第3章 ルーキー(3)

5


 次の日の昼前ごろ、私たちはルシアスの邸宅に集合していた。


 昨晩は少しおかしな事件(路地裏で出会った少女のこと)もあったが、数日ぶりに自分のベッドで眠れたことで、今日の体調はすこぶるいい。


 ヘラは早朝から張り切って焼き菓子の準備をしていたらしく、少し眠そうにしていたが、それもルシアスの邸宅に到着するまでの間のことだった。


 ヘラは、ルシアスの顔を見るなり、先ほどまでの眠気はどこに置いてきたのか、満面の笑みで活き活きとしながら、今日の焼き菓子の猛烈アピールを開始した。


 ひとしきり話し終えた後、今度戻ったらウチに寄ってね、そろそろその皮スーツのメンテナンスをしたいから、とルシアスに念を押す。


 ルシアスは、そんなに傷んでないだろう? と返していたが、彼女の本当の目的については全く理解していない。


 この男、結構鈍感である。


 これまで色恋沙汰には全くの無縁であった私でさえ、ヘラの想いがわかるというのに、ルシアスは全く気付いてないように見える。


 確かに年齢の差を考えれば、あまり現実的ではない恋ではある。ルシアスからしてみれば、同郷の親しい友人の娘なのだから、娘とはいかないまでも、姪というぐらいの気持ちでみている節がある。それもまあ致し方なしというところだ。


 それにしてもヘラは、この武骨な男のどこに惹かれたというのだろうか。

 まったく、人の心情とはよくわからないものだ。



 次はいつ頃帰ってくるの? とヘラがルシアスに問う。


 今回の依頼の目的地は、テルトーの村だ。テルトー村までは、ルシアスの邸宅前の街道を徒歩で約半日の距離にある。今から出れば、日が暮れたころに村に到着するだろう。


 そこでまず、村の人民や、村を中継宿として停泊している行商やらに、聞き込みを開始する。情報収集の結果、異常がありそうな箇所をひとつずつぶしていく。そうしているうちに、たいていの場合は、異常の原因に行き当たるというわけだ。


 これまでの傾向から考えると、情報収集に二日、原因の解決に一日か二日というところだろうか。



「そうだな。今回はそんなに時間はかからんだろう。明日の夜か、明後日の昼にはもどるよ。」

とルシアスはヘラに返す。


「え!?」


 声の主はヘラではない。私だ。


 正直、意外だった。あまりの意外さに思わず声が漏れてしまった。


 ルシアスは、私の驚きを横目にしながらも気づかぬふりでその場を流した。



 ヘラは、今回はすぐに帰るという言葉だけで充分満足の様子で、こちらの驚きになど目もくれない。本当に、「恋は盲目」とはよく言ったものだ。


 そうこうしているうちに、レイノルドも到着し、全員が集結した。

 両手を挙げて手を振るヘラの見送りを受けて、我々はテルトー村への道程を歩み始めた。



「意外だったか?」

道中、ルシアスが私に問うた。おそらく、今回の旅が短いことに驚いていた私の様子を思ってのことだろう。


「ええ、まあ……。これまでの傾向から考えて4、5日はかかるものと思っていたので、ちょっと驚いてしまいました。」

正直に私は返す。


ルシアスは、

「今回の件は、おそらく魔巣とは無関係だと思っている。」

と前置きしたうえで、話をつづける。


 テルトー村には古い知人がいる。そいつに会えば大抵、ことは収まる。ただそいつが少々厄介なのだ。人には話せないことなんだよ。そいつのことは実はルトも知らないんだ、というよりむしろ、知られちゃまずいんだ。それで、今回俺が依頼を受けたというわけだ。あいつのとこの王国兵とかに探索されると少々困るんでな。と。


