なんで揃いも揃って私を女扱いするんだ!


検問所を抜けると、そこは昔の中世の街のような感じだった。木造りと石造りの建物が多く、コンクリートなんて人工物で作られている建物が無い。ビルのような高い建造物もないことから、端っこから端っこまで見渡す事もできるくらいには建物の高さが低い。その分物凄い光景だが。そもそも、端っこにいくまで自転車でも相当の時間を要する可能性がある程度には広い街である。


「広い………人多い………すっげ………」


若干の言葉を失いつつも、私は自転車を手で押して街中をゆっくりと歩いていた。見えてくるのは色々な種類のお店や誰かさんの綺麗な家ばかりだが、お店にはそれぞれの活気というものがあり、誰かさんの家からも人がいる感覚がする。つまり、めちゃくちゃ人がいるのだ。


見えるお店には、宿屋にパン屋のような専門店、八百屋や肉屋に魚屋。服屋にアクセサリーの露店に本屋。食事処の種類も数も多く、酒屋に酒場のような場所も発見した。元の世界ではそうそうないだろう武器屋や防具屋、魔法道具屋みたいなものも見つけた。1番驚いたのは、異世界系の本でよく見る冒険者ギルドという物が実際にあった事だろう。他にも、商人ギルドや魔法ギルド、従魔ギルドなんてものも見つけることができた。


私は初めての異世界の街並みを全力で満喫しつつ、お弁当に入れておいたサンドイッチを歩きながらむしゃむしゃ食べて散策していた。ちなみに、途中で誰かと会話なんてものは一切していない。私のコミュニケーション能力の低さを舐めるな。………さて、2時間程度の散策を終えた私は、この異世界で始めて働く場所の見当をつけていたりする。それは、宿屋だ。どうして宿屋なのかというと、それにはしっかりとした理由がある。


前提条件として、ここは異世界である。その場合、私の知識の大半が役に立たない可能性が高い。野菜や肉、魚などの食材系統はこれだけで全部除外だ。実際に見た目を見たことのない食材が結構あったからこれは確実だろう。見たことのあったやつもいたけど、まぁそこまで覚えてないし関係ない。それから服屋とかアクセサリーの露店とか、そういうオシャレ系統は私自身がわからないので除外。昔インターネットとか女友達に聞いて色々調べてみたりしたのだが、私には一切わからなかったのだ。無念である。


それから、専門的な食事処や、パン屋などの専門店も除外だ。料理は人並みくらいにはできるが、そういうのは専門の資格が必要だったりしたらそこで私のガラスハートの方が終わってしまうのでパスしたい。同じく酒屋もお酒の種類なぞ一切わからんので除外。そして、武器屋や防具屋、魔法道具屋なんて除外も除外、そもそも前提知識が無いのでそこで働くなど不可能である。ギルドという選択肢には多少惹かれたりしたが、情報が少ない今ギルドに入ったら奇異の目で見られる可能性が大である。それで警戒心を抱かれたくはない。心配のし過ぎかもしれないが、これは私なりの処世術というものだ。無下にすることはできないだろう。


そうして残った選択肢は、宿屋。宿屋とは、つまりはホテルのようなものである。接客業とサービス業の掛け合わせ的な職業であり、この世界ではそこへ食事処と酒場が追加される形となるみたいだ。宿屋オンリーよりも、食事処や酒場と一緒になっている宿屋が、遠目から見ている限りでは多かった。どうしてそんな所を選んだのかというと、それは一重に情報の為である。


宿屋や酒場、食事処には様々な人が集まる。ギルドもそうだが、あっちは信頼と資格が必要そうな、元の世界で言えば公務員的な感じっぽいので無理だろう。話を戻すが、人が集まる場所には情報が集まる。そして、私が今必要なものは情報と人間関係なのだ。情報があれば私の自由が効き、人間関係があればちょっとの無茶もできるからである。情報はお客さんの言葉に耳を立てればいいし、人間関係は接客をしていれば得られる可能性があるから、私は宿屋を選んだ。


