異世界始めての就寝でこんなことになるとか…


諸々の説明を終えて、私は自分が今日から過ごす部屋に案内されていた。ちなみにミナの案内である。


「ここが今日からアオイが過ごす部屋よ。ふっふーん、いつか店員が増えた時用の従業員専用の部屋なんだから。今日からアオイがいるって考えると、とっても楽しみね」


私はミナと部屋の中に入ると、そこは中ランクの部屋とそこまで変わらない設備の部屋だった。ベットは2人くらい寝れそうな程度には大きく、照明も魔法の道具で、灯りをつけたり消したりができる物だ。光量の調整も出来るらしい。この照明も魔法道具らしく、魔石で動くそうだ。


ちなみに、この宿屋は三階建ての比較的大きな宿屋で、一階が食事処兼酒場のフロア、厨房、食糧倉庫に冷凍室、物置倉庫などがあり、上二階は宿泊部屋である。私の部屋は二階の隅っこだ。


「ここがアオイの部屋。正面が私の部屋で、私の部屋の右隣、1番右端の部屋がお父さんの部屋よ。貴女の隣の部屋は今のところ物置だけど、また新しい子が入ったらその子の部屋になるはずよ」


「はい、わかりました」


「むぅ………タメ口でいいのよ?」


「いえ、流石に初日からタメ口はちょっと………」


タメ口だと男口調になるし………ちょっと心配なんだよな。ミナ自身がいいならいいんだけど。別にそこまで気にしてるわけじゃないならいい。別に男口調の女性くらい私の周りにもいたし、服装が女性物なら私自身の性別くらいなら誤魔化せるだろう。


「えぇー?歳もおんなじなんだから、別にいいんじゃないかしら?」


「………いいなら、いいけど」


「きっとそっちの方が似合ってるわよ、アオイ」


まだ会って数時間だが、ミナは押しが強い女性だと知っている。押しが強いというか、諦めが悪いというか………我が強いのかな?そういうミナの少々強引な所を身をもって知った。呼び捨てもタメ口も、ミナ自身がいいと私に言ったのだから、別にいいのだけれど。ミナと私は同じ16歳だったらしく、その事を知ってから事あるごとにタメ口をして欲しいと迫ってくるのだ。そろそろ何十回と言われて断るのも割と面倒になってきたので、私の方が折れたのだが。


「別にタメ口でいいならいいけど、私の口調に文句は言うなよ。敬語じゃない私は素になるから、覚悟しといて」


私が普段からずっと敬語なわけがない。相手を尊敬していたり、時と場合によって敬語を使う時には多少なりとも猫はかぶるが、口調をタメ口に戻せば自然と素になってしまう。切り替えのスイッチを口調で行なっているからこそ、こんな簡単に意識の切り替えができる──って、友人に考察されたこともあったな。実際そうっぽいけど。


「あら、そっちの方がかっこいいんじゃないかしら?ふふふ、男口調似合ってるわよ、アオイ」


「そりゃよかった」


私は男なのだ。男口調が似合って当然だろう。むしろ、女口調が似合う方が困るのだが。そもそもの話、そんな喋り方をしようとは一切思ってない。お客さん相手とかなら敬語くらい使うけども、相手がいいなら男口調くらいがいいだろう。相手との信頼関係を築く為には、私の素をある程度は見せておいた方がいいだろうし。それに、私の素を知っている=それほどの仲だと思ってくれている、なんて方程式ができるかもだし。そういう些細な事で信頼関係は築くことができるらしいので、どんどこ実践あるのみだ。


私は自分の部屋に私の荷物を全て置いて、自転車も部屋の隅っこに置かせてもらった。途中ミナとコウガさんに何それと言われたが、1人で使う乗り物だと言って適当に流しておいた。その結果、今度ミナに乗り方を教えてあげることになったが、まぁそこまで自転車に対してそこまでの疑問を持っていないっぽいのでよしとする。


部屋に荷物を置いた後、私は宿のお客さんと従業員しか使えないお風呂を借りて身体を流し、ミナに呼ばれたので宿屋の制服に着替えて階下のフロアまでやってきていた。お風呂に入る時にミナも一緒に入りそうになり全力で断って、ミナが乗り込んで来る前に出ようと女風呂に速攻入って速攻で出たりとかもしたが、まぁいい。


