第2章 エリシアの巫女(2)


 あれから2日経った。


 ケイティは男の体を聖水で拭きながら、改めてその顔を覗き込む。男が身に着けていた衣服は仲間の聖堂巫女たちが脱がせて、今は聖堂で使われている衣を身に着けている。男の衣服は、ケイティがこれまで目にしたことのない形状をしていて、どこの国のものかも見当がつかなかった。


 遠い外国からきたのか? でも、どうしてこんな山奥に? 外国から来たのならどこかの港町か、王国都市に行くのが普通なのに……。


 一昨日初めてみたときよりはだいぶんと顔色がよくなった、とケイティは思った。あの時は本当に真っ白な顔色だったが、今は少し赤みがかっている。それでもなお、白くつややかな頬の透明感は、あらためて「きれいな人だなぁ」とうっとりしてしまう。


 ケイティはかたわらに用意しておいた手桶で手ぬぐいを聖水に浸しなおして、再度男のほうへと向き直った。


「君……は……?」


 ケイティはびっくりして飛び上がりそうになった。心臓がのどから飛び出るかと思った。

 男が目を開いているではないか――。


「ケ、ケイティ――。ケイティス・リファレント――。聖堂巫女見習統括……です」

と、答えるのがやっとだった。

「あ! 気が付いたのですね! そのままでいてください、まだ動いちゃダメですからね! 副司祭様に知らせないと――」

 

 慌てて立ち上がり、部屋を飛び出した。

 びっくりしたぁ、まさか目を覚ますなんて思ってもいなかったから、などと思いながら、レイリアを探す。


 ほどなくしてレイリアを発見したケイティは、男が気が付いたことを報告した。レイリアは男の部屋に向かいながら、大司祭様に知らせてとケイティに命じた。


 大司祭様はいつも自身の控室においでになるので、ケイティはそのまま小走りで控室に向かい、その旨を報告した。

 


 アナスタシアは男のもとに到着すると、まずは腕を取り、そして顔を覗き込んだ。男の目をじっと見て、しばらくののち、

「もう大丈夫のようね。水薬の効果が効いてよかったわ」

と、言った。


 それから、男に質問をした。

 どこから来たのか? なぜここに来たのか? あなたは誰なのか? など、いくつか質問してみたのだが、男の答えはこうだった。


「それは……今は答えられない。ただ、私は、ガルシア王に会わなくてはならないのだ――」

 どこの出身かも、身分も素性もわからないうえに、明らかに魔法の呪詛をかけられていた者が、「王に会わなくては」と言ったところで、おいそれと取り次ぐことはできない。


 アナスタシアはそのことを男に告げるが、男の返事はただ、

「私の名は、ゼーデ・イル・ヴォイドアーク。それしか答えられない――」

さらにこう続けた。

「治療の儀、感謝する。だが、いつまでも寝てはおられんのだ……。すぐに王都へ向かう――」


 ベッドから飛び出しそうになる男をとりあえずなだめて、少し待つようにたしなめる。

 アナスタシアはとりあえず王都へ使いをやって、事の次第を伝えるから、あなたはしばらく静養してなさい、いずれにしてもその体ではすぐには動くことはできないのだから、と男に言った。


 男、ゼーデは今にも飛び出しそうではあったが、しばらくするとふらふらと気を失ってしまった。やはりまだ、体力の回復には時間がかかりそうだ。




 その日の夕方、ケイティはエルリシアの町にいた。


 今日はここで一夜を明かすことになりそうだ。


 宿屋の扉を開けて中に入ると、見慣れた顔が見えた。ここの宿屋の従業員の男、デイルートである。


 彼はよく聖堂にやってくる。


 主には、大聖堂の巫女たちの食糧や生活必需品などの輸送のためである。ここの宿屋は王都シルヴェリアとエリシア大聖堂の連絡番を務めており、王都から大聖堂へ、もしくは、大聖堂から王都への連絡の取次も行っている。


 ケイティがここへ来たのは、その連絡取次ぎの依頼のためだ。


 昼を過ぎて支度をしてから大聖堂を発ったので、ここに到着したころにはもう日が沈みかけていた。


 ケイティは、アナスタシア大聖堂大司祭が書いたガルシア王宛の書簡を預かっている。これを、宿屋の主人に届ければ、仕事は完了だ。


 巫女見習統括とは、なんとも損な役回りだ。こういうお使い事はたいていケイティの役目になっている。聖堂巫女たちは「祈り」のため聖堂外に出ることはほとんどない。巫女見習たちはまだ幼少なものや、土地に明るくないものも多く、これもまた聖堂の外に出ることは難しい。


 巫女見習のうちに見習統括に付き添って町へ降りてくることを何度かやらされるうちに、土地勘を養い、この町の人々と交流し、そのうち、見習統括になるのであるが、こういった急ぎの要件の場合、かえって足手まといになるため、結局は見習統括が単独で山を下りなければならない。


「デイルート、主人はいらっしゃいますか?」


「な、なんと。ケイティス統括じゃないですか。こんな時間に今日は何用で?」


 ケイティは書簡のことをデイルートに伝え、主人に取り次いでくれと頼んだ。もちろん内容は伏せている。デイルートはすぐさま主人に取り次いでくれた。


 宿屋の主人、ミハイルは大柄で口髭の男である。年のころは50代前半。実はこの町の首長でもある。

 もともと、この町は大聖堂への参拝客がその拠点として利用する町だったことはすでに述べた。そういう意味もあって、ここの宿屋の主人は、基本的に王国から任命されてその任にあたっている。このミハイルもかつては王国軍の兵団長だったらしい。


 つまり、この町は王国直轄の町であり、その首長はこの宿屋の主人と兼務し、かつ、王国と大聖堂の連絡係と大聖堂への物資の統括も行っているということになる。


 なんとも、たいへんな役割だ。


「おう、ケイティ。なんだこんな時間にくるなんて。相当急ぎの用立ちだな?」


「え、ええ。大司祭様からこの書簡を預かってまいりました。急いで、王都へお願い致します」


「王都への定期便は次は3日後の予定だが?」


「いえ。今すぐに、です。そう大司祭様から言付かってきております」


 ほほう、これはとんだ急ぎごとだな、と返しておきながら、そこはさすがに王国から任じられるだけのことはある。すぐさま、デイルートに指示を出し、配送の手配を整えた。

 こういう時、元兵士というのは、有用である。自分の職務をしっかりと理解し、確実にやり遂げる。そして、余計な詮索はしない。


 ケイティは書簡をミハイルに託した。これで、仕事は完了だ。


「ところで、ケイティ。今日は泊っていくんだろ?」

返事も返さないうちに、矢継ぎ早に続ける。

「いいランデルの肉が入ってるんだ。シチューを作るからお前も食べるだろ――?」


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