私が食事処や酒場で使い物にならずとも、宿屋ならば宿の方や裏方ならば十分に役に立つ。量より質は確かにそうだが、相当な質でないと量の方が勝ってしまうのは世の常である。本当の天才は一騎当千の結果を残すが、秀才では一騎当千は不可能なのと同じように、相当の質がなければ量には勝てない。だからこそ、人手というのは質より量である。………まぁ、質が相当低かったりしたら量ではダメだが。


なので、私は街中の宿屋をゆったり歩きながら探していた。今日は既に歩き続けて漕ぎ続けて数時間が経過している。恐らくお昼時の時間も1時間程度は過ぎており、そう考えると朝から昼までずっと動き続けていることになる。普段の私なら絶対にしない運動量だ。そろそろ、私の身体の方が軋み始めるだろう。だから、早めに宿屋を見つけたいのだが………そうだな。せめて、人手の少ない所を狙って入りたい。


「あぁっと………あそこは宿屋………かな?」


私が自転車を押しながら見つけたお店の看板には、『宿屋 バードン』と書かれている。昼時は食事処、夜時は酒場と、結構色々やってるお店らしい。中は少々忙しそうであるが、そろそろ身体的にも精神的にも疲れてきているので、早く休む為にもここに入る事にした。街中の散策中にお金らしい小銅貨3枚と銅貨6枚、更には小銀貨5枚を見つけているので、もし金額が足りるならここで一泊するのもありだろう。


さっき色々とお店を見て回ったが、基本的に食材系は小銅貨1枚から3枚。少し高額そうな物でも銅貨1枚程度だった。多分足りるんじゃないか?いや、相場とか一切知らないし、円換算でどんなとかも計算面倒だからしないけど。多分いけるっしょ。私はそんな軽い気持ちで、その宿屋の中に入って行った。







宿屋の中に入ると、今はお昼時の食事処のようだった。ついでに言うと満席である。自転車は店の外に置いてきたが、鍵をかけてチェーンにも鍵をかけてきたので、壊されない限りは平気………だと思いたい。


「あ、あのー、すいませーん」


大声で店員さんを呼ぶことなどできない私は、少々大きめの声程度が限界だった。それでも店員さんは気がついてくれたらしく、忙しそうにこっちにやってきてくれた。やってきてくれた店員さんは、大きな茶髪でポニーテールをしていて緑色の両眼をしている、私とそこまで変わらない身長くらいの女性の店員さんだ。失礼だが胸もDくらいあるっぽい。………私めっちゃ失礼で最低だな、正直ぶっ殺されてもいいくらいだ。こういう思考は改めよう。


「すいませんお客様。ただいま満席ですので少々お待ちいただく必要がございますが、それでもよろしいですか?」


「あっ、い、いえ。あの、えっと、私はここで働く為に来たんですけど………どうすればいいかわからなくて………あの、失礼だったらすいません。お忙しいのに………」


「それは大丈夫だけど………それより!店員志望の子ってことでいいのね?!」


「え、あ、はい」


なんでかは知らないが、私がここで働くと聞くと雰囲気が変わった。さっきまでは清楚系の美人さんだったのだが、今は元気なお姉さんのような雰囲気を醸し出している。というか、口調から変わった。


「お父さーん!この子ここで働きたいってさー!お父さんちょっとこの子よろしくー!」


『料理はどうするんだー?』


「私がやっとくからー!」


『わかったー』


なんて、女性の店員さんと多分この女性の店員さんのお父さんが、お店の出入り口と奥に見える厨房とで大声の会話をしていた。うーん、側から見るとこういう光景は結構面白い………そういう感想を言ってる場合ではないな?


