの邪魔でしかない。そもそもあいつは隠密に向いていない。更に今回、私は変装する。もし見つかっても平気なように、全力を持って変装するのである。ちなみに内容は秘密だ。


何故変装して行くのと言われれば、何せ、私にはステルスの経験が無い。隠密行動の経験が無い。足音を消して友人の背後から近づく、くらいは遊びでやった事あるが、あれは周囲へ意識が向いていたからこそ成功したのだろう。全力で警戒している相手に通用するような技術ではないし、そもそもそれ程の技術ですら無い。故に、私は隠密初心者。気を付けて気を付けて、そして更に気を付けないと、見つかって終わりだろう。私は潜入と隠密の素人、敵に居る可能性があるのは警備と観察のプロだ。どれだけ甘く見積もっても、私が油断して勝てるような相手では無いだろう。そして、もし直接戦闘になったら、殊更勝ち目などないだろう。変装をする理由は単純。全てはいざと言う時に本気で逃げる際、私の証拠を一欠片も残さない為のモノだ。UWASウワスで敵の位置が確認出来ると言っても、それは確認出来るだけで、自動索敵なんて便利な魔法ではない。いちいちスマホの画面を確認しないと、敵の位置すらわからないのだ。


いやまぁ、視界の端に常時スマホの画面を展開しておいて、UWASウワスをステルスゲームの右上とか左上にあるタイプの簡易マップ的なものとして活用しようとは思っているけども、別にそれは想定してた使い方だから問題無いし。どっちかってーと、私の素人クソ雑魚ステルスが、一体何処まで通用するかってのが問題だ。道中は基本的に地下、地面の中を進んでいく。しかし、手紙の人物がいる地下の空間には、ちょっとした大きめの豪邸レベルの敷地というか空間が存在している。ちょっとした建築物も幾つかあるような場所だ。しかしだからこそ、地中を進んでいる間はステルスを気にしなくてもいいだろう。というかそこまで気にしてられない。いざ地中でバレでもしたら、適当に穴を掘って遊んでるとでも言えばいい。相手に真偽の分かるような特殊能力を持っている奴が居れば危険だが、そんな所までわざわざ気にしていられない。


しかし、地下の空間で見つかったらほぼ終わりだ。適当に穴掘ってたら空間があったと言っても、例えそれが嘘だろうと本当だろうと殺されるだろう。そうでなくても監禁される事間違い無しだ。わざわざ、あれだけの深さの地点に豪邸クラスの広さを持つ空間を用意しているのだ。よっぽど見つかって欲しくないんだろうし、例え外部から侵入者が居ても殺せばいいだろうしな。そもそも地下に人を埋めてしまえば、誰も気が付かないだろう。死体が無いのだから行方不明として扱われて終わりだ。勿論地上では1人の人間が居なくなって事件になるだろうが、地下まで捜査の手が及ぶとは思えないし、そもそも地下の存在を知っている人物は殆どいないだろう。大勢が知っているような場所なら何処かでその情報が漏れて噂として流れていてもおかしくないが………アクに確認させたが、そんな噂は王都の何処にも確認されなかったのだ。おそらく、地下の大空間を知る人物は殆どいないのだろう。


「うぬぅ………」


ちなみに、穴を掘る方法は実に簡単。MICCミックを使って進行報告の全てを収納し続けるだけだ。薄くなる筈の空気は逆にMICCミックから取り出し続ければいいし、天井の崩落の危険と穴が見つかる危険性を考慮して、私の背後の土は再度MICCミックから取り出して元に戻しておけばいい。いざ落盤して生き埋めにされてしまっても、第二アップデートである自動防御によって一先ず命だけは助かるのだから、その隙に焦らず素早くMICCミックを使って再度空間と空気を確保すればいい。この作戦の要であるMICCミック最大の懸念である、地下1500m分の土を収納する為の容量が足りるかどうかは未だに最大容量がわからないのでよくわからないが、いざとなったら収納した土を片っ端から消去していけばいいだろう。崩落や落盤の危険性は増えるが、生き埋めにされるよりマシだからな。他にも魔力が足りるのかという懸念もあるにはあるが、魔力だけなら600を越えているのだ。MICCミックの魔力消費量は以前より更に軽減されているので、余程無謀な、例えば王都の地下全てを収納しようとでもしないと、私の魔力が足りない、なんて事にはならないだろう。私の魔法は、燃費だけはめちゃくちゃ良いのだ。