「アオイ、私の家は夜の間は酒場になるの。その時だけど………敬語いらないわ」


「え、いらないの?」


「ええ、昼の間は敬語必須だけれど、夜の間は素でいいわよ。私とかそうしてるもの。それに、お客さんから堅苦しいから嫌って言われたことがあったから、酒場の時は男口調でもいいわよ」


「まぁ、わかった」


正直助かる。敬語だと堅苦しくてあんまり得意じゃないけれど、素で喋っていいならいくらでも喋ってやろう。ふっはっはっは!男口調で喋れるなんてなんと素晴らしい時間だろうか!あー………大丈夫かなぁ、バレたりしないよなぁ………杞憂ならいいけども………私の生命線に関する事柄なので、ちょっとだけ心配だ。


「それじゃ、今日も20時から酒場があるから、その時間の30分前になるまで自由にしてていいわよ。あ、明日は私と一緒に出かけましょうね?」


「了解」


私はミナとの会話を終えると、一度自分の部屋に戻って宿屋の制服はそのままにベットにダイブをして、枕に顔を埋めながら大きなため息をついた。


「………はぁ………」


とても、疲れた。まだこれから酒場のある夜間の営業があったりするが、今日はとにかく色々あったから、疲れてしまったのだ。異世界に来て、街を探して………そこから更に住む所と働く場所を探せたのは、本当に幸運だった。本当に幸運すぎて、その幸運の反動が来そうで怖い。例えば………考えたくはないが、性別を誤魔化す方法が見つからない、とかな。………実際にありそうだから困るんだよ………だってなぁ、性別を変えるなんてこと、難しいとかそういう問題じゃないしな。


小説でTSってのは見たことあるし、割と好きなジャンルだった。性転換、つまりは本来の性別とは違う性別になること、なんだけど………私の場合は少し違う。性転換をしているわけでもしたいわけでもないが、性転換をしなければいけない事情がある。偶然性転換をすることは小説ではあったけど、自分から望んで性転換をしている主人公は見たことがない。私が読んだことないだけで、そういうのもあるかもだけど………


とにかく、私は自分の快適な異世界生活の為にも、性別を誤魔化す方法か、性転換する方法を探さなければいけないのだ。………めちゃめちゃに嫌だけど………これは、仕方のないことだ。ここ以外で雇ってもらえる保証なんてないのだから、ここで正式に雇ってもらいつつ、更にずっと働けるようにしたいのだから。私自身の性別をどうにかすれば、その全てが上手くいく………筈だ。………少なくとも、男より女の方がメリットが高いし………だから、我慢だ。私だけが抑えれば、それだけで上手くいく。ため込むことにはなるが………性別についてため込む分、なんらかの方法で放出しなければ。そうしないとイライラしそうだし。


私は咄嗟に思い出したことを確認する為に、スマートフォンを取り出して残りの充電を確認する。


「………89%か………まだいけるな」


スマートフォンは私の生命線だ。早急に充電をする方法を探さねば、私の元の世界の情報源が死に絶えてしまうこと必須である。見たい動画や見たい生放送、読みたい本に読みたい記事。元の世界の知識もスマートフォン1つあれば解決するし、本当にスマートフォンは偉大だ。小説にもスマートフォンを使っていたやつがあったような気がするし、やはり万能の電子機器なのだろう。スマートフォン様様である。………まぁ、なんで異世界でも使えるのとかの理由は一切知らないけどな。


「魔法とかで雷属性とか………そういうのがあれば、なんとかはなりそうなんだけどな………」


私はなるべく残りの充電を残すために、立ち上げていたアプリを検索アプリ以外全て終わらせて、明るさも限界まで下げ、低電力モードに切り替えておいた。それから電源を落として、バックパックの中に突っ込んでおく。これだけやっておけば、ある程度の充電は残る筈だ。電源をオフにして僅かに充電が消費されていっても、多分1ヶ月くらいなら保つんじゃないか?知らないけど、多分いけるだろう。電源までしっかりと落としてるし………まぁ、大丈夫だろう。