「それじゃ今から私のお父さんが来るから、あとはお父さんの言う事聞いてね!」


そう言って、女性の店員さんは忙しそうに戻っていった。………なんか、忙しい時間に来てごめんね?私がそんな風に若干の罪悪感に苛まれていると、お店の奥からおっきな男の人がやってきた。180越えくらいの身長と、とても男性らしい体格。さっきの女性の店員さんと同じ茶髪と緑色の両眼。この人が、あの女性の店員さんのお父さんだろう。


「それで、お前さんがここで働きたいって子か?」


「は、はい。えっと………働こうと思っていた職場が、既に満員で………それで、他の働き口がないか探してたら、ここを見つけたので………」


嘘だ。嘘なのだが………こうやって同情を誘う作戦だ。こうすれば………ちょっとくらいは成功するかも………成功しろ………!私の浅い交渉術をくらえ………!………いや、嘘ついてるから詐欺………?いや、これは詐欺じゃない!これは!立派な私なりの交渉だ!


「そうか………それじゃ、とりあえず1週間住み込みで働いてもらおう。うちの宿屋は、店員が俺と娘しかいなくてなぁ………正直、新しい店員が欲しかった所なんだよ。2人だけじゃ経営も厳しくてな………すまんが、今は丁度満席で忙しいから………すぐに皿洗い、できるか?」


「は、はい!」


やったぜ!とりあえず、1週間はここで働けるみたいで助かった。しかも住み込みで、だ。咄嗟についた嘘もきいたのだろうか?いや、マジでほんとに、正直1番心配だったのは泊まる場所だったので、それまで1週間分確保できたのは嬉しすぎる。本当に、最高だ。異世界に突然やってきてから1番の幸運かもしれない。


「まずは服を着替えてもらう。その服じゃ動きづらいだろ?」


「は、はい、そうですね」


「確か倉庫に予備の制服があったはずだ。なけりゃ適当なものを着てもらうが………それでもいいか?」


「はい!なんでも大丈夫です!」


「そうだ、自己紹介がまだだったな。俺はコウガ、さっきの店員が娘のミナだ。よろしくな」


「あ、よろしくです。えっと、私は………アオイ、です」


アオイ。それが、こっちの世界の私の名前になる。本名は松浦 葵だが、苗字があると面倒なことになる可能性があるので、苗字は伏せた。なんせ、コウガさんもさっきのミナさんも、名前オンリーだった。多分だけど、昔の日本みたいに苗字は別階級の人しか使えないんじゃないか?そう考えると、苗字は伏せて名前だけ名乗っていればいいはずだ。咄嗟の考えだからいらんことしたかもしれないが、その時はその時だろう。初対面で偽名を使わないだけ許してほしい。


「アオイか、こちらこそよろしくな。んじゃ、倉庫行くぞ」


「わ、わかりました」


正直に言えば敬語は少し苦手なのだが、流石に敬語をしないのは印象的にまずい。基本的にですます口調で、なるべく高圧的な態度はとらないようにしよう。というか、初めて会う人とこんなにコミュニケーションをしたのは久しぶりすぎて心臓が痛い。私のガラスのハートが擦り切れていく感覚があるのは………ちょっと、緊張でお腹痛くなりそうだなぁ。


そんな馬鹿なことを考えていると、倉庫までついたらしい。部屋の外に『倉庫』ってあったし、多分ここが倉庫なのだろう。わかりやすくて助かった。コウガさんは倉庫の中に入ると、木箱を片っ端から開け始めた。どこにしまったか覚えてないのか?いやまぁ、私も部屋の片付け苦手で、あんまり何処に何置いたか忘れるけどさ。


「確か………ここに………お、あった。これ着れるか?」


そう言ってコウガさんが取り出したのは、コウガさんの娘である、さっきの女性店員さんが着ていた制服と同じものだった。………同じ、なのだ。スカートで、日本で私が着ていたら友人や知り合いや家族など、面と向かった私を知っている人間全てに女装と言われそうな、紛れもなく女性用の制服だった。


「ミナの制服の予備というか、まぁ予備の予備だ。部屋から出てるから、少し着てみてくれ。大きさが足りなかったら言ってくれ。ミナが直してくれるだろう」


「………わ、わかりました………」


コウガさんは倉庫から出て行った。………どうしよう。これって多分、私が女だと思われてるってことで………なんで!なんでみんな私のことを女性だと思うんだ!検問所でも!ここでも!街中でも無視したけど『お嬢さん』とか呼ばれたことが何回かあったし!どうして!私はれっきとした男なのに!なんだ!何が足りないんだ!筋肉か?体格か?顔か?声か?それとも、男らしさか?!なんだってんだ!どうしてみんな私を女扱いするんだよ!!くそがよぉ!!


