第4章 邂逅(1)
1
テーブルをはさんで二人の女性が睨み合っている。
一人は布のシャツに、膝丈のスカート、腰にレースのエプロン、右手にバスケットを下げている。バスケットの中には、今朝焼いたであろうクッキーやらシフォンが詰まっている。
もう一人は、銀色のロングヘアー、切れ長の目、長いまつげ、白い肌、白い布製のローブ。
先ほどからもう数十秒このままである。
そのテーブルにはもう一人の人物が座っているが、二人の間に挟まれて、少し窮屈そうに肩をすぼめている。これは、40代半ばを過ぎた中年の男だ。
「ちょっと、ルシアス! この子はなんなのよ!」
「ちょっと、ルシアス! この人はなんなのよ!」
二人がほぼ同時に男に向かって叫ぶ。
「な、なんだよ? 何が問題なんだ? ちゃんと紹介しただろう? こいつはアリアーデで、俺の婚約者。こっちは、ヘラで、俺の昔なじみの娘……」
ルシアスはあきらかに困惑しながら、先ほど二人を紹介した内容を繰り返そうとしたが、それをさらに二人の言葉がかき消す。
「だから、その娘がどうしてあなたの家にくるのよ!?」
「だから、婚約者ってどういうことよ!?」
あきらかに修羅場だ。
私とレイノルドは、2人の剣幕に押され、部屋の片隅でじっと行く末を見守っている。
「大切な私の心を奪っておいて、8年も放置してたのは、この子とうまくやっていたせいなの!?」
アリアーデがルシアスに詰め寄る。
「ルシアス! 婚約者がいるなんて、一言も言わなかったじゃない!? 私のこの気持ちはどうなるのよ? ずっと、子供のころから、あなたと結婚するのを夢見ていたっていうのに……!」
ヘラがもう抑えきれずに大胆にも愛の告白をしてしまっている。
「いやいやいや、ちょっとまて。二人ともちょっと落ち着け」
さすがのルシアスも、この二人に詰め寄られてタジタジだ。スケラト何体に囲まれても涼しい顔でサラリと撃退してしまう彼が、今は小さく
「ヘラ、結婚って、どういう意味だ? お前はメルデの娘だろう? なんで俺と、その、結婚ということになるんだ?」
「アリアーデ、8年お前のとこに行かなかったのと、この娘は全くの無関係だ。それに、ヘラとはそういう関係じゃない、だいたい歳が違いすぎるだろ?」
「「年の差なんて、男女の関係には無意味だわ!!」」
二人が同時に叫ぶ。
「歳の差で言ったら、私とあなたは、百歳以上も離れてるじゃない!」
なんと、アリアーデはそんな年齢だったのか。
たしかに、あの怪物が彼女の本来の姿なら、人間ではないのだから、それだけ生きていても不思議ではない。
「18にもなれば充分大人です! ちゃんと子供も産める体になってるんだから!」
ヘラよ、おそらくそういう意味ではないと思うぞ?
もう、収拾がつかない状況になっている。
明らかに二人とも、我を失ってしまっている。
「と、とにかくだ。俺は、これから王城に報告に行かなけりゃならんのでな……」
そう言い終わるか終わらないうちに大剣を担いだかと思うと扉から飛んで出て行ってしまった。
「「ちょっと、待ちなさい! ルシアス!!」」
女性とは、なんとも恐ろしい生き物だ。
どんな怪物を目の前にしてもひるんだことがないルシアスを逃亡させてしまうとは……。
私は、未来の自分の身にこういう状況が起こらないようにと願うばかりだった。
2
「それでは、特に問題はないということだな?」
気品ある男性が左手に持ったエールグラスにエールを注いだあと、ソファに腰かける武骨な男にそれを差し出しながら、少し安堵した声色で念を押す。
「ああ、問題ない。あそこの泉には魔素が溜まりやすくなっているようだ。それが一気に放出されたのだろう。しかし、それが起こるのは、それこそ数十年に一回という程度のことだ。もうしばらくは、何ごとも起きないだろう」
応えたのは、この王国お抱えの剣士、ルシアス・ヴォルト・ヴィント卿。
そして、グラスを差し出した男こそ、ガルシア国王、その人だ。
ヴィント卿とシルヴェリア国王フェルト・ウェア・ガルシア2世は、先の領土確定戦より以前からの旧知の仲である。
ヴィント卿は、領土確定戦の折、前線の遊撃部隊隊長を務め、劣勢な戦場を駆け巡り、その前線を維持し続けた。まさに英雄である。
その後、王国軍司令官を国王に打診されたが、縛られるのは性に合わない、と、これを断り、その代わり、お前(国王)のためにいろいろと動いてやるということで、「王国お抱え剣士」となった。
爵位は、公爵。
爵位としては最高位である。
そうでありながら、所領は受けておらず、王都のはずれのぼろ一軒家に住んでいる。