充電器やモバイルバッテリーなんて物も持ち合わせていないので、充電がなくなったら再度の充電が必要になる。………学校に充電器とか持ってっても使えないし、モバイルバッテリーは普段必要ないから買わなくても大丈夫かと思ったんだよ………普段から割と準備過多な私でも、流石に朝の登校中に突然異世界に来るとか予想できねぇわ。予想できてたら、元の世界でも異世界でも使える便利な道具をいっぱい持ち込んでいるだろう。予備をそれぞれ2つくらい用意して、準備万端にしてな。


そう、準備万端に。保存食も水も持てるだけ持って、便利な道具類も大量に持ち込んでいたことだろう。スマホだけではなく、アナログでも十分に代用できるであろうメモ帳や腕時計に、筆記用具も持てるだけ持って、とにかく様々な物を持ち込んでいた筈だ。バックパックだけじゃなくて、旅行用のキャリーケース2つくらい使って、使ったことないけどバイクとか持ち込んで………は、免許が無いし乗れないか。知識としてはあるけど、異世界が初乗りとかめっちゃ怖いし。電動自転車くらいなら持ち込めるだろうし、私の所持金でもギリギリ買えるし、私だって免許証要らずで乗り込めるし怖くない。


うーん、捕らぬ狸の皮算用………いや、どっちかというと後の祭り、かな?………まぁ、どっちでもいいか………


………………疲れてて………めちゃめちゃ眠いけど、頑張って動かなくちゃ………情報を集めないと………それに………この後に仕事もある………の………に………………………
















「──イ?アオイ?あ、起きたかしら?眠いならまだ寝ていてもいいけれど」


………ミナの起こしてくれてる声で、起きた。


「いや………大丈夫。寝起きの機嫌はすこぶるいいから………今、何時?」


「もう22時よ。すっごく心地よさそうに寝るものだから、起こしに来た時に躊躇しちゃってね」


「………マジか………」


やってしまった………終わりだ………いくら肉体的にも精神的にも疲れていたとはいえ、仕事前に寝るとか………大丈夫なのかなぁ………大丈夫だといいのになぁ………


「ミナ………ごめん………」


「別に平気だから、そこまで深く考えなくていいわよ。お父さんも大丈夫って言ってたしね」


「なら、いいんだけど………」


やはり、心配でもある。これは私の失態で、過ちなのだから。私のした失敗は、私のする成功で上塗りしないと………だからこそ!


「ミナ、私は今から働く」


「別に明日からでもいいのよ?どう見てもアオイは疲れてるでしょう?」


「いや………今は寝起きだから大丈夫だ」


私は朝がめちゃくちゃ強い。普段の私は朝起きてから2〜3時間は目がぱっちりなので、今日も起きてから3時間くらいは眠気にも襲われないだろう。普段の私は夜が苦手なのだが、今日のように直前に寝たり、何か仕事や勉強をしていたり、集中していればそうそう眠たくなったりはしない。つまり、私自身のコンディションは今最高である。私の体調だけは最高なのだが………寝落ちして体調がいいというのは、実に間抜けな話である。正直、ここで働けなくても文句は言われないくらいだ。むしろ、今回で犯した失態を取り戻すくらいの勢いで働かなくてはいけないだろう。


「大丈夫?なら、夕食を食べてから働いてもらおうかしら。あ、夕食は酒場のカウンター席で食べることになるけれど、いいわよね?」


「それでいい」


正直、お腹は空いている。お弁当の残りとか水筒の残りとかあるけれど、今日の仕事が終わった後にでも食べて処理しよう。朝に用意してから夜までそのまんまだけれど、おそらく問題は無い。あったとしてもどうにかなると思うし。