………………落ち着こう。よくよく考えれば、私が女だと思われてるのは………マジで嫌だけど………好都合では、ある。………多分女性なら、少しくらい男性客の客引きが出来るはずだ。私が無能で何もできなくても、ちょっとくらいはこの宿屋に貢献できるかもしれない。私の有能さを見せつける為にも………やるしか………うん、メリットは、十分だ………そうかも………しれないが、これ………いやでも………デメリットなんて、私が女扱いされたくないだけだし………バレたらデメリットになるかもだけど………いや………でもこれは………………………くそ!やってやるよやってやらぁ!!私は異世界では女!元の世界では嫌だったこの身体を、全力で使って異世界での居場所を作り上げてやる!!そうだ!私は男!男は度胸!!やれるはずだ!私は!!


私は空元気を使って、自分の葛藤を勢いで隅に寄せた。多分後でどう考えても物凄い葛藤を心の隅に押し込めた反動があるだろうが、今はそんなことを気にしている場合ではない。今は私の快適な異世界生活の第一歩なのだ。ここで一歩でも足を踏み外したら、私の快適な異世界生活は一瞬で終わりを告げるだろう。そんなことがあってはならないのだから………こんな………こんな、安い、デメリット………!!無視しなくて、どうする………!くそっ!


渡された女性用の制服は、給仕服………所謂本職のメイド服っぽい制服だった。服の装飾は少なめで、白と黒を基調に、首元の赤の色が目立つ可愛めの服だ。黒いワンピースの上から白いエプロンを付け、胸元に赤いリボンを付ける、なんとも見たことのある服だ。ワンピースのスカート部分の長さは足首より10cmくらい上で、正直これなら着られる気がしなくもない。………着られなくはないが………んー………これ、着るのかぁ………嫌だなぁ………でも着ないと………うん、早く着て慣れてしまおう。慣れれば大丈夫な筈だ。淡い希望を抱きながら、私はパパッと学校の方の制服を脱ぎ、このお店の制服を素早く着てみた。だって恥ずかしいじゃん?


「んー………なんか、胸元が大きい………あ、そっか。ミナさんが胸大きかったから………まぁ、これくらいならなんとかなるかな」


胸元が少々というか割と空いているが、私は荷物から筆箱を取り出して、中に入っているクリップで胸元を折り畳んでクリップで留めて調整してみた。若干動きづらいが、まぁ許容範囲だろう。女装をしているという事実から目を背ければ、まぁ、似合っている様な気がしなくもない。今の私が若干遠い目をしているのはデフォルトである。現実から目を背けるにはこの目がいいのだ、この目が。うん、若干の諦めが入ってるのは否めないけど、まぁいいでしょ?私、今日から不特定多数に視姦という名の辱め受けるんだしさ、これくらい許してくれるよね?誰にとかじゃないけど。


「あー………コウガさん、着替え終わりました」


現実逃避をしながら、私は部屋の扉を開けてコウガさんに着替え終わった旨を伝えた。


「おぉ、なかなか似合ってるじゃないか。んじゃ早速だが、皿洗いを頼む。できるか?」


「は、はい。設備の使い方を教えてくれればですけど………違ったら困りますから」


「そりゃ確かに。んじゃあ、とりあえず厨房に行こう。こっちだ」


私は割と緊張しながら、コウガさんの後を付いて行く。まさか本当に気付かれていないとは思うわなんだ。初めて着る給仕服であり、初めてする女装。まさか異世界でこんなことするなんて思ってもみなかったが、もう、諦めている。私の快適な異世界生活の為にも、こればかりは我慢しなければいけない所だ。これを我慢した先に、私の快適な異世界生活が待っていると思えば頑張れるというものだ。………うん、本気で頑張ろう。