「これもいい機会だ。お前にもそのうち会わそうと思っていたところだったから、王国の依頼ということで旅費が浮く上に、報酬までもらえるなら幸運というものさ。」


 そういって、私に向かって、片目をぱちりとやる。


 なんて男だ。こういうところがこの男のうさん臭さというものだろう。親友の、いや、国王の不安すら金に換えてしまうとは。


 たしかに、国王との面談の席で、即答で問題ない放っておけと言ったところで、国王の憂慮は取り除けまい。

 それなら、一応調べてくると言ったうえで、調べたが特に問題はなかったと言った方が、より安心できるというもの。


 やはり、こういう仕事をこなすものがそばにいるというのは、国王にとっても非常に心強く、頼りに感じるのも無理はない。

 王国兵を差し向けるとなると、それは大掛かりになり、王国中に不安をまき散らす恐れもあるうえ、それなりに費用も掛かる。

 その点、冒険者の一行、つまり私たちに依頼すれば、少量の費用ですべてが収まる。

 政治とは、こういうふうにいろいろとあるものなのだなと、改めて大人世界の複雑怪奇さを垣間見た思いをいだく。


 私はこういう世界とは無縁でいたいものだ。




6

 テルトー村に到着したのは夕暮れ時だった。


 それほど大きくもないこの村だが、街道沿いということもあり、それなりの宿場施設は一応存在する。


 ただ、王都から北に行っても、この村とソルスがあるぐらいなので、行き交う人はさほど多くない。せいぜい、王都から北の遺跡に向かう収集班がごくたまに、ここを寄宿地とする程度だ。


 収集班の人数もせいぜい10名程度までなので、宿屋はあるものの、巨大な宿泊施設というものはない。酒場と呼ぶのがどうかという程度のダイニングと併設されている宿があるので、私たちはそこに宿を取る。


 今晩はそこで宿泊して、明日朝、目当ての者に会いに行くと、ルシアスが言った。


 実はその宿に泊まるのは、私は2回目になる。前回泊まったのは、ソルスを出たその日の夜のことだ。


 あれももう半年以上前のことになる。いささか懐かしさを感じながらその宿屋の門をくぐる。


 宿の玄関から中に入ると、すぐにカウンターがあり、左右に通路が伸びている。右手が宿泊施設、左手がダイニングとなっている。カウンターには常時誰かがいるわけではない。カウンターの上に小さい木槌が置いてある。


 ルシアスはこれを手に取って、受け皿に2回叩き付けた。


 カンカン! 

と、木の音色が響き渡ると、数秒後、ダイニングのほうから中年の中肉中背の男が姿を現した。



「誰が来たのかと思ったら……、ルシアスか!」

その男が感嘆の声をあげる。



「よお、ドルレアン。久しぶりだな。今日は厄介になるよ。」

ルシアスがいつもの調子で挨拶をする。


「まったく、いつも急だな、あんたは。部屋が空いてなかったらどうするつもりだったんだ?」

ドルレアンと呼ばれたその男がこの宿の主人だ。


「はは。この宿がいっぱいになることなんて一年に2日もありゃしないだろう? そんなとこに、早便を送ってあらかじめ連絡なんてする方が、無駄って話さ。」

と、ルシアスが返す。


 「早便」というのは手紙や文書を配達するサービスのことだ。急用の時は、これで手紙を送ることができる。しかしながら、馬を使うため、その料金は結構割高になる上に、軽いものしか受け付けない。シルヴェリア王国では馬は貴重な生き物なのだ。個体数が少ないうえに、体もそれほど強くない。


 ランデルなら、そのあたりの森に生息しているのだが、こいつの体は小さいため、乗用に使うことはできない。



「ふん。相変わらずの減らず口だな、元気そうで何よりだ。お? もしかして、あんちゃん、前回ルシアスと一緒に来た若いのか?」

ドルレアンは私に目を止めて声をかけてきた。


「あんときは、ひどい顔してたが……。そうか、だいぶんルシアスに鍛え上げられたと見える。いい顔つきになった。」

彼の気遣いが、気恥ずかしさとともに温かさを感じさせる。


 私は思わず苦笑いを返し、お世話になりますと返答した。


「で、そっちのあんちゃんは新顔だね。ルシアス、どんどん供が増えてるじゃあねぇか、なに企んでやがる。」


「人聞きの悪いこと言うなよ。こいつとはただの因果だよ。」

とルシアス。


「今日はお世話になります。レイノルドです。元は王都の衛兵でしたが、親分、あ、いや、ルシアス殿に憧れて子分、あ、いえ、従者にしてもらってます。」

なにを焦っているのかわからないが、レイノルドが言葉に詰まりながら自己紹介をする。


「なにが、ルシアス殿、だ。お前はいつも通りでいいんだよ、こっちの調子が狂う。」

ルシアスが、レイノルドをからかう。


 なかなか面白い奴だ、部屋に荷物を置いてきな、そのあと食事にしてやる、ダイニングへあとで来なよ、今日は、そうだな、前に来た時にも出した、新鮮な“アルティベリ”がちょうどあるから、そいつを用意してやる、若いのはそん時の味などおぼえちゃおらんだろうからな、などといいつつ、ドルレアンはダイニングのほうへ去って行った。