正直、最初は光属性の攻撃魔法である光線フォトンレーザーとかで地下を抉り抜こうと思っていたのだが、んな事したら私の魔法の破壊範囲が広大すぎて手紙の人物まで死にかねない。それに、私の住んでいる街の冒険者ギルドの地下にあるような特殊な防御用の魔法道具などで、私の魔法の威力が単純に減衰される可能性も普通にある。そもそも、私がぶっ放した魔法からわかる魔力の残滓から私がバレたらどうするというのだ。魔法の試し撃ちでもしてた、とか嘘つくか?まぁその辺が妥当だろうが、まぁ無理だよな。しかし、他のスマホに関連しているというかスマホ経由でしか使えないようにしている魔法は、非常に複雑な契約属性で私以外に魔力の感知を出来ないように工夫を凝らしているから、魔法や魔力から私という存在はそう簡単に見つからない………と、思う。


………そういや、私の街の冒険者ギルドの地下にある防御用の魔法道具は、確か『一度起動した場所から二度と動かさない』『動かした瞬間に完全に破壊される』『内部からのダメージを一定値まで無効化する代わりに外部からの僅かなダメージでも破壊される』などの数々の契約属性による特殊な条件や、多種多様な魔法属性による魔力消費軽減と効果上昇や効果倍増に加え、あの地下施設の部屋毎にランダムな位置に10個ずつ置かれて地下の空間は守られているという、まるで妄想の中の無敵の要塞の一施設のような防御能力を誇るモノだ。


しかし、それでも私の魔法の威力の前には地下の空間がかなりのダメージを受けるのだ。落雷サンダーフォールでも、光線フォトンレーザーでも、相当量のダメージを地下に与えられている。この2種の魔法が直撃したところは、マグマのように赤熱し、巨大なクレーターを作り出す。無敵の要塞を、更に強大な力で捩じ伏せている。だからまぁ、別に私が魔法をぶっ放しても無傷まではいかないだろうけど………予想外は誰にだってあるのだ。その予想外を引き起こさない為にも、私の威力過多というか威力過剰な攻撃魔法は地下に向けて撃たないし、そもそも撃てない。


後単純に、王都の街に被害が出そうだからやりたくないってのもあるから。流石の私も、国に対して分かりやすい喧嘩は売りたくない。


「んぁー………」


そんな、大層な事をしでかそうとしている私だが………


「ぐぬぅー………」


「お母さん、頭が痛いなら寝てればいいのに………大丈夫?」


「?、?」


………この頭痛のせいで、計画を延期せざるを得なかった。多分、救出計画だとかで普段そこまで使う事のない頭を使い続けて酷使したので、頭というか脳を痛めたのだろう。取り込んだ情報量が多い時も似たような症状になるが、多分似たような状態だ。頭痛が痛い………ぐぬぅ………


「とりあえず、頭痛薬は飲んだんだから、後は寝てようよ。お母さん、ここ最近頑張り過ぎだよ?休んでいいんだよ?」


「休んでるじゃん………」


「んーん、全然休めてない。絶対に助ける、絶対に助けるって、ずぅーっと言ってるよ?3人でお出かけした時も、ちょっとそわそわしてたし。今のお母さんは、身体は休めてても、心が休めてないの。きっとお母さん、ずっと焦ってるでしょ?」


「あ゛ー………」


そう、なの………かも。だって、こんな事態、生まれてきてから初めての事態だ。物語では、ニュースでは、言伝では。幾度も見てきた。何度も読んできた。無数に知ってきた。


けど、当事者になるのは、今回が初めてだ。


………だから、だろうか。レイカに言われて、私が初めて『焦っている』ってのが分かった。いつでも私は、見て、聞いて、読んで、知るだけ。自分がこんな事をするなんて、初めてだった。だからきっと、私は焦っている。なまじっか、物語やニュースで多種多様な方面の知識として知っているからこそ、焦っている。物語で、ニュースで、見聞で、様々な情報媒体で、多種多様な悪意を知っているから。千差万別な悪事を知っているから。ファンタジーにある架空の悪も、現実である実際の悪も、色々と知ってしまっている。だからこそ、私は焦る。焦っている。なまじっか知っているから、私の知る悪が起こっている可能性が、決してゼロでは無いから。だから、焦る。