「お父さーん!ほんと早く来て!流石にもう無理!!」


「ちょうどいいな、ミナは配膳頼む。料理は俺が、アオイは皿洗いだ」


「お父さん!早く!新しい子の紹介は後でいいから!というか後にして!」


「わかってるわかってる。ほれ、変わるぞ」


「ありがとお父さん!行ってくる!」


そんなやりとりをして、コウガさんとミナさんは素早く行動をし始めた。………おぉ、動きがベテランだ。


「それじゃ、そこの手袋をつけてくれ」


「えっ、はっはい!」


私はコウガさんの言う通り、お皿が溜まっている台所の隣に綺麗に置いてあるゴムっぽい素材の手袋を手に着けた。ゴムとは少し違うような感じの感触だが、どこか似ている。


「着けたな?んじゃ、そこに置いてある洗剤をスポンジにちょびっとだけ付けて、そっから洗ってくれ。水道の使い方はわかるか?」


私はチラッと水道の方を見るが、蛇口っぽいけど………ちょっと違うような………これは一応聞いといたほうがいいな?多分、レバー下げればいいんだろうけど………


「え、あっと………一応、教えてください」


「そうか。そんじゃあ、そこんところのレバーを下げれば水が出てきて、レバーの角度を調整すると水の量が変わる。水が出なくなったら、その隣のボタンを押して魔石を変えてくれ。魔石は足元の引き出しに予備が幾つかあるから、そっから取ってくれ。これで大丈夫そうか?」


「は、はい、大丈夫そうです。ありがとうございます」


魔石。聞いたことのない単語だ。その水道の足元にある引き出しの中を確認すると、全体的に青色の透き通った綺麗な石が合計で10個も入っていた。………やっぱり、ここは異世界なのだと実感してしまった。魔石なんて物、少なくとも前住んでいた世界では見たことも聞いたことも無い物だ。もしくは、元の世界にも魔石という物があって、私が単純にしらないだけかもしれないが………んなことはないだろう。そんなことならここまで苦労してない。


私は意識を切り替え、元の世界でやってきた皿洗いの方法を異世界でも同じようにやってみることにした。ゴムっぽい謎素材の手袋を装着して、蛇口のような魔法っぽい水道と、元の世界の物と似ている洗剤と黄の綺麗なスポンジを使いながら、溜まっていた食器類を洗ってみた。そのままコウガさんやミナさんに何かを言われるわけでもなく、ただ渡される食事をし終わった食器類を次々と洗い続け、そのまま体感では2時間くらい経過した頃には、少し前までは満席だったお客さんが全員帰ったようだ。私の仕事も全て終わって厨房から出てフロアに向かうと、そこでコウガさんとミナさんがテーブルと椅子に座って休憩していた。


「おう、お疲れ。今日が初日なのにすまないな」


「あー、いえ、お仕事をくださっただけで十分です」


何も出来ないよりかはマシだろう。そうじゃないと給料貰えないだろうし。働かざるもの食うべからずって言うからな。


「自己紹介がまだだったわね。私はミナよ、よろしく」


「あー、私は、アオイ………です。よろしくお願いします、ミナさん」


「別にさん付けしなくて呼び捨てでいいのよ?」


「いや………えっと、流石に初対面で呼び捨ては──」


「呼び捨てで、いいのよ?」


圧力が………!圧力がかかってくる………!この人押しが強い………!


「わ、わかりました………えっと、ミナ」


「ええ、よろしくね、アオイ」








私はミナ………うん、ミナとの自己紹介を終えた後、この宿屋『バードン』の仕事内容の話になった。話というか説明だが。


この宿屋は、食事処と酒場、宿屋の三種混合の店らしい。昼間の10時から15時までは食事処、夜間の20時から25時までは酒場。宿屋は朝5時から夜25時までらしい。ちなみにこの異世界、話を聞く限り1日が25時間で、しかも1時間が100分、1分も100秒らしい。それを聞いて、『あ、ここって異世界なんだ』って本格的に思ってしまった。