 数分後私たちはダイニングのテーブルにつき、アルティベリの塩焼きと、ダイコンのスープを頂いた。


 「アルティベリ」というのは、この村のすぐ東にある湖の固有淡水魚だ。その身は白身で、味は淡泊であるが、それ故に塩との相性が抜群に良い。水のきれいなこの湖にしか生息していないため、泥臭さは微塵もなく、身はホクホクでたまらない。


 ダイコンは野菜の名であるが、シルヴェリアでは広く一般に栽培されている根菜で、輪切りにしたものをぐつぐつと鍋で煮て食べるのが主な食べ方だ。スープの味がよくしみこむため、大抵どんな味のスープにでも相性が良い。今晩のはスパイシーなコンソメ味だ。これも抜群の味付けで、魚の塩味とダイコンスープのピリッとしたスパイス味の取り合わせが絶妙である。


「アル。今日はちゃんと味わって食べてるか? この間は、それどころじゃなかったからな。ドルレアンの言うように、ここの食事の味など、全くおぼえちゃいないだろ? ははは。」


 私は、そう言ってからかってくるルシアスに適当に合わせながら、この夕食を堪能した。確かに、前回来たときはなにを食べたのか、全く記憶になかったのだ。なるほど、ドルレアンの言った「ひどい顔」という言葉にも納得がいくというものだ。


「マジかよ? お前こんなに旨いもの食べておきながら、全く覚えてないって、どんだけ思い詰めてたんだよ?」


 そう言って、ケラケラわらうレイノルドに適当に返しながらも、その時のことを少し思い出して、これまでのことを思い返したりしていた。


 

 確かに、あれから半年以上たって、今では、少しは気が落ち着いてきている。ルシアスと行動を共にして、これまでいろいろなものを見たり、奴らの眷属にも対峙してきたが、幸いにしてあの時の「大鬼」と同じぐらいの獲物には出会っていない。


 剣術の方の腕前もしっかりと成長しており、今ではルシアスと模擬戦闘するときには、5本に一本は取れるようにもなっている。


 奴らと対峙するときも、もう気後れや油断などしない。それ以上に、ある意味剣術の訓練の成果を試せる絶好の機会とまで思えるぐらいの余裕が今はある。


 あの日から、父母にも出会っていないが、父は片腕でどうしているのだろうか。そう思う時もないわけではないのだが、不謹慎なことかもしれないが、ほとんどの瞬間、父母のことは頭の片隅に追いやっている。


 旅や訓練、戦闘は実際過酷であった。が、私にはそれ以上に、ルシアスとともにいることで自身の戦闘技術や知識、身体能力がどんどん向上しているのを実感できる喜びの方が大きかった。



「ところで、ルシアス。ここへは何の用で来たんだよ?」

ダイニングの奥、厨房の入り口から出てきたドルレアンが無作法にルシアスに聞く。


「んん。明日、あいつに会ってくるよ。」

そうルシアスは返し、

「話次第では、明日の晩もここで泊めてもらうつもりでいる。明日の夕食も期待してるぜ。」



 それを聞いたドルレアンは、一瞬、驚いたような表情をしたが、

「そうか。やっとその気になったか。あいつは今もお前を待ってるよ。俺もたまに様子を見に行ってるんだぜ?」

そう言ったのち、宜しく伝えといてくれと付け加えた。


 ドルレアンも、その人物のことを知っているようだった。


 それ以上に、ルシアスとの関係に何らかの因果があるようにも聞こえたが、それを掘り下げるのは何となく気が引けたので、私とレイノルドは聞き流すことにした。



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