第2章 エリシアの巫女(1)後編

(続きから)


 しばらくして、さすがにケイティの異常な声色に反応した聖堂巫女たちが奥から数人飛び出してくる。

 大広間の異変をさとった巫女たちは、おもいおもいにそれぞれがわめき合っている。


「――何をしているの、あなたたち!」

聖堂副司祭のレイリア・ミルハイトの声だ。


「レイリア副司祭、いきなりこの方が扉から入ってこられて、お倒れになったのです!」

ケイティは事情も分からないまま、とりあえずそう叫んだ。


 レイリアは即座に反応した。

「とにかく、奥の休憩所のベッドへみんなで抱えて運びましょう。私は大司祭様を呼んできます――」

そう言うとすぐに走り去っていった。


 聖堂巫女たち数人で何とか手分けして奥のベッドへ運べたころ、レイリアが大司祭を連れてきた。


 エリシア大聖堂大司祭アナスタシア・ロスコート。年齢は不詳である。その昔、現国王ガルシア王によって、この大聖堂の管理、統轄を任じられた。

 それ以前は王国軍参謀として、ガルシア国王とともに、領土確定戦に従軍したとのうわさもあるが、そこについては、公表されてはいない。

 年齢に関しては、まだ40ぐらいという者もいれば、実はすでに50を超えているという者もいるが、明らかではない。見た目には、30そこそこにしか見えないのである。それがかえって、彼女の年齢をより不鮮明にしている要因でもある。


 彼女がこの大聖堂の大司祭に任じられたのには理由がある。実は彼女には魔法の心得がある。とは言え、このことは聖堂内においてのみ周知されている事実であり、聖堂巫女にならなければその事実を知ることはない。


 というよりむしろ、このエリシア大聖堂はエリシア神をまつる大聖堂という表向きではあるが、その実、エリシア大聖堂の巫女見習に登用されるのは魔素という特殊な先天的能力を持つ者だけであり、見習巫女や聖堂巫女たちは日々その修練を行う。ここはいわば、魔法士養成所なのである。


 実は、この魔素という先天的能力はこの世界のありとあらゆる人間にわずかながら備わっているのだが、それを「魔法」という形で何らかの効果を現すことができるまでには相当の修練が必要となる。しかも、ある一定の魔素量を持つものでなければ、いかに修練しようともそれを扱うことはできない。


 ゆえに、エリシア神への信仰が厚い者、つまり、聖堂巫女に志願する者の中でも、魔素量を一定量以上もつ者だけが、この大聖堂の見習巫女として登用されるということになる。


 その後、「魔素」という能力について伝えられ、日々修練を積むことになる。しかしながら、一定の魔素量を持つものですら、その力を発現させられるものは未だわずかである。


 「魔法」を使えるという状態、例えば、敵に火の玉を放ったり、仲間の傷を回復できるというようなものは、現聖堂巫女の中に、アナスタシアを除いて一人も存在していない。


 大聖堂で修練を積んで、現在「魔法士」と呼べる人物は実はこれまでにわずか3人のみなのだ。


 そのうち一人は、現大聖堂大司祭アナスタシア・ロスコート。あとの二人のうち一人は、現王国参謀イレーナ・ルイセーズ。そしてもう一人は現在行方不明となっており、その名は王国の機密事項となっている。


 3人の師匠である前大聖堂大司祭はすでにこの世を去っており、その跡を継いだのがアナスタシアということになる。


 この大聖堂で修練したがその力が発現しなかった者は、地方の都市や村落のエリシア聖堂司祭として、各地でエリシア神の祭祀統括をしつつ、魔素能力の高い者の探索の任にあたる。

 この際において、封呪ふうじゅの儀式を受け、魔法能力を封印させられることになっている。間違っても、人界において、「便利に」使われようものなら、世界に大混乱を招きかねないからだ。