「あ、いつまでに食べるとか、ある?」


「そういうのは無いから、ゆっくり食べていいわ」


ならよかった。私は食べるのが遅い部類に入るので、正直、早く食べろとか言われても無理だから、よかった。


「服装はそのまま制服でお願いね?準備ができたら降りてきて頂戴な」


「わかった」


ミナはそのまま私の部屋から出ていった。………さて、そういえば私、スカートの制服のまま寝てたんだよな………大丈夫だよね?ミナにスカートの中見られてたりとかしてないよね?ミナがそんな女の子だとは思ってないけれど、まだ1日も一緒にいない相手の性格なんてわかるはずもない。そもそも、私は他人への興味が薄い性格をしているのだと自覚している。そんな性格の奴が、誰か他人を見極めるなんてでき夜しないだろう。


関わりのないクラスメイトの名前も覚えてすらいないし、顔もどんな顔なのかわからないことも多い。そもそも、友達であっても相手の名前がわからないことがあるのだ。だって、友達の相手の名前とか頻繁に聞かないでしょう?それとおんなじだよ。自分のことを名前で呼んでる人ならいいけれども。ただ、それをしてる人は私の知り合いの中で1人しか知らないんだわ、私。つまりよ、つまり。私が名前覚えられないのは仕方ないってことにならない?


………いや、この話は今関係無いな。


「………とりあえず、下に降りよう。話はそれからだ」


大きな声で怒られるのも、大丈夫だと言われるのも、私が階下に降りなければ始まらない。ここで遅延行為を行っても後で全部私自身に降りかかってくるのだから、無駄な抵抗はせずに行ってやろうじゃないか。男は度胸、女は愛嬌、坊主はお経だ。たしかこんなことわざだった気がする。つまり、男の私の場合は度胸。何事にも動じない心で、冷静沈着に行動せねばならない。


そう、例えどんなことがあっても、動揺して心を乱してはいけない。『さぁいくぞ!』と、私は自分に喝を入れながら部屋を出て、喧騒のする階下へと続く階段を降りた。


──そこは、別の場所だった。いや、この表現は誤りだろう。その場所は、私が昼間働いていた厨房から見えていた食事処のフロア部分。昼には、全ての机に小綺麗なクローゼットと美しい色の様々な花が飾られている、とても気品のある食事処だった。だが、今はガラッと印象が変わっている。机にかかっていたクローゼットと飾られていた花は片付けられ、木製の机がそのまま設置されていた。たったそれだけで、フロアの印象が一変している。外の日の光から夜間用の魔法の灯りに変わっているのも、この光景の変貌ぶりに拍車をかけていることだろう。


それに、昼間とはお客さんの雰囲気が違う。昼間の人々は静かで大人しく、とても品性があった。だが、今はどうだろうか?私が見る限り今のお客さんは、アニメで見たことのある酒場のお客さんのイメージ通りだった。豪快にお酒を飲み、言葉を大きな声で交わし、行動は逐一うるさい。すごく、酒場らしいっちゃ酒場らしい。


「おぉ?お嬢ちゃんか〜?さっきミナの嬢ちゃんが言ってた新入りってやつぁ〜」


「ええ、そうよ。うちの新しい従業員なんだから!」


「ほぇ〜、えれぇべっぴんさんじゃねぇかぁ〜」


なんて聞こえてきたこの会話は、ミナと知らないお客さんとの会話だ。誰がお嬢ちゃんだ殺すぞ。とか、まぁ殺意は湧いているが、とりあえず無視しておこう。こういう自体にも慣れなけば、これから生きていくことは出来ないからな。………猛烈に腹が立っているが、やはりこれからの私の為にも全力で無視しなければ………


「ほら、アオイ。ここで食べてなさいな。あ、お客さんにセクハラされたら私を呼んでね?すぐかけつけるから」


「あ、うん」


私に気が付いたミナは私の腕を引っ張って、酒場のテーブル席ではなくカウンター席に座らせてくれた。やはり、賑わっている酒場らしく、カウンター席よりもテーブル席の方が占拠率が高い。というか、テーブル席は既に全て埋まっているが、カウンター席は結構空いてる。まぁ、1人よりも大勢で騒いだ方が楽しいのはわかるけども。


「お、起きたのか」


私に対してそう話しかけてきたのは、ミナのお父さん。………えーっと………名前、なんだっけか………その日の内に忘れるとか間抜けなんだけど………えっと………うん、店長さんでいいか。実際店長さんだし。


