第2章 エリシアの巫女(3)

4


 次の日の朝、ケイティはいつもより遅めに目を覚ました。


 この宿屋へは、物資の調達仕事や、王国への定期便の依頼などで幾度か訪れており、これまでにも時間が遅くなった時には、暗い山道を大聖堂へと帰るわけにもいかないため、ここで一晩逗留してから帰るということがあった。そうしている中で、ミハイルとは懇意になったのだが、当然男女の仲というわけではない。


 そもそも年齢が違いすぎる。


 ケイティは今年16歳になろうというところだが、ミハイルは兵団長を辞してこの任についている。年齢はもう50をとうに過ぎている。


 なので、ミハイルがケイティをかわいがるのはそういう意味ではない。いわば、娘のようなものだ。


 それに、ケイティはそもそも男性に興味はない。

 そう言うと、誤解を生じそうな言い回しであるが、ケイティは生涯をエリシア神さまに捧げている。

 司祭という役職は、神職ではあるが、とくに結婚を禁じているわけではない。


 これも、エリシア神が創生の神とされるゆえんである。


 司祭は女性であるが、地方へ帰った者たちの中には、土地の男性と結婚して子をなすものも少なくない。

 そして再び、自身の娘を聖堂巫女見習として仕えさせることも、また一つのあり様でもある。


 ただ、ケイティはその性格と信条から、男性と結婚して子をなすということよりも、エリシア神に生涯をかけて尽くしたいと今は思っている。


 ミハイルはケイティのことがいとおしいらしく、来るたびにいろんな食材を手に入れては、料理を振舞ってくれる。ミハイルにとってケイティとの食事の時間は、至福の時間なのであろう。自身の料理をおいしそうに頬張るケイティを見てるだけで幸せなのだ。


 昨日のシチューもおいしかったなぁ……、ここのベッドもふかふかで気持ちいい……。などと思いながらしばしまどろんでいると、扉をたたく音がした。


「ケイティ、そろそろ起きる時間だぞ? 朝飯の準備もできている。準備を整えて早くおりて来いよ?」

扉の向こうからミハイルの声がする。


「ん、んー……。はーい、すぐ支度して降ります」

取り敢えず、起きていることは伝わっただろう。ケイティはもぞもぞとベッドからはい出し、帰り支度を始めた。


 朝食はパンとハムエッグ、牛乳にチーズ、そして、トマトのサラダ。


 大聖堂の朝食もパンと卵料理の組み合わせがよく出るが、ここの朝食はその素材の新鮮度が段違いである。


 とくに、トマトのサラダ――。


 町周辺の農家から直接仕入れており、朝一番に収穫したものがそのまま食卓に料理として出てくる。みずみずしいトマトの香りと口の中いっぱいにあふれ出す果汁がたまらない。


「ほんとにおいしい――」


 思わず声が漏れたのをミハイルは聞き逃さない。

「だろ? 今日のトマトは特に格別だ。ここの農家の野菜はどれもいいが、トマトは群を抜いているんだ。大聖堂ではなかなかここまでの鮮度では食べられないからな」

得意げにミハイルが話す。


 次来た時にはまた、おいしいもの食わせてやるからな、楽しみにしておけよ? などと会話をしながら朝食を頂いた。


 食事が終わるともう聖堂へ戻らなくてはならない。ケイティは常々「人の世は汚れている」と感じていることはすでに述べているが、この町はまだそこまでは感じられない。井戸から水を汲んだり、近所の川で獲れた魚や森で狩られたランデルや小動物の肉などが主食であり、近くの丘陵では農業が盛んにおこなわれている。まだまだ自然の生業の中で生きているのだ。


 ミハイルの作る料理はいつも新鮮で自然豊かでエリシア神の加護を強く感じることができるので、ケイティは、ほんとはここにずっといれたらいいのになぁと、思わずにはいられない。しかし、自分には司祭になるという目標があるのだ。聖堂での修練を放りだすわけにはいかない。


 後ろ髪をひかれるような気持ちを押し殺して、宿屋を後にする。今回はほかに買い出しの用もないので身が軽い。今から聖堂に向かえば、昼前には到着するだろう。


 エルリシアの町の北門からでて聖堂までは一本道だ。




 ミハイルの話では、昨日手配した王都への書簡は、もうすでに着いているだろうとのことだった。エルリシアの町から王都までは馬車で4、5時間程度だ。今回の書簡便は急報でもあるので、馬を使う。昨日の夕方町を出立しても、馬車を引いていないとはいえ、馬も休憩なしに走れるわけではない。中継の村で一旦馬を替える。そこから、さらに駆けるのだ。そうすれば、王都の城への到着は昨夜夜遅くとなる。もしかしたら、すでに王もとこに入っているかもしれない。いずれにせよ、戦争でもなければ協議は今日行われるであろうから、返事はそれからになる。


 大聖堂に返信が届けられるのは、早くても明日の午前中ぐらいになるだろうとのことだった。


 ミハイルは書簡の内容についてまでは聞かなかったし、ケイティも話してはいない。だが、こういう役目を負っている者の経験則からも、ケイティの様子からも、隣国が攻めてきたというような緊急事態とは見えない。そうなれば、おのずと王都の返信の時期も読めるというものだ。


 そういったところから、「早くても明日の午前中」という見立てになったのだ。


 ケイティは、昨晩のランデルのシチューと、今朝のトマトのサラダを思い返しながら帰路についた。




 やっぱりこの時間が一番好きだ――。


 ケイティは、神像の前にひざまづきながら祈りをささげている。今日も流れる水の音が心地いい。


 昼前に大聖堂へ戻ってきた彼女は、すぐに大司祭様に報告をし、返信は明日の午前中ぐらいになるという、ミハイルの見立てについても合わせて伝えた。

 

 あの男の人は、昨日からまだ寝たきりになっているとのことだった。


 ケイティは、まずはレイリア副司祭に帰着を伝えた後、昼を済ませて、いつも通り見習巫女たちに聖堂掃除の指示をしたりして午後を過ごした。

 

 夕食前のひと時の至福の時間――。昨日はエルシリアの町にいたから祈りがささげられなかった。今日はこの時間が邪魔されないでほしいと、そう思いながら静かに祈りをささげる。

 遠くで聖堂巫女のお姉さま方や巫女見習の子たちのおしゃべりの声がかすかに聞こえてくる。


 不意に背中の方から風が吹いた。あの時と同じ風だ。


 え? ま、まさかまた男の人が現れたりしないよね? と、戦慄が走って慌てて振り返ると、やはり大聖堂の扉が開いている。そしてそこにまた人影を確認した。


「王都からの使いである! 王からの勅書をお持ちした! だれか、大司祭様にお取次ぎ願いたい!」

兵士風の男が声をあげる。


「あ、はい! 今すぐお取次ぎいたします!」

ケイティは飛び上がるように立ち上がって返答した。


 明日の午前中じゃなかったの? ちょっと早すぎるんじゃない? などと思いながら、大司祭様の控室へ急いだ。


 伝令のものは勅書を大司祭アナスタシアに直接渡した後すぐに去っていった。王都からの伝令はいつもこうである。その内容について知らされているわけではないし、その返答を受けてくるよう命じられてでもいない限り、届けること自体が彼の役目なのだ。すぐに取って返し、次の伝令に備えねばならない。


 アナスタシアはそれをすぐに開封し、しばしその書簡に目を落としていた。

 一通り目を通した後、静かに切り出した。


「レイリア、ケイティ。王の使者が後発でこちらへ向かっているとのことです。今晩遅くにエルリシアに入る予定なので、明日の早朝にはここに到着するでしょう――」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る