 魔法を発現できなくはなるが、魔素量を感知できる能力は残る。その力を使って、今後発現できる可能性のあるものを探索し、導くのが主な役目ということになる。

 但し、先ほども述べた通り、魔法を扱えるものは未だに現れていない為、これまでに封呪の儀式を受けた者はいない。


 こう聞くと、まるで地方司祭は「落第者」のように聞こえるかもしれないが、そもそも、各地から集まる巫女見習たちは、自身の出身地において、エリシア聖堂の司祭となるためにこの大聖堂を訪れるのであるから、むしろ、地方司祭になることは当初の目的と合致する。


 修練を積んである一定期間ったものは、順次、地方司祭に任じられ、この大聖堂を去ってゆく。そして次にその任にあたるのは、現副司祭のレイリアということになる。彼女が地方司祭の任につくときには、新しく副司祭が任じられる。そうやって、繋いでいくのだ。



 アナスタシアは、問題の男を一目見るなり表情が険しくなった。魔素の流れが異常に速い。そもそも魔素はその「器」、つまり体内を血流のごとく循環している。その流れは、血液と同様にゆっくりと全身をめぐっているものだ。


 しかし、この男の流れは異常な速度で、一部の魔素はすでに体外に漏れ出ている。そもそも、どれほどの魔素を保持していたのかはわからないが、すでにその量はかなり少量になっており、一般の人間の量をもかなり下回っている。放っておくとその「器」から完全に消失してしまいかねない。


「これは――、呪詛じゅそ魔法だわ……」


 魔素が人間にも備わっていることはすでに述べた。実はこの魔素というものは、その量に大小の違いはあるが、この世界のあらゆる生物が保有しているものである。そして、それは第2の「血液」とでも言えるものなのだ。


 通常、これが体外に放出されることはない。例えば、怪我を負ったり、病気になったりしても、魔素には何ら影響は出ない。

 しかし、何らかの「魔法」の作用によって、体外に飛散させるように仕向けることは可能なのだ。「器」が空になってしまった場合、待ち受けるのは死である。


「すぐに、処置を始めます。急がないと、間に合わなくなるかもしれません。レイリアは庭園のリール草を――。ケイティは御神像の甕の聖水を汲んできてください。急いで――」

 そう指示した後、残りの者たちは大広間に集合して祈りを捧げなさいと伝えた。

 聖堂巫女たちの重要な役割の一つでもある「祈り」は、この大聖堂内に魔素を集中させ、大司祭の魔法発現と効果向上を促す。  


 リール草と神像の聖水をあわせて煎じ、そこに魔法を施して効能を付与する。それを飲ませることで、いわば、「薬」のようなものになる。

 リール草はひろく薬草として使用されている植物であるが、実はその効能はそれほど高くはない。なのに、この植物は自生している場所が限られており、王国の管理下に置かれている。

 なぜに王国が直々に管理しているかの理由はここにあるのだ。


 リール草水は魔素と相性がよく、魔法の効能をその中にため込むことができる。

 つまり、付与する魔法の効果によって様々な効能を持つ「水薬」をつくることができるのだ。

 これを発見したのはアナスタシアである。


 残念ながらアナスタシアには、「魔素」を具現化できる程の――例えば火や風を起こすような――魔素量は備わっていなかった。

 そこで彼女は聖堂巫女を集め、「祈り」によってその魔素量を補完する術式を編み出し、その術式によって「魔法水生成術」を完成させるに至った。つまり、それほどの魔素量が必要な技であるため、現在この技を使えるものは現大聖堂大司祭アナスタシアただ一人なのである。


 アナスタシアはリール草水に「解呪」の効果を付与した。それを男の口に運び、ゆっくりと流しいれる。小瓶一つほどの「水薬」を流し込み終えたあと、男の胸のあたりに手をかざして、呪文を唱える。


「アーデイア・ブローミア――」


 ぽうと手のひらと男の胸の間に光が現れ、数秒後ゆっくりと消えた。


 男の表情が少し和らぐ――。

 解呪は成功したようだ――。


「しばらくこのまま様子を見ましょう。魔素の放出は止まりましたが、かなり消耗しています。動けるぐらいまで魔素が充填じゅうてんされるには、まだしばらくかかるでしょう。巫女たちで手分けして、5日ほど交代で看護を頼みます。何かあればすぐ私に知らせて――」

そう言って、アナスタシアは自身の部屋へ下がった。

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