「あ、す、すいません、寝ちゃいました………」


「いいさ。初日から働いてもらったんだから、今日はもう寝てもいいんだぞ?流石に初日に働きすぎるのもどうかと思うしな」


「い、いえ、やります。早く仕事を覚えたいですから」


何事も経験だ。反復練習はどんな天才でもしなくてはならないし、経験に勝る訓練はない。百聞は一見にしかず、百見は一行にしかず。100回聞くよりも1回見た方が、100回見るより1回行動に移したほうが、私自身への経験になる。私はよく器用貧乏って言われるから沢山経験しておかないと上手くならないし、出来るだけ経験はしておきたい。


「ほれ、今夜の夕食はこれだ」


「………おぉー………!」


そう言って出されたのは、見るからに美味しそうなシチューとパン。それらが元の世界で私が見たことのない木製のボウルとお皿に載せられており、なんとも溢れ出るファンタジー的な料理にわくわくしてしまったのは許してほしい部分である。


「………いただきます………!」


「おう、よく食べてくれ」


私は店長さんの言葉を聞くまでもなく、手元に置かれている木製のスプーンを手に取って、シチューをひとすくいし、そして、口に運ぶ。


「………っ!!」


美味しい。私はグルメリポーターではないので食レポなんて一切できないし、料理は美味しいか美味しくないかでしか判断できない人間なので表現に困るが………とにかく、美味しい。恐らくは味付けが元の世界の普段食べるようなシチューよりも濃いのだろうが、これがまた美味しい。働いた後には濃い味付けがいいらしいが、確かにと思ってしまう自分が今ここにいる。達成感のようなものが凄い。


「どうだ?ま、あまり物だからそこまで美味しくないだろうがな」


「いえ………ちゃんと、美味しいですよ」


「そうか?なら良かった」


店長さんはそう言って、私が食べ終わるまでちょくちょく会話をしてくれた。私は自分から会話をするのが苦手だったので、正直店長さんから話しかけられるのは会話としてはとても楽だった。店長さんには気を使ってもらっているのだろう。こんな些細な恩でも、受けた恩の分はしっかりと働かなくては。


「んっく………ごちそうさまでした。美味しかったです」


「おう、よくわらんがよかったよ。んで?これから働くのか?別に寝てもいいんだぞ?まだ初日だしなぁ………」


「いえ、しっかり働きます。仕事ですから」


「けどなぁ、無理してもいいことはないんだぞ?」


「無理じゃないですから平気です。これくらいの労働、できますから」


「………そうか?んじゃ、無理そうなら言ってくれよ。無理する前に休んでもいいから」


「はい、わかりました」


そうして、私は酒場の仕事を始めたのだった。









「アオイの嬢ちゃ〜ん!お酒追加〜!」


「こっちも頼む!」


「こっちも来ておくれ!!」


「は、はい!今行きます!!」


仕事を始めて1時間弱。少し酒場の仕事に慣れてきただろうかという辺りから、何故か私の指名をする注文が増えてきていた。もちろんだが私は1人だけなので、行けるところには私が向かい、余ったところにミナがいくといった謎のローテーションが出来上がってしまっていた。私の尻拭いをさせているようで、なんだか後でミナに殴られないだろうか心配になってきた。


そんな忙しい私がやってきたのは、1番人の多かったテーブルだ。やはり、大勢のお客さんを優先して回さないと店員の人数が足りないから大変なのだ。ちなみに、合計で17人の団体客さんだった。


「す、すいません」


「いやぁ〜、いいんだぜ〜?忙しいのはわかってるからなぁ〜!!」


やはり、彼らの職業は冒険者というものなのだろうか?何人もの人達が様々な武器や鎧、防具を身につけている。中には杖のようなものを持っている人もいるらしいので、多分魔法なのではないだろうか?私が冒険者をするなら後衛だろうけども、まぁ多分やらないと思う。


「それで、あの、ご注文は?」


「おいおいアオイちゃん!俺らに敬語なんていらないぞ!」


「いえ………流石に初対面の人にタメ口で話す勇気はないので………そうですね、この1週間連続で来てくれて、私にしっかり毎回名前を言ってくれるなら敬語なんて抜けるんじゃないでしょうか?」