現実が架空になるなら、架空だって現実になる。それに、時に現実は架空を越える。現実は小説より奇なり。現実とは、時に小説より信じがたいものなのだから。可能性というのが0.0000000000001%、小数点の先っぽだけしか無くても、その小数点の先っぽが現実なら、それは可能性の話や机上の空論では無い。紛れもなく、間違える事の出来ない現実だ。何より、手紙の人物を助けられないってのが、1番嫌だし後味が悪過ぎる。………私、普段はこんなに焦ったりしないのになぁ………


「焦ってるから、いつもなら絶対にしないくらい集中して、いつもなら絶対にしないくらい頭も身体も使って、本気なんでしょ?全力なんでしょ?いつものお母さんがしないくらい、頑張ってるのが証拠だよ?」


「………なるほど………」


すっごい、わかりやすいな。そりゃ、普段怠けてる奴が本気で動いてたら、何かあったんだろうなって思うわ………私、そんなあからさまだったのか………娘に簡単に見抜かれるくらい、わかりやすかったのか。そりゃ、焦ってるって思われるわ。………実際、焦ってるんだろうしな。こうして、頭痛になって、何も出来ない、何もしたくないと思って、目を閉じて、布団を被って外の光を遮断して、それでベッドに身体を投げ出している間………凄い、安らぐから。身体が重くない。私は、自分の身体がこんなに疲れるまで、本気だったんだろう。眠気は頭痛のせいで無いが、身体は何処までも安らいでいる。疲労のせいで体が重いが、その状態が楽だ。………こりゃ、レイカが心配するのも分かるな………フェイも頭を撫でたりしてくれてたのは、私が疲れてるように見えたからか………?


いや、やめよう。こうやって何か考えるだけで、頭が痛くなる。何も考えず、無心になって、いずれ寝よう。これだけの状態になる程の身体の疲労だ。横になってれば、自然と深い眠りにつくだろう。休んでいよう。


「だから、お母さん?お薬飲んだんだから、寝ててね?私とフェイは静かにしてるから」


「ん………あんがと、レイカ………」


私の今の状態を理解し、自分の娘にお礼を言ったと同時に、強い眠気がやってきた。私は何にも逆らわず、そのまま、深い眠りに、つくのだった………










side out











side 麗華



「………お母さん、寝たかな?」


お母さんが眠りについた。ここ最近、特にここ3日か4日くらいは、特に頑張ってたんだもの。こんなになるまで疲れるなんて、余程、本気で件の"手紙の人物"を助けたいんだろう。仮にも、偽りでも、お母さんの娘として、私が心配になる程に。その行動原理は、ちゃんと理解できる。私はお母さんから生まれた・・・・・・・・・・のだから、お母さんの記憶も知識も、お母さんと同じくらい持っている。性格や人格、精神だって、お母さんから70%くらいで引き継いでいる。だから、お母さんが助ける理由も、感情も、分かる。


………けど。


「………私は、お母さんが倒れないか、心配だよ………」


普段はあれだけダラダラして、とにかく怠惰な生活をして、時に自分のしたい事だけをしているような、世間一般的に見たらダメ人間と呼称されるような、お母さん。しかし、今はそんなお母さんが倒れそうになるまで頑張っている。その事態が、既に異常だ。お母さんは元々異世界の男子高校生だ。日本では当たり前の日常を謳歌して、日本では当たり前の幸福を得て、日本では当たり前の生活をする、そんな、日本に住む、普通の男子高校生。特殊な出生も、特異な出立ちも、異常な出会いも、不可解な能力も、不思議な才能も、異様な頭脳も、決して何も持たない一般人。過去に存在したような、英雄と呼ばれる存在や、天才と呼ばれるような存在とはその全てが違う、平凡で普通の人。何処にでもいるような人。探せば見つかるような人だ。