変わった男だ。
普通の剣士や騎士なら、功績をあげ叙勲を受け、爵位を得たのちは、所領を預り、そこで、ある程度裕福な暮らしをすることを望むものであるが、この男にはそういう権力欲と金銭欲というものが皆無であるように見える。
だが、そういう男ほど扱いにくいものもない。
金や権力を欲するものであれば、懐柔するのはたやすい。必要なものや褒美を与えればすぐになびく。
そうしておいて、必要無くなれば、領地や財を没収してしまえばよいだけであるからだ。
幸い、シルヴェリアの各領地を治める現領主たちは、皆、ガルシア国王に忠誠を誓っており、領土確定戦終結時にそれぞれ与えられた領地の治世に励んでいる。
それらは皆、領土確定戦の折に前線で戦功をあげた者たちで、ガルシア国王も、彼らの働きに対して、最大評価を下し、それぞれに褒賞を与えたため、現在シルヴェリア王国領内において、不安分子の存在は確認できていない。
先ほどから、そのような思いを含みつつ、この二人の男のやり取りを微妙な面持ちで見ている女性がいる。
背丈は160センほど、丸型の顔立ち、茶色い大きめの瞳、一目見るとまるで幼女のような幼い顔立ちである。髪は黒く肩の手前で綺麗に切りそろえられており、前髪は眉のあたりでこれもきっちりとそろっている。黒い襟付きローブをまとい、指をまっすぐに伸ばした両手を、腹部の前あたりで重ねて、静かにテーブルの脇にたたずんでいる。
彼女は、この二人が会話をしているのをあまり好ましくは思っていない。この二人が話している間、自分はとてつもない疎外感に見舞われるのだ。
彼女の名前は、イレーナ・ルイセーズ。
シルヴェリア王国参謀である。
エリシア大聖堂三魔法士のひとりであり、領土確定戦の際、副司令補佐として、また、戦況予報士として王国軍に従事。現在は、シルヴェリア王国参謀として、政務の統轄を行っている。有事の際は、戦況予報および王国軍の戦術指南役として、国王に従事することになる。
ただ、この役目に就いて以降、戦争は起きていないので、平和な現在において彼女の主な仕事は、王国の内政の統轄ということになっている。
領土確定戦の折には、副司令アナスタシア・ロスコートのもとで、補佐的な役回りだったため、彼女は戦場で功績をあげたとはいいがたい。
平和が嫌だとは思わないが、戦争が起きなければ、英雄も生まれない。つまり、功績をあげて、王から寵愛を受ける機会がないという事でもある。
その点、先の領土確定戦で功績をあげた、ヴィント卿や現大聖堂大司祭アナスタシア・ロスコートに対して、引け目を感じざるを得ないのだ。
私も王のお役に立って王の信頼を得たい。
それこそが彼女の生涯をかけての望みともいえる。
実際のところ、ガルシア国王はこの女性、イレーナに対して、絶大な信頼を寄せている。
領土確定戦の折は、アナスタシアの補佐として働いていたが、それはまだ彼女が若かったからであり、アナスタシアが大聖堂大司祭就任のため、王都を去った後からは、彼女の後任として王国参謀を務めている。その働きぶりは、見事の一言で、アナスタシアが抜けた穴を感じさせないどころか、より以上の成果をあげている。
ここ10年程の間における、王国の産業の急速な発展は、ほぼすべて彼女の手腕によるものと言って差し支えないのだ。
しかしながら、戦場での功績というのは、まさしく奇跡の産物であり、その栄光は輝かしい異彩を放つ。
そして、そこで生まれた信頼関係というのは、なににも代えがたい強固なものとなる。
それに比して、内政における功績というのは、非常に地味である。
そこで生まれる信頼関係というのも、命の削り合いの中で生まれるものと比べるべくもない。
「しかしながら、報告によると、とてつもない光だったとか。本当に周囲に対して全く無害といえるものでしょうか?」
イレーナは、たまらず口を挟んでしまった。
言った後、彼女は心の中で、「しまった」と舌打ちしていた。ヴィント卿が言う事をガルシア国王が疑わないことは十分理解している。それなのに、それを疑うような言葉を発してしまった。
しかしこれをかばったのは誰でもない、国王その人だった。
「イレーナ。君のいう事も一理ある。それほどの魔素が原因という事であれば、何らかの影響が出てもおかしくはないという懸念をもち、それに対応する策を講じることこそ君の役目でもあるのだからな」
そこで、ルシアスに向きなおり、さらに追及した。
「その点は、どうなんだルシアス。本当に問題ないか?」