話を戻すが、昼間の食事処ではランチを提供しており、夜間の酒場ではお酒類と軽食などを提供しているそうだ。宿屋の部屋数は30で、その内低ランクの部屋が15部屋、中ランクの部屋が10部屋、高ランクの部屋が4部屋、最高ランクの部屋が1部屋と、結構分かれているそうだ。ただ、低ランクの部屋が最低最悪な部屋なんてことはなく、むしろ元の世界のホテルくらいには綺麗だった。ランクが上がるごとに、提供サービスや部屋の魔法道具類の設備が増えたり、部屋の立地が変わったりするくらいだそうだ。覚えやすいことこの上ない。


とりあえず、私は1週間住み込みで働くことになり、最初の1週間は裏方やコウガさんとミナの支援中心で、1週間後からはフロアや宿屋の経営なども任せると言っていた。後は、宿屋内の部屋の場所や設備の使い方、昼時間の挨拶なども覚えてもらうと言われた。やることがいっぱいで、ちょっと楽しみではある。


「あ、そうだ。お父さん、アオイの今着てる制服って私の制服の予備じゃない?」


「あの服装じゃ動きづらそうだったからな、借りたぞ?」


「別にいいわよ。それじゃ、アオイは1週間後に正式な店員になるのよね?」


「ああ、そうなるな」


「制服の採寸はいつするの?」


え、待って、話聞き流そうと思ってたんだけど………え?制服の、採寸?


「1週間が終わる前日くらいでいいんじゃないか?」


「それじゃ間に合わないでしょうが。3日前くらいじゃないと駄目じゃないかしら?」


「そうだな、そうしよう」


………え、待って待って。私が教えられたことを脳内で整理している間になんか決まったんだけど。え、採寸?


「あ、あの、採寸って?」


「え?だって、その制服じゃ動きにくいでしょう?だから、貴女専用の制服を服屋で作ってもらうのよ。あ、お金はこっちが負担するから、安心していいわよ」


そうじゃない、そうじゃないんだ。採寸ってことは、つまり身体の隅々までを確認されるって事。当たり前だが、私の制服を作るために採寸をするには、正確に私の身体の大きさを測る必要がある。


その時、私は致命的な程に服を脱ぐことになる。裸は無くとも、多分下着姿くらいにはなる。その時、私は──終わりだ。採寸を行うのは、多分このままいけば女性。その時の私は下着姿で………終わりだ………社会的に殺される………ダメだ………おしまいだ………


例え今私の本来の性別を打ち明けても、女装をしている変な男として2人の目には映る可能性がある。そうなれば奇異の目で見られることは必至であり、永続的な雇用は無くなる可能性だってある。それは、なんとしても避けたい。


「えっと、あの………私は別に、これでもいいんですけど………あの、申し訳ないですし………」


「何言ってるの。店員の制服すら用意できない店って思われちゃうでしょ?だから、申し訳なくても無理矢理用意するわよ」


くっ………!私の作戦が足元から瓦解したんだけど………!どうすれば良い………どうすれば………


「あー、そ、そうですか?で、でも、そうですね………あの、採寸は1週間を終えてからにしてほしいなって………だってほら………あの、私が物凄い無能で、もしかしたら雇用しない可能性もあるわけで………そんなことになった時に、ものすごーく申し訳なくなってしまうので………だから、1週間を無事に終了し終えたらに、しませんか………?」


これは、私の必死な抵抗であった。どう考えても解決できないから、なるべく時間を伸ばして、できるだけ2人との信頼関係を高めてから私の性別のことを打ち明ける作戦だ。………こうすれば………少なくとも、今打ち明けるよりはマシになるだろう。………それに、ここは異世界。もしかしたら、性別を入れ替える魔法とか、薬とか、道具とか、なんか不思議な力で性別を誤魔化せるかもしれないという、私の希望的観測が叶う時間を延ばすこともできる………筈だ。


「そう?どれだけ無能でも、新しい子は大歓迎なのだけれど………」


「本人の意思となっちゃ仕方ないな。1週間が終わった次の日に採寸しよう。それでいいか?」


「は、はい」


私はこの時、私の快適な異世界生活の為に、自分の性別を偽ることを本格的に決めたのだった。………つまり私は、精神な面での無駄な抵抗をやめたのだった。

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