なのに今、お母さんは、自分の全てを利用して、助けを求めた手紙の人物を助けようと焦っている。誰かに助けを求められて、それで誰かを助けられなかった時が、1番辛いから。その事を、お母さんは例え物語でしか知らずとも、確かに"それ"を知っている。その辛さも、その苦しさも、その悲しさも、その情けなさも、偽物だろうと知っている。勿論、それは決して全ての感情ではない。断片的な、物語への感情移入だけ。物語の中だけで読んだことのある、架空と空想の産物だけだ。しかし、断片的なものだけで、お母さん自身も辛く、苦しく、悲しく、情けなくなるようなモノなのも、お母さんは知っている。そんな欠片であれだけ辛く苦しく悲しく情けないのだから、本人ならばどうなのかなんて、お母さんが知っている筈もない。知るよしもない。


「はぁ………お母さんのお手伝いもしたいけど………私じゃ、駄目だろうなぁ………」


私ができるのは、殴る蹴るなどの純粋な戦闘行為だ。己の身体能力にものを言わせ、圧倒的な技術を利用し、最後には敵を穿ち、そして殺す。複雑な事は出来ない。私は応用が出来ないのだから。そこで完全隠密なんて、人数が多ければ多いほど見つかるリスクが上がって行くものを、しかも私もお母さんも隠密やステルスの素人なのだから、人数が増えれば尚更失敗する確率は上昇するだろう。私が安易に着いて行くわけには、いかない。


『レイカのお母さん………アオイって、なんというか、普段はそこまで頑張らないのに………今回は、こんなになるまで頑張るのね。ちょっといつもの言動とはチグハグで、さしもの私も少し驚いたわ………まぁ、レイカとアオイが、しっかり母と娘なのも分かったけどね。………レイカのおかしな人助けの基準も、大抵が貴女のお母さん譲りなのね?』


フェイ・・・は、私に向けてそう言い放った。お母さんに対して、褒めているのか貶してるのか、微妙に分かりにくいけど………まぁ、言っていることは理解できる。


「うん、まぁ………そういう事に、なるのかな?」


私の人格の7割近くが、元はお母さんのモノだ。私は所詮、側から見ていればお母さんの人格や記憶の劣化コピーに過ぎないかもしれない。しかしそれでも、そこから"私"の経験によって、私には新たな性格や気持ちが増えている。色々な人と話して、色々な話を聞いて、色々な体験をして、私は私だけの性格を作り上げた。私だけの性格が作られたのだ。私はいつからか、お母さんの劣化コピーではなく、"私"になったのだ。話し方も、考え方も、知識も、その全てが私のモノ。私だけのモノ。お母さんの劣化コピーじゃなくなった。


だけど、私の根底はお母さんと何も変わらない。根っこの価値観だけは、どうやっても変わらない。だから、お母さんの事は、ちゃんと理解できる。同じように、まるで私のように、根底から全てを考えられる。元は、同じなのだから。


『もう。レイカもアオイも、変なところでお人好しなんだから。………もっと危機感を持ちなさいよ、危機感を。妖精の私にだって、アオイのやってる事の重大さがわかるわよ?危険性がわかるわよ?』


「あはは………私もお母さんも多分、相当な事態にならないと、危機感なんて覚えないと思うよ?」


………嘘、だけどね。………多分、私もお母さんも、例え死にかけても危機感なんて覚えないから、さ。


だって、現実が現実ではないように感じてしまうのが、私とお母さんだから。離人感・現実感消失症みたいな、なんらかの病気では無いと思うけども。………ただ、私もお母さんも、全ての事柄を割り切っているだけだ。


例えば、試験で高い点数が取れなかったら、自分の勉強が足りていなかっただけ。それだけ。


例えば、大きな怪我を事故で負ってしまっても、私が相手の運が悪かった、もしくはどちらかが悪かっただけ。それだけ。


例えば、もし仮に自分が何かの拍子に死んだとしても、ただ、死んだだけ。それだけ。


それは決して、私とお母さんに全く現実感が無い訳じゃない。現実であると自覚しているのに、肝心の危機感が無くて、焦りもしないし不安にすらならない。それが、私とお母さんの、多分、精神的に危険で、とっても異常な部分。世間一般的な部分とは乖離する、唯一の部分。