本当の原因は、アリアーデの執心なのだから、全く問題はない。魔素は放出し拡散してしまっており、周囲に対して何ら影響を与えるようなものでもなかったからだ。
だが、彼女のことを正直に話すことはできない。
この王国に
さすがに、ことの真実を知れば、ルトといえども、ルシアスの言を信じて放置するということもできまい。
国王として何らかの対策を講じなければならなくなる。
それは、いろいろとまずいのだ。今はまだ、アリアーデのことを話すことはできない。
「ああ、大丈夫だ。周囲の魔素も診たが、すでに拡散しており、影響はなかった」
ルシアスは平然と言い放つ。
「イレーナ。魔素がらみの事件はルシアスのほうが長けている。というより、むしろ、ルシアスしか対応できないのが事実だ。ここは彼の
ガルシア国王は、そもそも疑ってはいないのだが、そう言う事で、イレーナの立場に配慮したのだった。そういう人物である。
だからこそ、「しまった」なのだ。
余計な気遣いをさせてしまった、と彼女は後悔した。
国王はお優しすぎるのだ、と彼女は常々思っている。これほどの賢君は、類を見ないとさえ思える。
前国王陛下のご子息であり、王子の時から存じ上げているが、若いころから、王国中の人民から慕われており、その頭脳は明晰。その性格は温厚。そして、情厚く慈愛に満ちている。さらに、領土確定戦において発揮されたその統率力は、まさしく、これぞ王たる器と世界中に知らしめた。胆力もある。
イレーナは、彼以上に王にふさわしい人物はもう今後二度と現れないだろうと思っている。
だからこそ、彼の力になりたいと心から願っているのだ。
それなのに、自分は、王の役に立つどころか、王から気遣いを受けるなど……。
フェルト・ウェア・ガルシア2世。
先王フェルト・ノイ・ガルシア1世の次男である。
領土確定戦の前、父と兄は同日に戦地で散った。その後を受けて、国王に即位。
年齢は40歳。実はルシアスより年下である。本来、序列で言えば2位になるため、国王へ即位することはなかったのだが、先に説明した通り、父と兄が戦地で同時に戦死するという非業に会い、これによって、先王の次の王位を継承することになった。
先王と同じ名前であるが故、先王を1世、現王を2世と呼称する。
国王即位時の年齢は19。その翌年、領土確定戦が勃発。この時、この若王はその類まれなる統率力を発揮し、見事戦勝を収めることになる。
以降、現在に至るまで、他国間との交易をはかり、友好関係を維持し続け、共存共栄の道を推し進めている。
ルシアスと王兄は旧友だった。フェルトもこれに交じって交友をはかっていたため、国王即位時、ルシアス・ヴォルト・ヴィント卿を遊撃隊隊長に任じ、ルシアスの進言により、当時のエリシア大聖堂副司祭アナスタシア・ロスコートを臨時参謀に据えた。
この二人の働きは、王国軍の要となり、それまで劣勢であった戦況は一転して反攻に転じた。その後、補給の途絶えた敵国軍の退却とともに講和を結んでこの戦争を終結させた。
終戦後、ルシアス・ヴォルト・ヴィント卿に功一等として公爵位を叙爵、アナスタシア・ロスコートを王国参謀に正式任命。
イレーナは、領土確定戦への徴用の際、エリシア大聖堂からアナスタシアに付き添って登城している。それ以来、王城にとどまり、アナスタシアの補佐として仕えた。当時イレーナは16歳。アナスタシアは25歳であったとされる。
「話は変わるが、ルシアス。北の遺跡事件以降、各地で起こった異変を洗い出して、君に捜査を依頼した結果、そのいくつかがやつらの仕業だということが判明した。そして、その発生は、日を追うごとに徐々に増えているように感じるのだが、君はどう見ているんだ?」
ガルシア国王がルシアスに聞いた。
「ああ、そのとおりだ」
徐々に増えていると俺も感じている。そろそろ、国中で噂話が広まっていってもおかしくないほどにな。今はまだ、奇妙な怪談話という程度で、おとぎ話の類だろうと、みんな信じちゃいないが、それはまだやつらが人目に付きにくいところで活動していて、目撃者が、幸か不幸か、すべて犠牲者になっているからでもある。
今はまだ、やつらの個体もそれほど強くなく、行動範囲が限られているため、人目につかないでいるが、今後さらに増えてくると、行動範囲も広がり、さすがに人目にもさらされるだろう。
「そうなる前に何とかしたいところだが、まだ、こちらの準備も整っていない。これは、
つまり、やつらが強大になるのが先か、俺たちの準備が整うのが先か、だ。
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