私が働くこの1週間の間だけでもお客さんを取りつつ、お客さんの名前を覚えられるようにする方法がこれくらいしか浮かばなかった。とてつもなく浅く穴だらけの考えだが、これならこの1週間だけはこの人達が来てくれるかもしれないので、最低限私の有能さをしっかりと示すことができるだろう。


「そうかぁ!なら俺ぁ1週間毎日来るぞぉ!」


「俺もだ!」


「俺も!」


その後もその団体客さんの全員が『俺も』『俺も』と賛同して、結局17人全員がこの1週間の間は必ず来てくれることになったらしい。とても、よかった。これで一先ず安心だが………まぁ、絶対はないので、この手段であと何グループか1週間だけ来てくれることを約束してもらおう。でないと、私が不安になってくるから。









その後も何人かのお客さんにこの1週間の間だけは来てくれることを約束してもらい、合計で40人は毎日来てくれることになったし、1週間ずっととはいかなくても2〜4日くらいなら来れる人が13人もいてくれた。全員私の性別が男だと気がついていなかったが、私の所作はそこまで女性のようなのだろうか?なんで?私、自分の性別を間違えて生まれてきたとかじゃないよね?それとも前世が女の子とか?でもなんで………うん、これ、考えるのやめよう………答えが出ない気がするから………


「今日は………終わりか」


現在時刻は、0時53分。仕事が終わって後片付けをして………そして、私は与えられた部屋まで帰ってきたのだった。特段するようなこともなく、身体的にも肉体的にもとてつもない疲労が溜まりに溜まっていると思われるので、すぐにでも寝ないと私の身体がぶっ壊れそうだしね。


「にしても………バレないのか………」


正直、始めての経験だ。大抵、初対面の人には男か女か問われることが多いのに………今日は、誰一人として私が男かなんで疑問を浮かべていなかったように見えた。やはり、元の世界とは違って女性用の服装をしていたからだろうか?元の世界でも男性の服装でいた時でも女性と間違われることから、女性の服装になれば女性として見られるのではと前々から思ってはいたが………本当にそうなるなんて思うわけないだろう。する気も無かったし。


でも、女性として見られていたからこそ、今日は上手くいったのではないだろうか?そう考えると、今回の作戦は上手くいったのだろう。当たって砕けろの精神で、とりあえずやるだけやってみたが………ここまで上手くいくなんて………きっと後で反動があるに決まっている。幸福の後には不幸が訪れるのは、きっと自明の理だ。確かそんな話とか言葉があったような気がするし………具体的な内容は覚えてないけど。


でも、今日は上手くいったからと言って明日からも上手くいくなんて、そんな訳がない。人生がそんなに簡単なら苦労なんてしないし、努力なんて無駄になってしまう。きっと後で揺り戻しがあるに決まっているのだ。私の浅い人生経験でもわかる。


「はぁ………早く寝よ」


既に外は、夕闇なんて通り越して真夜中。深夜とも言う。そんな、普段の私なら絶対に起きていないような時間の夜中。ベットに寝転がってはいるし、眠いっちゃ眠いのだが、寝付けない。多分、興奮しているのだろう。性的な方の興奮ではなくて、こう、異世界というモノに対しての、好奇心的な興奮だ。


私は、なんとなく窓の外を覗いて見ることにした。そこから見えた景色は、まるで幻想の世界のような光景だった。その街並みはまさにファンタジーと言っても過言ではないし、実際ファンタジーなのだろう。魔石とかあったし。


街並みもさることながら、私が一番感動したのは夜空だ。転移直後にも見た真っ赤な月と真っ青な月が、夜空に我有りと象徴しているかのように強く光り輝いている。元の世界の街中では決して見えなかった夜空の星々が、非常に綺麗で美しい。普段は星や空になんて興味を示さない私であっても見惚れるほどに、異世界の星々は美しかった。


その後、私の興奮は止まることを知らず、結局寝たのは2時を回った辺りだったのは失態だったかもしれない。

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