傍観者なら全く意識すらしないで無視するだけで、当事者であっても特に目の前の事が気にならない、ような。多分、私達は、お母さんと私は、目の前の現実感があるからこそ、目の前の危機感を感じられない。だからこそ、ゲームの方が危機感を感じるんだろう、私とお母さんは、目の前の現実感が無いからこそ、目先の危機感を感じてしまうんだろう、私とお母さんは。それを裏付けするような話は、お母さんの記憶の中にいつくかある。


それは、お母さんが幼稚園児の時。当時のお母さんは、幼稚園まで父親の自転車の後ろに乗って幼稚園まで、平日毎日向かっていた。後ろに席を取り付けるタイプのやつだ。そしてある日、お母さんは自転車のタイヤに足が引っかかった。けど、痛みは無くて、そのまま幼稚園にまで向かったら、靴下の一部が血で染まっていたのだ。そのまま病院に行って、ちょっとだけ縫って、1週間は安静にしていた。それでも、当時のお母さんは、危機感を感じていなかった。幼稚園児だからわからなかった、というのもあるだろうけど。


それは、お母さんは小学四年生の時。お母さんは当時、友達と共に近くの公園にまで遊びに向かっていた。そこに向かうまでに一本の道路が通っているが、そこには坂の上から坂の下にしか横断歩道は無くて、当時のお母さんと友人達は面倒くさがって道路を渡ろうとして、お母さんは車に跳ねられた。お母さんの視点では1回転はしていた。何故かその時、お母さんはちょうどヘルメットをしていたので頭は勿論、身体も何処も痛む事は無かったので無傷ではあったが、しかし。お母さんはそれでも、危機感を覚えていなかった。小学生でも、それくらいの事があったら多少の危機感を覚えるのに。


それは、お母さんが中学3年生の時。その頃は冬、卒業と進学のシーズンだったお母さんは、1回目の高校受験を受けて、見事に落ちた。失敗したのだ。もう一度あるとは言え、それは少なからず動揺させ、危機感を感じずにはいられないモノだと言うのに。しかし、お母さんは特に気にもせずもう一度同じ高校を受けて、そして普通に合格した。そこでも、危機感は全く覚えなかった。未来への不安も、落ちるかもという焦燥すら、お母さんには無かった。普通、進学できるかどうかは、不安で不安で仕方ない人ばかりだと言うのに。


きっとこれらは、端的に言って、側から見たら異常なのだろう。怪我をしても、跳ねられても、受験に合格出来なくても、お母さんは危機感も、不安も、焦燥も、何も無かった。むしろ、現実感を感じる程に、危機感が欠如していく。現実感が増すたびに、お母さんの心は加速度的に安定していく。その身に迫る危機感が急速に消滅していく。普通、大抵の人間が命や未来への危機感を覚える場面で、お母さんは逆に安定する。それは、私には分かる。端的に言って、異常だ。


普通、怪我をしたのなら危機感を覚える。


普通、車に跳ねられたら危機感を感じる。


普通、受験に合格できなかったら危機感を持つ。


なのに、お母さんは覚えなかった。感じなかった。持たなかった。むしろ、危機感が欠如していく。失われていく。心が安定し、平穏となる。心が晴れ渡り、スッと穏やかになる。そもそも、人間が強い現実感を感じる時とは、命もしくは未来や将来が危険な場合や、それらに関わる事柄がおかしな時だ。それだけは、どうやったって不安になり、どうあっても焦燥し、どうしても拭えない危機感を感じる筈なのだ。今回の場合、お母さんは焦っていたけど、あれは自分の危機に対してじゃない。他人の危機に対してだ。最悪の場合、自分がどうなるかわかっているのに、その事柄に対して危機感を覚えも、感じも、持ちもしない。


何度も言うけれど、別にお母さんには現実感が無い訳じゃ無い。現実感が無かったら、異世界にやってきてすぐにでも魔物相手に無双でもしようとして死んでいるだろうし、わざわざ住む場所と仕事を探したりしないだろうし、あの時攫われたまま死んでいただけだろう。お母さんには、相応の現実感はあるのだ。勿論、お母さんが自分を世間を全く知らない子供である事はお母さん自身がよくわかっているから、その辺りには特に警戒している。現実感をしっかりと感じている。己の価値を見極め、警戒しているからこそ、スマホも隠して使っているのだから。わざわざ外で画面を見るための魔法なんてものまで作り上げて。


なのに、そこまでだ。お母さんは警戒するだけで、それ付随する筈の危機感を覚えていない。決して失敗を考えていない訳じゃないし、失敗したらどうするかも考えているのに。現実感が無い訳じゃ無い。危機感だけが欠如している。


恐らく、私とお母さんにおける危機感と現実感は、表裏一体で平等なのだと思う。まるで砂時計のように、片方に砂が落ちれば落ちるほど、もう片方から砂は消えていく。現実感は危機感へと変換していく。転換していく。多分、私とお母さんとは、そういうモノなのだ。


………本当に、側から見たら異常でしかない。………のだと、思う。私もお母さんと根本では同じだから、これが本当におかしいのかは、いまいちよくわからないけれど。だってさっきまでの思考は全て、私がここまで生きてきて、感じたごく僅かな違和感を汲み上げて、フェイと認識の擦り合わせをして、それでやっと気が付いた事なのだから。


『なぁんか、返答が曖昧ねぇ………』


「えへへ、そうかな?」


『ちょっとそこ、笑って誤魔化さない』


「あ、バレた?」


『バレるに決まってるでしょう』


冒険者の仕事をしていると、危機的状況というのは割と遭遇するものだ。でもそれは、私とフェイの危機ではなくて、大抵が他人の危機である。………私は多分、かなり強い。この前も山奥のエルダードラゴンを殴り殺したし、少なくともエルダードラゴンよりは強い。通常のドラゴンよりも平均的に強いと言われるエルダードラゴンを殴り殺せるなら、まぁ、少なくともそこら辺のドラゴン相手なら勝てるだろう。私には魔法適性も、そもそも魔力を扱う能力が元から無く、純粋な身体能力だけしか扱えないが………その分、私の身体能力は、他のあらゆる生物よりもずば抜けて高い、と自負している。私はこれでも悪魔・・だもの。………お母さんは、何も気が付いて無いけど。というか多分、気が付いてるけど無視してるだけだ。


………悪魔は、二つの方法で生まれる存在だ。一つ目は、人間と同じように生殖行為を行って生まれる方法。もう一つ目は、悪魔との相性が良い魔力から自然現象のように生まれる方法。私は、後者の悪魔・・・・・だ。お母さんの魔力が、悪魔との相性が限りなく良いお母さんの魔力から、お母さんが今後一生作り出す筈だった強い悪魔達を生むための土壌全てを食い潰して生まれたのが、私。悪魔の恐ろしさを、悪魔の非情さを、悪魔の混沌さを、本能や直感で感じとり、その根底の存在を感覚的に知っているお母さんが、危険な悪魔が自分の周りから生まれるのを防ぐ為、無意識下に生まれたのが、この私。私は、お母さんに望まれて生まれた、悪魔・・なのだ。


私の悪魔としての種類は、影悪魔。別名、ドッペルゲンガー。写し異なる影のように、全て逆さになる鏡のように、対象に合わせて自分の姿を自在に変化させられる、割と珍しいタイプの悪魔である。私も姿を自由自在に変化させられるけれど、生まれてからは殆ど使った事が無い。なんせ、使う必要が無かったから。ドッペルゲンガー、影悪魔は、対象の人間の生活リズムや交友関係を知り尽くし、そして対象の人間と入れ替わる事で生き延びる、悪魔の中でも特殊なタイプの悪魔である。しかし本来、その基礎能力は悪魔の中でも特に弱い。人間と殴り合ったらドッペルゲンガーの方がすぐに負けるくらい、ドッペルゲンガーという種族は弱い。


けど、けれど、私は強い。それは、お母さんの悪魔を生み出す為の土壌とも言うべき、悪魔との相性が出鱈目に良いその魔力を、私が全て使い果たして生まれたから。魔力というか、悪魔を生み出す素質の全てを食い潰して生まれた、の方が近いかもしれない。だからこそ、本来ドッペルゲンガーが持つことの無い究極の身体能力と堅牢な魔法防御能力、そして、ドッペルゲンガーという種族が元々持ち合わせる天賦の演技力と、絶対的な記憶能力。そして、魔力や魔法の一才を使うことのない、身体機能としての変身能力。私はそんな、多分他の契約属性の魔法使いが見たら発狂するくらい凄い悪魔なのだ。


お母さんは、なんとなくでそれらを知っていて、その上で私の出生を無視してるっぽいけど。お母さん、興味のある事は最後まで調べないとダメな人なのに、私の生まれだけは頑なに調べないんだもん。私の出生なんて身近にある未知、気になった事全てを直ぐにでもスマホで検索するお母さんが調べない訳ないのに………分かりやす過ぎだよ、私に気を使ってるの。


………まぁ、何故かは分からないけど、そうされてちょっとだけ嬉しかったし、いいんだけどね。


「まぁ………お母さんだって馬鹿じゃないから、安易な行動は取らないと思うし………発見された時の対策だって沢山してるし、まぁ………多分、大丈夫だと思うよ?………それに………」


『それに?』


「………それに。例えお母さんが死んじゃっても、それは、お母さんの自業自得。自己責任だから。私はそう思ってるし、多分お母さんも、私に対してそう思ってるよ?」


私は、お母さんに望まれて生まれた。無意識下でも、お母さんが望んだのならお母さんが望んで生まれたのだ。………そう。お母さんを襲うことも、傷つけることも無く、ただ側に無条件で居続け、外敵の悉くを滅す、とっても便利な悪魔として。でも別に、私はお母さんが嫌いな訳でも、憎い訳でも、何かしら負の感情を抱いた事は無い。むしろ、正体がハッキリとしない私を、まるで本物の娘のように扱ってくれるお母さんは、そうでなくても大切にしてくれるお母さんは、私の中の優先順位として、私のちっぽけな命よりも優先される人だ。仮初の家族だとしても、私を家族として扱ってくれたのだ。種族が違くても、私を一員として認めてくれたのだ。違和感を感じても、何も言わずに居てくれたのだ。この恩を返さずして、どうするというのか。


………けど、それとこれとは・・・・・・・話が別だ・・・・。大きな恩は感じてるし、私の命よりお母さんの方が大切だけど。でも、お母さんが死んでしまったら、そこまで。全て自分の意思で決めたのだから、それは全て自分の責任。お母さんも私も、その辺りの認識は変わらない。だから多分、お母さんはいざとなったら私の事を全力で守ってくれるだろうし、私だってお母さんの事は全力で守る。けど、別に私もお母さんも無敵な訳じゃ無い。敵が居ない程に強い訳じゃ無い。私は元々のポテンシャルが強いし、お母さんだって別に極端に弱い訳じゃない。けど、私達より強い奴なんて、きっと世界中の何処にでも居る。だから、私だってお母さんだって、守りたいものを守れない時だってあるだろう。けどその時は、守ると決めた時は、敵に立ち向かうと決めたその時は、例え死んでも自業自得の自分勝手で自己責任。私もお母さんも、そう思ってる。


だから、お母さんは私に冒険者をさせてくれている。けどそれで、例え大きな怪我をしても、例え痛くて苦しい思いをしても、例え心が壊れてしまったとしても、例え冒険の途中で死んでしまったとしても、それらは全て自分のせい。きっと、少しは悲しんでくれると思う。ちょっとくらいは泣いてくれると思う。けど、それ以上は多分無い。死んでしまったらそこまでだし、死んでしまえばそこで終わり。悲しみ、泣いてくれるけど、死んでしまった事自体には、きっと何も思わない。………上手く言えないけど、お母さんも私も、そういう考えの元で生きている。私達は不老でも不死でも無いのだから、いずれ死ぬ。なら、死ぬまでは生きるだろうし、例え死んだらそこまででしか無かったという事だろう。………でも多分、こういう考え方が異常なんだろうなって、思う。


『えぇ………?頭おかしいんじゃないの………?』


「あはは、まぁ、そうだね。そうかも。客観的に見たら頭がおかしいって言われても仕方ないような考えなのは、流石の私もわかってるよ」


『………まぁ、レイカもアオイも、そういう考えの元で動いてるなら、あの無謀さも納得ね………頭はおかしいけど』


「あんまり頭おかしいって連呼しないでほしいなぁ………」


流石の私もちょっと傷つくよ?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る